セラの元へ通じる手がかり
この世界に呼び出されたアインが小首を傾げ、数秒。
彼をそうさせたシャノンが改めて呼吸を整えると、すぅっと大きく息を吸った。落ち着いたことを自覚しきってから今日のことを話す。
「今日、シルビアと話したわ」
このときばかりは、いつものシャノンではなかった。
アインが思いつくのは、セラが作り出した世界で会ったシャノンが自らの過去をアインに打ち明けたときのことと、アインがセラと戦っていた際にシャノンが現れたときのこと。
これらの際、シャノンが見せた表情などが同じだったわけではない。
前者の場合は年齢不相応に幼く、不安定な姿だったし、後者の場合は救われたシャノンが見せた晴れやかなそれ。
変わらないのは、どちらもシャノンの迫力に似た何かがあったということだ。
いま、シャノンは心定めた様子の中に芯の強さを窺わせていた。
「驚いた?」
ああ、と力なく頷いたアインは想定外の話に面食らっていた。
「驚かないわけないじゃん。けど、どうして急に?」
「……さぁ。シルビアがカインと何か話したんじゃない? それで、私といい加減話したほうがいいって思っていたのかも」
彼女が想像した通りのやりとりがあったことと別に、いまこの話の中で重要なのはシャノンとシルビアが話をしたという事実だった。
アインだってシルビアが何かするとは微塵も思っていない。
だが、理由はどうあれ大戦の当事者同士思うことはあっただろうし、
「何を話したのか、教えてほしい」
教えろ、という態度ではなくとも尋ねずにはいられなかった。
当たり前でしょ、いまにもそう言いだしそうなシャノンが苦笑しながら唇を動かす。
「昔のことをいろいろ、たくさんよ」
少しずつ語り聞かせたが、話しづらいこともありうまく伝えられない。
気が付くとシャノンは、いつもより近くで自分を見てくれるアインの姿に気が付いて、心の底から救われるような思いにさせられる。
いや、実際に心の底から救われているから、いまは再確認したといったところか。
話し終えると、アインの身体が唐突にふらっと揺れた。
どうしたのかと思い手を伸ばしたシャノンが心配するには及ばない。彼は芝の上に腰を下ろして、波打つ海原を眺めはじめる。
「そっか」
という一言を発し、どこか遠くを見つめていた。
シャノンは彼の隣に腰を下ろす。スカートが広がらないようそっと手を添えて、淑やかな所作のもとで。
そして膝を抱き、遠くを見つめるアインの横顔を見た。
「貴方に話さないで、勝手にごめんなさい」
「いや、いいよ。気にしてない」
アインの珍しく力が抜けた返事だった。
「気にしてないっていうかさ」
そのアインがシャノンに顔を向け、あはは、と笑いながら頬をかく。
「母上がいきなり声をかけたってことなんだし、どうやっても前準備はできなかったよ。母上が俺に教えてくれることもなかったから、密かに話したいって思ってたんだろうしさ」
「ええ……そうみたい」
「だから、俺もわかってるよ。そうするべきだったとも思うしさ」
アインはそこに口を挟むことを好まなかった。
けれど彼は、もしもシャノンが、シルビアが、そしてカインやアーシェの心がざわつき、何か成すべきことが生じた際はすぐに動くだろう。
それが来ないことは、関係している誰もが確信していたが。
静寂はつづいた。
二人が言葉を交わすことなく十数分も黙ってからだろうか――――
「アインはどうだった?」
「俺は友達たちと視察しながら楽しんだよ。あとは、そうそう。木霊たちに逃げられるっていうことはあったかな」
「木霊が? もしかして、夏に話してたあの方がどうのっていう話のこと?」
「そ。セラさんが来てるのは明らかってわかった。どうしてグラベル港にいるのか聞いておきたい……って感じなんだけど」
「逃げられちゃって、手掛かりを一つも得られなかったんだ」
「有り体に言えば、まぁ」
海風にシャノンの髪が靡いていた。
アインもアインで、自分の前髪を摘まんで「伸びたなー」なんて独り言。
この静かな時間を、シャノンはとても大事に思っていた。
