第4話 竜神剣
見事な御馳走を振る舞われ、肌に心地よい上等な衣を用意され、絢爛豪華な竜宮城の素晴らしさに驚嘆しながら、茜は竜神を殺す手立てをずっと考えている。大人しく生贄になるつもりなど毛頭ない。
海に落ちる前に携えていた太刀は、竜宮城で目覚めた時には、もう茜の手元から消えていた。凪に場所を聞いてみたが、陸にお帰りになるときにお返しします。この城では必要ないものですから、と取り合ってくれない。
茜にとってはおぞましいことだが、凪は竜神の味方であるようだった。きっと、妖しげな力によって洗脳させられているのだろう。そうでなければ……そうでなければ、兄が、自分のことを忘れるはずなど、ないのだから。
自分の目の前を、凪は、軽やかな足取りで回廊を歩いている。
必ず、兄を元に戻して、陸に連れて帰ろう。忌々しい邪竜を殺して、海に怯えることのない、平和な生活を手に入れるのだ、と茜は心に決めていた。
ふと、茜は、他の扉とは少し雰囲気が違う扉があるのを目にとめた。
他の扉は、金銀で縁取られた豪華なものであるのに、この扉だけは黒く、申し訳程度に彫刻が施されている木製の扉だ。
「凪さま、この部屋は?」
「あ、えっと……そちらは物置ですから、何もおもしろいものはありませんよ。それよりも、私のお部屋でお茶でもしませんか?」
凪はそう言って微笑んだが、一瞬、顔がこわばったのを茜は見逃さなかった。
あの扉の奥には、何かがあるに違いない。それもきっと、竜神の弱点をつくような、重要な秘密があるのだろう、という予感があった。
夜、凪が眠ったのを確認した茜は、こっそりと部屋を抜け出した。
目指すのは勿論、あの黒い扉だ。凪には申し訳ないが、鍵も盗ませてもらった。城内にいる、凪以外の海の生き物たちに注意を払いつつ、茜は黒い扉をそっと開いた。
その部屋の中は、納骨堂によく似ていた。
薄暗い部屋の隅から隅まで、箱がずらりと並んでいる光景が、村の寺にある納骨堂の雰囲気にそっくりだったので、茜は直感的にそう思った。
ただ一つ違っていたのは、普通なら仏像が鎮座している場所に、一振りの太刀が鎮座していることだった。
それは、茜が今まで見たことがないような、美しく、大きな太刀だった。光り輝くその姿には、ただならぬ神聖さがある。
茜は、ごくり、と唾を飲み込んだ。竜宮城内で、凪が唯一、中を見せてくれなかった部屋に鎮座する、ただならぬ太刀。あの邪竜を殺せるのは、もはやこの太刀しかないように思われた。
茜は、ゆっくりと、太刀の柄に手を伸ばす。
「……おい! 何をしているんだ!」
背後から声がして、振り返ると、竜神がいた。
ああ、あの傲岸不遜な竜神が、ひどく焦っているらしいことがわかる。茜には、それが滑稽に思えた。
「残念だったな、邪竜め。これで私は、お前を倒して……葵兄さまを、連れて帰るんだ!」
そう言って、茜は太刀の柄を掴み、鞘から勢いよく引き抜いた。
……目が覚めると、見事な天井画が広がっていた。
「ああ、気が付いたんですね! 良かった……!」
茜は、寝台に横たわっていた。凪が、心底安心した様子で、寝ている茜に駆け寄る。茜が凪の顔を見てみると、凪の目は赤く腫れていた。
「どうして、泣いておられるのです……?」
「あなたがっ……! 目を覚まさないから……!」
凪の目から、大粒の涙がこぼれおちてきて、茜は慌ててしまった。
「あお……凪さま、泣かないでください……。」
「聖堂の竜神剣なんて、引き抜くからいけないんです! あれは人間が触っていいものじゃない!」
ああ、やっぱりちゃんと注意していれば良かった、と言いながら凪は涙を止めない。……そして、茜に対して怒っているようだった。
「ご、ごめんなさい、凪さま……。」
「謝るなら、竜神様に謝ってください。」
