キスで灯して

秋月忍

事故ですっ

「ジムサさん、こんにちは。今日は警備の人数が多いですね」

 表口は、かなり重々しく、軍から派遣された騎士たちが詰めている。

「やあ、リム。今日もご苦労様。今日は国会会期中だからね」

「あれ? 今日からだっけ。うわー、面倒だなあ」

 私は肩をすくめた。

 そして、裏口から国会に開かれている議事堂へと入っていく。

 我が国ラセイトスは、大陸の交通の要にある小さな貿易国家である。周りの国家と違って、王様というものがおらず、国の決定機関は、元老院が行っている。もっとも、元老院のメンバーはほぼ世襲制だ。お貴族様はやっぱりお貴族様だし、私のような庶民はよほどのことがない限り、一生、庶民なのである。そこは周辺国家と変わりない。

 私の名は、リム・スタルジア。二十歳。こう見えても国家公務員である。私の職は、点灯師。魔術師が就く職業としては最下層に当たる地味な仕事で、職務はぶっちゃけ、『照明』の『点灯』である。

 世間一般では、油を使った照明を使っているが、公共的な場所や国の施設は基本、魔道灯を使用している。理由は、魔道灯の方が明るいし、火事などの災害が起こりにくいからである。夕刻近くになると、私達点灯師が、あちこちの公共施設の魔道灯に灯りを灯してまわるのだ。

 ちなみに大通りにある街路灯の点灯は軍に所属する点灯師の大事な日々の仕事。

 場所によっては商店街に雇われて街路灯をともす仕事をしている人もいる。もっとも、その手の民間の魔術士は、私のように専門にやっているわけではないようではあるが。

 普段は廊下と事務室、行政関係の執務室を点灯するだけだが、会期中は建物全体を点灯しなくてはいけない。

 さしあたって、議会を行うホールの魔道灯を灯し終えると、今度はちまちまと各部屋をまわることになる。

「点灯の時間です」

 部屋に入る前に、そう声をかけ扉を開ける。談話室で誰が誰と一緒にいるとかは時には、スクープ的なネタにもなるらしいので、一応、守秘義務があって、違反すると職を失うことになる。もっとも、元老院のメンバーのひとたちの顔など、実は私はほとんど知らないから、もらしようがないのであるけれど。

 談話室をすべて回った後は、議員たちの個室を周る。個室は、元老院のメンバーの中でも有力な人物しかもらえない。

 要するに、超VIPさんたち。こういうひとたちは私物持ち込みも多いし、お抱え魔術士もいたりして、点灯が必ずしも必要ではない。扉の前には札がかけてあり、点灯が必要な部屋だけ黒い札が掛けられている。

「点灯の時間です」

「どうぞ」

 室内から声がしたので、私はドアノブに手を伸ばした。

 ガチャリ。扉を開け、頭を下げながら入室しようとして。

 磨き上げられた床がつるりと滑った。

「ぎゃっ!」

 バランスを崩した私は、扉の近くのソファに座っていた男性の上に覆いかぶさるように倒れ込む。

「え?」

 男性も突然のことで避けることもできずにそのまま私を受け止めた。瞬間、自分の唇が、柔らかいものに触れた。

「!」

 目を見開くと、見知らぬ男性の顔が間近にあり、相手の目も大きく見開いている。

 ぐにゃ。

 男性は体をひねった形で私の身体を支え起こそうとしたのだろう。左胸に硬い男性の手の感触を感じた。

「……。」

 お互い、声にならず、ゆっくりと身体を離し、呼吸を整える様に身を起こす。

「も、申し訳ございませんっ!」

 ようやく立ちあがった私は、相手の顔を見ることもできず、ひたすらに頭を下げた。

「いや、その……けがはない?」

「いえ、大丈夫です。すみませんでした」

 謝罪の言葉を口にしながら顔を上げると、二十五歳ぐらいのこげ茶色の髪をした男性が、私を見ていた。緑色の大きな瞳。身なりはとても良く、とても端正で精悍な顔立ち。真剣な瞳で見つめられて思わず、胸がドキリと音を立てた。元老院のメンバーにしては若いが、この部屋を使うのはVIPだから、当人ではなく使用人かもしれない。

