名付けと拒絶と。

 庭園に居たのはマルコだけじゃない。すべて異人種で構成された戦士たちに加えて、カインが居た。

 ただ、立っているカインの表情は優れず、どうしたもんかと迷っている様子。



 良く手入れされた庭園が、今この時は少しばかし不穏な雰囲気を漂わせていた。

 そして、その中心にいるのがマルコなのだが。



(何があったんだろ)



 庭園の隅には本を読んでいたのか、木に身体を預けて立つウォーレンの姿があった。彼は今の状況に度惑っているのか、本を閉じて様子を見ていたのだ。

 しかし彼の目線はすぐに、アインと共にやってきたシャノンへ向けられる。



「何故……どうして二人が一緒に」



 その声は誰の耳にも届かなかった。

 さて、近づいてきたアインを見てカインが口を開く。



「マールか」


「父上! 何かあったんですか? 大きな声が聞こえてきましたけど」


「ああ。幾分か面倒な話がな」


「……教えてください」


「構わん。実は――――」



 すると二人の間にマルコが身体を割り込ませ、アインを見て言う。



「私が外で揉めた奴が来たのだ! だからその責任は私が取る!」


「はぁ……おい、口調を改めるんじゃなかったのか?」


「ッ――――これは失礼を」



 口調を改める?

 小首を傾げたアインに、マルコが居住まいを正して話しをつづけた。



「マルク様、王都の近くに魔物の集団が近づいております」


「……えっと?」


「不可解に思われることでしょう。……すべては私の責任なのです。なぜなら集団を率いている魔物は、私が以前、一騎打ちにて勝利を収めた相手なのですから」


「つまり、力比べで負けた相手が子分を連れてきてるってこと?」


「おおよそは仰る通りでございます」



 それを聞いてアインは腕を組んで考えだした。

 マルコという男の性格を思えば、間違いなく一騎打ちは正当な勝負のはず。確実に闇討ちに似た勝負なんてするはずがない。



(逆恨みか)



