残りの力と約束と。

 数時間後、日が昇って間もない頃だ。

 近づく婚儀の衣装合わせは、実のところ当事者の二人だけがするものではない。

 特に王族の中でも、次期国王のアインもまたする必要があった。



 アインの私室には珍しく、十人を超す人が足を運んでいた。

 半数が城下の御用職人と城の使用人であり、多くの生地などが所狭しと並べられている。



「少し派手じゃない?」



 試しに仕立てられた外套を羽織り、アインが軽く頬を掻いて言う。

 これまで以上に金糸を用いられたそれは神々しくすらあって、着心地は良いが、豪奢すぎて気が引けてしまう。



「いえ、お似合いですよ」



 と、マーサが言うと。



「私もそう思います。英雄が着るのですから、これぐらいの方がよろしいかと」



 つづけて壮年の職人が楽しそうに口ずさむ。

 マーサと職人の言葉は話半分に、アインはすぐ近くに座るクローネを見た。



「クローネはどう思う?」


「それにしましょう。私もいいと思うわ」


「え、いや……だから少し派手じゃ」


「私はそれが良いと思うの。素敵よ?」


「……」



 一人として派手と言ってくれない。

 その事実に少し頬が引きつった。

 しかし、クローネは決して嘘はつかないはず。

 別に他の者たちが嘘をつくとは思っていなかったものの、彼女は確実に、アインが求める忌憚のないいけんを口にするはずだから。



「――――でも、やっぱり少しだけ大人しめにしたいかな」



 つづけて言ったアインの言葉からは、譲れないと言う意思が漂っていた。



「装飾はあとから追加できる? 元に戻せるよね?」


「は、はい! 可能でございますが……」


「ならいくつか取っちゃおう。差し当たって、婚儀が終わってからまたつければいいからさ」



 少しの間、アインを覗く皆がきょとんとしていた。

 だが、最初に彼の意図を察したのはやはりクローネで。



「……そうね、アインの言う通りかも」



 彼女もまた同意して、微笑みを浮かべた。



「殿下、お気に召しませんでしたか? でしたらすぐに作り直しますので、なにとぞ我らにお慈悲を――――」


「違う違う! そうじゃなくて、なんていうかほら」


「ほら、と言いますと……?」


「俺が英雄って呼ばれてるのは自覚してるけど。今回に関しては、主役より目立っちゃいけないんだよ」



 確実にアインの方が目立つという懸念だ。

 主役の二人を差し置いて、絶対にそうなるだろうと言う確信があった。

 皆が感心した様子でアインを眺め、特にマーサは喜びのあまり薄っすらと涙を浮かべている。



 正直、気恥ずかしい。

 称えられたいからこその振る舞いではないのだ。



「ちょっと、いや少し休憩にしよう!」



 そう言って私室を飛び出すと、すれ違ったマルコ。



「――――ッ」



 相変わらず燕尾服を着こなしている彼は、唐突に現れたアインを見て硬直した。

 こんな姿を見せるのは珍しい。

 どうしたのかと、声を掛けようとしたアインに彼は。



「陛下」



 と、膝を折り頭を垂れた。



「ちょっと!? まだ違うってば!」


「おっと……これは失礼いたしました。神々しいお姿を見て思わず」


「……はぁ、気が早いって」


「ははっ、致し方ないことではないかと。ところで、まだ試着の際中だったと思いますが」


「ちょっとだけ休憩にしたんだよ」



 返事もまたずに、だが。

 知る由もないマルコは「なるほど」と頷く。



「気分転換に城内でも歩こうと思うんだけど」


「ではお供いたします」



 二歩、いや一歩半遅れてマルコが付き従った。

 アインはそのままの足で階段を降り、人が少なそうな方向に向け、目的もなしに歩きつづける。

 ふと立ち止まったのは、テラスに出るガラス扉の前だ。

 なんとなしに外に出ると、涼しい風がふっと髪を揺らす。



「どうやらお疲れのようですが、何かございましたか?」


「あー……朝から少しね」



 竜人のことを思い返し、マルコに聞いてみようという気になった。



「マルコなら知ってるのかも」


「はっ、と言いますと?」


「初代陛下が生前、誰かと何かを約束したことをさ」


「ッ――――!?」



 彼は分かりすく、驚愕した。



「知ってるってことだよね」


「…………恐れながら、どちらで耳になさったのでしょうか」


「最初は初代陛下の日記を読んだ時。次は、初代陛下が約束したっていう相手と話してかな」


「左様でございましたか……道理で」


「マルコ、知ってることがあるなら教えてほしい」


「はっ」



 しかし、マルコの表情は冴えない。

 申し訳なさそうに口を開く。



「ですが私は何も知らないのです。知っているのは「俺はあの人と約束したから」という、陛下のお言葉ただ一つ。いくら尋ねようとも、約束だからとお相手のことを教えてくださいませんでした」


