燦燦と輝く陽光の下で。

 何日か過ぎて、王都を発った頃。

 海を進む海龍艦、リヴァイアサン内部にて。

 王都を立って数時間が過ぎ、窓の外には茜色の海原が広がっていた。あと少しで夕食の時間と言ったところで、クリスの部屋にカティマが足を運んでいた。



「頼まれていたブツ、、だニャ」



 やってきてすぐに手渡したのは、軽いモノが入った紙袋だ。

 受け取ったクリスは頬を赤らめながらも、先ほどのカティマの言葉に異を唱える。



「あの……そんなに大げさな物は頼んでませんよね」


「クリスが来たら大げさかもしれないからニャ」


「ど、どうして私の胸元を見るんですか!?」


「使うブツがブツだからに決まってるのニャ。何か文句あるのかニャ?」



 シャツを押し上げる胸元に両腕を伸ばし、隠すように覆った彼女を見て笑い、満足した様子で踵を返すカティマ。



「念願かなって距離が近づいてきたんニャから、もっと甘えてみればいいのにニャ……やれやれ」


「こここ、これでも頑張ってるんです!」


「知ったうえで言ってるのニャ。やれやれ……私の甥っ子もあんな性格ニャから分かるけど、何はともあれ、こういう機会は大事にすると良いと思うのニャ」



 彼女は最後にそう言って、クリスの部屋を後にした。

 残されたクリスは紙袋を胸元に抱くと、窓の傍にある椅子に近づく。

 風呂を開けて中から出てきたブツを見て、焦りに胸を高鳴らせる。



「頼んでいたモノより生地が少ないような――――き、気のせいですよね……」



 自信を勇気づけるように言うと、もう一度息を吐いた。

 けれど、思っていたよりも緊張していない自分にも気が付いて、頬にも自然と笑みが浮かんだ。



 そして……。

 楽しみな感情だって心に宿りはじめる。



「いつもより、頑張ってみようかな」



 既にいつも見ている海原と違う様相を醸し出した景色を眺め、クリスは窓枠に頬杖をついてじっと眺めた。

 心の中ではすでに、この先の海でのことだけが、存在を強く主張していたのだった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 海龍艦リヴァイアサンが孤島に到着したのは翌朝だ。

 周囲には幾つもの島々。諸島、というには規模が小さいが、王都近くではあまり目にしたことのない景色が広がっていた。



「南の島だ……」



 沖で乗り換えた小船が砂浜に停まり、降り立ったアインが開口一番こう言った。

 砂浜にはしな垂れた葉の根元に、大きな果実を実らせた木々が何本か生える。島の中央に進むにつれ、鬱蒼とした景色が広がるが、青々とした草花が、色とりどりの大輪の花を掲げていた。



 振り向くと、沖に停泊したリヴァイアサンの姿がある。

 巨躯を誇るリヴァイアサンは近くまで来れなくて、小船に乗って来たのがその理由だった。



「さて、仕事の時間なのニャ」


「……何その恰好、それと眼鏡」


「イかしてるニャろ?」


「微妙なところだと思うよ」



 妙に陽気な柄のシャツを悠々と着こなすカティマの目元には、これまた妙に似合っている色眼鏡……サングラスと言うべきだろうか。

 似合ってはいるのだが、不思議と胡散臭い。

 そんな彼女は、大きな革鞄をディルに持たせていた。



「この良さが分からないニャんてお子様なのニャー……ま、それは置いといて、私はこれからディルと一緒に島を探索してくるのニャ」


「俺も行くよ、お爺様とも約束したし」



 アインがそう言うと、ディルが申し訳なさそうに言う。



「いえ、私が共に参りますので、アイン様は海辺で休暇をお楽しみください」


「……いやまずいって、色々と」


「ご安心を。私の命に代えても制止して見せますので」


「ニャ……? もしかして、私のことを言ってるのかニャ……?」


「お願いだから、そんなことに命を賭けないでくれないかな。いいよ、俺も行くから」


「いいえ、なりません。――――僭越ながら、お伝えしたいことがございまして」



 鞄を抱えたままにディルが近づいて来る。

 彼はそのままアインの耳元に顔を近づけた。



「ゆっくりする時間というのは、アイン様ご自身のためだけではございません」


 言い終えると同時に彼は小船を見るように促した。

 アインはふっと小船の方を見ると、共に足を運んだ三人の女性の姿がある。

 いずれも環境に合わせた夏服に身を包んでいた。



「お三方に限っては問題ないかと思いますが、近ごろはご一緒にゆっくりとした時間を過ごせていないと聞いております。というわけですので、初日の探索は私にお任せください」


