コール オブ イビルシャイン
小宮裕子
プロローグ
「……で、僕はどうなるのですか?」
黒髪の冴えない頭を弄りながら、その少年は落ち着いた口調で対面に座る女性に質問を投げた。
辺り一面、無の狭間とでも形容すべき空間でその二人は静かに見つめ合う。
「あなた、どうしてそんなに落ち着いているの?」
「どうしてと言われましても……。正直、死んだ自覚がないのですよ」
そう言い少年は、ふと自身の身に起きた不幸を思いかえした。
昨日かついさっきか、はたまた数年前か、時間感覚がおぼろげな今では分からないが、彼が現実世界を生きていた時の記憶だ。
薄暗く、日差しの遮断された部屋の隅でひたすらにスマートフォンやパソコンを弄る毎日に、嫌気が差して久方ぶりの外出を行った彼の身に災いが降り立ったのは、数十分後の出来事。
前方不注意のトラックが速度を衝撃に変えて彼に突撃してきたのだ。
人間の中でも脆弱に部類される身体はそれに耐えることはなく、少年の命は交通事故により無惨にも潰され、生涯の幕は強制的に閉じられた。
確かにこの事故は、彼にとって突然の出来事であり、その身に何が起きたのか明確に自覚を強いるのも酷な話だと女性は思う。
寧ろ、今現在の状況を鑑みれば、夢と言われる方が納得のいく説明になるだろう。
「まあ、いきなりの出来事だから仕方ないのだろうけど」
「そうですよ。いきなり知らない場所に連れてこられたと思ったら、あなたは死にましたって言われてもねえ……。それで僕は結局どうなるのです? 夢でもないなら天国か地獄に行く感じですか? それとも……」
「あなたがいた世界とは違う別個の世界。いわゆる異世界に行くか」
言い淀む少年を察して女性は言葉を紡ぐ。
異世界という単語に一瞬、少年は瞳を輝かせる。
「でも、あなたが望むのなら、元いた世界に戻してあげるけど?」
「いや、いいです」
「……は?」
即答する少年に思わず女性は呆気にとられる。
「なんで? 本当にいいの? 現代に戻れるのに?」
「はい。思い返せば何もないもない人生だったので。せっかくなら、新しい世界に行きたいですし」
「ふーん。まあ、あなたが良いなら構わないけど」
やや冷たい口調で少年の希望を承諾した女性の瞳は、真紅の輝きを放ち、幾分か気の緩んでいる少年を貫くように見据える。
「なんだか納得していません?」
「いや、別に。それより、異世界に行くなら二通りの方法があるけどどうする?」
「二通り……。それはどのような方法ですか?」
「一つは赤ん坊から記憶を引き継いで生まれ変わる、いわゆる転生。もう一つは、そのままの状態で異世界に行く、転移ね。特に後者は何かしらの恩恵を受けることが可能となっているわ」
「恩恵ですか。それって神のご加護的なやつですか?」
「あー、多分」
「多分って……」
「で、どうするの?」
「じゃあ、転移で」
少年の答えを聞いた女性は、あっそ、とだけ返すと徐に優しく微笑み、
「楽しい異世界ライフを」
その言葉を聞き、少年の意識は闇に溶けて行った。
次に目が覚めたとき、彼はきっと驚愕と歓喜に身を震わせるだろう。
破顔を浮かべる少年の姿を脳裏に浮かべ、女性は――神は小さく舌打ちをする。
やがて、彼女の身体は半透明な霧となり、波打ち消えた。
何色にも染まり、何色にも染まらない白地と無の空間に、彼の者達はいた。
いわく、神と称される天上の存在。
あらゆる全てであり、何処にでもいて、何処いない、無形の概念。
ある神は世界を作り、ある神は理を築く。
そしてある神は。
「いい加減、異世界転生? 転移? やめてほしいのだけど」
死者を導く。
昨今、地球と呼ばれる世界――更に言えば日本という国では異世界転生、転移が空前の流行を見せていた。
現実世界では実現できない魔法と呼ばれる不可思議な力が蔓延する異世界に焦がれる若者は少なくない。
しかし、常識を考えればそんな世界は存在するはずがない。
故に、死後、目の前に常識を脱した神なる者が現れれば、必然的に異世界の存在を期待してしまうのだ。
そして、死後の選択を求められた際に多くの死者は言う。