「……そっか」



 落胆したアインを傍目に、マルコは一人で腕を組み考える。口元にあてた手をトントンと動かして、主の落胆の横で静かに思考した。

 次に口を開き、ハッとしたのはアインが城下町を眺めだしたときのことで。



「すべては……もしやすべては、その約束から今に至るまで繋がっていた?」


「え、マルコ何か言った?」


「恐れながらアイン様! 初代陛下が約束したという相手は、何かセレスティーナ様たちについて語っておいででしたか!?」


「確かに言ってたけど、それがどうしたの?」


「い、いえ! それがどうと言うことではありませんが! 関連があるのかと気になりまして!」


「ふぅん……まぁ、俺も良く分かってないけど、あるのかもしれないね」



 アインがおもむろに手元の時計を見ると、脂質を出てからそれなりに時間がたっていることに気が付く。



「そろそろ戻らないと。マルコはどうする?」


「――――私はもう少し風に当たっていようかと」


「ん。りょーかい」



 最後はあっさりと、特に感傷的な別れではない。

 去っていくアインに向けてマルコは頭を下げつづけ、その所作は数分に渡った。



「アイン様、すべては必然であったのでしょう」



 マルコがただ一人、合点がいく。

 主君アインが到達できなかった真理に到達し、額と目元を手で隠し空を仰ぎ見た。

 隠された手元から涙が伝い、対称的に口元は歓喜に緩み切る。



「課せられた試練、、はあと一つ……そして」



 心のうちに思う、オリビアという王女のこと。

 マルコもまたララルアのように、オリビアが何かを隠していることには気が付いていた。

 そして今、その隠し事に対しての予想を脳裏をかすめた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 夜、アインの寝室に足を踏み入れた者がいた。

 薄いネグリジェに身を包み、太いストールで肩を覆った一人の美女。

 彼女はベッドに横になるアインに近づこうとした。

 しかし。



「――――止まっていただけますか」



 ふっと吹いた風、美女のうなじに突き付けられた黒龍の剣だ。



「あら、マルコかしら」


「仰る通りでございます。オリビア様」


「ふふっ、私を賊か何かとでも思いましたか?」


「滅相もございません。この剣に迷いも間違いもなく、ただ一つの疑問のために鞘から抜かれているのです」



 一歩も引かず、マルコはオリビアに圧をかけた。

 だが何の手ごたえもなく、彼女からは怯えも、戸惑いも何一つ感じられない。



「私は念のために尋ねなければならないのです。オリビア様は今これより、アイン様に何をするおつもりなのかを」


「……マルコに教える必要がありますか?」


「王女の貴女に対する無礼、私の首を捧げてもまだ足りぬ不義でありましょう。しかし、私はその不義を受け入れても尚、ここで退くわけにはいかないのです」


「それが、アインの為だから?」


「はっ」


「――――そう」



 すると、オリビアは一歩足を踏み出した。



「なら私も同じことですよ。私も退くわけにはいかないの」


「ッ! オリビア様ッ!」


「しー、アインが起きちゃいますから」



 さっきまで強気だったマルコは、徐々にオリビアのペースに飲み込まれていった。

 何か舌戦で負けたような、そんな勢いではない。

 純粋にオリビアという女性の気配と動きに、逆らい辛いだけだ。



「これは約束なんです。私はあの方と交わした約束を守らねばなりません」



 ふと、彼女の手元に浮かぶ眩い光球。

 暖かくて、マルコからすれば懐かしさすら覚えるものだ。



「どうして…………なぜ貴女がそれを」


「約束だから、ですよ。在るべき処へ、この力は返さないといけません。今のアイン、、、、、なら、もう受け入れるための支度は出来ているはずですから」


「説明になっておりませんッ! なぜ、どうして……ッ!」



 もはやマルコにオリビアを止める気持ちはない。

 ベッドの横に立ち、アインの胸元にそっと手を置いた彼女を黙って見ていた。

 しかし最後には口を開き。





「――――なぜ貴女が『勇者』の力を持っていたのですッ!」





 歓喜と戸惑いに苛まれながら、マルコは驚きのあまりこう言ったのだった。



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