二度目の静寂はとても長かった。
何時間にも感じるくらいの時間を、彼らは海風を感じて、穏やかな時間が過ぎていくのに任せて……
緩やかに揺れる海面を見ていたシャノンが、久しぶりに唇を動かす。
最初に話していたことを、また。
「――――私、またいつか、シルビア以外の人とも話さなくちゃって思ってる」
でも、すぐじゃない。
何百年もかけてようやく、シルビアと直接話すことができた。
ゆっくりすぎる一歩を踏み出して、やっと。
だけど、ここから急いでほかの当事者と話すことはきっとできないし、また時間が必要だろうと誰もが思っていた。
シャノンに限らず、ほかの当事者たちの感情としてもそうなのだ。
ここには説明できるような理屈は存在せず、時間だけが答え。
言葉で言い表すことは難しかったけれど、きっとそう。
いつか、そのときが自然に訪れる気がしていた。
……急ぐことはない。そのときが来れば、話すことができるだろうから。
だからアインはいまの話を聞いて、
「うん。そのときはまた、俺にも教えてほしい」
「……ありがと、アイン」
シャノンの心に寄り添う。
彼女にとって何よりも必要なことを、アインは迷うことなくしてみせた。
◇ ◇ ◇ ◇
都会暮らしをはじめて長らく経つクリスだが、木霊に関する知識は豊富だった。
クローネの提案通りクリスの助力を得ようと思ったアインが問うと、クリスはあまり迷うことなくいくつかの提案を口にしてみせた。
アインがシャノンのそばを離れた深夜のこと。
秋の涼しさに包まれた、城の庭園にてアインとクリスの二人が話す。
「珍しい植物に目がないようです。それが自然の力に満ちたものであれば、特に木霊を引き寄せやすいと聞いたことがあります」
「おー、なんかそれっぽい」
「あとはそうですね……甘いお菓子も好きだって聞きましたよ」
絶対にセラの影響を受けていると思いつつ、アインが腕組み。
とりあえず、いまクリスから聞けたことを試してみようと思いながら、一つ目の珍しい植物という話に戻った。
「イストの研究所から植物を取り寄せるしかないのかなー」
迷うアインの服をちょん、ちょんと引っ張ったクリスが言う。
「アイン様じゃダメなんですか?」
「それは俺が世界樹だからって話なのか、俺が世界樹を生み出せるからっていうのか、どっちかな?」
「どちらもです」
「ひとまず、前者は難しそうかも」
なぜなら木霊たちはアインを見て逃げてしまったから、アインという存在よりもセラの言葉が優先されているはず。
ここにきてアインは、セラの言葉以上に優先してもらえるかが気になって、
(……どうだろ)
一応、木霊にとってセラは親のような存在なのだ。
セラが時折、イシュタル諸島と口にするこの地域から限りなく離れたところから旅をして、何百年以上ともに過ごしてきた過去がある。
「ってか、後者も後者で難しくない? 俺がどこかに大樹を生やすってことでしょ? そんな軽くしちゃっていいのかなーって思うし、まず生やす場所が問題な気がする」
「もう、これまで生み出してた大きいのじゃありません」
「ならどんなの?」
「小さくていいと思います。アイン様、前に小さい樹を生み出せないかなって試しておられたじゃないですか。女性でも両手で持てるくらいの鉢植えに、試しに~……って」
確かにそのように試してみたことがあって、アインはああ! と手を叩いた。
「我ながら便利に生やせちゃうんだった。俺が移動する船の中とかで、鉢植えか何かに入れておけばいいかも」
「そうです。それなら誰にも迷惑が掛かりませんし、陛下もお許しくださるんじゃないかなーって。どうでしょうか?」
「……いい案だと思うけど、食いついてくれるかな?」
背後にセラがいることは話せていないが、それはそれとして、アインは木霊たちが何かいたずらをしようとしているのかも、という話はしている。
ここで木霊が見え見えの罠に引っかかるかどうか、ということを懸念していた。
クリスがそっと視線を逸らすと、アインが彼女の頬に手を伸ばして顔ごと向けさせた。もちろん、優しくだ。
