シャノンに教わったある製法。

 そこが夢の中でのことだって、アインはすぐにわかった。

 空を見上げれば雲が全く動いていない。それなのに、海原は穏やかに動き、さざ波の音を奏でているのだから当然と言えば当然だ。

 こんな不思議な世界を生み出す者と言えば、心当たりは一人だけ。



「――――私は不服です。なぜかわかるかしら?」



 シャノンだ。

 夜、寝入ってからこの精神世界に呼び出されたアインはシャノンが言いたいことがわからなかった。

 古き時代のイシュタリカ……アインが紛いものでしかない過去の世界で多くを救い、そして作り上げた城のない王都がここだ。

 その、海沿いの海岸でシャノンが不満そうにアインを見ていた。



「ごめん。わからない」



 そう言えば、シャノンが笑みを浮かべながらだった。

 十数歩離れていたアインとの距離を淑やかな足取りで詰めてくれば、唐突にアインの前で腰をくの字に折って彼を見上げる。

 何をするのかと思っていると、伸ばした両手でアインの頬を優しく摘まんだ。



「なんで私には何も聞かないのよ!」



 と、言いたかったことはそれに尽きる。



「もしかして、ダークエルフのこと?」


「そう! ちょっとくらい私にも聞いてくれるかと思ってたのに、前に聞いてくれたっきりじゃない!」



 すねていたシャノンに「ごめん」と言えば、シャノンは「ふん」と珍しく子供っぽい言い方でアインの頬から手を放す。

 白い砂浜に、穏やかな波が押し寄せている。



「俺が作った肥料のことも知ってるんだよね?」


「ええ。あれで森は改善に向かうと思うわ」



 シャノンはそう言いながら砂浜にしゃがんで、白い砂をさらさら……っと掌で弄んだ。



「どのくらいで効果がわかるかな」


「一週間もすれば目に見えてわかるのではないかしら」


「え、そんな早い?」


「当然よ。アイン、あなた自分を誰だと思ってるの? 世界樹の素材を使った肥料なんだから、あっという間に決まってるわ」


「……過去に同じような肥料が存在したってこと?」


「そんなわけないでしょ。でも、そのくらいは予想できるってことよ」



 シャノンはシルビアと違った方向性ではあるものの、彼女もまた聡明で多くの叡智に富んでいる。

 過去、オズの手により暴走する前後で大陸イシュタルを何百年に渡って旅したことで、まさしく伝説ともいえる知識を多く蓄えてきた。それによる答えだった。



「そういえば、イシュタルの雫だったかしら」



 アインが生み出し、門外不出の品と定められた例の雫のことだ。

 とてつもない回復力を秘めたものであるため、易々と外に出すことで何らかの騒動を招きかねない。王族が独占するというよりは、いらぬ諍いを避けてのことだ。



 しかし、いざとなれば民にも使うことはあるかもしれない。

 どちらにせよ、アインたちが厳重に管理するべき品に違いはなかった。



「俺が作っちゃったやつのことか」


「ええ。あれがあれば、神樹もすぐに元気を取り戻すと思うわ。……もっとも、貴方たちが懸念してることもわかるから、すぐに使うのは早計でしょうけど」


「だねー……どうしようもなくなったら有りかも」


「それでも作る数は決めておいた方がいいわ。それに作ったとしても、使うことは秘密にね」


「――――で、作った分は必ず消費するとか?」



 しゃがんだまま、シャノンが頷く。

 彼女はアインを見上げると、「でもね」と指を伸ばした。



「アインが言ったことはもちろんそう。けど、やっぱり極力使わない方が良いと思う」



 やはり希少性からだ。

 だが、どうしようもなく使わなければとなってしまった際はどうしよう。それはシャノンも除外していない考えだった。

 しかしシャノンには考えがある。



「どうしても使わないと森が危ない、ってなったら別の方法を考えるしかないか」


「薄めて使えばいいじゃない」


「……そんなもん?」


「ええ。でも水で薄めろって言ってるわけじゃないわよ。ちゃんとそれに即した液体を用意して、アインが作った雫の効果を弱めればいいの」



 アインはシャノンの隣にしゃがんだ。

 するとシャノンは、アインの手を引いて砂浜に座らせてしまう。

 隣り合って座ったことに、シャノンは密かに微笑んだ。



「古くから薬を薄めるために使われた液体があるわ。その作り方を教えてあげる」



 アインはそこで、シルビアも知っているかもと一瞬思った。

 だけど、いまはシャノンが上機嫌に説明しようとしてくれてるのだから、わざわざいうことではない。アインは指先で砂浜に文字を綴り出したシャノンの横顔を見て、穏やかな笑みを浮かべた。



