第44話 新緑咲き誇れば老木滅びゆく。





「クロード、頼みがある」


 明くる日の朝、作戦会議室と呼ぶにはあまりにも殺風景なあなぐらの一画で、ウィヌシュカはクロードにそう切り出した。率直な物言いはいつものことであるが、緊迫感すら滲む彼女の剣幕に、静観するライラがわずかばかり目を細める。


「言ってみろよ」


 鷹揚に構えたクロードが先を促すと、ウィヌシュカは隣のリュイリィをちらと一瞥してから続けた。そのリュイリィはといえば、斜向いに腰掛けるシリカを牽制の視線でめつけている。そうして威嚇されなければならない意味が、シリカにはさっぱりと分からなかった。


「ブリアレオスの討滅は、私とリュイにやらせてくれ。奴は二人だけで討つ」

「へぇ。これまた何でだよ」

「そうすることに、意味があるからだ」


 リュイリィがはっと顔を上げ、クロードの七色の瞳オッドアイは品定めをするようにウィヌシュカを見据えた。この上なく愚かな選択であると、右眼フギン左眼ムニンが一斉に警告を発する。


「背中を預け合うか……。いいよ、好きにしな」


 苦言を呈する七色の瞳オッドアイをいつものように無視して、クロードは白い歯を覗かせて微笑んだ。ウィヌシュカは表情にこそ出さないものの、その内心では胸を撫で下ろしている。


「感謝する。ライラも構わないか?」

「私は構いませんけれど、リュイリィちゃんはそれでよろしくて? 命懸けの展開は必至ですし、命を懸ければ済むという話でもないのですよ」


 意外にもライラは、これまで軽んじていたリュイリィの意見を求めた。昨晩のうちにクロードから詳細を聞かされていたライラは、この作戦が命懸けどころか世界懸けであると解釈している。


 それに危機的な状況になれば、リュイリィの無意識がまたしても世界を書き換えないとも限らない。そのような現象は未だに信じ難いことであるが、これまでの出来事を鑑みればクロードを疑う理由がなかった。


「うん……、ボクもそうしたい。ウィヌと二人で行かせて」

「あなたのその判断が、身勝手でつまらない責任感から来るものならば、迷惑なだけですからね?」


 訥々と答えるリュイリィに向けられたライラの視線は、針のように鋭い。いつかのどこかで、宮殿に仕えていた聖乙女ヴァルキリアが向けた侮蔑の視線に、とてもよく似ているとリュイリィは思った。


 ──戦場いくさばのウィヌシュカさんを知らないあなたに、ウィヌシュカさんの美しさを語る資格はありませんわ。


 あの時のライラの言葉が、リュイリィの胸の奥底でまだ濁り続けていた。この世界において、リュイリィは戦場のウィヌシュカを知らないわけではないからだ。それどころか、知り過ぎるほどに知っている。そうであるにもかかわらず、いつしかウィヌシュカの美しさを見失った自分が悔しい。


 千年王国スクルドで、岩窟要塞ケルンで、万年氷壁ヴァニラで──、幾度にもわたってウィヌシュカのデュオを務めておきながら、ウィヌシュカが高潔な心を持つがゆえに逆巻いていた数々の葛藤を、弱さだと決めつけて失望したのは他ならぬ自分自身である。


 だからこそ、取り戻したいものがあった。


「ボクの身勝手だってことは分かってるんだ。迷惑をかけるかもしれないことも承知の上だよ。ただ、ボクは知っていたい。ウィヌの強さを──、戦場で咲き誇る死の女神ウィヌシュカの美しさを。誰よりもボクが知っていたいんだ」


 雄弁に語るリュイリィが、ライラの視線を押し返す。これには降参だと言わんばかりに、ライラは両の手のひらをリュイリィに向けた。


「馬鹿げています。あなたもウィヌシュカさんも、今回ばかりは心から、馬鹿げていると言わざるを得ません」

「ライラ……」

「ですが、馬鹿げているのは私も同じですからね。新世界ヘルヘイムだなんて、ましてや創世神リーヴだなんて、所詮は持たざるものの幻想でしかなかったのです」


 瞳を伏せるライラの声はかすかに震えていた。自身を支えていた狂気の正しさに疑いを持ってしまった時、最後に残る感情は果たしてどのような色をしているのか。


「お前の幻想と狂想がなかったら、この展開はなかったっつーの」


 頭を掻きながらクロードが言う。しかし複雑な想いで、自覚的に苦渋の選択を繰り返してきたクロードだ。箱庭にも似たライラの新世界ヘルヘイムを利用したことを、簡単に謝罪したりはしない。


