アフターⅢ 深海の花嫁
深い場所で。
遡ること、およそひと月前のことである。
光りの届かぬ遥か深海。
そこに、小さな横穴があった。
しかしそこは海底洞窟などではなく、よく見ると、生物の頭蓋骨であることにすぐ気が付くことができるだろう。
中に入ると、星々の煌めきに似た光が降り注がれる。
下あごには海流に乗り降り積もった砂によって小さな砂浜が作られているが、それに加えて、内部を満たす空気によって、一見すれば神秘的な光景であった。
――――その秘境へと、唐突に現れた一頭の魔物。
魔物は頭蓋骨の下あごから現れて、残されていた鋭利な牙に掴んで浮上してきた。
『ガッ……アァ!』
下半身は海の魔物のそれで、上半身は黄金の獅子。
つい最近、ロックダム以南の沖に現れた魔物だ。
「…………誰?」
鈴を転がしたような少女の声。
魔物は――――ヴァファールは声の主が何処にいるのかすぐに気が付いた。目を凝らすと、頭蓋骨の奥に見えた巨大な魔石……声の主はその近くに座っていた。
すると、ヴァファールはその姿を見た刹那に身体を震わせる。
少女の姿に何か異質的な物を感じたわけではない。
何故なら特に変なことはなかったからだ。
彼女はただゴシック調のドレスを身に纏っているだけで、この空間とのちぐはぐさに違和感を覚える程度だった。
だというのに、ヴァファールは確かに畏怖していた。
それはきっと、少女から漂ってくる異質な魔力のせいだろう。
彼女が歩き出した途端、思わず引き下がってしまったほどなのだ。
――――すると、そこで。
ヴァファールに遅れて現れた、小さな金属製の船。それはヴァファールと鎖でつながれていて、一見すると、ここに連れてくるために引かせられていたように見えた。
少女が眉をひそめて眺めていると、船の扉が開かれる。
「やぁ、こんにちは」
現れたのは絹糸のような銀髪を靡かせた美丈夫だ。
「…………どうして貴方がこんなところに」
「そう殺気立たないでくれるかな、私は話をしに来ただけなんだ」
「嘘、こんな辺境にそれだけの理由でくるはずがない」
ここで少女が腕を伸ばした。
漆黒の波動が辺りをまばたき一回の瞬間だけ波及したと思いきや、次の瞬間にはヴァファールがこと切れて斃れてしまう。
「答えないのなら、相手をするつもりは無い」
「やれやれ、どうしてこうなってしまうんだい。私は常々疑問に感じているよ、
崩れない余裕のある態度を前に、少女が更に身構えた。
「話を聞いてくれるかい?」
「…………」
「何も言わないのなら、是と取るよ」
銀髪の男は涼し気な笑みを浮かべ、少女の方へ進んでいく。
一歩、そしてもう一歩と近づくにつれて、少女は更に警戒した。
けれども、銀髪の男は歩みを止めない。
やがて足が止まったのは彼我の距離が数メートル、頭蓋骨に埋まった魔石までぐっと近づいたときであった。
「人を探しているんだ」
「探してる……?」
「そう、私は人を探しているんだ。裁かれるべき、とある女性のことをね」
「――――私だと言いたいの?」
「いいや、君じゃない。私は君のようなネクロマンサーと事を構えるつもりで足を運んだわけではないし、
少女の額を汗が伝う。
ぞわっと不快に靡いたスカートは魔力を帯びて、いつでも戦えるように構えていた。
されどこの緊張感は如何ともしがたい。
「それにしても」
銀髪の男が不意に頭上の魔石を見上げた。
「これほど巨大な水龍は珍しい。生前はそれはもういい環境に居たのだろう。飼い主は君ではなさそうだけど、この水龍を飼っていた者が愛情を注いでいたのが良く分かる」
するとここで、銀髪の男の腕に黄金色の魔力が漂いだした。
「話がそれてしまったね」
「…………脅しのつもり?」
「脅し? いったい何が脅しだと?」
「この子に手を出そうとしてるのなら、私は貴方と戦う」
「ネクロマンサー独特の考えは嫌いじゃない。君がこの水龍を好んでいることは良く分かったよ。でも安心してほしい、僕は君と敵対するつもりはないって言っただろう?」
そう言って、屈託のない笑みを浮かべた。
対照的に少女の緊張はほぐれず、伝う汗が増すばかり。
「何を聞きたいの」
「協力してくれるようで嬉しいよ。――――それで、探し人のことだけど」
語りだすと同時にヴァファールが水中に沈んでいく。
大きな水飛沫と共に音がなり、二人の声がかき消された。
「私は知らない、生者に興味はないから」
「――――そうかい、それは残念だ」
「他に用がないのなら消えて。私は貴方を歓迎するつもりは無い」
「悲しいことだが、では立ち去るとしよう」
簡単に諦めてしまった銀髪の男が踵を返し、歩き出す。
だが。
「そういえば」
と、歩きながら。
「その水龍は別だとしても、子孫が暴れたという歴史があるそうだね。この国のことを調べていたとき、気になる記述がいくつもあった」
「だから何だって言うの。この子がしたわけじゃない」
「親の責任は子に――――っていう考えは僕も短絡的で好まない。だとしても、少しも責任を取らずに死後の安寧を得るのはどうだろうね。その子も贖罪の機会を欲しているかもしれないとは思わないかい?」
「ッ――――この子の眠りを妨げるつもり?」
「冗談だよ、気にしないでくれ」
そして、銀髪の男は海面に足を踏み入れた。
まるで階段を降りるように悠々と、あっという間に立ち去ってしまう。対照的に残された少女は呼吸を整え、落ち着いたところで魔石の近くに戻って行った。
ふわっと浮いて、魔石に身体を寄せて目を閉じる。
「大丈夫、私が守るから」
彼女の穏やかで優しい声が頭蓋骨の中に反響した。母が子をあやすように、でも恋人を癒すような愛情に満ちた声だった。
やがて少女は眠りにつく。
……魔石の中に密かに宿っていた、黄金の魔力に気が付かぬままに。
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