アインがやってきた理由とひと時の安寧

 アインがロイドに語りだしたのは、この数日間に何があったのかという事だ。

 つまり、アインがどうしてここにやってきたのかを語ることになる。



 時は遡り、数日前。



 ロイドが送った伝令。

 彼はロックダムに到着すると、戦艦に戻り急ぎ本国へと連絡を送った。

 内容は、想像以上の数が居るという事や、瘴気を発生させる何かの存在……そして、その瘴気によって騎士が命を落としたという話だ。



 特に大きな問題となったのは瘴気の件で、王族は勿論の事……多くの貴族や関係各位へと情報が伝達される。



「ならん!二度とそのような馬鹿げた事を口にするなッ!」



 イシュタリカ王都……その中央にある城――ホワイトナイトでは、とある会議が開かれていた。

 集まったのはレオナードの生まれたフォルス家のような、イシュタリカの高位貴族ばかりで、海龍騒動の時のような騒ぎになっている。



「ですが、陛下。専門家の意見としては、完全に耐えきるのは不可能とのこと……。そうですよね、カティマさん?」


「ニャ、ニャァ……。戦地に向かった騎士の装備でも耐えられニャいニャら、今は根本的な解決策は出せないニャ……」



 シルヴァードの迫力に怯えながら、白衣に身を包んだカティマが答えた。



「希少な素材を使えば、長時間耐えられる装備も作れるんニャけど、イシュタリカ国民を守れるかと聞かれれば、首を縦に振ることはできないニャ」


「――ほら、陛下。だから……俺が行くべきなんですよ」


「……それとこれとは、話が別だ」


「いやいやいや――別も何も、俺の毒素分解なら問題ないでしょうから。ね、カティマさん?」


「……まーた私に振るのかニャ」



 カティマが答える間も、シルヴァードは睨み殺すかのような表情でカティマを見るのだ。

 さすがの彼女も、今回ばかりはあまり話を振らないでほしい、そう心の底から願っていた。



「ブルーファイアローズの毒を吸い取ってもケロッとしてるアインなら、問題はニャ――ニャアアアアアッ!?」


「へ、陛下……。そんなに睨まないであげてください」


「――ッ!」



 見かねたアインが指摘をすると、シルヴァードが罰の悪そうな態度で机をたたいた。



「だからといって……王太子を派遣できるはずが無かろうッ!そうだな、クローネッ!」


「っ……陛下」



 アインの隣に座っていたクローネが慌ててシルヴァードを見る。



「お主もアインが行くべきではない。そう思うであろう!?」


「――は、はい。確かにその通りです」



 ……どうしたもんかなぁ。

 アインが困ったように腕を組むが、打開策が中々考えつかない。



「……クリス。どうにかならない?」


「名案がございますよ」


「っ――教えてくれる?」



 クローネとは反対側……その席に座るクリスに小声で話しかけたアイン。

 すると、いつもはポンコツな彼女が、名案があると自信満々に答えた。



「自室に戻ってベッドに入るのです」


「え?」


「きっと、今のアイン様は混乱なさってるんです。ですから、まずはご休憩をなさるべきかと」


「……あ、そういうね」



 満面の笑みで答えたクリスに、アインは苦笑いで答えた。

 むしろ当たり前の返事で、クリスがアインを派遣することに賛成するはずがなかった。



「ロイド様たちを信じて待ちましょう。そうするのが最善かと」


「うーん。なんかそうじゃないんだよね……」


「……どうなさったのですか?」


「ん?いやだってさ、赤狐が相手なんだから……今回の瘴気の件しかり、簡単にはいかないよ」


「仰る通りです。ですが、だからといって、アイン様が海を渡るということは賛同できませんよ?」



 相変わらず頑なな態度のクリスを見て、アインは頬杖をついて考え込む。

 だが、ふと考えついた。言及を避けていた問題を脳裏に浮かべると、荒れた口調のシルヴァードを差し置いてカティマに尋ねる。



「カティマさん」



 アインがカティマを呼ぶ声が、会議室に響き渡る。



 多くの貴族も集まる中、シルヴァードの迫力に気圧されたのは皆も同じことだった。

 こんな時、ウォーレンが居れば……と考えるのは、皆が一様に考えていたことだろう。



「――なんだニャ」



 疲れた様子で答えるカティマに心の中で謝ると、次に語るアインの発言に皆がどよめいた。



「正体は分からない。だけど、バードランドに出現した、瘴気を発するナニカがイシュタルに上陸した時……どれぐらいの被害が想定されるの?」


「……それを聞いちゃうのかニャ」


「ア、アイン。お主……ッ!」


「わかるよね、カティマさん。カティマさんならある程度の被害を想定することも可能なはずだ」



 問い詰めるようにアインが尋ねた。

 すると、カティマの驚いた表情とは対照的に、アインは力のこもった瞳で会議室を見渡す。



「――私たちは無意識のうちに避けていたのかもしれない。考えられる被害を、そして、その結末を。……向き合うことを避ける、その意味は我らがイシュタリカを捨てると同意義だ」



