ネームド級と。
「例の治癒魔法の使い手ですが、ご承諾いただきました」
朝食の最中、マルコが唐突にこういった。
食器を片手に食事の最中だったアインがふっと顔を上げ、すぐ後ろに立って控えるマルコに振り返る。えっ、小さく言葉を漏らしてから、ご承諾とは何だろうと考える。
「……昨日のことだよね。ほんとに聞いてきたんだ」
「勿論でございます。しかしダンジョンに潜るつもりはないようで、あくまでも、何か傷を負ったら優先的に治療してくださると聞いております」
「それでも大分頼もしいけど、お金はどうするの?」
「有事の際には私の判断で契約書を交わしてよいと、ウォーレン殿との取り決めがございますので」
「また俺が知らないところで、俺が知らない取り決めがあったわけだ」
果たして有事かどうかという問題は置いておく。重要なのはマルコの判断でということだ。アインの安全に寄与するならば何も問題がないのだから。
「私も同じことが出来るわよ」
「クローネも、ってのは何か前からそうだった気がする」
「ですがアイン様、クローネ様の場合は私の権限どころの話ではございません」
「へ?」
「イシュタリカに置いて陛下に次ぐ権限と言えばアイン様のそれですが、クローネ様はその権限の代理行使が可能なのです」
するとクローネはふふっと笑う。
「いくつかの条件はあるのだけどね」
「つまりクローネは王族令も――――」
「ううん、それだけは使えないわ。王族令はあくまでも王族のみが行使できる権限だから」
シルヴァードに次ぐ権限の代理公使が出来るというのに、王族令だけは使えない。ただこれに関しては、イシュタリカ独自の法である王族令が特殊だからとも言えるだろうが。
優し気に笑みを浮かべてマルコが言う。
「そう遠くない未来に使えるようになるでしょう」
意図することは言うまでもない。
言葉にする無粋を皆が避けた。
テーブルの下で、二人の手が重ねられる。
互いの指が互いの指を撫で、絡み合うことで想いを共有した。
朝食も終わる目前。
二人が目配せを交わしたところで。
「ごちそうさま」
先にアインが立ち上がる。
昨日の頼み通りクローネお手製の朝食を堪能し終え、満足げに立ち上がって身体を伸ばす。
窓の外を見れば朝陽はすでに上っていて明るい。
「そろそろ出発する?」
「うん、そうしよっかな」
「分かったわ。私も少し休憩したら、船の中で出来る仕事をしてるから」
だから気を付けて行ってきて、と頬に口づけを贈る。
「頑張れそう」
「ふふっ、私もよ」
◇ ◇ ◇ ◇
さながら祭りの催し事に集まった観衆だ。
神隠しのダンジョンの前は、多くの冒険者で賑わっている。
塔を見上げ、間の抜けた声でクリスが言う。
「わぁ……すごく高いですね……」
確かに神隠しのダンジョンは高い。
先日、セレスティーナの件で足を運んだ際はゆっくり見ることが出来なかったし、飛空船に乗っているときに見るのとはまた違った印象を抱いたのだろう。彼女は最上階と思わしき箇所を探るように、雲の隙間を目を細めて眺めていた。
「アイン様、アイン様」
「なになに?」
「今更なんですけど、私すごい気になることがあるんです」
「……言ってみて」
「これって一番上まで行こうとしたら、自分の足で進まないとダメなんですよね?」
「――――マジョリカさん」
「わ、私も知らないわよ……逆に瞬間移動できる魔道具があったらよかったの? それこそ、陛下がご心配なさってる神隠しよ?」
つまり徒歩の方が精神的にも良い、ということだ。
「とりあえず行きましょうか」
「だね」
向かう先は昨日見た魔物が討伐された階層である。
それ以降も冒険者が足を踏み入れているが、まずは安全を確保できるところまで――――と決めている。
アイン、クリス、マジョリカ。
そしてディルとマルコの五人が足を進める。
この辺りの雰囲気は、以前、カインと足を踏み入れた入り口と雰囲気が酷似だ。
違うのは現状、人の手によって管理されているといっても過言ではないことと、すでに冒険者だらけで危ない場所という認識が皆無であること。
カインとシルビアは長い時間をかけて下層に潜ったというが。
今は進んだ階層まで魔物が出現しないそうだし、ただ歩くだけだからすぐに上層階に行けるはず。
周囲の冒険者の注目を浴びつつ中に足を踏み入れると。
(前と同じだ。力が漲ってくる)
漂う魔力の量が外とは隔絶されている。
青白く瞬く石の壁と床も変わらず、異世界のような空間だ。
「アイン様」
「うん。同じみたい」
純粋な魔物であるマルコもまた滾る力を感じていた。
空をぐっと掴んで、違いを確認している。
