ゆりかご。

 すみません。9巻の作業があり、更新が遅れてしまいました……。

 また、9巻は6月10日発売予定となっておりますので、またカバーイラスト等が発表となりましたら、告知して参りたいと思います!




◇ ◇ ◇ ◇




 シュトロムにはアインが使っていた屋敷が今も尚残されている。



 わざわざ取り壊す必要がないのもそうだが、単にここを、アインの別邸として扱うという案があったからだ。一度は領主の屋敷として開放する話も出たものの、使っていた者がアインとあって、後任となったものが辞したそう。



 ――――そんなアインの別邸の窓から。



「マジョリカさん。避難誘導は順調なようです」



 クリスが外の様子を眺めながら、後方のソファに座るマジョリカに言った。



「はいはーい。こっちも準備できたわよん」


「では、そろそろ行きましょうか」


「そうねぇ。さっさと片付けてしまいましょっか」



 二人は全身を戦闘用の装備に身を包んでいた。クリスに至っては護衛任務であるものの、任務の内容がそれほど難しいものでなかったため、特別な装備を身に着けていたわけではない。

 だが、こういうときのために、この別邸に予備の装備を置いていた。



「問題はガルムよねー。来ちゃったらどうしようかしら」


「一応、なるべく各個撃破を狙う予定です」


「あらあら……大丈夫かしら――――って、愚問ね。クリスはただの冒険者じゃないもの」


「はい。こういう時のために剣を磨いてきましたから」



 たとえ一流の冒険者であっても彼女には比肩できない。

 大国イシュタリカの頂から一つ下、ロイドに僅かに劣るぐらいのクリスなら、話に聞くガルムが相手でも問題なかった。



「ちなみに同時に襲われたら?」


「……まずいかもしれないですね」


「ちょ、ちょっと!? どうするつもりなのよ!? 低能な魔物ならいざ知らず、あれぐらいご立派になると連携ぐらいとるでしょ!?」


「あははっ……そうならないために誘導しなきゃいけません。この町にも魔導兵器はありますし、何も考えてないわけじゃありませんよ」


「そりゃそうでしょうけど……はぁ、やるしかないのねぇ」



 気になるのは、海沿いの地形に現れた巨大な水晶の塔だ。

 あれにはクリスも、マジョリカにも覚えがある。あれは以前、セレスティーナが現れた際に神隠しのダンジョンに生じ大変と酷似していた。

 それ故、平時と同じ判断をしていいものか迷ってしまう部分もある。



 幸い、ここシュトロムは王都からそう遠くないこともあり物資は潤沢で、住民が避難するための場所も、経路も満足できる数がある。



 しかも冒険者たちも多くいた。

 このシュトロムは将来的に、全ての大都市へ通じる都市となるべく作られていた側面もあり、今現在でも多くの冒険者が水列車を用い、あるいは水列車に乗るために足を運んでいた。



 こうした多くの理由があり、数多くのネームドを含む襲来に耐えられていた。



「王都からの応援が届くまでの辛抱ね」



 マジョリカの言葉にクリスも頷いた、その時のことである。



「いいえ。今回の襲撃に限って言えば、そう簡単にはいかないようです」



 二人が身支度をしていたこの部屋にやって来たのは、アインと共に居たはずのマルコだった。

 ――――いつもと違い、今日の彼が着た燕尾服はところどころ魔物の体液で汚れている。



「マルコ!? どうしてここにいるんですか!?」


「アイン様とご相談の上、密かにクリス様のお傍におりました。ご報告が遅れたのは、シュトロム近郊の様子を確認してきたからでございます」


「…………内緒で色々やっていたみたいですが、今回は助かりました。それで、マルコは外の様子を見てきたと言ってましたが」



 マルコはクリスの傍に近づいて、膝を折る。



「――――現在、このシュトロムは外部へ逃げ出すことは不可能と言っても過言ではありません」


「何があったの?」


「第一陣、第二陣の避難民が水列車などを用いてシュトロムを脱して以来、周囲が今までにない魔物の大軍に包囲されておりました」



 当たり前のことだが、クリスは民を避難させる前に周囲の状況を確認している。だから陸路から避難することを是として行動していたのだが、民の多くが避難して間もなく、状況は一変したのだとマルコは言う。



