Capture11.集束する視界

第42話 夢の境界。





「ウィヌー? おーい! ボクの着替えを持ってきてくれる?」


 豪奢な寝台の天蓋から垂れ下がる薄手のベルベットを、朝の陽光が貫こうとしていた。布地を掻き分けたボクは首だけを出して、近くで待機しているはずの彼女を呼びつける。


 するとしばらくも経たないうちに、いかにも侍女らしい清楚な出で立ちをしたウィヌがやってきた。着替えを抱える彼女を見て、ボクの胸が分かりやすく高鳴る。


「これで良いか?」


 素っ気ない口調とぞんざいな動作で、ウィヌはボクの衣類をベルベットの内側に投げ込もうとした。ボクはその手首を勢いよく掴んで、彼女を寝台の上に引きずり込む。ウィヌの清潔な匂いが寝床を満たすと、幸福感と嗜虐心が一緒くたになって騒ぎ始めた。薄氷みたいなウィヌの肌の色を間近に眺めながら、ボクは上機嫌に言う。


「ねぇウィヌ、ちょっと無礼が過ぎるんじゃない?」

「手を離せリュイリィ。これは本来の私の役目ではない」


 つれない態度で半目を向けるウィヌが愛おしい。彼女の紅い瞳に映し出されたボクの顔には、たっぷりの恍惚が浮かんでいた。眠気なんて、もうどこにも見当たらない。


 侍女としての役目もとぎとしての役目も、決して私の本意ではないぞと尖らせた唇に、ボクは無理やり自分の唇を重ねた。瑞々しいその弾力を存分に味わってから、乱暴に舌先を捩じ込んでその口内へと辿り着く。じっとりと熱を持った甘やかな痺れが、この世界に生まれ落ちたことの悦びを感じさせてくれた。


 ウィヌの吐息も、次第に熱を帯びていく。嫌がるふりがとても上手な彼女だったけれど、桃色に上気した頬は誤魔化しようがなかった。


「ねぇ、良い朝にしようよ」

「そうやっていつも、お前はっ。私を昼下がりまでっ……、んっ」


 普段は聖乙女ヴァルキリアとしてその名を馳せている彼女だって、宮殿の中に一歩足を踏み入れてしまえば丸腰なのだ。武装を解いた靭やかな肢体は、あちらこちらに魅惑的な柔らかさを残している。


 ウィヌのカラダを知るまで、ボクは自分の幼児体型が大嫌いだった。少年と見紛うほどに貧弱で薄っぺらいカラダ。同じ性別を宿す者たちを見るたびに、醜い劣等感にこの胸を圧し潰されそうになっていた。


 けれど今は違う。天上の神々でさえ、執着を覚えずにはいられない完璧な造形。どこか創り物めいてさえいるウィヌの美しさの前では、誰しもが救いようのないほどに劣っているのだと思い知ったから──。


 一つ間違えれば折れてしまいそうな細い腰を、少しでも近くにと必死で抱き寄せた。カラダとカラダを隔てるこの身の輪郭すらも無性にもどかしくて、流れる銀の髪の隙間から覗く鎖骨にかぷりと歯を立てる。ウィヌは自らの口元にその手を押し当てて、零れそうになる嬌声を懸命に圧し殺そうとしていた。


 艶の滲むくぐもった声を上げながら、それでも一時の快楽に屈しようとはしないウィヌに、ボクが恐いくらい執心しているのが分かる。現在進行系でウィヌの深みに溺れていくボクが、ひどく嬉しくてだけど少しだけ恐ろしい。


「ねぇ、ウィヌ。もっと……、もっと」


 もっと近くにいて。どこにも行かないで。

 片時も離れないで。世界が呆れるくらいに。


 ──その美貌だけが、弱くて醜いボクを救ってくれるんだ。


「あらあら、ウィヌシュカさんは今日も子守に勤しんでいますのね。本当に熱心なことですわ」


 あと少しで最後まで達するというところで、突然の邪魔者が入った。


 不躾な声を上げながら、寝台を囲むベルベットの中を覗き込んできたのはライラだ。大切な繭を剥がされたような不快感に、ボクの胸は灰色に濁る。いつだって嫌味ったらしいライラが、ウィヌと同じ聖乙女ヴァルキリアの称号を持っているだなんて、ボクには今でも信じがたいことだった。


 まだ絡まったままのボクとウィヌを、ライラはもの言いたげな視線で一瞥してから、自慢の黒髪を一つに結い上げた。これ見よがしなその動作は棘だらけで、やっぱりライラは聖乙女ヴァルキリアに相応しくないと思う。


「ウィヌシュカさんに出陣の命を伝えに参りました。さぁ、ご支度なさってください。お戯れはその後でどうぞお好きに」


 ライラがそう言い終える頃には、ウィヌはすでにボクの隣に居なかった。ライラが髪を結い上げた時点で、きっと話の要点を察したのだと思う。弓の名手だというライラは、いくさに出る時いつも黒髪を纏めるからだ。


「すぐに出る。ライラ、敵兵の数はいくつだ」

「二万といったところでしょうか。もちろん、この私もお供しますわ」

「……二万とはまた血気盛んだな。日に日に増えていく」


 ボクは離れていくウィヌの背中をぼんやりと眺める。視界が潤んでいるのだと自分で気付いたのは、みっともない声を上げたその後だった。


「ウィヌ、お願い。行かないで。こんな場所に置いてけぼりは、もう沢山なんだ」


 縋りつくボクの声に、ウィヌは振り返らない。

 その事実に、安堵と落胆の渦が同時に逆巻いた。


 相反するボクの感情は、どうしてだかすぐに次の言葉を生み出してしまう。


「ねぇ、ボクとずっと一緒に居よう? 気持ちよくてあったかいことだけ、こうして続けていれば良いんだよ。だってウィヌはさ、こんなに綺麗なんだから、戦いなんて──。そうだ、このボクが頼み込んであげるよ。ウィヌはボクの特別なんだって、言って聞かせてあげる。だからね、そんな、血で汚れるような場所には──」「──戦場いくさばのウィヌシュカさんを知らないあなたに、ウィヌシュカさんの美しさを語る資格はありませんわ」


 喚き声にも似たボクの言葉は、ライラによってぴしゃりと遮られた。優美な振る舞いを崩すことのない彼女だったけれど、その視線には侮蔑の感情がありありと浮かんでいる。


 意気消沈となったボクを察したのか、ウィヌがようやく振り返ってくれた。


「リュイリィ、身を清めて待っていろ。


 それは優しくて凛々しくて、一秒たりとも手放したくないような力強い言葉だった。ボクは今度こそ止められなくなった涙の中で、何度もうんうんと頷いてみせる。ウィヌとライラの背中が見えなくなってからも、ボクの涙は止め処なく流れ続けた。


 ──でも、どうしてだろう。


 宝物にしてしまいたいその言葉を、ボクはどこかで聞いたことがあるような気がする。思い出せないくらいに遙か遠い場所で──、ボクはウィヌに、同じ言葉を貰ったんじゃなかったっけ。




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