その4 欲しがることの代償。





 少女の小さな手に握られた物体は、澄み渡る空を閉じ込めたようなガラス瓶であった。しかし実際に瓶の中に閉じ込められているものは、青い空などではなく透き通るガラス玉である。


「ん? んんー?」


 まじまじと瓶の中を覗き込みながら、彼女は不思議そうに小首を傾げていた。やっとの思いで、ソーダ水を飲み干したリュイリィである。もっともその炭酸のきつさに、半分近くはウィヌシュカに頼んで飲んでもらったのだが──。


 からころと転がるガラス玉の音が耳に涼しい。しかし珍妙なかたちでくびれた瓶の形状が、上にも下にもガラス玉を逃さないのである。痺れを切らしたリュイリィは、視線の先のウィヌシュカに助けを求めた。


「リュイ、それはきっと不良品だ。強固なコルセットに悲鳴を上げる貴婦人に似ているだろう」


 よく分からないウィヌシュカの例えに、リュイリィは目を丸くした。豪奢なドレスを着た貴婦人の、折れそうな背骨を頭に思い浮かべてみる。納得がいくようないかないような、不思議なもどかしさを覚えながらリュイリィは言った。


「やっぱり諦めるしかないのかな。ウィヌとお祭りに来た思い出に、このガラス玉が欲しいなって思ったんだけど」

「それなら瓶ごと持ち帰れば良いさ。ずいぶんと甘い飲み物だったから、よくすすいだほうが今後のためになる」


 ウィヌシュカの無頓着な意見に、リュイリィは肩を落として絶句した。意気消沈するリュイリィの脳裏に、かつてとある人物から投げかけられた質問がぎる。


『リュイリィちゃんに尋ねたいのですけれど、こんなウィヌシュカさんのどこに惹かれたのですか?』


 リュイリィにそう尋ねたのは、リュイリィと犬猿の仲であった再生の女神ライラである。慇懃無礼を地で行くライラは、何度もリュイリィの神経を逆撫でしたものであった。だが今ばかりは、ライラの抱いた疑問に同調せずにはいられない。


「もういいよ。もう一本同じのを買うもんっ」


 その発言からおよそ五分後、今度こそお腹をぱんぱんに膨らませたリュイリィは途方に暮れていた。瓶の中のガラス玉は、やはりどうやっても取り出せない構造になっていたのである。


「リュイ、お前の熱意は分かった。二つの瓶をそこに並べるがいい」

「え? ちょっ、ちょっとウィヌ? まさか──」「──火焔の豎子エンチャント・ムスペル


 低くくらくウィヌシュカが呟くと、彼女の爪先にどすぐろい火球が生まれた。死神の大鎌デスサイズを持ち合わせていない以上、付与エンチャントの力に頼らざるを得ないという判断であろう。


 人間たちにシンモラの化身と恐れられたほど、ウィヌシュカは炎を操る能力に長けている。弾けることすらも忘れて静かに燃え盛る黒炎は、この世の全てを消し炭と化す莫大な熱量を宿しているのだ。


「どうしても手に入れたいものがあるのなら、時には争うことも必要なのだ。かつての私たちは持たなかった、自らの刃を振るうその理由を。だがリュイ、お前が私にくれたのだ。いつからか私の刃は、お前と共に生きるために振るわれるようになった」


 リュイリィは戸惑いながらも、二本のガラス瓶を並べて置いた。それを見たウィヌシュカは薄く笑むと、穿うがつべき対象へと火球を放つ。出店で賑わう往来を行く人々の目に、火焔の瞬きは手持ち花火のように映ったことだろう。


 煌めく火球のあとに残されたのは、ぐにゃりと変形したガラス瓶の残骸だった。それはさながら、暑さに溶け出した林檎飴のような──、どんな物体にも例えられない有象無象のガラクタである。


「……くっ、やはり不良品だったか」


 ウィヌシュカの失態を前にして、リュイリィは腹が捩れるほど笑った。もしもこの場にライラが居合わせたら、膨らみに乏しい胸を張って言ってやりたかった。ボクは不器用なウィヌの全てに惹かれたのだと。世界の安寧と引き換えにしてまで、ボクはウィヌの全てを欲しがったのだと──。


「ありがと、ウィヌ。お祭りって面白いね」


 リュイリィはそう言って、ウィヌシュカの左腕に絡みついた。手に入れることが叶わないガラス玉のことなど、彼女の頭の中からすっかり抜け落ちていたのだった。




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