にゃんこの烙印

八ッ夜草平

第1話 偽猫種

 死ぬならこんな日がいい。そんな風に思えるくらいの青空だった。


 染み込むような青を鈍色のフレームごしに眺めるのがイヤで、私は教室のごっついスチーム・ヒーターの上に腰掛け、窓枠に頬杖をついてぼんやりと視界いっぱいの空を楽しんでいた。


 授業なんて知らん顔だ。


 額に汗して板書にいそしむ女教師も、それを書き写そうと必死の生徒たちも、皆、教室の濃い陰の下に沈んでいる。


 強烈な日差しに慣れてしまった私の目には、彼女たちの姿はぼんやりとしか映らないけれど、全員が全員、暑さに「耳」を垂れているのは分かる。


 ――偽猫種フェーリカは不便なものだ。


「はぁ、やっぱり無いみたい」


「そだろね」


「ミツキも真面目に探してよ~」


「制服を探すんならガッコじゃなくて洋裁店にでも行かないとだって」


「むぅっ」


 むくれた少女には応えず、私はスチーム・ヒーターからするりと飛び降りた。


 頭ひとつは身長の低いキサラの顔が目の前にきて、くりっとした鳶色の瞳が上目遣いでにらめつけてくる。


 ――うむ、怒った顔も愛らしいものよ。


「ミツキのバカバカバカ」


 ニヤけかけていた私の胸にぽすん飛び込んでくると、ぽかぽかと先制攻撃を開始する。


「こらこらやめなさい」


 そんな私たちを――偽猫種フェーリカたちは見向きもしない。


 偽猫種フェーリカに知能というものが残っているのか、そのあたりはどうも判然としない。


 人類だった頃の残滓がまとわりついて、日常らしきものを送るだけの、おぼろな影のような存在。そんな風に思える。


 彼らは愛らしい猫耳と引き替えに、人であることを辞めてしまったのだ。


「あーあ、憧れだったんだけどな、この学校の制服」


「そこらの偽猫種フェーリカからひっぺがせば……」


「むぅ、そこまでじゃないもん」


「キサラ、私はね」


 ふっと真面目な顔になって、キサラの頭にそっと手を載せる。


「あんたのためならなんだってしてあげる」


 キサラの鳶色の綺麗な瞳が、じっと私を見つめてくる。


「ほんとうの夜明けまでは、まだ時間があるもんね?」


「ああ」


 その言葉にほんのすこしのおびえが混じっていることを私は知っている。


 ゆっくりと頭を撫でてやると、キサラは気持ちよさそうに目を瞑った。


 さらさらと流れる髪の感触を楽しんでから、頭の上で自己主張する猫耳に触れると、ピクリと身体が震えた。


「…………」


 キサラの身体を抱き寄せながら、言葉はなんて無力なんだろうと思う。


 なんだってしてあげる、と言った私には、ただ――震えが治まるまで――じっとこの猫耳少女を抱きしめてやることしかできない。




 校庭の真ん中に停めたミニに乗り込むと、クラクションを鳴らして近づいてきた猫たちを追い払う。


 どこへ行っても、そこらじゅう猫だらけだった。


 偽猫種フェーリカたちは、どういうわけか猫を可愛がる。


 それが偽猫種フェーリカの本能なのだろう。崩壊した人間としての生活の延長に、「猫の世話」だけは残っているのだから始末が悪い。


「ミツキって免許もってるんだよね?」


「べつに……無免許でも運転はできる」


「悪い子なんだ」


「実際的と言ってほしい」


 青空に向けて、アクセルを踏み込む。


 この無力感に満ちた世界において、それは手っ取り早く自分の能動性を証明できる示威行為だ。


 ――私は生きている。私はまだやれる。


 排気音に驚いて散り散りに走り去る猫たちの姿にすこしだけ溜飲を下げて、私たちは行くあてのない旅路へと戻る。


 偽猫種フェーリカと猫たちの楽園を旅する最後の少女たち、それが私たち二人、というわけだ。


 そう、とびきりの猫耳美少女を連れて行けるなら、こんな風に世界の終わりをドライブするのも悪くない。

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