「わ、我ながら自信がなくなってきちゃったんです……」
「なるほどね」
アインがクリスの頬から手を離すと、クリスはそれを名残惜しそうに止め、アインの手に自分の手を重ねて指先を絡めた。
庭園を見ながら、話をしながらだった。
「――――あっ」
金髪のエルフが唐突に、
「そういえば私、木霊の気配を探る方法をお姉ちゃんに教わったことがありました」
「セレスさんに?」
クリスの姉、セレスティーナ・ヴェルンシュタインは武の天才だった。
どんな武器も少し練習すれば熟練した者と同じように扱えて、熱を入れて取り組めばどれも一級以上の腕前に昇華させた。
生まれながらに勇者の力を持って生まれた女性だったが、
(第一王子と一緒に、姿を消した)
セレスの身体を蝕むある症状が理由で、第一王子がセレスを救うためにセラと取引をしたから。
今頃二人は、遠く離れたセラがいた場所で暮らしているだろう、というが……
「噂に聞くセレスさんの教えなら、すごく期待できるかも」
「……むぅ」
「あの、クリス? 急に不貞腐れた理由はどうしてでしょうか……?」
「だっていまのアイン様、まるで私の言うことよりお姉ちゃんのことのほうが信用できる、みたいな感じだったんですもん」
とはいうものの、クリスも本気で不貞腐れているわけじゃない。じゃれたかっただけだ。
「明日、私と一緒に展示を見て回りながら探してみましょう」
セラに聞きたいことは山ほどある。
あの銀髪の男のこと、そしてあの男の動きに連動してセラが何をしようとしているのかも。
秋の夜は少しずつ更けていった。
◇ ◇ ◇ ◇
アインは難しいだろうと思っていた。
木霊の背後にはセラがいるから、彼女に口止めされてなかなか姿を見せないだろうという考えに駆られていたのだ。
それなのに……
「アイン様」
昼になる前、今日も今日とて大い賑わうグラベル見本市にて。
建物の裏手に広がった、いわゆる路地裏に入ってすぐのことだった。
「あれ、木霊じゃありませんか?」
クリスがある建物の裏に積まれた木箱を指さす。
どうやら展示に必要な物品が詰め込まれた木箱のようで、木霊たちはその中身が気になっているのか木箱の周りをふわふわ飛んでいた。
アインが微妙に引きつらせた笑みを浮かべて、
「あまりにも簡単に見つかりすぎて、困惑してる自分がいるんだ」
「安心してください。私もですから」
「俺だけじゃなくてよかった。とりあえず、話を聞きに行ってみようか」
気配を殺して迫ろうとするも、木霊たちはそれまで興味を示していた木箱から目をそらして、離れたところから近づこうとしていたアインたちに気が付いた。
アインも、そしてクリスも一握りの実力者なのに、木霊には関係なかったのである。
これが戦いの場であれば少し様子は違っただろうけれど、そうではない。
木霊たちは笑って、
「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
「うん! 世界樹様に見つかっちゃった! 逃げなくちゃ!」
楽しそうに飛んで行ってしまう。
しかし、アインとクリスは示し合わせたように駆け出して、木霊たちの後を追った。
路地裏に吹く風のように疾く歩を進め、瞬く間に距離を詰める。
「わ、わわ!?」
「すっごーい! 早い早い!」
楽しむ彼女たちに手を伸ばしたアインだったが、
「じゃあね~! 世界樹様たち!」
木霊は忽然と、霧のように姿を消してしまう。
驚くアインが足を止め、周りを見渡す。
十字に重なる裏路地の中心に立ち、すべての方角をきょろきょろと見渡してから、控えるクリスに目を向けた。
「……いまのって!?」
「木霊たちの魔法です! 確か――――
「な、なにそのすごそうな魔法」
アインはクリスを見下ろして、クリスはアインを見上げて話す。
すぐに見つけられたことへの驚きと、追うときの緊張、それに星隠れという魔法の存在にアインが面食らっていた。
「木霊たちが神出鬼没なことと、どこからともなく現れる理由です。あの子たちはいまみたいに姿を消したり、急に現れたりするんです」