「では、残る民は屋敷の周囲に避難してもらいます」



 クリスは少しも慌てず、むしろ予想していた風に言った。

 横顔は凛として、微塵も迷いを感じない。



「クリス、貴女もしかして……」


「万が一があるかもしれないと思っていました。だから騎士たちにも、いざとなったら屋敷の周囲に避難誘導をする様にって言ってあります」



 屋敷の周囲は数多くの魔導兵器に加え、騎士や依頼を受けた冒険者が集っている。今の話から数分としないうちに、騎士や冒険者に護衛されて多くの民が足を運んできた。



「我々がすることは変わりません。すぐに飛行船もやってくるはずですし、魔物を討伐して民を守るだけです」


「マジョリカ殿もご安心くださいませ。アイン様より数体のマンイーターを預かっておりますから、戦力は申し分ありません」


「あらあら……愛されてるわねぇ……クリスィーナさんってば」


「ッ~~きゅ、急になんですか!? 一言も好きって言われたことのない私を煽ってるんですか!?」


「はい? まだ言われてないの? もう、傍から見たら二人とも――――」「もう知りませんっ! ほら! 早く行きますよ!」



 大股で歩き出したクリスを見るマジョリカは何度目か分からない溜息を漏らし、その目をクリスからマルコへ向ける。

 立ち上がり彼に近づいて。



「さすがに一言ぐらい殿下に言った方がいいんじゃないの?」


「大丈夫ですよ。お二人は我らが口を出さなければならないほど悲観する状況ではございません。それに――――」


「それに、なによ?」



 昔からクリスを知るマジョリカがきつめの口調で尋ねた。

 でも、マルコは安心していいと言う。

 先に歩いて行ってしまったクリスを追って屋敷を出て、水晶の塔を見上げる彼女の傍に近づきながら。



「間もなくでしょうからね」



 こう口にして、何かしらの明言は避けたのだ。

 すると、マジョリカは複雑な感情を抱きながら、アインという男の性格や人となりを考えだす。



 彼のことだ。期待を裏切ることはないはずだ……と結論付けたのは間もなくだ。



「じゃあ待つことにするわ。今は魔物の大軍を相手にしないといけないものね」


「仰る通りです。我らは疾くこのシュトロムを――――」



 マルコは言いかけたところで口を閉じ、水晶の塔を見上げた。隣にいるマジョリカも、そして先にここに来ていたクリスもそうだ。

 ………三人の目は、水晶の塔の側部を駆けあがる三本の光を見た。



 あれはきっと、ガルムが水晶の塔を駆けあがって行くことで生じた光だろう。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 同じ頃、アインは村を離れて山道を進み終えたところだ。