「今ならカイン様が相手でも――――」
「勝てそう?」
「いえ、いつもより相対していられそうです」
勝てると言えないところに力の差を感じて止まず。
アインは同時にあの世界でのことを思い返し、カインを相手にあっという間に
「それにしても広い玄関ね」
マジョリカが周囲を見渡して言う。
第一階層の広さはというと、大型のパーティ会場が何個も入りそうなほど広い。
これを抜けてから回廊を進んで上の階層を目指すのだから、歩く時間は多くなりそうだ。
「行こうか」
と、アインの号令。
少し早歩きで歩くこと数分。
まずは第一階層を抜けて回廊に出る。すると、他の冒険者が歩いていく姿が散見された。一方で歩かず、脇で横になって寝てしまっている者もいた。
探索に疲れて、外に出る気力を失ったのだろうか。
カサッ、とディルが懐から何かを取り出す。
「寄り道せず上るだけなら、そんなに時間は掛からなそうですね」
「え、寄り道もあるってこと?」
「ございます。珍しいものが見つかることもあるようで、一流とは言えない冒険者たちは、そうした場所を探索しているらしく」
「あー……なるほど」
「ご興味がおありですか?」
「ないって言ったら嘘になるけど、俺は上層階の方が興味があるよ」
何故なら竜人が居るのが最上階のはずだから。
彼女以外に用がないといってもいいほど、今回の目的は竜人ただ一人に集約している。
それから――――。
内部を進むこと数時間。
幾多の階層を抜けてやってきたのは、例の魔物が討伐された階層だ。
「ここ、今までと雰囲気が違いますね」
クリスが言った。
彼女が言うように、この階層は雰囲気が違う。
これまでと別の場所に足を踏み入れたような感覚だ。
辺りは断崖絶壁の上に立つ岩石の武舞台のよう。
この周囲はどこまで落ちるのか分からないほどの暗闇で覆われている。また天井も見当たらず、例の魔物のためだけに用意された場所に思えた。
しんと静まり返ったこの空間の最奥に、上へとつづく階段が洞穴のようにあった。
「ネームドのお部屋ってとこかしらねぇ」
「特別な場所ってことかな?」
「恐らくね。あとこれは名推理なのだけど、同じようなお部屋が何階層かごとにあると思うわ」
「俺の予想はそれに追加で、上の方に行くごとに敵が強くなるって感じ」
「あら、素敵じゃない」
むっとした顔でクリスがアインを見上げる。
それを見たアインとマジョリカは顔を合わせて肩をすくませると、困った様子で小首を傾げた。
でもクリスは反論する気にはなれていない。
自分も同じような予想をしていたし、このダンジョンの歴史を思えば、簡単な造りをしているほうが逆に不気味ですらあるからだ。
「って話してたら、あっちから人が戻って来たね」
最奥の階段から現れた数人の冒険者たち。
リーダー格らしき男がアインらに気が付いて、駆け足で近寄ってきた。
「そんな軽装で行くのは勧めないぞ。俺たちも他の上位パーティの攻略待ちにしたからな」
「あら、若いのに言うじゃない」
「当たり前だ。俺たちが何年冒険者を――――……ッ」
男がマジョリカを間近で見て気が付いた。
同時にアインにクリス、そしてマルコとディルを見て目を見開く。
「失礼した。噂には聞いていたが、本当に貴方たちがここに来るとは思っていなかったんだ」
「気にしないでいいわよ、ね、殿下」
「俺も気にしてないよ」
「ってことみたいだし、話を聞かせてもらおうかしらね」
マジョリカがおもむろに煙管取り出して咥えた。
ミントのような爽やかな香りのする煙が出はじめると、男は悔し気な表情を浮かべる。
すると、これを見てくれと言って鞄から何かを取り出す。
「ネームド級の魔物とかいう、虫みたいな魔物の素材ね。どうして貴方が持っているのかしら」
「そんなの決まってるさ。この上の階層にその魔物が現れたからだ」
「はい?」
「いや、貴方が――――金剛が困惑するのも仕方ない」
「昔のあだ名で呼ばないでくれる? 今はただのマジョリカよ」
「ではマジョリカ殿と」
少しじれったいマジョリカの制止。
両者ともに一呼吸おいて、冒険者の男が冷静に言う。
「このダンジョンは脇道や回廊はあるが、主となる階層に対して大部屋は一つだけだ」
「そうらしいわね」
「大部屋に現れる魔物は今までに見たことがない魔物しかいなかった。今までも、そしてこれからもそうだろうって思っていたんだが……この上の階層の大部屋には、例の魔物が十体も現れたんだ」
「…………あらあら」
彼らを傍目に、アインがクリスの耳元に顔を近づける。
(いきなり強くなりすぎじゃない?)