 立ち上がったアイン。

 演説をする様に語る声に一同が耳を傾け、ある者は俯き、またある者は頭を抱えた。



「さぁ、カティマさん。想定できる被害を教えてほしい」


「……はぁ。ほんっと肝の据わった甥っ子だニャ」



 アインに倣ってカティマが立ち上がる。

 カティマ専用の背の低い椅子から身体を起こすと、会議室の中央に向かって足を進めた。



「陛下……いや、お父様。いいかニャ……?」


「――あぁ」


「なら、私が考えた想定できる被害について説明しようかニャ。といっても、あくまでも想定にすぎなければ、情報が足りな過ぎて判断しにくい部分もあるけどニャ」



 いつものカティマとは違いどこまでも真面目な態度で、ひとかけらも冗談めいた部分は見えない。



「少なくとも、馬車に収まる大きさなら、王都機能を壊滅させるのに十分すぎる効果があるニャ。言い方を変えれば、イシュタリカを統一以前の状況に戻すことも可能……ニャ。持ち運びに苦労しない、それでいて小さい……加えて、効果は絶大。兵器としてこれ以上ない利点だからニャ」



 遠回しに、そして、表現をぼかすように語ったカティマ。

 だが、それが意味することは、イシュタリカが滅ぼされてもおかしくないという意味だった。



「さっきも言ったんニャけど、あくまでも長時間瘴気に耐えられる装備を作れる……ってだけなのニャ。仮に王家の存続に重点を置いたとしても、瘴気が常に充満する状況になれば、数日持たせることも不可能だニャ。つまり、万が一その瘴気に上陸でもされてしまえば、イシュタリカは一貫の終わり……になるニャ」



 部屋中に漂う重苦しい空気。

 カティマの説明に、さすがのシルヴァードも黙りこくり、焦点が定まらない瞳でカティマを見る。

 そんな中、一人の男が強い口調で一同に語り掛けた。



「皆が聞いた通りだ。不確定要素が多すぎる今……この問題を、海を渡った者達だけに任せるには戦力が足りない。それどころか、瘴気に対する対応にすら四苦八苦することだろう。万が一の事態となれば、我々は気が付かない間に命を落とすことになる」



 シルヴァードに負けない迫力でアインが語りだすと、会議室に集まった者達が一斉にアインの一挙一動に注目した。



「愛する家族を。気の置けない友人を。美しいこの街並みを。――その全てが塵と化すことだろう。そう、我々が何も行動を起こさなければ、そうなる可能性は決して低くない。もはや、我々が考えるべきことはイシュタリカのために何が出来るか……という事だ」


