贄と邪竜

藤ともみ

第1話 秋祭り

 村長(むらおさ)には、双子の子があった。

妹の茜は、岩だらけの浜辺を走り回ったり、海で泳いだりすることが好きな活発な子であり、兄の葵は、生まれつき病弱で、家の中で人形遊びや読書を楽しむ内気な子であった。

 二人は本当にそっくりで、玉のように美しかった。両親を含めた周囲の大人たちは、二人の性質がそっくり入れ替わったら、理想の男女であったのに、と囁き合った。

 茜は周囲の声などまったく気にしなかったが、葵の方は自分の虚弱な身体と内気な性質を恥じていた。村の男童たちからも、女のようだとからかわれ、泣かされてばかりいた。そんな葵を、いつもいじめっ子から護っていたのが、茜だった。

「兄さまをいじめる奴は、私がゆるさない!」

 茜はそう言って、葵をいじめる男童をやっつけては泣かせ、両親にこっぴどく叱られるのだった。

妹に助けられるたびに、葵は彼女にもちろん感謝したが、それ以上に、茜が男で、自分の兄であってくれたなら良かったのに、と、己の非力を嘆いていた。


「茜、お前に大切な話がある。」

双子が十一歳になった年の、ある日。村長である父が茜ひとりを呼びたてて、言った。たまたま近くを通りかかった葵は、物陰から、そっと父と妹の様子を覗き見た。

「一か月後に村で行われる、秋祭りは知っているね。竜神様のために舞い踊り、お神酒を捧げる大事な巫女の役割を、今年はお前にやってもらうことになった。」

 秋祭りの巫女は、村の娘たちにとって憧れの存在だ。純白の装束をまとい、榊の葉で作られた髪飾りを付けて、優雅に、華麗に神楽を舞う。例年、妙齢の美しい娘が担当するのが常だが、茜には少し早いのではないか、と葵は疑問に思った。確かに、茜は村で一番美しい女童ではあったが、それにしても、だ。

 だが、茜はそんなことは気にならないらしく、無邪気に喜んだ。葵兄さまにも知らせなきゃ、と言って部屋を出ようとしている。盗み聞きされていたと思われては気まずいので、葵は慌ててその場から離れた。

 

 それからひと月の間、茜は祭当日に備えて、舞いと唄、儀式の作法、祝詞の朗誦などを、神社に通ってみっちりと稽古することになった。おかげで忙しくなり、茜は男童たちと外を走り回る時間も、葵と一緒に遊ぶ時間もなくなってしまった。

 ところがそんな中、茜は、葵の奇妙な行動を目撃してしまった。ある夜、茜が厠に行こうと寝床から起きて、ふと葵の部屋を見ると、彼が必死になって、自分と同じ舞や儀式の作法を練習していたのである。

また、とある漁師の息子は、夜明けの海辺で、葵が唄や朗踊の練習をしていたのを確かに見たと言い出した。茜は葵に問いただしたが、当の葵は、夢でも見たのだろう、昼間については、きっと茜と自分を間違えたのだ、と聞く耳を持たない。

 茜は不審に思ったが、葵が何も答えないので、うやむやのまま、祭当日を迎えることになってしまった。


 村祭り当日。神社の境内には、縁日の屋台がぽつぽつと並び、村中の人間が集まって思い思いに祭を楽しんでいた。

 しかし、茜は竜神の巫女役を終えるまで、縁日で遊ぶことは禁じられていた。巫女の装束に着替え、神社からの迎えが来るまで、家で待っているようにと申し渡された茜は、退屈そうに口をとがらせて、窓の外を眺めていた。と、そこへ、扉を開けて、葵が入ってきた。手には、水が入った、かわらけが二つ。

「お役目が終わるまで、何も口にしちゃいけないって、神主さんが、」

 茜は言ったが、飲み物くらい大丈夫だよ、と葵は微笑んだ。それもそうだわ、と茜はあっさりと折れた。実際、のどが乾いていたのだ。

冷たい水を、茜はうっとりとした心地で味わった。しかし、水を飲み込んでしばらくすると、急激な眠気が、茜を襲った。

「なんだか、眠くなってきちゃった……。」

 目をこする茜を見つめると、葵は、柔和な笑みを浮かべる。そして、茜の耳元に口を寄せて、優しい声で囁いた。

「そりゃあ、そうだよ。お前の水には、眠り薬を混ぜたからね。」



 雨の音が聞こえて、茜は目を覚ました。

彼女は驚いて跳ね起きた。なんということだ、自分は眠ってしまったというのか!