 で、子分を引き連れてやり返しに来た。

 何処をどう見ても聞いても、なんてことのない小物にしか思えなかった。



「こいつは一人で戦いに行くと言ってるんだがな」


「へ? 一人で行く必要ってあります?」


「マールが思ってるように、少しもないわけだ」



 二人はさも当然のように言うが。



「だ、だから! いえ! ですから! この問題は私一人のものですと!」



 一方でマルコは譲らず、落ち着きがない。



「はぁー……これだから一人だけで生きていた魔物は」


「父上、それは言い過ぎじゃ」


「言い過ぎも何もない。こいつはわざわざ口調を整え、立ち居振る舞いを改めようと心掛けた男だぞ? だと言うのに、重要な心構えが一つ足りていないじゃないか」


「道理で口調が違ったわけですね――――よし、じゃあ行きますか」



 特に明言せずとも二人は意識を共有していた。

 やがて肩を並べ、マルコを置いて歩き出す。向かう先は城門の更に奥、王都の外へつづく大通りだ。



「私に心構えが足りていない……?」


「そうだ、決定的なものが一つだけ足りていない。こればかりは一人で生きてきたからこその弊害だろうが、今日をもって覚えればいい。さて、おいそこの!」



 カインがそう言い目を向けたのは、木に背を預けたウォーレンだ。



「ぼ、僕ですか?」


「ああそうだ! 先日のことは聞いている。指揮が出来る頭があるらしいな! 残念なことに俺にそれは向いてない、手伝ってもらうぞ!」


「俺からも頼むよ。君になら任せられる」


「……本当に急な話だな。けど、引き受けましょう」



 このやり取りの後ですぐ、アインの脳にまた映像が流れた。



『お待ちください! 私に足りない心構えというのはッ』



 映像は今、目に映っている光景と同じだった。この前と違い頭痛が訪れることもない。

 ふと、彼とカインの視線が交錯する。お前なら分かるだろ? そう言われてる気がして、アインは頷いてから口を開いた。



『父上が言ったのはね』



 頭の中で言葉が重なる。

 自分の声と、初代国王のマルクの言葉は同じだった。



『民を一人だけ戦場に送る王族がどこに居る、ってことだよ』




 ◇ ◇ ◇ ◇ 




 舞台となったのは王都近郊だったものの、何も特筆すべきことはない。

 最強の剣士であるカインが出てしまった時点で、相手に勝ち目はなかったのだ。いずれ頭角を知恵者ウォーレンも居たし、今の時点でも強いマルコも居たからだ。



 戦いが終わってみると、空はもう真っ暗だ。

 一人の犠牲者も居ない戦いの後、戦士たちは勝利の美酒に酔っていた。



 夜空一杯の星を臨む丘陵の上。

 平原で騒ぐカインや戦士たちを楽しそうに眺めていたアインの下に、草をかき分け近づいてきたマルコ。



『何故なのですか』


『……ん? 何が?』


『元を正せば私も同じだったはず。王都を目指し進行してきた魔物たちと、私との違いなんてものはありません』


『別に、君は王都に襲撃をしようとはしてなかった』


『ですが、近かった』


『だから父上が止めに行った。止められてからの君は変わったでしょ』



 詭弁とまではいかずとも少し強引な答えに、マルコは次の句が浮かばない。



『父上って優しいんだ。知らなかったと思うけど、今日の戦いの中でも、相手に降伏して融和する道を選んでくれって相手の将に言ってたんだよ。結果は断られて、敗走させたわけだけど』



 つまりアイン、いや、マルクが何を言いたいのかと言うと。



『君はイシュタリカを受け入れてくれた。だからもう、俺たちの仲間なんだよ』



 と。

 出陣前に言ったのと似た言葉を投げかけた。

 もう反論を許さんとする空気が漂う。



 結果、マルコは静かに思考を繰り返した。自分という存在の意義と、これまで抱いたことのない新たな価値観により、魔物としての本能にも変化が訪れる。

 強くなること以外に対し、価値を感じた自分に驚かされた。



『まだ、分からない事だらけです』



 ただ、と言葉をつづけた。



『私の心の中に、イシュタリカという名に温かさを感じました』



 すると彼は唐突に膝を折って、マルクを見上げた。

 胸に手を当てると、強い敬意を抱き口にする。



『貴方から名を頂きたいと思った。どうかこの私に名を授けていただけないでしょうか』


『俺が、君の名前を?』


『左様でございます。何故でしょうか、不意にそう願ってしまったのです』



 彼によく似あう名前はアインなら知っている。

 だが、マルクは知らない。

 少しの間考えたマルクだったが。



『俺と似てる名前だけど、マルコってのはどう?』



 この名を選んだのは、自分の名を気に入っていたからだ。

 両親が授けてくれた名には誇りがあり、これ以上ないほどの自慢だった。

 だから、それとよく似た名前を授けようと思ったのだ。



『――――はっ。私のことは、今日よりマルコとお呼びください』



 二人はこうして手を握り合った。

 確かに絆が生まれたのを感じながら。



『もしよければなのですが』


『ん?』


『私のことを、マルク様の騎士として――――』



 専属になりたいと願った刹那、その言葉に意を唱える者がやってくる。



『悪いがそれは駄目だ』


『ち、父上!?』


『やはり、まだ魔物としての性が強すぎる私では……』


『違う。これは公平性を保つためだ』



 やってきたカインが二人の傍に立って言う。



『マールの騎士になりたいものは大勢いるんだ。別にお前を……マルコを邪見にしてるわけじゃない。ようは、そいつら全員を納得させてからにしてくれってことだ』


『……なるほど、カイン様が仰る通りです』


『この件についてはいずれ、俺とシルビアで選定するさ』



 ここまで言ってから、カインは平原の方を指さした。



「よし、マール」



 その声は妙に頭の響いた。

 マルクの……いや、アインの耳に強く響いたのだ。今までの事が夢幻で、これからが現実と言うように声が変わる。



(今までのは……)



 思えば、声が二重だった気がしてならない。

 アインは確かにマルコと語り合っていたのに、映像の中のマルクと振る舞いが瓜二つで、どちらが現実なのか区別がついていなかったのだ。



 少し気が動転した。

 勢いよく頭を左右に振って、頬をパンッ! と強く叩く。



「お、おお……何をしてるんだ?」


「何でもありません。それで、平原の方がどうしたんですか?」


「俺は今後のことも含めてマルコと話すことがある。少し席を外してくれるか?」


「分かりました。ちょっと行ってきますね」




 歩き出したアインの視線の先には、平原で騒ぐ戦士たち。

 自分も混じって騒ごうかな、こう思って間もなくだ。平原の地面から「ああ、マルク様か」と、ウォーレンが話しかけてきた。



「今日も空が綺麗だね」


「かもしれないな」


「どう? 今日も夜空より、本を読む方が有意義?」


「当たり前だ。だからこうして本を読んでいる。ワイバーンの時と違い、こちらの戦力が強すぎたからな」



 どうせならここで雑談をしているのもいい。

 アインがウォーレンの隣に腰を下ろそうとしたところで、ある存在の気配に気が付いた。その気配は平原から少し離れた、木々が並ぶ小さな林のほうから感じる。



「本を読むのもいいけど、暗いんだから目を悪くしないようにね」


「ああ、忠告に感謝するよ」


「そうしてくれると助かるよ。じゃ」



 そう言ってから、また歩き出す。

 林までは目と鼻の先だ。

 夜風が一面の草花を揺らし、サァ……っと音が鳴る。

 戦士たちの声も風に乗っていたが、林に近づくにつれて、その声は妙に小さく、誰もいないと錯覚するほど聞こえなくなってしまった。



(俺が来たら、何を思うだろう)