「……だから、アインが行くと。そう言いたいのだな?」


「――はい。その通りです。王太子だから駄目……そう言ってしまえば、国の存続にも問題が生じる今、私は黙っているなんて出来ません」


「ではどうするッ!万が一アインに何かがあり、王太子が不在となればッ!」


「……そうなったら、俺がイシュタリカに来なかった時と同じ状況になるだけです。大丈夫ですよ、お爺様たちが健在ですし、カティマさんもいますから」


「そ、そこで私に話が来るのかニャ……!?」



 筋が通った話を聞くと、クローネやクリスは、徐々に諦めたように顔つきを沈ませる。

 シルヴァードはそれでも頑なな態度を崩さないが、もはや駄々をこねてるという自覚があるのだろう。

 最後は不愉快そうに席を立つのだった。



「一度解散とする!皆も少しの休憩をとるがいい!」



 まだだめか。

 アインはそう呟くと、自分の席の両隣……クリスとクローネの許へと向かう。

 会議室が騒々しくなってきたのを見て、二人は席を立つと扉の外にアインを促す。



「どうしても行くの?」



 戻ってきたアインの手を掴むと、両手で撫でさするようにアインの手に触れる。

 アインは多少のこそばゆさを感じていたが、同時にクローネが向ける愛情も心に感じた。



「クローネ……。うん、俺が行くべきだと思う」


「どうせ、私の事は連れて行ってくれないんでしょ?」


「……ごめん」


「ひどい人。ほんとうに……ひどい人」



 涙が零れ落ちそうになった瞬間、クローネがアインの手を手放した。

 すると、何も言わず、早歩きでアインの側を離れていく。



「あっ――ク、クローネッ!」


「……船の用意をしてくるわ。一応、プリンセスオリビアとかの状況も確認してくるから、あれに乗ることもあると思っていて」



 そっと答えたクローネ。最後は、アインに協力的な言葉を残して立ち去る。

 すると、残されたアインとクリスの二人……少しの間をおいてからクリスが口を開く。



「クローネさん、泣いてましたよ」


「……うん」


「本音を言えばですね、私も泣きたいぐらいです。頑固で、意固地で、意地っ張りの……そんなアイン様を前にして、涙を堪えるので必死なんです」



 よく見れば、クリスの目も薄っすらと涙を浮かべていた。

 目元を若干赤くすると、唇を強く閉じ、静かに震える肩を両手で抑える。



「……ごめん」



 心の奥底からの謝罪を口にするアイン。

 謝罪を耳にしたクリスが、力ない微笑みを浮かべてアインに答える。



「謝ってくださらなくて結構です。『やっぱりやめた』、そう言ってくれれば私たちは……いえ、私たちはそれだけを言ってほしいんです」



 一縷の望みに懸けた願いを伝えたクリス――だが、クリスの願いは叶わなかった。



「――それはできない。俺は瘴気の影響を受けずに行動できる。だから、俺にしかできない仕事なんだ。俺が赤狐を殺せば、イシュタリカを救うことにも繋がるんだから」


「……ずるいですね。そんな言い方するなんて」



 サファイアのような色の瞳から、とうとう大粒の涙が一筋流れ出した。

 クリスのような女性の場合、それすらも宝石のように見せてしまいそうな……そんな魅惑的な光景に映る。



「約束。一つ約束がありましたよね、私の言うことを聞いてくれるっていう」


「えっと、それってもしかして……エルフの里に行く途中の?」


「そうです。それを使います。だから、どうか行くのをやめてください」


「ははは……そう来るか。でも、ごめんクリス。受け入れられない」



 アインが再度の拒否をしたことで、クリスがアインを壁に押し付ける。

 すると、アインのシャツの胸ぐらをつかみ、身体を任せるように体重をかけた。



「足りないのであれば、私を差し上げます。性奴隷のように使っていただいても構いません。――それでも、駄目ですか?」



 縋るような瞳で見上げると、クリスがじっとアインの返事を待つ。



「ぁ……ク、クリス。駄目だよ、そういう事を簡単に言ったら」


「簡単になんかじゃありません!だって、本当に行ってほしくなくて……ッ」



 アインに固い意志があるのは事実だ。



 しかし、クリスの見せた姿は、そんなアインをふら付かせそうなほどの魔力を秘めていた。

 過去に月の女神と表現したような女性が身体を押し付けた挙句、その身体を好きにしていいと口にするのだ。



 男の気持ちを揺さぶらないはずがない。



「わかってるよ。――あれ、そういえばこの光景に見覚えが……」



 ふと、アインが思い出す。

 それはきっと、クリスを助けに行った時の事だろう。



「ねぇ、クリス。実は……クリスを助けに行くときに、クローネが同じことを言ってたんだ。今その事を思い出したよ」


「はぇ……?も、もしかして海龍の時の事、ですか?」


「う、うん。そうだね」



 クリスの言葉よりは抑えめの表現だったが、自分を好きにしていい……と口にしていたのは確かだ。

 思い出した言葉をアインが語ると、クリスはキョトンとした後に笑みを浮かべると、目に溜まった涙をそっと指でふき取る。



「あ……あはは……そっか、そうですよね」