『異世界に行きたい』と。
「大体、死んだときのリアクションが薄すぎる」
邪悪な光を放ち、広大無辺に広がる半透明のそれは、波打つオーロラを彷彿させるもので、どこから発せられているのか甘美な声は、妖艶さを纏う女性を思わせる。
死者に対する愚痴は、死後の案内をする神々の定番話だ。
「たしかに、あいつら自身の死を全く嘆かないな」
「良いことじゃないの? これから新しい生を謳歌するのだから、いちいち悲観なんかしなくても無問題じゃない?」
同じく、靄を漂わせ無の空間に広がる二神。
勇ましい声と軽やかな口調で語る二神は、それぞれが思う死者の印象を語る。
「いやいや、あいつらはさ、何だか妙に達観しているというか。人生観の切り替え、割り切りが尋常な程に早いのよ。大半が未練はないとかぬかすけど、そんなに地球ってつまらない? 娯楽が溢れている分楽しいと思うのだけど」
「むしろ、娯楽が溢れている故の退屈とか?」
「高度に発展した世界を作る人間を生み出したのも、ある意味失敗だったか」
各々が異世界希望の死者に対して万別の印象を抱くため、この話はこのまま只の愚痴として、結局のところ終わるのが恒例だ。
しかし、ふと、ある神が口をはさむ。
「もう異世界とやらを消せばいいんじゃないか?」
その言葉を聞いた刹那、他の神々は確かにといった雰囲気を醸しだした。
もとより異世界を創造した理由は、新しい世界をお試しで創っただけに過ぎず、実験的な物に他ならない。
地球の存在する世界に劣る文明は、魔法こそあるが神々から見れば無価値なもの故、破壊も躊躇わないのだ。
「でも、消すって言ったってなんだか勿体ないような」
ただ一神を除いて。
先ほどまで、率先して異世界希望の死者の愚痴を述べていたその神は、つい先ほども死者を異世界へと送らせていた。
更に、他の神々よりも多くの死者を異世界に送らせていた故に、その意見が出ることに対し、この場に存在する神々は疑問を抱く。
――が、すぐさま思い当たる節があったのか、ある神が。
「そういえば、元々異世界を作ろうと言ったのはお前だったか」
その言葉を肯定するように、無辺に広がりを見せていたうねる靄は一人の女性――少女へと姿を変えた。
人間と同じ容姿を持ち、真紅の瞳は全ての神々を目視している。
雪の様に真っ白な髪色に、真横に均等に切り揃えられた前髪、後ろ髪は小さなシニヨンとして纏められ、衣服は異世界に存在する物を基準にして作られていた。
「異世界の創造を提案した手前、正直な話、簡単に滅ぼされるのは不満だわ」
「ならばどうする? 妙案があるならば聞きたい。いい加減、死者の愚痴を言い合ったりするのも飽きたところだ」
その神の言葉を聞き、少女はクスリと笑う。
「ないわよ。こちらも真に述べるならば、異世界の転生転移にはうんざりだし」
「ならば――」
「ただそう。でもどうせ滅ぼすなら楽しく、娯楽的に行いたいわ」
「それはつまり――」
少女の姿に擬態した神は、嬉々とした口調で言う。
「直接異世界に行って、楽しい異世界生活を送りながら滅ぼす。ついでに、軽く魔王にでもなってね」
どうせならば愉悦を感じて、一個の楽しみとして、創造した世界を壊したい。
それが少女の言い分。
つまるところ、この少女――神も他の神々と同じく異世界の存在消滅に対しては、反論など持ち合わせていないのだ。
ただ簡潔に歴史を閉ざすくらいならば、様々な死者が憧れる異世界を楽しんでから、そのお礼としてゆっくり、じっくり滅ぼそうと。
那由多の果てまで続く時の中、暇つぶし程度にはなるだろう。
「というわけで、異世界はこっちが適当に消すから、それでいいかな?」
僅かに、高鳴る気持ちを抑えて少女は神々に確認する。
――『手出しはするなよ』と。
しかし。
「いいや。良くないな」
「え?」
てっきり、承諾を得られると考えていた故、少女はおもわず疑問符を頭に浮かべる。
しかしながら、何か面白いことを見出したのか、その口調は妙に軽やかなものだった。
そして、また別の神も続くように、彼女の意見にガヤを混ぜる。
またある神も同様に。