 林に足を踏み入れると、更に周囲の音が聞こえなくなった。

 ここだけが別世界のような、変な感覚に陥った。



 アインは更に奥へ進む。

 落ちた枝を踏む乾いた音が木々の間を抜けた。

 やがてアインは、気配の主が居る場所へたどり着く。



「――――何故、分かったのですか?」



 その主はシャノンだ。

 彼女は城に居た時と同じ服装で、今から夜会に参加すると言われても可笑しくない様子でここに居た。



「俺のことを見てたからだよ」



 彼女はそれがどうして分かったのか聞きたかったのが、アインは答えない。



「逆に、どうして俺のことを見てたの?」


「ッ……!」



 一歩、アインが距離を詰めた。

 だがシャノンは拒絶するように後ずさる。すると彼女の足元を中心に、アインの下へ冷気が這い寄ってきた。



「来ないでください」



 明確な拒絶には、怖れが内包されているようだ。

 シャノンはその言葉の後で、躰を抱いてしゃがみこむ。俯いて、身体を震わせた。

 するとどうだろう。

 冷気は勢いを増して、あっという間にアインの足元を凍らせてしまう。



「…………」



 この時、アインは現代で覚えた憎悪を一旦、忘れた。

 目の前で震えるシャノンが、一人のか弱い女性にしか見えなかったからだ。



「何が怖いのか分からないけど」


「来ないでくださいッ」


「俺は貴女を叱責するつもりは無いよ」


「来ないで、くださいッ!」


今は、、まだ、、、何もされてないんだからさ」


「来ないで……来ないでよ――――ッ!」



 距離が近づくにつれて、強烈な冷気がアインを襲う。



「なんで! どうして……ッ! どうして貴方はすべてを持ってるの!? あの粗暴者だった魔物の心まで得て!」


「……」


「貴方は何の力もなしに愛されてるッ! もう、意味が解らないのよッ!」



 この状況の意味が分かっていないのはアインも同じだ。

 ところでまさに肌を刺すと言うべきか、冷気が猛威を振るっている。すでにアインの手足の皮膚が凍りついていて、通常であれば強い痛みを感じるはず。



 ただ、アインは辛そうにするわけでもなく、穏やかな表情を浮かべたままだ。



 地面の氷が割れる音が、シャノンの耳元で鳴る。

 それは地震の目の前からで、ふわっと、アインの香りがした。



「寒いでしょ」



 アインが外套を脱いでシャノンの肩に掛けたのだ。

 現代であればこんなことはしてやれないし、する気にはなれなかったろう。だがこれは現代ではなく、今のシャノンはまだ何もしていない。

 アーシェを魅了しようとしていたが、アインによって未遂に終わっているからだ。



 だとしても、未遂なら未遂で然るべき態度があるかもしれない。

 それをしようとせず、哀れみを感じたのはアインの性格によるものだった。



「何が不安で、何が怖いのか分からないけど」



 とりあえず現状、ということにはなるが。



「俺は敵じゃないよ。貴女がイシュタリカの民なら、、、、、、、、、、俺は味方だ」



 つまり、そうではないのなら敵になる。ワイ―バンにしたように。

 きっとこの言葉の真意は、シャノンなら分かるはず。

 その証拠に、彼女は顔を上げてアインを見た。生気が感じられない青白い顔つきは、それでも月夜に照らされ称えんばかりの美を掲げている。



 身体に凍傷を負ってなお近づいてきた彼のことを見て、また驚く。



「もう一度言う。今の、、貴女は俺の敵じゃない」



 これはカインとシルビアの想いからも分かることだ。

 シャノンの力は、自身に対して悪感情を抱いているほど効力を増す。そして、二人にはその効果が発揮されなかったと言うことは、二人はシャノンを一人の民として認めていたからに他ならない。



「…………全部全部、もう分からないの」



 最後に力なく呟いたシャノン。

 彼女は言葉と同じく弱々しく倒れていき、横たわる直前でアインに支えられた。

 いつの間にか冷気は収まり、彼女は意識を手放していた。



「抱えている闇のカギは、あの部屋で見せられた光景なのかな」



 現代で、初代国王マルクの真の墓地を訪れた時、そこに至るまでの通路で見せられた、憤りの極地と言えるあの光景だ。



「とりあえず、戻らなきゃ」



 意識を失った彼女を置いていけない。

 何はともあれ戻らなければと、アインはシャノンを抱き上げて平原へ戻っていった。





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