「そういうことか……」



 バードランドの一件を抜かしても、公務などで最近は忙しかったように思う。

 それらを考えてみると、若干の申し訳なさが募ってしまった。

 アインは頷いて、でもシルヴァードとの約束を考えて悩みの声を上げる。



「けど、約束は約束だから守らないと」


「そうおっしゃると思いましたので、私から陛下に進言しておりました。ですので、どうかこちらでごゆっくりお過ごしください」


「……最近、以前にも増して仕事が早くない?」


「ときに想像を超えた行動を起こす主君のため、でございます」



 そして釘を刺すことだって忘れなかった。



「分かった。素直に二人の厚意に甘えさせてもらうよ」


「安心いたしました。身の回りの些末事は母が行いますので、何なりとお申し付けください」


「二人とも! 私のことを無視しすぎなのニャ!」



 不平を募らせていたカティマへと、ディルは密かに微笑みかける。

 ふん! 勢いよく一歩を踏み出した彼女を見て、ディルは苦笑交じりにアインに頭を下げ、彼女の後を追って行った。

 アインはその後姿を目で追ってから、小船の方へ戻っていく。



「マーサさん」



 とりあえずと言うべきか、ひとまず現状の確認のためにマーサに語り掛ける。



「ディルの件は私も存じ上げております。取り急ぎ、少し移動致しましょうか」


「移動?」


「皆さま、もう服の下にお着換え、、、、が済んでおりますものの、ここでは人目があります。少し進むと、丁度良い砂浜があるようですので、そちらへ参りましょう」



 人目というのは、恐らくリヴァイアサンのことであろう。

 彼女が鑑みたのはアインというよりも、三人の女性たちの件である。彼女たちが砂浜に居る際の姿が万が一にも見られないように、と。

 それと、アインたちが人目を気にせずゆっくりできるように……という計らいでもあった。



「さぁ、早速ご案内致しますね」




 ◇ ◇ ◇ ◇




 マーサによると、目的地の砂浜は地図で確認していたそうだ。

 案内されて到着したのは、丁度良く木々が横に生い茂り、真正面の海からしかアインたちが見えない絶好の立地だった。



 到着して間もなく、女性陣が席を外した。

 茂みの方に向かったのを見てから、アインは砂浜に腰を下ろして待っていたのだ。



「気になっていたことがあるんだけど」


「どうなさいましたか?」



 アインは上半身に来ていたシャツを脱いで隣に置き、すぐ傍に控えるマーサに尋ねた。



「マーサさんは暑くないの?」



 アインが脱いだばかりのシャツを拾い、そして慣れた手つきで折りたたむマーサの服装は、いつもながらの給仕服。

 この暖かな海岸に似つかわしくなくて、一見すればとても暑そうである。



「給仕の制服は特別なつくりをしておりまして、暑さを感じることはございません」


「魔道具みたいな、ってことかな」


「仰る通りでございます。生地も一般的な物より遥かに硬く、有事の際には王家の方々の壁となれるようになっておりますので」


「……道理で」



 道理で汗一つ掻いていなかったのだ。

 もしも魔道具でなかったとしても、マーサなら汗一つ掻くことなく立っていそうだが……。



 ――――さて、手持ち無沙汰だ。

 そろそろ皆も帰って来るだろうが、少し暇だ。

 辺りを見渡していると、またぐら下にある砂浜から、一凛の花が咲き誇っていたことに気が付く。

 いつの間に? こう考えながらも手を伸ばして、花弁に触れる。



「人懐っこい花なのかな、俺が暇だから相手をしてくれてるのかも」



 隣で聞いていたマーサはアインらしい表現にくすっと笑う。

 一方で、花はアインに触れられると、急に成長して手に纏わりつく。

 アインの手のひらの上で、頭を振るように動いていた。

 指を動かせばその方向に従って、縦に振っても、同じく勢いよく縦に動いた。

 ……結構、可愛らしい。



 ふと。

 アインの背後から漂ってきた甘い香り。

 耳元に近づいてきた熱と、声。



「――――お花と一緒に遊んでいたの?」



 視界の端でシルバーブルーの髪の毛が微かに揺れていた。

 アインは小さな声で「お帰り、クローネ」と言い、彼女はすぐに頷いた。



「懐いてくれたみたい。どうかな?」


「ふふっ、可愛らしいと思うわ」



 クローネはアインの背後から覗き込みながら言った。

 吐息が感じられるほど近く。

 彼女の髪が潮風に靡いて肌に触れるのが少しこそばゆい。また、温かくも柔らかい感触が惜しげもなく、アインの肩口に押し付けられる。



 煽情的、といった言葉は相応しくない。

 彼女にとって自然な距離であり、こうしていることで心が充足感に満たされるからだ。



「あ、ほんとだ。可愛らしいですね、その子」



 今度はクローネと反対側の肩口で、鈴を転がしたような声でクリスが言った。

 彼女もまた当然のように距離が近くて、時折、耳元を掠める吐息がこそばゆい。



 ところで、密かにクリスは心配していたことがある。

 昨日、頑張ろうと決めたからこそ、こうしてそれはもう近くにいたわけなのだが、早鐘を打つ胸に気が付かれないか、気が気でなかった。

 が、その心配は徒労である。



 アインはそもそも気が付いているし、それを指摘する気はないからだ。

 密着した肌からは、気が付かない方が難しいぐらい分かりやすく、伝わっていたぐらいだ。



「お待たせしました」



 最後に足を運んだオリビアは二人と違い、アインの面前の方へ足を進める。



 身体付きは言うまでもない。

 水着を艶美に、それでいて優美に着こなすオリビアの姿には、海に存在して異性を虜にする魔物だと言われても、思わず「なるほど」と返してしまいそうになる婀娜やかさがあった。

 されど、白い水着からは清麗さも漂わせており、聖女と呼ばれてきたことへのらしさ、、、も忘れてはならない。



 さっきまでアインの手元で遊んでいた花は、いつの間にか、砂浜へと戻っている。

 アインが戻るまでの相手をというのが、あながち間違いではなかったようだ。



 すると――――沖の方で双子が宙を舞い、水飛沫を舞い上げた。

 燦燦と降り注ぐ陽光と重なり、一行の視線の先に鮮やかな虹を作り出す。

 アインは空を見上げ、眩しさに手で影を作って。



(ほんと、南の島なんだな)



 噛み締めるように考えて、心を躍らせた。

 今まで経験したことのない環境での休暇が、今まさにはじまろうとしていたのだった。


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