 慌てて走り出そうとして、彼女は自分の衣が、純白の装束から、昨日葵が着ていた衣に変わっていたことに気がついた。だが、そんなことは気にしていられず、茜は扉を開けて、駆け出した。

 とにかく、誰かに祭りがどうなったかを尋ねたくて、茜は土間に飛び込んだ。

 土間の中央では、両親が背中を丸めて座っていた。無言の二人から、悲愴感がただよっている。

やはり、自分が眠ってしまったから、祭が台無しになってしまったのに違いない。茜の顔は真っ青になった。

「父さま……母さま……。」

 震える声で両親に声をかける。二人は、ようやく茜の存在に気付いたように、はっと顔をあげた。

「あの、お、お祭は……。」

 茜の言葉に、母は顔を覆った。父は、ゆっくりと、絞り出すような声で、やっと言った。

「ああ、茜は、立派に竜神の巫女の役目を果たしてくれたよ。本当に、見事なものだった。」

 え? と茜が聞き返す間もなく、母がいきなり、茜を抱きしめた。

「父を、母を、村の人たちをゆるしておくれ、葵……! わたしたちは、村の為にあの子を犠牲にしました。あなたには内緒にしたままで!」

 そう言って泣き崩れる母の言葉の意味がわからず、茜は呆然とした。何が起きているのか理解できない様子の茜に……いや、両親は葵と間違えているらしい……父は静かに語り出した。


 村では日照りが長く続いており、このまま雨が降らなければ、田畑が枯れ果ててしまうと思われた。更には、不漁の日も続いていて、村の大人たちはすっかり困っていたのだという。しばらくは保存食でやりくりしていくとして、その先はどうなるのか、人々は不安がっていた。

 村長の父は、村人たちと相談し、祈祷師に依頼して、竜神様に伺いを立てた。それが、二か月ほど前のことだったという。

 祈祷師の語るところによれば、雨と海を司る竜神様のお怒りだ、という。例年の祭りの通り、お神酒や作物を捧げるだけでは足りぬ、近々、竜神様から直々に、生贄の命令が下されるであろう、とのことだった。  

祈祷師の予言通り、その数日後、神社の屋根に手紙が結ばれた白羽の矢が刺さっており、そこには、村長の子を、我が生贄に捧げよ、と書かれていたという。

「もちろん、二人とも手放したくなどなかった……だが、葵。お前は男だ。私の跡継ぎだ。だから、私は茜を生贄に捧げた。」

「父さまを恨んではいけませんよ、葵。父様は、茜を助けられないかと、最後まで考え、抗おうとしたのです。でも、村の人たちが、捧げるなら娘の方だろうって!」

「村人たちのことは言うな、すべて私が不甲斐なかったせいだ。」

 悲嘆にくれる両親を見て、茜は先ほどとは違う意味で、顔を青くした。  

では、葵は。自分を眠らせた、葵は。

「昨夜の、茜の舞踊りは素晴らしいものだったよ。普段お転婆なあの子が、あんなに優美な舞を踊れるとは、思わなかった……竜神様に捧げられる最後の時まで、茜は落ち着いていてね。覚悟はしていた、自分はきっと、このために産まれてきたのでしょう、と言ってね……。」

「葵、あなたのことは起こさないでほしい、と茜に言われたのよ。別れが辛くなってしまうからって……。」

 両親の言葉にたまらず、茜は、震える声で叫んだ。

「父さま、母さま……わたしは茜です! お祭の巫女は……それは、葵兄さまだったはずです! 葵兄さまは、今、どこですか!」

 両親は、茜の言葉を聞くと仰天した。しかし、父は首を横に振った。

「もう、遅い……竜神様への生贄を乗せた小舟は、昨晩、海へ出してしまった。もう助からない……何より、この恵みの雨が、生贄が竜神様に届いたという何よりの証拠だよ。」

 父の言葉が終わる前に、茜は雨の中、海に向かって走った。

辿り着いた灰色の海では、波が岩にぶつかって白い水しぶきをあげている。どれほど目をこらしてみても、海上に浮かんでいるものは何もなかった。

ふと、茜は、自分の足元に榊の葉が数枚流れ着いているのに気がついた。……糸を通した跡がある。竜神の巫女の髪飾りだった。

「ああ……ああ……! いや、嫌だ、いやだああああああああ!」

 茜は膝から崩れ落ち、慟哭した。雨で自分の身体がずぶぬれになっていくのも構わずに、泣き続けた。

「……葵ぼっちゃま、こんなところにいては、風邪をひいてしまうだ。」

 どれのほどの時が経ったのだろうか、海岸の近くを通りかかった村人が、茜を葵と勘違いして、彼女を助け起こし、声をかけてくれた。

「坊ちゃま、おつれえのは、わかりますだ。しかし、あなた様にしっかりしていただかねえと、茜おじょうさまも報われねえでよ……。」

 茜は、自分が葵ではなく茜だと、訂正をしなかった。

「茜」は、昨日の村祭りで死んだのだ。竜神に、両親に、村中の人々に、何も知らなかった自分に殺されたのだ。

「……おじさんの、言う通りだ。」

 茜は、葵の口調を真似て、呟いた。

「……僕、茜のぶんまで、しっかり生きて、立派な男になりたいと、思います。」

 その言葉はしっかりとしていて、善良な村人は、「葵」の変わりように驚いた。

この時、茜は己の中の「茜」を殺し「葵」になり替わって、男として生きてゆくことを決意した。村と自分を守るために、誰よりも勇敢だった彼を、死なせないために。生かすために。

先ほどとは違い、「葵」になった彼女は、灰色の海を、静かにじっと見つめた。

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