「ああ、なるほど」
少女は気づく。そういうことかと。
結局、この神々も自身と同じで、異世界に降り立ち、全く同じ目的で活動したいのだと。
事実、彼女の確信は正しく、他の――賛同しなかった四神は先ほどの話を聞いた瞬間、少女の考えを面白いと思ったのだ。
ゆえに、そのような面白みのある話を彼女だけに任せるのには納得がいかなかった。
「じゃあ、私を入れて五。その数の神が異世界に行き、早いもの勝ちで世界を滅ぼすっていう案は?」
ならば、その四神も異世界に連れていけばいいだけの話。
それに、どうせ滅ぼすのなら楽しく競い合うのも悪くない。
あくまで娯楽として、異世界を滅ぼすことを望むのだから、楽しさの増す提案には、他の神々も賛同をみせた。
「しかし、どうせ競い合い滅ぼすのなら、何かルール。制約を設けるのはどうだ?」
「それいいね」
遊びにおいてルールや決まり事はそれを十分に楽しむうえで必要な条件であり、法則の欠如した無法地帯での遊びは自由度が高い分、各々が好き勝手できてしまう。
何でも出来てしまう神々にとって、それはまったく魅力も面白みもないものであり、何より楽しみ方が分からないのだ。
限られた条件下の元、奮闘してこそ愉悦さを見出せるに違いないというのが神々の認識だった。
思い通りに事が進むことの何が面白いのか、自身の都合の良い事象が蔓延する環境に抱く満足感の何が良いのかが分からない。
不条理を受け入れ覆す、それこそが生を授かった者達が人生を楽しむ醍醐味なのではないか――故に、神々は制約する。
「ならこの中で最初に魔王になった神が滅ぶすのは?」
「なるほど。その案おもしろいわね。滅ぶす権限を競い合う。実に愉快な提案。それで、他に何かある?」
「あとは、我々の力に制約を掛け、知識も必要最低限で臨む。下界における互いの姿に関しての情報はなし。というのは?」
「それ採用。面白い」
力と知識、情報の制約。
神々の持つ力は絶対的な物であり、いわば全能。
あらゆる全てを叶え、不可能という事象は存在しない。
知識も同様。神々は全知であり、総じて全てを知っている。
勿論、そんな力を持ったまま下界に降り立てば、魔王になることはもとより、異世界の忘却など時間の経過すら待たずして終了してしまう。
当たり前のように、その流れに楽しさなど全く感じない。
だからこそそれらに制約を掛けるのだ。
神々が只ひたすらに楽しむためだけに。
「私は、この姿のまま下界に行くけど、ちゃんと記憶けしてくれるわね?」
ただ一神を除き、他の神々は未だ邪光を放つ靄のまま無辺の空間に広がっている。
その言葉を聞き、彼女の質疑を肯定するかの如く、一度だけ靄が波打つ。
一連の様子を真紅の瞳で目視すれば、少女は大袈裟に両手を広げ声高らかに宣言をした。
「私たちが赴くは名もなき世界。試作世界Bとでも名付けるそこは、試作世界A――地球に存在する娯楽作品ゲームを元に創造した別世界! 科学の蔓延る地球とは対をなす、魔法が溢れ、様々な種族が生を育む場所。勿論、その世界には私たちが創った神や天使、それに悪魔だっている。そして、くだらない理由やつまらない願望で異世界に逃げた死者たちも! 私たちはそいつらを上手く使い、やがて魔王となる。そして――」
「魔王になったあかつきには、試作世界Bを滅ぼせる」
勇ましい声に遮られ、若干顔を顰める少女は気を取り直し。
「では、制約を掛けた後、偽りの未知に溢れた娯楽を満喫しましょう。異世界で巡り合う時を楽しみにして――」
その言葉を最後に少女含む五神は姿を、否、広大無辺の空間から存在を消した。
やがて残された神々は彼の者達がどのように、下界で活動するのか傍観をするのだろう。
「どうでもいいけど、あいつ等の分、我々が死者の案内をするのか?」
「適当に試作世界Bにでも送ればよいのでは? どうせすぐ死ぬのだから」
「ああ、たしかに」
異世界への嘲笑なのか、邪悪ながらも神々しい靄は淫靡な揺れを見せた。
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