「ああ……あの魔法があるから、いつも急に来てたんだ」
木霊はアインも驚くほど唐突に姿を消してしまった。魔力の残滓を探ってみるも、ほとんど見つからない。
彼くらいの実力者でも、翻弄されてしまう魔法には何度も驚かされてしまう。
「さっきのでわかりましたね。木霊たちは何か企んでいるみたいです」
アインが抱く真意と違うが、クリスも木霊が何をしようとしているのか強く興味を抱く。
「うん。だから次はどうにか足止めしないと」
「今度は遠慮なく、ですか?」
「そのつもり。さっきは星隠れっていう魔法に面食らっちゃったけどさ。……ちょっと俺も油断してたみたい」
二人は路地裏を歩きながら、再び木霊の気配を察知できてからのことを話し合う。
こうした人が多い場所で選べる選択肢はあまり多くない。
この初めての催し事が開催されているところで、無茶をして周りに迷惑をかけることはアインも、そしてクリスも本意ではなかった。
だが、木霊たちの魔法を思えばもう少しやり方を工夫しないと。
「星隠れって、見えなくなるだけ?」
「そのはずです。私たちの目に映らなくなるだけで、ちゃんとそこにいるはずですよ」
「じゃあ、触ろうと思えば触れるんだ」
こくりと頷いたクリス。
「あのさ」
アインがクリスの手を取った。
当然のように握り返してきたクリスが、きょとんとした顔で彼を見上げる。
「? 手を繋いでくださるんですか?」
本来の目的とは違うが、これも意味がある。
アインは「一応ね」と前置きして、
「さっきの、クリスが木霊の気配を探ってたやり方、どういう感じか教えてほしいな」
いまに至る十数分前まで、クリスはセレスに教わったという木霊を探す方法を駆使していた。
全身で自然を感じ、風に意識ごと溶かし込むように――――という、割と根性論のような前提を元にして、木霊の魔力を探るのだ。
木霊はそこにいるだけで気配を残すという。
先ほどのように星隠れの魔法を使ってから少しの間は消えてしまうが、少しずつ、消えたはずの気配が戻ってくるとのこと。
……なのでクリスが何をして探っていたのかというと、たまに足を止めて目を伏せ、海風に髪をなびかせながら前進で気配を探るというもの。
アインが手を繋いだ理由だが、
「クリスが木霊の魔力とか気配を探るとき、どういう風にしてるのかこうしたらわかる気がしたんだ」
アインは魔力の流れに敏感だ。
手をつなぎ、肌と肌が触れ合う状況ならクリスが何をどう意識して魔力を感じ取っていたのか、それを体感できるかもと期待していた。
話を聞いたクリスもその術をアインに伝えることはやぶさかじゃない。
「こうして……集中するんです」
「なるほど……集中……」
路地裏で再び足を止め、目を伏せたクリスに倣うアイン。
触れ合う肌から、クリスがどう気配を探っていたのか少しだけわかってきた気がした。
だが、アインはクリスが言うほど木霊の気配を探れる気がしなかった。
「まだ、星隠れを使ってすぐだからかな」
「ええっと、木霊たちの魔力は、里を漂う魔力とよく似た波長なんです。だから私は簡単に探れるんですが……アイン様だと、まだ難しいかもしれません」
こと戦いの場において敵の気配を探ることに関しては他の追随を許さないアインも、こうした非戦闘の場で、しかも木霊たちが意図的にアインから逃れようとしているのならクリスに軍配が上がる。
というか、いろいろと無理があった。
(それにしても、木霊たちの気配がまったくと言っていいほど感じられないな)
本来、アインなら木霊たちが相手でもその気配を容易に探ることができる。
たとえ木霊たちが意図的に逃れようとしていても、いまほどではなかっただろう。
だがここにきて、セラの力が影響していた。
木霊ことエレメンタルの姉妹は、古き時代からともにいたセラの影響を大きく受けている。言い換えるなら加護のようなものだ。
昔、アインがクリスを助けるために海龍を討伐しに行った際、城の地下にあるカティマの研究室でセラの声を聞いたときもそう。セラに守られているといってもいい存在は、どこかで影響を受けているのだ。
