風牙の葬送

久遠マリ

1

 丈の短い夕刻の草原の上にぽつぽつと見える廃屋は、所々崩れ、大地に還ろうとしているように見えた。ブーツを履いた足元を見下ろせば、どこにでも生えるシヴィリ草が枯れかけている。もう草が枯れる時期なのか、ということに、私は驚いた。

 秋はあっという間に日が落ちる。吹き渡る風は冷たく、みすぼらしい隊商のように見える廃屋の群れを背中から削っていく。手入れと補修のされていない土の壁がまだ残っている、と思ってそっと触れてみれば、あっというまに崩れてしまった。木の枠組みだけが残され、残った小さな土の粒が寒そうに震えて、ぽろりぽろりと落ちていく。赤い塗料が指に付着していた。

「朽ちていますね、サントゥールの人も、この辺に人がいたのはもう百年くらい昔だ、って言っていましたし、残っているものなんてないんじゃないですか、主任」

「まあ、そう言うな、跡や廃屋だって立派な手掛かりだ」

 机で文献を読み論文をまとめることを普段の仕事としている部下が愚痴っぽくなるのも仕方ないだろう。私は大きな溜め息をついた部下を窘めてから、乗せてきてくれた地竜に謝礼と待機の為の肉を差し出し、竜の言葉でそれを伝えた。承諾の唸り声には甘えが混じっていたから、まだ時間は大丈夫だろう。

 こういう遺跡のようなものを見つけた時は、目当ては一つに絞っておく方がいい、私は一番大きな廃屋へ真っ直ぐ向かう。

 外からは円柱に見えたが、近付いてみるとそれは六角柱だった。組まれた材木は切り出したそのままではなく、赤や青の顔料の痕跡が確認出来るので、彩色がされていたようだ。家の真ん中とおぼしき場所に立っているものは主柱だろうか、これも全体的に赤に塗られ、上と下には白や黒で、鹿や狼などの動物が描かれている。主柱は、非常に太くて横枝がない木材だ。組んで繋げる為の金属は一切使われていない。見ただけで私にはわかった、材木も主柱もこの地方に生え育つサントレキア杉である。南からサントレキア大陸を北上していく中で幾度となく建材として目にした丈夫な杉は、雪の重圧によく耐えた。落雷の痕でもない限り、折れているところなど見たことがない。

 集落の中で一番立派に見えた家だ。しかし、その内側には何もない。ここに住んでいた人々はやはり戦いが起きる前に移動したのだろう、と思える。口伝で子孫に受け継がれている人々の移動の記録については、北の王国サントゥールに定住している人々から聞くことが出来た。だが、それは南のバルキーズ大陸から渡ってきた人々と、ここに住んでいた人々が混じった後に紡がれた物語だ。

 主柱の周囲に六本立っている柱を一本ずつ点検していると、何処かで遠吠えが聞こえた。間違いなく狼だろう。物悲しく長いその声は、一つだけではなく、幾つも幾つも風と共に草原を渡ってきた。竜達が低い警戒の鳴き声を上げている。彼らは図体が大きく、全身を鱗に覆われているから大丈夫だろうが、私達はひとたまりもない。

「主任、撤退しましょう」

「わかった」

 名残惜しかったが仕方がない。立ち上がって歩き出そうとした瞬間だった。

「いたっ」

「ちょっと、何しているんですか、主任」

 右脚で何かに蹴躓いて、盛大に転び掛けた。寸でのところで左脚を前に出して事なきを得たものの、地面に手をつく格好となってしまう。悪態をつきながら右脚の方を見ると、何か尖ったものが地面から突き出していた。

「箱か」

 角が隅の形をしているから、私の見立ては間違いないだろう。素材はサントレキア杉ではないようだが、木材であることはわかる。地中にあるのに分解されずに残っているのが珍しい、と思った。何かが入っているのだろうか、しかし、少し土を掻き分けて、私は諦めた。地面は固くて簡単に掘り起こせそうにない。

