XXV.パンツかスイーツか

「いっえーい! メアちゃんの下僕三人衆揃ったね!」


「よかったわね」


 場所はD学園の正門前。昨日の雨も上がり、湿気を帯びた不快な熱気が瘴気にも似た様相を呈して地面から漂う中、四人が揃うなり時緒は満面の笑みを咲かせた。メアの不快指数は着実に上昇中だが、この先のことを考え体力を温存しようとしている為、いまいちツッコミにはキレがない。


「さあ! 三号のユウリちゃん! さっそく我らが秘密基地にて解読の成果を聞かせてくれたまえ!」


「は、はあ……」


 時緒の凄まじいまでの剣幕にユウリは若干圧され気味であった。


「ホント、ユウリちゃんの働きには先輩である二号のわたしも関心しているのだよ、うんうん」


「あ、ようやく二号で妥協したのね」


 程なくして四人は連れだって歩き出した。だが行先は秘密基地ではなくまずは駅前だ。   

    

 時緒が啖呵を切った矢先ではあるが、まずはスイーツを購入することが先決である。今日はコンビニではなく駅前の少し良いスイーツにするとメアは決めていた。こんな面倒事が確定している日くらい奮発して良いだろうという算段だ。


 スイーツの調達はこの少女たちのあいだでは暗黙のルールなので、先を急く時緒も文句は言わなかった。だが、依然としてその表情には収まりきらない笑みを露呈したままであった。


 どうやらメアの不快指数の上がり幅は、まだまだ余力を残していそうだ。





「ユウリちゃぁん。ユウリちゃん可愛いよぉユウリちゃぁんでへへぇ」


「あの時緒さん、あまりくっつかれると歩きづらいです」


 異世界を目指すことになってからというもの、時緒はすっかりユウリという自称異世界出身の魔術師少女に心酔してしまっており、駅前までの道中絡みっぱなしである。


 だがメアにとってはそれが良い方へ働いている。いつもなら二人から纏わり付かれるところが、半分で済むからだ。


「メアー、とっきーがユウリっちに夢中な分、寂しくないようにわたしがいつもの倍いちゃいちゃしてあげるからねー」


「いらないわよ!」


 そうでもなかったようだ。 


「メアー」

「ユウリちゃーん」


 もうすっかり慣れてしまっているメアと違い、ユウリはどうして良いかわからず、たじろいでしまっている様子だ。鞄と一緒に臙脂色の蛇の目傘を抱きかかえるようにして避けようとするが、時緒はしつこく纏わりついてくる。


「メアー」

「ユウリちゃーん」


 鬱陶しい一方でしかし、メアは少しだけいい気味だと感じていた。普段の自分の理不尽な苦労を他人が受けている。食らっている。しかもその相手も少なからずメアに対し普段から心身の疲労を蓄積させている張本人ときたら、いい気味以外の何物でもない。


「メアー」

「ユウリちゃーん」


 少しくらいわたしの苦労を知るが良い。その一心でユウリの何かを訴えている眼差しを嘲笑った。


「メアー」

「ユウリちゃーん」


「ってぇ! いい加減にしろ! あんたら!」


 耐え切れず、メアは二人にゲンコツをお見舞いした。


 ようやく二人はメアとユウリから離れ、大人しく並んで歩きだす。


「ごめんねユウリちゃん。だってユウリちゃんが可愛い過ぎるから。ひかないでね」


「大丈夫です、もう割とかなり最初の段階で結構ひいてますから」


「えー! 全然だいじょばない! ユウリちゃんにひかれたらわたし生きていけない!」


「時緒の言うことはくだらないことばかりだから、三回に一回くらいは無視して良いわよ」


 見かねたメアはユウリにそう助言した。対するユウリは少し考え込む素振りを見せてから答える。


「…………、あの、そのことについて少しばかりご相談が……」


「あーユウリちゃん! わたしのこともっといっぱい無視するつもりでしょー! 頻度についてご相談するつもりでしょぉー!」


「…………」


「あー! ひどーい! ユウリちゃん行使した! 『三回に一回』の『一回』を早速行使したー!」


「まあまあとっきー、いいじゃん。ここは一つ、メアがパンツ見せてくれたら丸く――」


「収まらないわよ! バカ燐華、何勝手言ってんのよ!」


「ちなみに今日のとっきーのパンツは青の縞パンだよ!」


「聞いてないわよ」


「好きなアニメのヒロインの真似なんだぁーへへぇ、ネットで買ったのぉ」


「だから聞いてないって」


「ユウリちゃんはどんなおパンツ穿いてるのかなぁ?」


「穿いてません」


「じゃあメアは――」


「いやいやちょっと待って。今とてもじゃないけど看過できない発言が聞こえた」


 メアは立ち止まり、ユウリの正面に立つと両肩を掴んだ。


 そして一度深呼吸するが、その呼吸は微かに震えている。


 いかにこの少女が世間知らずであろうとも、そのようなことがあって良い筈がない。何事にも限度というものがある。いかに、この世の人々がいかに愚かであろうと、いかに虫の脳みそであろうと、限度があるから世界は何だかんだで無事明日を迎えることができるのだ。