まとめると、セラはアインにとっても圧倒的な強者。
彼女の力に守護されている相手に対し、自慢の力を駆使して探すのは至難だった。
決してアインが弱くなったわけではなく、純粋にセラの力が強すぎるだけ。
けれど、光明が差す。
「こうして手を繋いでたら、感覚を共有できちゃいそうですね」
くすくすと嬉しそうに笑ったクリスの手を引き、アインが歩きながら。
「え? どういうこと?」
「ほら、私ってもうアイン様に根付いちゃってますもん。ある程度は前々からいろいろと通じ合ってましたけど、こう……直接触れ合ってたら、私が感じ取った気配とか魔力も、伝わってきませんか?」
「――――ちょっと待ってね」
アインは歩きながら、クリスが感じ取った気配や魔力がどういうものか意識した。
そこに明確な術や感覚はまったくない。まるで本能的に、触れ合う肌から電波のように不可思議な信号を受け取っているような……言い表すことが難しい、何らかの縁だ。
触れ合う肌、絡み合う指先。
確かにそこから、何かを受け取った気がしたアインがある方角を見た。
「もしかして、あっち?」
クリスが感じ取ったという木霊の気配が、その方角から。
彼女と同じようにアインも感じ取ることができた。
しかも、クリスが一人で気配を探っていたときよりも敏感に、はっきりとだったのだ。
「大正解です」
こんな風に新たな探索がはじまるとは夢にも思わず、二人は同時に頬を緩めた。
思いもよらぬ機会に生まれた併せ技には悪い気がしなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
一度、そして二度。
何度か木霊を見つけては追い詰める、というのを三度は繰り返したあとだ。
夕暮れの空が広がるグラベル港、大通りの一角。
「捕まっちゃった~」
「ねー、お姉ちゃんと私、捕まっちゃった~」
遂に捕らえられた、というと聞こえは悪いが逃がすことなく話せる状況になり、木霊が観念してアインとクリスの前で止まる。
セラに守護されていた木霊たちを、やっと。
アインの指先から伸びた細いツタが、木霊の手に優しく絡みついていた。
大通りを外れ、
騎士の詰め所に足を踏み入れたアインとクリスを見て、ここにいた者たちは誰もが驚いた。
すぐにアインから「ちょっと部屋を借りるね」と言われて敬礼し見送るも、彼らの驚きはしばらくの間消え去ることがなかった。
「アイン様、アイン様」
そこは無骨な会議室だ。
窓の外から夕暮れの明かりが差し込んでいた。
「うん? どうしたの?」
「私、ついでに今日の様子がどうだったのか聞いてきますね。ロイド様から、こちらの治安がどうか確かめてくれって頼まれていたので!」
言い方は悪いが、ここでクリスが席を外すのはアインにとって悪いことではない。
いまから木霊たちに、セラのことを聞こうとしていたからだ。
アインはクリスにありがとう、と礼を言って見送る。
会議室の扉が閉められたところで、
「で」
木霊に話しかける。
彼女たちはテーブルの上にぺたんと座って足を広げていた。
「セラさんはどこ?」
「ダメだよ!」
「うん! ダメダメ! 教えちゃダメって言われてるの!」
「そりゃそうだろうけど、俺としてもだからはいそうですかー、ってうなずくわけにもいかないしねー」
だが、彼女たちは口を噤むだろう。
自由奔放な性格をした彼女たちだが、セラの言いつけは何よりも守るし、
アインはいま言ったように、それでも聞いておきたかった。
「ふぅ」
一度息を吐いて、会議室の中を歩くアイン。
木霊の手にまとわりついていたツタはもう解いている。彼女たちはそのツタで楽しそうに遊んでいた。
「何か妙案は……」
できないことはないが、シャノンの力に頼ることは考えなかった。一瞬でも彼の脳裏を過ることはなかったくらいだ。
万が一にもあの力に頼って木霊に尋ねようものなら、セラの怒りを買うことは間違いない。
