ひと段落して。

「ごめんなさい。無理だと思う」


「――――だよね」



 部屋に戻り、大浴場でのやり取り通りクローネに肩をもんでもらっていたアインだったが、神隠しのダンジョン付近へどうにかしていけないかと相談したところ、困ったように言われてしまった。

 そりゃ、無理だろう。

 ここ最近の出来事もそうだし、度々、あれほど遠くに行く許可が下りるはずがなかった。



「そもそも、アインはどうしてあの場所に行きたいの?」


「――――」


「あー、その顔! また何か隠してるのね!」


「違うってば。隠してるんじゃなくて、どう説明しようか迷ってるだけ」


「本当に? アインが即答できないときって、私が知らないところで大変なことになってることがあるし…………」



 でも、彼女は微笑んだ。



「いつかちゃんと教えくれないとダメなんだからね」


「あ、あれ?」


「なーに? 私が無理に聞かないから驚いてるの?」



 図星を突かれたアインは思わず「うっ」と声を漏らした。

 ソファの背から肩をもんでいたクローネはそれを受けて目を細め、隠し事が出来ない許嫁にじゃれつきたくなった。身体をほぐすために使われていた手を放し、アインの首から手をまわして抱き着いてしまう。



 別に長い間別行動をしていたわけではないし、寂しく思うには早すぎる。

 だからこれは、自分がただ甘えたかったということにして。



 アインは顔の横から漂う自分のとは違う石鹸の香りに息が漏れた。僅かに残されていた心身の疲れが何処かへ消え去って、身体中が心地良い気だるさに包み込まれる。

 甘えているクローネも同じようで、そのままの体勢でアインの首元に押し付けた顔を左右にこすりつけていた。



「こうしてるとすぐに眠くなるの」


「ここで寝てく?」


「…………うん。そうする」


「ん、りょーかい」



 互いに催した眠気に逆らわない。

 立ち上がって就寝の支度をしないのは、心地良い気だるさに勝てないからだ。

 ずっとこうしてはいられないのだが、どうしたものか。



「あの――――ううん、何でもない」


「どうかした?」


「い、いいの! ほんとに何でもないから!」


「言ってみなって。どうしたのさ」


「大したことじゃなくて…………その…………」



 クローネが言い淀むのも珍しい。

 これは是が非でも聞きたくなった。



「言うだけ言ってみてよ」


「…………」


「俺しか聞いてないんだし、気にしなくでいいと思うよ」



 諦めずに追及すると、遂に。



「…………こ、このままアインが立ったら! おんぶしてもらえるかもって思っただけなのっ!」


「へ?」


「だから! 私がアインに抱き着いたままアインが立ったら、私はアインの背中にいるまま寝室までいけるかもって思っただけ! 本当にそれだけなんだから!」


「――――頭いいね」


「もう! ちょっと考えただけなの! 別に本気なわけじゃないんだからね!」



 そんな照れなくてもいいのに。

 笑ったアインの横顔に対し、クローネは唇を尖らせ、頬を赤らめながら言い繕っていたい。

 彼女は自分でも珍しいことを言った自覚があるのだろう。

 恥ずかしさが鳴りを潜める気配はなかった。



「せっかくだし」


「………なに?」


「いや、試してみようかなって」



 たかがこのぐらい、と言っては乱暴だけど、アインもアインで楽しそうに感じていた。だからクローネの返事を待つことなく立ち上がり――――勿論、その際に彼女の身体を支えることを忘れずに立ち上がり、思惑通りおんぶの体勢へ。

 彼女は少しの間驚いていて、口を閉じて呆然としていた。アインはそれを、単に急なことで驚かせたと思っていたのだが、実際はそうではなくて。



 やがて、照れくささに負けたクローネがアインの首筋にもう一度首を埋めたところで、呆然としていた理由が明らかになる。

 ちょっとずつ、彼女の身体が暖かくなっていくのを感じる。

 同時に呼吸も落ち着いていき、身体がとろんと重くなっていた。



「あのさ」


「い、言わないで!」


「いいや、聞いておかないと気が済まない」


「ッ――――だったら、返事はしてあげないからね」


「首を縦か横に振ってくれたらいいよ」


「いじわる」


「たまにはいいじゃん。――――で、意外と悪くなかったりする?」



 クローネが頷いた。間を置くことなく。



 それで恥ずかしさの境地に至る。

 何せこの態勢、親兄弟におぶさってもらっているが如きそれであり、どこをどう見ても次期国王と次期王妃の姿ではない。

 加えて、幼子が甘えているような姿が羞恥心を誘って止まない。

 更に更に、その甘美に抗えていないことに対しても、思うところがあるわけだ。



「むぅっ!」



 ふと、首筋に噛みつかれた。

 甘噛みだから痛くないが、確かに噛みつかれたのだった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 ディルはアインと共に王都へ帰還した後に、人寄らずの幽谷にとんぼ返りしていた。

 主な仕事は王太子の護衛であるものの、近衛騎士団をはじめとして、ロイドの下で多くの仕事を学んでいた彼には、他の仕事もあるからだ。



 幸い、今はアインが木の根で作り出した道の他にも空気中の魔力が落ち着いたこともあって、大山まで飛行船で行くことが可能。

 戻った彼に騎士たちが声を掛ける中、向かった先は大山の大穴だ。



「進捗はどうかな」



 中で仕事をしていたロランの下に行き、声を掛けた。



「順調です。あとは飛行船で何度か運ぶ予定ですよ」


「それは何より。陛下も応援なさっていたぞ」


「――――光栄です」



 すると、二人の下へ。



「おお? ディル護衛官がいらっしゃるのか」



 現れたのはバッツだった。

 いつもと違い騎士服と装備に身を包んでいる彼は、学生当時の幼さはなく、毅然とした姿で足を運んだ。



「バッツってさ」


「ん、なんだ?」


「ディル先輩って言ったり、ディル護衛官って言ったり、割と一貫性がないよね」


「ほっとけ。俺なりに場をわきまえているつもりなんだよ」



 二人のやり取りを聞いてディルが笑って言う。



「あまりにも気になる呼び方なら問題だが、私はどちらでも構わない。アイン様の呼び方さえ気を付けて貰えればね」



 別に友人同士のやり取りを止めろと言うわけではない。今の指摘も二人なら問題ないと確信しての半ば冗談のものだ。



「バッツ君はアイン様と何か話されたかい?」


「いえ。ディル先輩、、に伝えていた通り、アインには秘密で参加してたんで」


「交友を深めることに問題はないと思うが…………」


「友人として任務に参加したわけじゃないですし。それにアインもアインで、色々忙しかったのは見てて分かってたんで。ま、王都に帰ってからまた飯にでも誘ってみますよ!」


「ああ、アイン様も楽しみにしておられるだろう」



 軽めのやり取りを交わしてから、ディルは木箱に梱包された素材の山を見た。これらは後で飛行船へ運び込まれる予定た。もう数十分としないうちに大型の魔道具を用いて大穴の上へ運ばれていくだろう。



「私が居ない間に何かあったかい?」


「俺のところの部隊長が魔物の動向を追うと言ってました。それと、アーシェ様が甘味を召し上がっていたので、幾人かの騎士たちがお代わりが足りないと言っていたぐらいです」


「前者は指示通りで助かる。後者については、シルビア様から必要以上の甘味をお渡しするのは止めてくれと言われている」


「あ、あー…………」


「目の前にあれば際限なく召し上がってしまわれるそうだ」


「ボクも驚きました。あんなに接しやすいお方だったんですね」


「アーシェ様はお優しいお方だ。少なくとも、自ら戦争を引き起こすようなお人柄ではない」



 バッツもロランも深々と頷いで口を噤んだ。

 想うところがあるのではなく、相応しい言葉が見つからなかったのだ。三人が次に口を開くのは互いの顔を見て肩をすくめ、軽く笑みを交わしてからだ。



「半年ぐらいでいけそうだなー」



 前置きなしに漏れたロランの独り言。



「半年というのはなんのことかな」


「バハムートの第一期計画を終了できるかなって思ったんです。あ! 第一期計画さえ出来てしまえば、後はもうずっと浮遊させておけるので楽になりますよ!」


「す、すまない。私にはその第一期計画とやらが良く分からないのだが」


「黒龍艦バハムートは大きさが大きさなので、長期で建造される計画なんです。全体を通して二十年で完成する予定ですよ」



 すると、腕を組んで小首を傾げていたバッツが尋ねる。



「あのよ、浮いてるとなんで楽なんだ?」


「作業領域が広がるからだよ。いずれ、第二期からの作業は全部空中で行われる予定なんだ」


「お、おう?」


「全体に足場とか空中拠点を作ることになるよ。たとえば一つの民家ほどもある部品とかは、何隻かの飛行船で一緒に運んで取り付けることもあると思う」


「なんか面倒だな。最初に付けちゃえばいいじゃねえか」


「どうしてもバハムートが大きすぎるからね。素材の特性もあるから、空中でしちゃった方が楽なことが多くて」


「ほー。俺には良く分からねえが、ロランが言うならそうなんだろうな!」



 それにしても、あと半年。

 ディルもバハムートの完成予想図を目にしたことはある。だから三期に分けての計画と言われるとしっくりきた。

 計画からしばらく時間は過ぎているものの、随分と進捗がいい。

 このロランと言う少年の手腕が、それだけすごいのだろう。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 およそ一週間の日々が過ぎた。

 盛夏の暑さは収まることを知らず、強烈な陽光が燦々と降り注ぐ。

 ヴィゼルたちの動向は今でも追われていたが、アインらの下に有益な情報は届いていなかった。



(暑い)