 近付いてきた部下は、私が地中の遺物を取り出そうとしているのに気付いて、言った。

「主任、明日にしましょう、狼の餌になってもいいなら付き合いますけれど」

「付き合ってくれるのは嬉しいけれど、私はともかく、君が新鮮な生肉になるのは本意ではないね」

 私は頷いて立ち上がった。強い風が吹き付けてきて、思わずぶるりと震えた。竜達のいるところに戻って、荷物の中にある膝掛けと襟巻を取り出し、騎乗してから身に付ける。草原を越えたところはサントゥール王国で、人も沢山いる物見の砦が存在するらしかったが、そこまでは辿り着けそうにない。

 ミニョンという名の小さな小さな街が、トレキアとサントゥールの国境線にある。先程通過してきたその場所まで、私達は戻ることにした。夕暮れが近いから気を付けて、と送り出してくれた人々は驚くだろうが、きっと温かいスープとパン、ふわふわの寝床がある。竜二頭と人二人くらい何ということはないだろう。


 翌日、日が昇った頃に、私達は草原まで来ていた。

 私は、すぐ近くに背嚢を下ろしてから、改めて作業に取り掛かった。念の為、と、昨日見た一番大きな家屋以外の崩れたものについても、中を確認してみる。当然のように何も残っておらず、また焼け跡なども存在しないことから、ここにあった集落が何者かの手で滅ぼされたと考えなくてもいいようだ。ここの人々の子孫はこの大陸の何処かに今も命を繋いでいるだろう。

 私が昨日躓いた箱は、誰かに掘り返されることもなく、まだそこで間抜けな私が引っ掛かるのを待っていた。だが、今回はそうはいかない。今の私の手には、箆、手箒、三角鍬、竜手、検土杖、鎚頭、串、大小様々な袋など、色々なものがあるのだから。

「私は今から素描を残しにいきますね、主任」

 何かを指示する前にそう宣言して仕事に取り掛かる部下は非常に優秀である。おかげで、私は手袋を嵌めて、目の前の箱に集中することが出来た。どちらかというと、私自身は、様々な人々の間に伝わる昔話や彼らの習慣、まじない、言葉遣いなどを調べて、今に伝わっている色々なものを探ることが生業だが、こうやって身体を動かして掘り進めるという作業も時には行っていたので、今回もそんなに難しいことではなかった。

 地中から斜めに出てきたのは、思った通りの箱だった。

 しかし、ここに住んでいたらしい人々が建材に使用していたサントレキア杉ではない。何も塗られていなかった。サントレキア大陸には存在しない、エルカという木材の板で組まれている。白く優美なこの木は、シヴォン共和国の高地によく見られる種だ。

 そして、その箱には鉄の蝶番と鍵が取り付けられていた。ここに住んでいた人々のものとは到底思えない。何の飾りもないそれは、装飾を好むシヴォン人のものとも思えない。誰が何の為にここに残したのだろう、と不思議に思った。

 私は掛かっていた鍵を開けようとしたが、不可能だったので、努めて慎重にそれを叩き壊した。けたたましい音と共に金属が飛び散り、エルカ材と私の鎚が打ち合う明るい音が草原に散る。視界の隅で私に背を向けていた部下が一瞬だけ振り返って目を顰めたが、気にしないようにしたのだろう、すぐに明後日の方を向いた。

 壊れたのは鍵だけで、後は無事だった。鎚で打ってしまった痕が僅かについてしまったが、致し方ない、ということにしておく。尤も、重要なのは中身であるが、この飾り気のない丈夫なエルカ材の箱も珍しいものとして残すことが出来るだろうか、と思いながら、私はその箱の蓋を開けた。

 そこには、革の表紙の帳面が一冊。

 飛び散った金属を回収し、袋を一つ広げてその中に入れる。縛った紐についている小さなカードに日付と場所などを書き留めてから、それを背負っていた箱型の背嚢に入れ、私は手袋を絹のものに替えた。

 表紙を捲ると、バルキーズ大陸で使われている大陸共通文字の、少し古い書体が目に入ってきた。小大陸南部連合軍、と読めるから、軍属の者だろうか。しかし、名前が書いてあったらしい欄は、黒く塗り潰してあった。

 何か不都合でもあったのだろうか、そう思いながら、私は頁を捲った。

 それは日記だった。

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