「冗談……、よね?」


 メアは祈るように言葉を噛みしめながら問う。


「は、はあ」


 対してユウリはメアの言葉の理由が理解できず、戸惑いを見せた。だが、訊かれた以上は素直に答える。


「あの、残念ながらわたしは嘘や冗談を言える性質たちでは……」


「残念なのはあんたの頭よぉおおおお!!」


 一縷の希望に縋ったメアは、失意のどん底で雄たけびを上げた。


「え? なに? あんたずっとノーパンだったの!? 雨の日も風の日も!? 平日も休日も!? 病める時も健やかなる時も!? 四六時中!? そんなスカート姿でぇ!? 森羅万象いかなる場合でも!?」


 メアは物凄い剣幕でまくし立てる。メアに両肩を掴まれたまま揺さぶられるユウリは無表情のままかくんかくんと首を振られていた。


「あ、あの、メアさん落ち着いて下さい」


 宥めようとするユウリの背後で、燐華と時緒が両手をわきわきと怪しげに蠢かせながらにじり寄って来るのをメアは視線の端に捉えた。


「あんたら、少しでも変なことしようとしてみなさい。その腑抜け面を恐怖で引きつらせるわよ」


「お、おう」

「はい」


 メアの射抜くような視線と修羅のような並々ならぬ剣幕に、二人は素直に従った。


「メアさん、ちょっと聞いて下さい!」


 ようやくユウリの訴えが通じたのか、メアは手を止める。だが、依然としてユウリの両肩は掴んだままで、自身の肩を上下させ呼吸を整えているようであった。


「その落ち着き払った様子が輪を掛けてムカつくわね……。いいわよ、正当な理由があるなら言ってみなさいよ」


「そうですね……。メアさん、これはパンツじゃないから恥ずかしくないのでは?」


「ふっ…………」


 顔を伏せ、一呼吸置き、


「あああああ! その理論はパンツ以外の何かを穿いてる時に成り立つものなの! なにその世界一くだらない知識! どこで仕入れた知識よ! いい! 言わなくて! 知りたくもない! そもそもパンツそのものがなかったら恥ずかしいでしょう!! 馬鹿なの!? 死ぬの!? ああああああああっ!」


 メアは発狂を再開した。


「師匠、メアさんがまた故障してしまいそうです」


 ユウリは胸ポケットのネズミにそう話し掛けるが、やはりちちちと鳴くばかりであった。


 行先、駅前スイーツ店からデパート婦人服売り場の下着コーナーへ急遽変更。





 駅前で唯一の大型デパート。その四階が婦人服売り場であった。


 エスカレーターや階段をノーパンスカート姿のまま使用させるのは流石に憚られた為、デパート特有の嫌に来るのが遅いエレベーターを待ち、四人は目的の階へと辿り着く。


 下着コーナーは様々な色形の女性向けショーツが陳列されており、その取り取りの繊細な布地で彩られた一角は、その一つひとつの愛らしい造形や色彩とは裏腹に、妖艶な大人の雰囲気を醸し出しており、メア自身初めてというわけではないが、それでも少し背徳感にも似た居心地の悪さを感じる。


 燐華と時緒はというと、メアと違い全く意に介さない様子で珍しい形の下着を手に取ってははしゃいでいた。


 いつもならそんな二人を叱責するところだが、最優先事項として今現在抱えている問題の解消が先決である為、放っておく。それほどまでにその問題は大きかった。


「ユウリちゃん! これはこれは?」

「ユウリっち! こっちが良いって!」


 メアがユウリに代わり、真剣にどれが無難かを選んでいると、燐華と時緒の二人が商品の下着を手に駆け寄って来る。燐華の手にしているものは両サイドを紐で結ぶタイプかつ布面積が無駄に小さいものであり、時緒のものに至っては完全に布地が透けていた。


「あり得ないから戻してきて」


 メアは光の速さで却下した。


「あの、メアさん。先程のお二人の、わたしは結構素敵だと思うのですが……」


「…………」


 ユウリの言葉の方には完全に無視を決め込み、メアは下着選びに集中した。


 そして程なくして、白い無地の、この界隈で一番地味だと思われるものを手に取る。


「あとはサイズか……この様子じゃブラもしてないだろうし」


 当然店員に言えば測って貰える筈だが、この原始人のような少女をノーパン姿のまま他人に託すわけにはいかない。メアは仕方なく当たりを付けて試着しながら決める方法を取ることにする。


