Ⅱ.ベッドの中での回想

 石川県N市。メアの通う中学校は寮から徒歩で十五分程である。


 道中は目立った建物も少なく、おまけに人通りも少ない。傍らに広がる田んぼは五月の田植え前なのでただの泥水が敷き詰まった広場になっている。


 全体的に色が少なく、酷く寂れた印象を受ける風景だ。市内には自然公園や遺跡などがあるらしいが、どちらにしても特に派手な見どころの無い場所だ。


 桜の木でも植わっていればまた違う感じになるのだろうが、生憎メアの歩く通りにはそんなものはなく、花といえば、辛うじて民家の庭先に植えられたツツジが申し訳程度に桃色を見せているくらいだ。


 その日の授業の簡単な予習をする為、メアは三十分早く学校に着く。普段通り。


 県立K中学校。校舎はコの字型で外側は大きいガラス窓が全面にはめ込まれ、寂れた市内にある建物の外観としては中々に前衛的な見た目をしている。


 コの字の内側にはグラウンドと生徒が自由に昼食をとれる中庭のようなスペースもある。割と瀟洒と言えなくもないその見た目も、既に一年間通い続けたメアにとってはもう見飽きてしまった風景だ。


 早めの登校の為、校内に人は少なく静か。それも普段通り。


 だが、この日のメアの心境だけは普段とは少し違った。心機一転という心構えで身を引き締める。四月も半ばに差し掛かり、ついにその日はやってきた。


 新クラスでの委員決めの日だ。


 委員決めはその日の最後、六限目のHRで行われる。

 普段通り模範的な態度で一日の授業を終えたメアは、迷わずクラス委員に立候補する。


 メア自身、これから先の未来に待ち構えているであろう大業に比べれば、こんな中学校という最低レベルのコミュニティで定められたクラス委員という肩書は、意味などないに等しい些末なものであったが、それでもそこにはメアのこだわりがあった。


 それがいかに過程の上での些事であっても、他の追随を許さぬ程の完璧でなければならない。そう、圧倒的でなければならないのだ。


 だからメアは当然のこととして立候補者の中に名を連ねた。


 メアの他に立候補した生徒は三人。その中に円子瞳まるこひとみという女子生徒の名もあった。一学年時にクラス委員を務めた生徒だ。


 メアの通う学校は三学年通してクラス替えが無い。お陰でこの愚かなクラスメイトたちと嫌でも三年間という学校生活を共にする羽目になった。だが、それがことこの委員決めに関しては好適として働くことになる。


 一学年の時は仕方がない。誰もメアの有能さを知らなかったのだから。それこそ、最初はメアという少女から滲み出る非凡なオーラのようなものをほんの僅かでも感じることがあってもおかしくはなのではないか、と思っていたが、そんな淡い期待は入学から三日程で諦めた。


 それがどうだ、たっぷり一年間周りに知らしめてきての今日だ、メア以外を選択する他ない。


 それにこの円子という女子生徒、その温和で真面目な性格と、清楚でかつおっとりとした物腰で特に男子生徒からの人気を集めているようだが、人の上に立つというスキルの面では点でダメだ。そうメアは確信していた。


 今までだって、メアが円子のミスを指摘したり、不備があれば補足したりしてやっていた。時には行事の仕切りを半ばメアが代わって務めたことだってあった。その度に円子はメアに対し、「ありがとね、石川さん」と柔らかな笑顔と共にお礼をしていたし(煩わしいと感じながらもメアは悪い気はしなかった)、それを見ていたクラスメイトたちも半分はメアのお陰で上手くことが運んでいたいたことを、いくら愚か者たちの集まりとはいえ、理解した筈だ。


 そしてそのことから効率性云々を考えると、最初からそのポジションにはメアが立っていた方がより上手くいくことも、自然と理解できる筈だ。


 筈であった……。


 立候補者が重なった場合は、立候補者以外のクラス全員からの選挙方式となる。少なくともその開票結果が出るまでは、間違いなくメアはそう確信していた。


「では、得票多数でクラス委員は今年も円子さんに決定!」


 だが開票後、担任である女性教師、篠原の口から声高らかに告げられたのは、円子瞳の名であった。


 またしてもメアは選ばれなかった。それどころか、メアに票を入れた生徒はほとんどいなかった。むしろ一年の時の得票数の方が良かったくらいだ。


 そんな中で円子は得票率七割強という圧倒的多数の声により、クラス委員の座に存続することとなった。


 そうして気が付けば、すべてのクラス決めが完了した。


 クラス委員の座を逃したメアは風紀委員というポストに甘んじることとなった。クラス委員が円子に決定してから、どのように残りの委員決めが進行し、どう段階を経てメアが風紀委員となったかは、既にメアの記憶の中では朧げになっていた。自分がクラス委員に選ばれなかった。ただそれだけが、その事実だけがメアの思考を支配していた。


 終業を告げるチャイムが鳴ると、憤りからすぐに動けずにいるメアの元へ駆け寄ってくる少女が一人。二年連続でクラス委員の座を得た円子だ。


「石川さん、また去年の時みたいに色々フォローしてくれると助かるな」


 そう言って円子は優しく微笑んだ。


「ふん、当たり前でしょ。あんただけじゃまるで上手くいかないんだから」


 そう答えるメアに円子信者の男子生徒の数人は批判的な視線を送るが、メアはまたも「ふんっ」と鼻を鳴らし、あからさまにそっぽを向いて見せる。虫の脳みそに興味はない。あくまでもそういう感情でもっての態度であった。


「別に石川のフォローなんていらなくね?」


 不意に割って入ったのは敬虔なる円子瞳信徒ではなく、別の女子生徒。椅子ではなく、行儀悪く机に腰掛け、足を組んでいる。話し掛けたにも関わらず、目線は手元の携帯電話の方を向いたままで表情は心底興味のない様子だ。


 御崎冬美みさきふゆみ。一部女子生徒のリーダー的存在である。


 円子瞳が品行方正な振る舞いの元にクラスの中心に立つタイプだとすれば、御崎が示すのは全く逆を行くリーダー像であった。


 左程勉強ができるわけではなく、言動も男勝りで粗暴。クラス行事において特に目立った役職に付くこともない。むしろサボりがちで学校内の催しに関してはいかに楽にやり過ごせるかに全力を注ぐのが常である。


 見た目は中学生として見ると背が高く大人びていて、髪は緩やかなウェーブが掛かった茶髪のロングヘア、薄くだが化粧もしているようだ。スカートは学校規定の半分以下の面積しか布を残していない。


 年中勝気に吊り上がった目じりが証明するように我が強く、自分のやりたいことしかやらないことを信念にしており、それに対し女子はおろか男子ですら逆らうことは難しい。教師すらも、余程のことがない限り、御崎に対して何かを指摘することを躊躇ってしまうくらいだ。


 教師すらそのような状態であるので、現状校内において彼女に対して押さえが利く人間はいない。


 当然、取り巻きを含めた女子生徒は大人しく従う他なく、だが、不思議と嫌われはしなかった。御崎冬美という存在は、真面目な女子からは多少の畏怖と共に自分とは生き方の異なる人種、比較的不真面目な女子からは憧れの女性として映った。


 しかも、一部の男子からの受けは良く、円子瞳とはまた違った形でモテるタイプでもあった。男子間で清楚なタイプの円子か、ギャルタイプの御崎かという下らない論争が存在するくらいだ。


 有名ティーン誌のモデルをやったことがある。旅行で東京へ行った際、繁華街で一日に三度もスカウトされた。大学生のイケメン彼氏がいる等々、真実かどうかもわからないものも含めて、武勇伝は数多い。


 そしてメアは円子と並んでそんな御崎のことを、クラス内において特に敵視していた。円子とはまた違ったやり方でクラスの中心に立つ御崎、それが心底気に入らなかった。


 何故彼女らばかりが。自分のやり方のどこがいけない。


「まあまあ御崎さん、そんなことないよ? あっそうだ、石川さん今日一緒に帰らない?」


「何であんたなんかと」


 傍で聞いていた円子信者の男子生徒は批判の視線に、女子同士とはいえ円子と共に下校できることに対して少しの羨望を滲ませる。


「いいじゃない。たまには。今年も色々よろしくねって意味で、ね?」


「…………、勝手にすれば?」


 全く乗り気ではないメアであったが、クラス委員のフォローを肯定された手前断りづらかったので渋々了承する。





 メアは登校時と同じ寂れた道中を円子と共に歩いていた。


 二人との間は不自然に空いており、校舎を出て数分間、会話は皆無。けれども一緒に帰るという名目上互いに歩調は合わせている。


 何とも妙な距離感だ。


 自分から話し掛ける義理は無いし、そもそも何を話して良いのかもわからない。メアは居心地の悪さから軽く了承してしまったことをとても後悔する。


 円子はというと、メアの横を歩きながらもしきりに周りを気にしている様子だ。いつものニコニコふんわりしている様子からすると落ち着きがない。そしてその様子の所為でメアも余計に落ち着かなかった。


「一つ……」


「え?」


 そろそろ文句の一つでも口にしようかと、メアが考えを巡らせた丁度その時、徐に円子が口を開く。


「一つ、あくまでもアドバイスとして受け入れてもらいたいんだけどね、石川さん、今年のクラス委員の仕事にはあんまり助けはいらないかも」


 教室での発言と真逆のことを言われたことに困惑するメアをよそに、一度口を開いた円子は全く語調を変えずに淡々と続ける。


「ああ勘違いしないでね、これは石川さんの助けが邪魔とか鬱陶しいとか思ってのことではないの。何ていうか、しいて言えば、石川さんのことを想ってのことなの。だって、ああやって事あるごとにお節介焼く石川さんって、あのね、そのね…………、すごく……、見ていられない……じゃない?」


 やや赤らめた顔を、恥じらいの表情で背け、「痛々しくて」と小さく付け加えた。辛辣な言葉の内容を別にすれば、円子ファンの男子には堪らない所作だろう。


 だがそのような劣情とは無関係のメアにとっては辛辣さしか残らない。


「わたしね、ああいうの耐えられないの。自分のことじゃなくてもね、恥ずかしい! って思っちゃうの。目を覆いたくなっちゃうの。例えばこういうのあるでしょ? テレビでNG集とか失敗を笑いのネタにしてる番組。あれで笑える人は良いけど、わたしはね、見ていられなくて思わずチャンネルを変えちゃう、そんな人種なの。だから石川さんがいつもいつも恥ずかしいことをしているのが耐えられなくて、耐えられなくて、余計なお世話かもしれないけど」


「で、でも! あんた、さっき――」


「さっきは皆の手前あんな風に言ったけど、あれは嘘というか、これもあくまでも石川さんのことを想って、なの。優しい嘘って受け取ってね。あえてこんなこと言うのもわたし自身は恥ずかしんだけどね、だって、あそこでわたしが石川さんのお陰で助けられてるって言っておかなきゃ、石川さん、すっごく恥ずかしい人で終わってたわよ? 一年間という長い前置きの末の渾身のギャグって言うなら別だけど、違うでしょ? だから許して、ね? わたしは石川さんのことを想って、そう言ってるの。だから、お願いね石川さん」


 にこやかな表情を保ったまま、普段のふんわりとした声色で話すが、それが余計に不自然であった。反対にこういった声色以外の円子を、メアはおろかクラスの誰も目にしたことはないだろうが、それでもやはり不気味と感じざるを得なかった。


 それに、真顔で言われるより、むしろ言葉の破壊力が増しているのも確かである。


 次々と突き刺さる言葉にメアはしばし言い返すこともできず呆然としてしまい、そうこうしているうちに別れ際、円子の「じゃあわたしこっちだから」という言葉に辛うじて我に返った。


「ちょっ! ちょっと待ちなさいよ!」


 聞こえている筈だ。


 だが円子は一度も振り返ることなく去って行った。


 その方向はさっきまでメア達が歩いて来た道だ。円子がわざわざこのことを伝えたいが為に一緒に帰ろうと提案したのは明白であった。


 最初は急な出来事に考えがまとまらず、立ち尽くしてしまい、そして徐々に怒りが湧き上がってきた。


 一度点いたその火種が引火するように、次々と燃え広がっていく。


 クラス委員に選ばれなかったこと、これまでの自身の働きが認められなかったこと、皆円子の味方ばかりすること、御崎はおろか、円子自身にまで自分は必要ないと言われたこと、それらが目まぐるしく頭の中で反芻され、考えれば考える程凄まじい速度で顔が熱を帯びていくのを感じた。


「愚か者……」


 そうしてメアは拳を赤くなるまでに握り、怒りに満ちた一歩を踏み出した。



 *  *  *



 今日の回想が一通り済むと、メアはひと際大きい猫の呻き声を枕に押し付け、しばしぐねぐねと悶絶、ぷはぁと真っ赤に上気した顔を上げた。


 枕の丁度目元を押し付けた位置は微かに涙が染み込んだ痕跡がある。それがわかって余計悔しさに拍車が掛かった。


 やはり自分に落ち度はない。すべては理解力に乏しい周りが悪い。


 悪いのは皆だ。わたしは悪くない。改めてそう結論付けた。


「今に見てなさいよ……」


 その時、マナーモードにしておいた携帯電話が学習机の上で震えた。


 仕方なくといった様子でメアはのろのろとベッドから這い出ると、携帯電話を耳に当てる。


「もしもし、希実枝きみえ? え? 何でこんな時間なのにそんなテンション高いの? え? 今日もう疲れてるから切るね? え? だからごめんって、え? だから謝ってるじゃん。うるさいわねぇ。じゃあね」


 電話の向こうでメアから希実枝と呼ばれた女性の、未だハイテンションな声が鳴り響いていたが、メアは構わず通話終了のボタンを押す。


 今日は疲れた。主に精神的に。誰かと会話する余力さえない。


 明日からまたあの下らない、愚か者達の中で過ごさなければならない。早く寝よう。


 そう思い、部屋の灯りを消した。

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