本能




 俺は生まれてからずっと本能のままに生きてきた。


 親は有数の資産家で地元の経済を牛耳っていたので御曹司の俺に逆らおうという者など身の回りにいなかった。


 気に喰わない奴は叩きのめし、気に入った女はどんな手を使っても自分の物にした。


 でも罪悪感など感じたことはなかった。この世界は俺のためにある、そのくらいに思っていた。


 そんな俺も大人に成ると人並に普通の恋をした。こいつとなら結婚してもいいと思える女性に出会ったのだ。


 あらゆる手を使った。最初はあまり俺に興味を示さなかった彼女も数カ月後には俺との結婚を「快く」承諾してくれた。


 幸せな結婚生活だった、少なくとも俺にとっては。


 しかし人間とは飽きる生き物だ。彼女への思いが冷めてくると、再び俺は本能に従った。


 彼女は泣いた。ずっと泣いていた。それでも俺は思ったままに本能を貫いた。


 やがて彼女は静かになった。笑うことも泣くこともなく、ただ静かに淡々と妻を演じてくれるようになった彼女に俺は満足した。


 それから数年経ったある日のことだった。疲れていたせいか、俺はベッドに潜り込むとすぐに深い眠りに落ちた。


 どのくらい寝ていたのかわからない。ふと目を覚ますと俺は全く身動きが取れない状態だった。


 頭がガンガンと痛い。な、なぜ動けない? これは、……縛られている?


 部屋の中は真っ暗だったが、目を凝らして見ると俺は紐のようなもので全身をぐるぐると巻かれているようだった。


 ……ん、なんだ? ……歌?


 それは鼻歌だった。曲名は思い出せなかったが、確かにどこかで聞いた覚えがある曲だった。


 闇の中に人影が見えた。妻だ。彼女は笑っているように見えた。


「おい、何の真似だ? これはいったい……」


「お腹空いちゃったの」


「……え、なんだって?」


「ずっと思っていたのよ、わたし。『あなたって美味しそう』って」


「お、おまえ、何を言っているんだ?」


 じゅるり、という音が聞こえた。


「知ってる? タコ糸でしっかり縛って表面を焼いておくとね、後で煮崩れしないのよ?」


 そう言って嬉しそうに笑いながら顔を近づけてきた彼女と目が合った時、俺は全てを悟った。


 血走った彼女の眼には狂気じみた「本能」が浮かんでいた。

 

 俺には彼女を責める権利などなかった。俺だってこれまで散々「本能」が命じるままに生きてきたのだから。


 全てを受け入れなければならない。


 だから静かに、ただ静かに、俺は目を閉じた。






                 (了)






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