 額と首筋に浮かぶ汗は留まることを知らない。だというのに外に居たのは、アインが海路を渡って届けられた素材を確認しにきていたからだ。



「うわぁー…………おっきいねー!」



 隣ではロランが巨大な船を見上げて笑っている。

 今、王都の港には何隻もの巨大な輸送船が並んでいた。そして、全ての輸送船の上に積まれているのは、シュゼイドに現れた海龍の素材を加工したものである。



「すごいよ! こんなに大きな海龍を倒したアイン君はもっとすごいね!」


「俺一人じゃなかったけどね」



 小さな声でアインが言った。



「あれ、何か言った?」


「何でもないよ。ってか、素材が馬鹿みたいに運ばれてきてるけどさ、これ全部、バハムートに使われるの?」


「そうだよ? あと数日もしたら別のところで作ってる部材も届くと思う」


「――――全部? ほんとに?」


「もっちろん! 待っててね! 来年のはじめには宙に浮かべるかられるから!」



 嘘を吐くとは思っていなかったが、この様子では本当に完成予想図通りの巨大な戦艦が出来上がりそうだ。

 確か、と。

 アインはその完成予想図を思い返す。



 全体は傘のように縦長で、全方位に設けられた羽が斜め下に伸びるそうだ。

 自慢の体躯はリヴァイアサンより数倍も大きく、真夜中の空よりも黒く染まるらしい。色合いは黒龍の鱗を思い返せば良く分かる。



「危なくない?」


「えっと、何がかな?」


「バハムートが強すぎることがかな」


「平気平気! だって、アイン君が居ないと機関部の操作が出来ないし」


「――――んん!?」


「実際危ないしね。考えたくないけど、乗組員がバハムートを使って反旗を翻すことも想定してる。だからバハムートに関しては、アイン君の特別な許可がないと攻撃が出来ないんだ」



 一応、乗組員が使える兵器も搭載されるそうだが、従来の戦艦と同じ程度に出力を抑えているという。



「ちなみに、特別な許可っていうのは」


「アイン君が自発的に流した魔力で判断できるようになってるよ。緊急時に攻撃する方法もあるけど、すっごくすっごく複雑な手順を踏まないといけないし、僕とかカティマ様みたいな人が持つ魔道具がないと最終許可が下りないんだ」


「すげえ便利だ」



 技術的なことなどは尋ねない。どうせ聞いても分からないのだ。



「むむっ、こうしちゃいられないな……………ごめん! ボクもちょっと行ってくる! 素材を自分の目でも確認したいんだ!」


「りょーかい。タラップから落ちないようにね」


「分かってるって! 三か月前から一度も落ちてないんだから安心してよ!」


「――――ダメじゃん」



 せめて怪我をしないように。逞しい知識欲を止める言葉は思いつかないし言わないけれど、何にせよ無事でいてくれと祈るばかり。

 さて、アインはこうしてロランと別れると。

 振り向いて、近くで控えていたクリスの傍に向かっていった。



 最近では騎士服のクリスを見ることも少なくなった。

 今日の服装だって、白いブラウスが爽やかな夏の装いだ。



「行こっか」


「はい! ちゃんと場所を下見してます!」


「ほんとに? 迷ったりしない?」


「さ、さすがに王都で迷ったことはここ数年ありません!」


(その前はあったのか…………)



 何となく可愛く思えて手が伸びた。

 金糸の髪はシルクのように触り心地が良い。軽くぽん、ぽんと撫でてから、アインは彼女を伴って港の一角を歩き出す。



「あ、ほらほら! あっちですよ!」



 すぐにクリスの手が伸びて、残る一方の腕でアインの二の腕を掴みながら楽しそうに言った。その先には、彼女のブラウスや肌に劣らぬ真っ白な壁が広がる店が一件。

 店先に立つ、浅黒い肌の筋肉質な男が二人に気が付いた。



「待ってたぜ」




 彼はニカッと白い歯を露出させると。

 贅肉一つない逞しい腕を上げ、親指を立てて店を指し示す。



「さっきの輸送船に乗せてもらってきたんだ。実はちょくちょく来て店の支度もしてたんだけどよ。やっと、しばらくこっちに居られる余裕が出来たってわけだ」



 彼が扉を開けると、中から小さな少女が現れる。

 その子は慌てて店を出ると、アインとクリスの前まで駆け寄った。



「王太子殿下様、お姉ちゃん様。お父さんのお店にようこそ」



 ――――と。

 以前より慣れた表情で店主ラジードの娘であるミウが現れて、二人のことを歓迎したのだった。

 クリスはお姉ちゃんの後に様とついていたことに苦笑していたが。



「お久しぶりですね。ミウちゃん」



 こう口にして、小さなミウの頭を優しく撫でた。



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