「本当にすみません。とりあえず、明かりをつけます」

 ひとつだけある窓から差し込む光は低くなって、部屋はぼんやりと薄暗い。

 おそらく、持ち込み用品であろう、高級そうなソファ。執務用のデスクにそっと置かれている茶器も高価そうなもので、この部屋の持ち主が元老院の中でもかなり裕福だということが見て取れた。何にせよ、こういう相手とのトラブルは厳禁である。ひたすら謝り倒し、早々に撤退しよう、と私は小さく決意した。

 男性は何か言いたげに、私の顔をじっと見ている。正直言って私のお仕事は『明かりをつける』ことで、いわば影の裏方さんの仕事だ。だから、注目されるのは慣れておらず、身体が強張るのを感じる。私は慎重に部屋の中央に吊るされた魔道灯に力を注いだ。

 薄暗くなりかけていた部屋がパッと明るくなった。

「手際がいいね」

「ありがとうございます」

 なんてことはない普通の仕事なのであるが、男性が怒っていないように見えたので、ほっと一息ついて、とりあえず頭をペコリと下げた。

「では」と頭を下げて部屋を出ようとしたら、「あ、ちょっと待って」と呼び止められた。

「君、名前は?」

 ヤバイ。怒られる……そう思った。男の目が真剣で、ひたすらに私を見ている。

「お、お許しください。し、仕事、首にしないでください」

「は?」 男性は首を傾げた。少し瞳にいらつきのいろが見えた。

「事故とはいえ、強引にキスされたのに、名前を聞いたら、ダメな訳?」

「ごめんなさい!」

 私は慌てて頭を下げる。

「ひょっとして、既婚者なの?」

「ち、違います」

 男の口調がだんだん詰問調になってくる。

「じゃあ、恋人がいる?」

「い、いません」

「俺が誰だか、知っている?」

「し、知りませんっ!」

 男性は面白そうに私を見た。

「ふうん。教えてあげる。俺の名はアービン・デュラーヌ」

 デュラーヌ。私は息をのんだ。デュラーヌというのは、この国でも一、二を争う豪商である。

「ねえ、名前を教えてよ」

 にこり、と、アービンは私に微笑みかけた。



 その後、仕事を理由に私は、アービン・デュラーヌから逃げた。

 よくは知らないが、アービンの兄であるリュゼルト・デュラーヌは、元老院でも中心に位置する権力者だ。おそらくアービンはその兄の補佐として、元老院に来ていたのだろう。デュラーヌ商会は、ラセイトスきっての豪商。もともとの家柄はそれほど高いものではないが、今や飛ぶ鳥を落とす勢いなのである。

 私はぶるぶると身体が震えた。うっかり名乗らなくてよかった、と思う。

 正直、キスをしたのは事故だ。しかも、胸まで結果としてお触りされたのだから、本来なら怒るのは私の方なのかもしれないが、男性の立場でだって、事故とはいえ見ず知らずの女性に唇を奪われたのは不本意であろう。美人のご令嬢ならともかく、私のような点灯師ごときに。

 きっと、三日もすれば忘れてくれるだろう。

 別に、色仕掛けで迫ったわけじゃない。あれ程の二枚目だ。女とのキスなんて挨拶みたいなものに違いない。不本意ではあろうが、根にもたれるほどではないはずだ。

 私も、忘れよう。

 あの緑色の瞳にドキリとしたのは事実だけど。そして、私にとってファーストキスだったのだけれども。あれは事故だ。事故はカウントしてはいけない。

 それに。もう二度と会うことはない――そう思っていた。


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