(え、ええ……ですけど、実際に出現したのであればどうしようも……)
思っていたよりも難易度の上昇が激しいらしい。
とある一流パーティが何年もかけて集めた魔道具を使いきって、ようやく倒せたという魔物が十体だ。一流と称されるパーティは他にも足を運んでいるだろうし、数十人単位で戦えば勝てるだろうが……。
(先行してるパーティは無事なのかな)
少し心配に思えたのだ。
するとその心配に応えるように、最奥の階段から降りてくる多くの冒険者たち。
男、女、そして異人も混じった冒険者たちは一様に疲れた様子で、それでいて幾分かの達成感を感じさせる表情を浮かべて現れた。
冒険者たちはアインたちに目もくれず、互いに話をしながら下の階へ向かって行く。
横目でそれを見ていたアインが男に尋ねる。
「専攻の攻略待ちだったんだよね」
「ああ……じゃなくて、そうなります」
「こんな早く終わるような戦いだった?」
「……いえ、違ったかと」
なら尚の事だ。
先ほどの冒険者たちの中に、悲痛な面持ちを浮かべた者は居なかった。
なら攻略が終わったとみるべきなのだが、男の証言とかみ合わない。
「様子を見に行こう」
アインの言葉に皆が応じる。
歩き出した彼らを見送る男は、アインの背中が見えなくなるまで見送った。
◇ ◇ ◇ ◇
階段を上ってすぐ大部屋というわけではない。何百メートルもありそうな長い回廊がつづいていて、例によって青白く光る壁や床に迎えられた。
さて、強く懸念していたわけではないが、ここに魔物は居ない。
代わりにいたのは、しばらく進んだ曲がり角に腰を下ろした数人の冒険者たちだ。
アインが先頭を歩いて近づくと、男たちが背を預けていたのが大きな扉であると気が付く。
やって来たアインを見て、冒険者たちは大げさに明るい表情を浮かべたのだ。同時に、ドン、ドン……と地響きによく似た音が耳を刺す。
「助けに来てくれたのか!?」
「お、おい! あんたってまさか金剛か!?」
その言葉を聞いてマジョリカは溜息を吐きながらも、仕方なそうにひざを折って冒険者と目線を合わせた。
「何よ、助けも何も下に降りて帰ればいいじゃない」
すると冒険者たちが一斉に俯き、言葉を失う。
この状況にマジョリカが予想を述べる。
「仲間に何かあったのね」
すぐさまアインは頭を働かせ、その仲間とやらの状況も察した。
助けに来てくれたのか、これはつまり仲間がまだ生きているということ。だがここにその仲間はいないようで、冒険者たちは戦力不足に嘆いている様子。
加えて、先ほど下の階に降りてきた団体のことだ。
「このすぐ奥に大部屋がある。そこに……部屋の奥にある小部屋に、俺の弟が逃げ込んだんだ」
「他の奴らは魔道具が尽きたからって帰っちまった! あと二匹ってところでな! ああ分かってる! これは薄情なんかじゃなくて、当然の判断だってことは分かってるんだ!」
「……けど、俺たちまで逃げる訳にいかねえんだ」
だが、勝てないことが分かっているから助けに行かないのだ。
ここで援軍を待っていたのもそのせいで、諦めきれずここに座っていたのだろう。
「聞こえてくるだろ? ドン……ドォン……って音が。これはな、あの虫どもが弟が入った扉を叩いて、破壊しようとしてる音なんだ……ッ! くそォッ!」
きっと彼の弟の恐怖は計り知れない。
もはや死を待つ身。
助けに期待も出来ず、耳を刺す音に心は恐怖に染まるだけ。
男も恐怖に怯えて身を震わせていたが。
「やっぱり俺だけでも……ッ! 俺だけでもあいつを助けにいってくるッ!」
彼は勇敢に立ち上がり、震える足を強く叩いて駆け出した。
回廊を少し進んだところにある扉に手をかけると、扉は勝手に左右に開いていく。扉は王城にある宝物庫のそれより巨大で、存在感と重厚感を両立させる見事なものだった。
さて、大部屋の中も、これまでの回廊と同じ素材で作られていた。
一個下の階層と違って、特別な感じは少しもない。
「あの男ッ!」
「大丈夫だよ、ディル。扉が開いても魔物は部屋の中から出てこないから」
何とも都合のいい習性というか、このダンジョン独自の
ディルは男が扉を開けて、アインにも魔物が襲い掛かることを危惧して怒っていたのだ。が、アインの言葉を聞いてすぐに怒りを抑えた。
――――こっちだッ! てめぇらこっちに来いッ!
大部屋を走る冒険者の声が響き渡る。
二体の魔物がその姿に気が付き、これまで叩いていた扉から離れて動き出す。
何とも、おぞましい姿だ。
動きは百足にようでありながら蛇にも似て、素早く男との距離を詰めた。
魔物は壁を這い、手元の巨大な鎌を振り上げる。
捕食せんとした動きは、アインが想像していたよりはるかに速い。
だが。
「ああいう感じか」
アイン一行のうち、マジョリカを抜かした四人は動揺はしていない。
コンッ、革靴の音と共にマルコが一歩前に出た。
「物差しにするにはちょうど良いかと」
このダンジョンにおいて、どれだけ優位に動けるのか。
忠義の騎士はこれを調べるため、歩き出す。
指を覆っていた手袋を外して優雅に胸元へしまい、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます