アクアツアーの怪

ぶんぶん丸

another sea

 "**ドリームランド、アクアツアーへようこそ"


 小船の先頭に立つ係員がマイクを持ち前説と自己紹介を始めた。

 よくある乗り物の注意事項が船後方のスピーカーから聞こえたが、カワグチは手元のスマホに視線を落とし聞こうとはしなかった。

 一周15分のプールを船が進み、魚や海洋哺乳類の人形を眺めるゆったりとしたアトラクション。

 絶叫系のアトラクションが好みであったカワグチは乗るつもりなどなかったが、ガールフレンドにどうしてもと言われ、渋々乗船していた。せめてもの抵抗で自分は最後尾、ガールフレンドはその一つ前の席に座った。

 カワグチはふと視線をあげる。船の先にはレールがあり、そのレールに沿って進むのだと分かった。船風の乗り物か……。潮の香りがしない事にも気付いた。海水ですら無い。

 子供騙しだな。そう鼻で笑い、彼はスマートフォンに視線を戻した。




 係員の説明が終わり、汽笛が鳴る。

 何処からか機械音がして、船型の乗り物が動き出した。

 派手な水飛沫を上げて着水。

 飛沫が降りかかり、船首側の乗客が悲鳴とも歓声とも付かないを上げた。

 一周15分、海洋アドベンチャーの始まりだ。


 決められたレールに沿って、船が進む。

 カワグチは船の後方、背もたれに腕をかけ船から尾を引く波をボンヤリと眺めていた。

 グレートバリアリーフをイメージして作られたのだろうか。

 船の下には色取り取りのサンゴのが配置され、黄色や青の魚も船の通過に合わせて忙しなく動き出す。

 サンゴも魚もチープな作り物であったが、水面の揺れ、反射によってあたかも生きているかのように見えた。

 もっとも、船が通り過ぎた途端人形がピタリと止まり、現実に引き戻されてしまうが。


 神秘的なBGMと波の音を聞きながら、退屈を紛らわす為にスマートフォンに視線を落す。


(──ん?)


 瞬間、カワグチは顔を上げた。

 スマホ画面に視線を移す直前、何かが視界を横切った様に見えたのだ。

 黒く、澱んだ影、それは水上ではなく水面下に見えた。


(……気のせいか?)


 陽光を反射して眩しい水面を目を凝らして見る。

 直後、それを見つけた。

 鮮やかな色彩の珊瑚や魚の中でそれはあまりに浮いていた。


(なんだ、あれ)


 船の後方、距離にして30メートル。

 揺れる水面の白波の下。模型のサンゴと魚の間を黒く長い影の先端が横切った。


(これも模型? いや映像か?)


 黒い影はゆったりとした動きで水面下に蠢く。蛇の様に長い影はまるで生きているかの様な生々しい動きで蛇行して、


(こっちへ、向かってる……?)


 それは船を追う形で迫って来ていた。

 カワグチは眼だけ動かしそっと周囲を見渡すが、乗客は気付いた様子が無い。

 蛇が紛れ込んだか? 動きこそ蛇に近いが、記憶にある蛇より遥かに、影は太く大きい。

 イベント、プロジェクションマッピングの類だろうか?こんなイベントは聞いたことがない。今日から始まった新しいイベントだろうか? きっとそうだろう。

 そう、結論づけようとした時、脳裏に昨夜友人とした会話がよぎる。


『アクアツアーにはUMAが出る』


 いる、ではなく『出る』という言い方に、カワグチは引っかかりを覚えたが、遊園地にUMAなどいるわけないだろうと嘲笑ったのだった。


 しかし、今、眼前に迫る影はまさにそのUMAでは無いのか。

 動揺し、アトラクションのBGMも乗客同士の会話も耳に入ってこなかった。

 幽霊も蛇も怖がる男では無いが、その影の放つ異様な存在感に、身体の芯から不快感が湧き上がってきた。

 冷たい汗が額に滲む。

 汗を拭うと、カワグチはスマートフォンのカメラを影に向けた。カメラを起動して、ピントを合わせようと画面をタップする。


 トン……トン、トンーー。


 しかし、何度タップしても、ピントが合わない。

 苛立ち、焦りで何度も何度もタップした。


 トントントントンーー。


(くそ! くそ! 何で、なんで!)


 影はゆったりとした速度で、しかし確実に船へと近づいてくる。

 船への距離が1メートルを切ろうとしたところで、痺れを切らしたカワグチはピントが合わない状態でシャッターを切った。

 スマートフォンからシャッター音が連続で鳴り響く。


 次の瞬間、影がカワグチを覆った。


 船がトンネルへと進入しただけであったが、進行方向を見ていなかった彼にとって、それはアクシデントだった。


「しまっーー」


 突然の暗がりに驚き手元が狂いスマートフォンを取りこぼしてしまった。

 慌てて手を伸ばし、大きく身を乗り出した次の瞬間、


 ーーガゴンッ、と。


 まるで船が暗礁に乗り上げたが如く、大きく揺れ、彼を船外へと放り出した。

 そして彼は音も無く暗い水面へと吸い込まれて、消えた。




 突然の落水にカワグチはパニックに陥っていた。

 手足をデタラメに振り回し水中でもがく。

 吐き出された息が泡になって水面へ登っていった。

 もがきながらも浮上し、


「ぶはっ、ぁ、はっ、はっ」


 水上に顔を出し大きく息を吸い込む。数秒の出来事であったが、数分呼吸を止めていたかの様に身体が酸素を欲していた。

 水を飲んでしまったのか、口の中が非常に塩っぱい。水がしみた目をわずかに開き、


「ーーえ?」思わず声が漏れた。


 大海原に、ぽつりと浮かんでいた。


 理解を超えた出来事に、状況が飲み込めない。

 顔を上げる。太陽が照りつけ目を肌をジワリと焼いていた。

 周りを見た。船も模型も無い。360度に広が濃紺色の海水。水平線。

 真水だったプールとは違い、潮のにおいがした。

 カワグチはぽかんとして、海面に浮かぶ。

 夢でも見ているのか。

 半ば現実逃避じみた考えが脳裏を過るが、足の裏に水の流れを感じ、全身に鳥肌がたった。

 不規則な水流が足裏を撫でる。


 ーー足下に、何かがいる。


 魚だろうか?そんな思考に至ることも許されない恐怖心が彼を襲った。

 身動きの取れない海中。それも突然放り込まれた海に真ん中で、得体の知れない何かがいる。

 ただ浮かんでいることしか出来ない無力な彼は、瞳に涙を滲ませ、恐怖に引きつった顔を、視線を下げ海中を見てーー。


「ぁ。あ、あああああああああああああ!!!」


 気が狂わんばかりの絶叫。

 自らの足下に、先程見た影と同じ形のしかし何倍も太く大きな黒い影が、とぐろを巻く様に、或いは鮫が獲物の周りを回る様を見て、彼を人としての精神は限界に達した。


 泣いている様な笑っている様な表情で、ただひたすらに叫び声をあげながら彼は最後に見た。

 自らのを真下から飲み込もうと急浮上する巨大な洞穴としか言いようのない大きな怪物の口を。

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