凪がそう言って、自らの後方を手で指し示す。茜がつられてそちらを見ると、竜神がそこにいたので、ぎょっとした。
「い、いつから居たんだ……!」
「……ほう、目覚めて私を見て第一声が、それか。」
竜神は淡々とした様子で、茜をじっと見つめている。
「ほら、葵さん、早く謝ってください。今回のことは、勝手に剣に触ったあなたが悪いです!」
「い、嫌だ……!」
憎い仇に対して、絶対に頭など下げるものか。茜は、頑として譲らず、竜神から顔を背ける。その様子を見て、竜神は静かにため息を吐いた。
「葵さん、どうしてそこまで……。」
凪がほとほと困って尋ねると、茜よりも先に竜神が口を開いた。
「良い、凪。私を恨む人間など、幾らいても不思議ではない。……もっとも、ここまで恐れ知らずの不敬者は、初めてだが。」
そして、竜神は、凪に、顔を洗ってくるように言った。目を腫らした凪は、恥ずかしそうに部屋を出て行った。
竜神と茜は二人きりになってしまった。顔を横に向けたままの茜に、竜神は静かに言う。
「代々の竜神が眠る聖堂を荒らし、あまつさえその御霊が宿る聖剣に手をかける、など。知らぬこととは言え、人の物に勝手に触ってはならぬと、お前は地上で教わってこなかったのか。」
淡々と、静かに怒る竜神の言葉を聞きながら、茜は、なんだか父の叱り方とよく似ているな、と少し思ってしまった。
「お前が、どれほど私を恨もうと勝手だが。くだらぬ復讐心で、短い命を粗末にするな。」
「なんだと!」
侮辱されたと感じて、茜は憤った。
「お前は随分と自分の兄を美化しているようだが。あれはそうたいした人間ではないぞ。事前に家族であるお前に相談もできなかった臆病者だ。あの者の自己犠牲は、誇り高き精神にのっとったものだと思ったら大間違いだ。単に己の弱さからきた自己満足に過ぎん。そんな愚かな男のために、要らぬ怒りに身を焦がすのは、もうやめた方が良い。」
「やめろ! 兄さまを侮辱するな!」
茜が寝台から起き上がり、竜神に飛びかかった。竜神は難なく身を翻してかわす。ふっと、竜神が何かを茜に投げて寄越した。茜が咄嗟に受け止めると、失くしたと思っていた太刀だった。
「私と戦わねば気が済まないというなら、自分に相応の武器を使うが良い。どこからかかってきても構わんぞ。」
「この……!」
茜は、ぐっと太刀を握り、地面を蹴って竜神に斬りかかる。村の道場で鍛えた鋭い剣技を、茜は次々と繰り出した。
しかし、竜神はその巨体を器用にひねり、茜の攻撃を的確にかわす。かわすばかりで、竜神はまったく攻撃を仕掛けてこない。
「どうしたっ……! 何かしてみせろ!」
茜は苛立って叫んだ。舐められてたまるものか、と思った。憎悪に燃えている茜を竜神はじっと見て、それから言った。
「……やはり、怒りで周りが見えていないようだな。よく見るがいい。」
その言葉に、茜がはっとして自分の足元を見ると、いつの間にか、自分の足元が、そこだけ丸く、青白く光っていた。
「なんだ、これは……!」
茜が呟いた時にはもう遅く、気づけば、茜は先ほどの部屋から、竜宮城の入場門の近くに移動していた。……一歩も歩くことなく、別の場所に移動している。茜には何が起きたのかわからなかったが、竜神が何か妖術を使って、自分から逃げたのだ、と思った。
まともに戦おうとすらしない竜神の態度に、茜は激しい怒りを覚えた。
「くそっ、卑怯だぞ!」
茜は身を翻して、すぐさま竜宮城の城内に引き返そうとした、その時。
「えっ……あ、あのっ……!」
凪の、戸惑ったような声が聞こえた。茜はその声の方に振り返り、そして驚いた。
見知らぬ男が、凪の手を取っていたかと思うと、いきなり凪を腰から抱きかかえ、無理やり連れて行こうとしていたのだ。
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