 ロランはこの時、はじめての経験をした。農民や漁師が朝袋に詰めた荷物を肩に乗せるかのように、自分もアインに担がれて山の中を進むという、なんとも貴重な経験だった。



 さて。

 ――――やってきた研究所は、アインが思う十数倍は大きな空間だった。



 これまで見たことのある一番大きな研究所と言えば、バードランドにある大闘技場の地下に造られた、黄金航路が保有していた研究所である。



 アインはその規模を想像していたのだが、ここは先ほど思ったように十数倍。

 周囲は辺りの山地を丸ごとくりぬいたような形をしており、たとえばイシュタリカ一大きな建造物である王城を収めたところで、まだ余裕があるほど広大だ。



「あ、あれがバハムートだよ……っ!」



 ロランが指さしたのはこの巨大な研究所の中央部。

 そこに鎮座する、叡智の結晶。



「あんなに大きいのに……まだ未完成なのか……」



 ディルが思わず呆気にとられ、自然と驚きの声を漏らした。

 隣でアインも驚き言葉を失っていると、ロランが歩きながら口を開く。



「黒龍艦バハムート。直径は王城の敷地面積よりはるかに大きくて、全高も数倍はくだらない巨大戦艦だ」



 彼の後ろをアインとディルの二人が追う。



「見ての通り、従来の船や飛行船とは姿かたちが全く違うんだ」



 全貌は設計図にあったように、傘のような外観。

 はたまた、法衣を羽織った神官のように神秘的であり、身体を覆うように翼が円状に備え付けられた漆黒の体躯を誇る。



 研究所の外枠から伸びた数えきれない管は光る液体を止めどなく流し込んでいて、バハムートの忠心部へ絶え間なく魔力を供給している。



 ――――機神。



 ロランによる発明の一つで、巨大なバハムートの心臓部である。

 今となっては組み込まれているから姿が見えないが、その外観は人間の心臓に酷似して、幾本もの管をバハムートの全身へ伸ばした、まさに核。



 しかしながら、バハムートはまだ未完成も未完成。

 実のところ、専用の兵器は数える程度しか搭載されていないのが実情だ。



「操縦はボクがするよ。――――というか、実はまだボク意外に満足な操縦が出来る人が居ないんだよね」


「やっぱり難しいんだ」


「んー…………難しいというか、安全性の面かな」


「ってことは、兵器の力が強すぎるからってとこかな」


「そういうこと。見えるかな、ほら、上部から下に向けて伸びた翼の上に、紋様が描かれてるんだけど」



 遠目でも良く分かる。確かに、ロランが言った紋様がすべての翼に刻まれていた。



「あれは制御装置の一つを担ってるんだ。つまり、翼自体も兵器ってことになる。――――使う機会がないことを祈ってるけど、もしそうなったらお披露目できると思う」


「……分かった。とりあえず俺としては、早く移動できるなら十分だよ」


「あ、それなら安心して。計算上、リヴァイアサンの数倍は早いはずだからね」



 三人の足は研究所の中央部、下から上へ何層にも重なる階層を昇降機で上るために止まる。

 全面ガラス張りの昇降機に乗り込むと、バハムートへ乗り込むための入り口がある高さまで徐々に近づいていく。



(研究所って言うより、ドックだな)



 やがて、昇降機が止まり三人が降りた階層で、何人もの研究者が近づいてきた。

 皆、アインを見て驚いていたが、すぐにロランが口を開いて皆を更に驚かせる。



「離陸準備に取り掛かってください」



 研究員たちは利口――――と言っては上から目線だが、理解が早かった。ここにアインが居ることに加え、近隣の村や町が襲撃を受けたという話を踏まえ、すぐに切迫した状況であることを理解したのだ。



 彼らは一斉に動き出すと、ガラス張りの壁の傍に並べられた魔道具に駆け寄り、アイン達には分からぬ複雑な操作に取り掛かる。



「実は離陸させるのってはじめてなんだよね」


「ええ……すっごい笑って言うじゃん」


「あははっ! 大丈夫大丈夫! 今も少し地面から浮いてるでしょ? それがもっと高くなるってだけだし、心配ないよ~!」



 ロランが言うのならそうだろうが、不案内なアインからすれば笑みが引き攣るのが止められない。

 だがこうしている間にも、離陸の準備は滞りなく進んでいたようで――――。

 繋げられた管が一本、また一本と外れていき、管の中に残されていた液体が僅かに宙を舞い、最下層の床を濡らしていく。



「機神の様子はどうですか?」


「問題ありません!」


「すでに内部機関を通じて全体へ魔力供給が進んでおります! 離陸体勢に移れるまで、あと一分もあれば問題ありません!」


「良かった。無事にどうにかなりそうですね」



 バハムートの行動が僅かに上がる。それは数メートル程度のものだったが、縦長の体躯に纏う法衣のような翼を揺らし、煌めく魔力の粒を翼から漂わせる。

 幻想的な姿はまるで、ダイヤモンドダストを纏う佳人のよう。



 つづけて、りぃん……りぃん……と、鈴を思わせる音が鳴りだした。

 聞こえたのはバハムートの内側の方からで、アイン目掛け、母乳をねだる赤子のように音を響かせたのである。



「アイン君。もうそろそろだから、タラップの方に行こう」


「あ、ああ……りょーかい」



 ………赤ん坊だから起こしてあげてほしい。

 ロランが言った言葉が、アインの頭の中で思い出された。




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