私は生まれ付き身体が弱かった。


 入退院を繰り返していたため、病院と自宅を行ったり来たりするような生活でベッドの上で一日を過ごすことが多かった。


 そんな私のささやかな楽しみは窓から見える外の風景だった。


 私の部屋は二階にあり、窓から下を覗くと家の前の通りの様子がよく見えた。学校に行くこともままならなかった私にとって通勤通学のために歩いている通行人たちは一種の憧れの対象であり、体調が良い日は飽きもせず彼らの様子をずっと眺めたものだ。


 普通に出歩ける身からすれば、ずっと同じ風景を眺め続ける我が子の姿は不思議な光景だったのだろう。母は私に「なにか面白いものでも見えるの?」とよく聞いてきた。


 私は母に質問されたことが嬉しくて自分が見たものについて一生懸命話して聞かせた。


 毎朝同じ時間に同じ格好で歩いて行く背広姿のおじさん。


 いつも楽しそうにお喋りしながら通って行く高校生のお姉さんたち。


 頭に三本の角が生えていて二本足で歩くエプロン姿の黒猫。


 母はその時、少しおかしな顔をした。それでも珍しく興奮していた私は話を続けた。


 前後に二つの顔がある3メートルくらいはありそうなおかっぱ頭の少女。


 全身に青と赤の紫陽花を無数に咲かせた小さな象の群れ。


 口からシャボン玉を吐き続ける歩く郵便ポスト。


 新聞紙で出来た服を纏い、止まって見えるほどゆっくりゆっくり踊る三人のバレリーナ。


 私の話を聞く母の顔はますますおかしくなっていた。そしてふいに母は私の額に手を当てた。熱があると思われたようだった。


 私の体調に異常がないことを確認すると母は「夢でも見たのかな?」と微笑んだ。


 私は夢などではないと必死に主張した。そうすると母の顔はみるみる険しくなった。


 怒鳴り声。それは私が初めて目にする母の鬼の顔だった。


 涙をポロポロ零しながら私は謝った。母はすぐにいつもの優しい母の顔に戻ってくれたが、世の中には例え真実であっても口にしてはいけないことがあるのだと私は学んだ。


 私はそれからも彼らを見続けたが、そのことを他の誰かに話すことは一切しなくなった。


 そしてずっと彼らを見てきて私はひとつ気が付いたことがあった。


 どうやら彼らの姿が見えるのは窓越しに外を見た時だけなのである。


 私は一度でいいから彼らを間近で見たいと思い、彼らが通りそうな時間に玄関前で待ち構えてみたことがある。しかし残念ながらその試みは一度も成功しなかった。そして失意のまま部屋に戻ると窓越しに彼らの姿が見えるという具合だった。


 ひょっとしたら彼らは道路を歩いているわけではなく「窓」に住む者なのだろうか。


 まあ、今となってはどうでもいい。私には関係のない話だ。


 なぜなら壊したからだ。我が家の窓は全て、私が。


 何があったかなんて言いたくない。何を見たのかなんて言いたくない。何を聞いたのかなんて言いたくない。


 サイレンの音。私は逃げなければならない。出来るだけ遠くに。少しでも時間を稼ぐために。


 世界中の窓という窓を破壊するために。





                 (了)






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