 体格はメアと同じくらいだ。あとは……。


 メアは徐にユウリの服の上から、ネズミが入っているポケットの方とは反対の胸に軽く触れる。


「あっ///」


「変な声出すなぁっ!」


「メアさんこそ、いきなり変なところを触らないでください」


「ご、ごめん……」


 それもそうかと、メアは手を放し、素直に謝罪した。


 だが、メアには珍しいその素直さは、メア自身他のことに気を取られてしまっていたが為に出てしまった隙でもあった。隙など普段は微塵も見せないメアを思わず無防備にしてしまう事象が〝そこ〟にはあった。


 〝そこ〟というか、紛れもなくユウリの胸であった。


 柔らかかった……。


 メアは口に出さないまでも、虚ろなまなざしでその感触の余韻を確かめるように手のひらを見つめた。そして、


「結構あった……」


 今度こそ口から漏れ出てしまう。


 自身の胸を確かめるようにぽんぽんと触れてみる。


 時緒が言うように、昨年と比べると変化があったと、自分でも自覚できるくらいには兆しが見える。だが、服の上からだと依然としてその片鱗すらわからない。ましてや「柔らかさ」を感じるなんて以ての外。メアはユウリを、主に胸の辺りを、恨めしそうに睨んだ。


 そうして未練たらしくしばし立ち尽くすと、やがてメア自身一度も触れたこともない未知の領域へと手を伸ばす。そこはかとない虚しさからその手は微かに震えていた。


 当たりを付けた下着三組程を手に、メアは言いようのない喪失感に打ちひしがれていた。


 感情を押し殺し、メアはユウリの手を引いて奥の試着室へ入る。


 ユウリはメアに続く形で丁寧に靴を揃えてカーテンを潜るが、靴を脱いだその足は靴下を履いていなかった。


「生足ですみません」


「お願い、せめて裸足って言って」


「やはり非常識でしょうか? わたし……」


「やはりも何も、あんたはずっと、常に非常識を貫き続けてるわよ」


「すみません。下着や靴下のことは勿論一般的ではないとわかっていましたし、わたしの世界においてもそういったものの概念はあるのですが、魔術師は通常身体を締め付けるような、つまり、魔術を使用する上で集中力の妨げになる要因になる余計なものは極力身に付けないのが決まりでして……」


「わかったからほら、ブラ付けてサイズ見て」


 メアはずいと乱暴に手にしていた下着をユウリに押し付ける。


「これはどう付けるのでしょう?」


 ユウリはブラジャーのホックの辺りを弄りながら訝し気に首を傾げる。


「こうでしょうか?」


 そしてそのブラジャーを頭に乗せた。


「あんた周りでそんな恰好の人間見たことあるの?」


「先程見かけたのですが、時緒さんがこんな感じで……」


「あいつは人の皮を被ったただの変態だから今後一切参考にしないで」


「すみません、冗談です……」


 そう言うとユウリはブラジャーを正しい位置に宛がい、だがやはりホックの付け方がわからないのか、四苦八苦していた。


「ったく、さっき冗談が言えない性質たちって言ってたじゃない」


 メアは仕方なく、ユウリを後ろ向きにするとホックを止めてやった。


「メアさん、ありがとうございます……。本当にその、何から何まで……」


「…………」


 メアからの返答はないが、ユウリは続ける。


「メアさん? メアさん前に仰いましたよね? 学校のクラスメイトのこと、許せないとは思わないのかって」


「…………」


「わたしはあのようなことで、他者を恨むことはありません。傷付きもしません。それは強がりではなく純然たる事実です」


「…………」


「でも何故でしょう? メアさんに『嫌い』と言われた時は、この辺りが少しチクリとしました」


 ユウリは自身の胸元に目を伏せる。


「…………。この辺りって何よ……」


 それを受けてメアは感情の籠らない声で呟いた。


「このおっぱいとおっぱいの間の……」


「おいやめろ」


 別にその位置の詳細を求めたわけではなかったメアは、慌ててユウリの言葉を制した。


 そうして選んだ下着をレジで購入した。代金はメアが負担した。


 メアが代金を支払うその横で、ユウリは可愛らしい紙袋に入れられた、魔術師としての決まりを破るものとされる筈のそれを、愛おし気に見つめていた。


 燐華と時緒と合流し、下の階へのエレベーターを待つあいだにユウリは大事そうに抱えていた紙袋から下着を取り出し、タグを切る。


「では早速」


 そして新品とはいえ他人がいる中で下着を取り出したことを注意しようとメアが口を開く前に、一縷の迷いもなく、それを穿こうする。


「やめて! ここで穿かないで!」


 メアは慌ててそれを阻止した。


「穿けと仰ったり、穿くなと仰ったり、正直メアさんは難しいです」


「あんたにだけは言われたくない! なにその『やれやれ』みたいな表情、すっごいムカつくんだけど!」


 せっかく温存していたメアの精神的HPヒットポイントゲージの実に80パーセント程が既に消費されてしまっていた。

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