「必要な素材は城にあるはずよ。いまも昔も、ここに書いた素材は重宝されてるもの」


「精製するのはカティマさんに任せたらいいかな」


「そうね。製法だけ共有すればできると思う」


「うん? もしかして製法ってあまり知られてない?」


「素材はいまも重宝されてるけど、随分と昔の技術だもの。だけど古いからって心配はいらないわ。心配する必要があれば――――あの人もアインに教えるはずよ」



 あの人、というのはよそよそしく口にされた呼称ではない。

 ただ単に、シャノンにとってそうやすやすと口にすることに気が引けてしまうだけ。つまるところ、もう一人の知恵者・シルビアである。

 シルビアなら、何か間違いがあれば知らせてくれるはず。



 といったところで、まず製法だ。

 シャノンは製法も砂浜に書き綴りはじめる。一応、その文字を読むことはできたのだが、薬学の知識に明るくないアインには難しい。

 だがそれでも、シャノンの説明はわかりやすかった。

 アインが薬学に疎いことなど知っている。彼女なりにかみ砕いて説明していた。



(おおー……)



 意外というと失礼かもしれないが、シャノンは教えるのが上手かった。

 わからないはずの専門用語は一切使わることなく、古くからの製法を基に説明がつづく。



「でねでね、これは――――」



 シャノンは嬉々としていた。

 アインが相槌を打つたび楽しそうに頬を緩め、声を弾ませる。

 こうして話せることもそうだけど、シャノンは単純に、アインの力に慣れてると思うだけでそうした喜びに身を震わせる。



 やがて、数十分が経った頃。

 シャノンが製法の説明を終えた。



「どう?」



 問いかけたのは、アインが製法を理解したかどうかについて。



「……ごめん。もう一回お願いしていい?」



 当然、理解しきれるはずもなかった。

 元より薬学に疎いアインが一度説明されたところで、理解できることは限られる。

 もっとも、シャノンは教え方が上手でアインにわかりやすく話していたこともあって、一度でも理解度は高かった。



 それでもまだ、理解しきれていない。

 シャノンがそんなアインの返事に苛立つはずもなく、猶も微笑む。



「そ。じゃあもう一度教えてあげる」



 僅かにぶっきらぼうに言うも、その表情に入り混じった喜色は隠し切れない。

 まぁ、こんな時間も悪くない。

 この精神世界で過ごす時間はまたしばらくつづいた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 翌日、アインは今後どうなるかわからないにせよ、一度あの雫を薄めた品を作ってみるのも悪くないと思っていた。

 地下にあるシャノンの研究室に行き、そこでカティマに製法を伝えた。



「どこでこんな製法を聞いてきたのニャ?」



 カティマに尋ねられたアインはそっぽを向いてごまかした。

 するとカティマは「……やれやれニャ」とあまり追及する気がないのか、あるいは追及してもアインが答えることはないと思って諦めたのか、いずれにせよつづきは尋ねなかった。



「また随分と古い製法みたいだニャー」


「どうしてそう思うの?」


「聞けばわかるニャ。遥か昔に使われてた技術ばかりだしニャ」


「へぇー……そういうもんなんだ」


「……ニャーんで私に教えたアイン自身が首を捻るのかニャ。やれやれ」



 そう言うと、カティマは準備に取り掛かった。

 必要とされている素材はすべてこの地下研究室にある。古き時代に使われていた道具はないが、その代わりに、いまではより精度が増した機材がいくつも揃っている。これで作れない理由はなかった

 カティマに疑問は残るが、彼女はやはりその疑問を問いかけようとは思わなかった。



 ――――そこへ、シルビアが足を運んだ。

 今日も今日とて漆黒のローブに身を包んだ艶女が黒髪を揺らして現れると、カティマがしている支度を見て何かに気が付いた。



「珍しいものを作ろうとしてるのね」


「そうなのですニャ。アインがどこで仕入れたのかわかりませんが、この前の雫を薄めるための溶液を作れるみたいで……いざとなったら、それを使うことも視野に入れるってことみたいですニャ」


「ふぅん、アイン君が……」



 話し終えたカティマは支度に戻ってしまう。

 一方、シルビアはアインの隣にやってくると、



「珍しい知識を聞いてきたのね」



 とだけ意味深に言って、それ以上の言葉を口にすることはなかった。

 思い返せば以前、シャノンはシルビアたちはもう自分の存在に気が付いているはずと言っていた。

 現在、シルビアたちがシャノンをどう考えているかは不明だし、それを尋ねるようなことはいくらアインでもするきになれない。



 だけどシルビアの表情からは、憎悪らしい憎悪は感じられなかった。



――――――――――



 本業に加え、別作品の作業もあり短めで申し訳ありません……。

 また宣伝で恐れ入りますが、明日、コミックス最新刊が発売となります。今回はイスト編となりまして、原作書籍版準拠で進む、web版にはないお話が繰り広げられます。


 是非、コミックス版もお手に取っていただけますと幸いです。

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