「キミたちの話がよく分かんないんだけど、僕はいつになったら帰れるのかな」


 あどけない口調で、誰にというわけでもなくシリカが問いかけた。もしかすると、重たくなったこの場の空気に耐えきれなくなったのかもしれない。


「シリカ、もう少しだけここで待っていてくれ。ユグドラシルの胎内よりは、外界で暮らしている方がずっと安全なんだ」


 薄っすらと微笑みながらそう答えるウィヌシュカは、この現状を深く理解しているといえる。世界を穿つリュイリィの無意識は、すでにリュイリィの手の届かない場所に在るのだ。つまりはそれこそが、揺れ動く心グングニル──、かの神槍グングニルを宿り木に成長した、生命の原木ユグドラシルである。


 ならばその胎内こそ、最も影響力が大きいのは自明の理。

 眠りに就くだけで存在が書き換えられてしまう、理不尽と不条理の温床である。


「ちっちゃいの二号、ウィヌシュカの言う通りだぜ。あと少しなんだ。あと少しで、恋する乙女の夢は終わる」


 くつくつと笑うクロードの言葉には、意地の悪い棘と皮肉が入り混じっている。それらを存分に感じ取ったリュイリィが、「本当にごめん……」と萎れるように言った。


「まぁ良いってこと。お前のおかげで、あたしたちこの世界が退屈しなかったってのは事実だぜ。のお導きがなければ、今頃この世界は虚無そのものだった。そうだろ?」


 クロードが、唐突にリュイリィの真名まなを呼んだ。


 ウィヌシュカとライラも、クロードの発言には思わず目を見開いている。やはりそうなのかという得心が半分と、未だ信じたくないという想いが半分だ。ギュゲスの読み上げた天地創造を記した書物ミストルテインは伝承に過ぎず、しかし伝承だからこそ、真実からはそう遠くないということであろう。


「……リュイ。お前は、再生を司る女神リュイリィだ」

「ウィヌ……、でも」

「こんなに貧相で小生意気で、私に何度も肉塊にされたひ弱なリュイリィちゃんが、そのように高位の存在であるはずがありませんわ」


 顔面を蒼白にして震えるリュイリィを、ウィヌシュカとライラがそれぞれに慰めた。かりそめにしか過ぎなかった結束は、いつの間にか断ち切れない鎖のように強固に紡がれようとしている。失言に見せかけたクロードの発言には、それを確かめるための意味合いがあった。


「クロード。この場で約束しろ。二度とその名を口にするな」


 凄まじい怒りを孕んだ、ウィヌシュカの玲瓏な声。クロードに向けられた憤怒の眼差しは、背筋を這う指先のような美しさを持ちながら、深淵に覗かれるよりも悍ましい威圧を与える。


 何度も枝分かれしたこれまでの道を、クロードは思い返した。かつて、ウィヌシュカと斬り合う展開もあったのだ。互いに殺し合う剣戟の音は、今や遠く懐かしい旋律となって、クロードの記憶の中を揺蕩たゆたっている。


 清浄潔白を貫こうとするウィヌシュカに、強く惹かれたこともあった。彼女と斬り合った数と、同じくらいに──。


「へいへい、分かったよ。ごめんな、


 ぽむぽむとリュイリィの頭をはたきながら、クロードは思案した。


 始祖の退屈を払い続けてきたお節介な大木は、もはや老木でしかないのだと。悠久の記憶を蓄積し続ける自分も、ひつぎの中で眠り続けるいけ好かない王も、新緑が咲き誇ろうとするこの世界には、やはり老害でしかないのではないか、と──。


「まぁ今晩くらいは騒ごうや。知ってると思うけどさ、あたしは小難しい話が苦手なんだよ」


 ひゅうと口笛を吹いて、クロードが立ち上がる。


「では今夜は久しぶりに町にでも出ますか? 交易都市ビフレストも、すっかり栄えていることでしょうね」


 努めて明るい声音でライラが提案すると、それぞれが賛成の意思を仕草で示した。外界の盛り場など知るはずもないシリカだけが、不思議そうに首を傾げている。


「じゃ、ちょっくら昼寝でもしてくるわ。あ、ウィヌシュカ、お前さ」

「なんだ」


 含み笑いを漏らすクロードに、ウィヌシュカは不快を隠さず問いかけた。ひらひらと手を振りながら、クロードは捨て台詞のように忠告を残す。


「白いタキシードだけはやめとけよ。ライラに叱られるぞ?」


 顔を赤らめて、堪らず反駁しようとしたウィヌシュカだったが、クロードの姿はすでに、皆の視界から消えていた。




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