ふと、アインの目が壁に張り付けられていた地図に留まった。
地図……地図……。
グラベル港の地図と、その上から書かれたたくさんの印は、各商会や研究所が展示しているスペースのまとめ。
アインはそのまとめを眺めながら、何の気なしに思い返していた。
まず、木霊の気配を最初に見つけた場所。
次に見つけた場所、そしてその次、さらにその次……そして最後。
地図を見れば、アインとクリスに見つかってからどこに逃げていったのかも、少しずつ予想できてしまう。
これらのことに目を向けていると、新たな予想が浮かび上がった。
「あのさ、二人とも」
「うんうん! なーにー?」
「あははっ! 世界樹様のツタすごーい! 枕にしたい!」
「枕にするのは別にいいけど、ちょっと教えてほしい」
アインは会議室に置かれていたペンを手に取って、その蓋を取らずに地図上を滑らせる。
「二人って、こういう風に俺とクリスから逃げてたよね」
「うん!」
「そだよー?」
あっさりとした同意には、アインも彼女たちの素直さを再確認して止まず……
そして、その素直さに付け入るような気がして申し訳なく思いながら、
「毎回逃げていった方角を線で結ぶと、この建物に向かってたように見えるんだけど」
偶然気が付いたのは、グラベル港にある展示の中でも特に大きなスペースだ。
アインが地図から目を離して木霊に振り向くと、木霊たちはアインと目が合う寸前に目をそらし、ひゅー、ひゅーという音のならない口笛を吹きはじめた。
これを怪しまずにいられるほど、アインは利口じゃない。
「ここか」
「ち、違うよ!」
「よくわかんない! 私たち、ただふらふらしてただけだもん!」
「そっかー……ただふらふらしてただけなのかー……」
「そう! だからもう帰ってもいい?」
アインはもう十分だと思ったし、これ以上、木霊たちに無理強いするのも好まなかった。
窓を開けたアインは木霊の傍に行き、指先でやさしく彼女たちの頭を撫でた。
木霊たちはこそばゆそうに身をよじりながら羽を動かして、宙に浮くと、いつものようにアインの周りを何週かして、今度は彼の顔の前で止まる。
「じゃあね! 世界樹様!」
「またね! 世界樹様!」
「うん。じゃあまたね。セラさんにもよろしく言っといて」
木霊たちはびくっ、と身体を揺らしてから笑う。
たはは、と可愛らしくだった。
今度こそ飛び去って行った木霊たちをアインが見送った数分後、会議室の扉が開かれてクリスが戻った。
「あれ?」
木霊がいないことと、窓が開いていたことに気が付いたクリス。
「もう行っちゃったんですか?」
「うん。聞きたいことは聞けたから、あんまり詰問しても可哀そうだし」
「あらら……それで、大丈夫でした?」
アインは一瞬返答に詰まって、
「大丈夫だったよ」
笑みを浮かべて言った。
すると彼は、クリスを隣に呼んで地図を示す。
「ここにどんな展示があるかわかる?」
木霊たちがいつも向かっていた場所のことだった。
クリスはアインの隣で地図を覗き込み、「ええっと」と考え込む。
答えが見つかるまでは十数秒を要した。思い出した彼女がアインを見上げて、
「魔道具の魔力管理問題に関わる、新たな中心部材の発表とかだったと思います」
「それって確か……昔は海結晶が使われてた部分のことだよね」
最近では、海結晶以外の部材を用いた魔道具の存在も珍しくない。
昔のように一つの素材に頼りきりになる時代は終わっている。
(木霊が興味を示したはずがない。セラさんがその展示周りを見る必要があって足を運んでるはずなんだけど)
では、どうしてあのセラが該当の技術に興味を示したのか、だ。
例の銀髪の男との関係も忘れてはならないから、アインは深く考える。
しかし、答えはいくら考えてもわからなかった。
「明日、見に行ってみようかな」
なので一度、足を運んでみるべきだろう。
アインの明日の予定が、いまここで決まった。
――――――――――
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