「クリス?何がそう・・なの?」


「うん……やっぱり、私はクローネさんと同じ・・・・・・・・みたいです」



 吹っ切れたとはまた違うが、クリスが何かを完全に自覚したように笑うと、アインの胸元からゆっくりと離れた。



「えっと、同じって何が?」


「……頑固なアイン様には教えてあげません。いつか私に勇気が生まれたら、教えてあげるかもしれないですけどね」


「え、えぇー。気になるじゃん……」



 ついさっきとは違う雰囲気になると、クリスが決意に満ちた顔つきを浮かべると、一度大きく深呼吸をする。



「同じってことは、私はきっと、ただ引き留めるだけの女になるべきじゃないんだと思います」


「――だ、だからさ、何が同じって……」



 困惑するアインを見て、クリスが優しげな表情で見つめる。



「秘密です。――アイン様、私も連れて行ってくださいますよね?」


「え……クリスも来てくれるの?いや、でもそれだと王都の守りが……」


「知りません。って言ったら怒られますけど、私の仕事はアイン様の身の回りを守る事です。ですので問題ないかと」



 得意げに答えたクリスは、騎士服の胸元に手を当てた。

 すると、クローネのように歩き出すと、アインの傍から離れていく。



「私もするべき仕事が出来ました。急いで確認などをして参りますので、後でアイン様のお部屋に行きますね!」



 クリスの場合は、クローネと違って小走りで立ち去って行ったが、決意を秘めていた様子なのは同じことだ。

 アインはクリスの差って行く姿を眺めながら、これからの事を考えはじめる。



「はぁ……。それじゃ、残ったのはお爺様かな」


「えぇ、そうね。アイン君」


「お――おばあ様ッ!?いつからそこに……?」



 アインの独り言に答えたのはララルア。

 彼女は少し離れた場所からアインに微笑みかけると、優雅な動きでアインに近づく。




「少し前からです。大事なお話のように見えたので、話し終えるまで待っていたんですよ」


「あー……なんというかその、申し訳ありませんでした……」



 照れくさそうにアインが謝罪すると、ララルアは気にするなと言わんばかりに笑う。



「とりあえず、造船所に向かいましょうか」


「え?なんで造船所に?」


「――なんでって、決まっています。建造目標ではホワイトキングを凌ぐ……。私たちイシュタリカにとって、最強の海上戦力が眠っていますからね」



 ララルアはそう口にすると、アインの隣に足を運ぶ。

 困惑した様子のアインの隣に立つと、外に進むようにアインを促す。



「もしかすると、もう運用できるかもしれません」


「ま、まさかお婆様――それって」


「海龍艦リヴァイアサン。アイン君が乗るべき戦艦は、この時を待っていたのかもしれませんね」


「ですけど、まだ会議が終わってな――」



 シルヴァードが口にしたのは、少しの間休憩にするということ。

 会議が終わったとは一言も口にしておらず、少し経てば会議は再開する。

 つまり、アインが造船所まで足を運ぶ余裕はないのだが。



「マーサ」



 声を掛けると、物陰からマーサがやってくる。



「はい。ララルア様」


あの人シルヴァードには、アイン君は借りていくと……そう伝えてくれるかしら?」


「承知致しました。お帰りはいつ頃となりますでしょうか」


「未定、って伝えておいて。それと、貴方の子を借りていくけど構わないわね?」


「勿論でございます。ご自由にお使いくださればと」



 この答えに満足がいったようで、ララルアが楽しそうに言葉を続ける。



「えぇ、ありがとう。――あぁ、それと……もしもあの人が理由を尋ねてきたら、お船を見に行くとでも言っておいて」


「お、お婆様……直接言いに行った方がいいんじゃ」


「いいのよ、別に。あの人に荒れてる理由を聞いてみたけど、少し勝手が過ぎるわ。だから、こんなのいい薬ですもの」




 *




 王都から水列車で三十分ほどの距離、そこにリヴァイアサンを建造する場所があった。



 アインとララルアの二人は、ディルを連れて水列車……それも、王族専用列車ではなく、いわゆる民生用の車両に乗り込む。

 乗客は当然のように驚いたが、ララルアが居るということで、何事かという困惑が多かったように思える。



 入り口が何処なのか……それすらも分からなかったアインとララルア。

 すると、造船所なんてやってきたことがなかった二人は、歩いていた手ごろな職人に声を掛け、船の様子を尋ねたのだった。



「お、おおおお……お待ちくださいませ!い、いま上司を呼んでくる……いえ、来ますんで!」


「――あらあら。あんなに慌てちゃって、どうしたのかしら」


「お婆様。いきなり王妃が来れば、ああなるのが当然ですよ」


「……アイン様?お言葉ですが、他人事のように言ってますけど、アイン様も同じことですからね?」



 ディルが冷静につっこみを入れると、アインとララルアの二人は、急いで走っていった職人の後ろ姿を眺める。

 アイン達がやってきたのは造船所の横――といっても、どこが正面なのか分かっておらず、呆然と高い壁を見つめた。



「それにしても、大きいのねぇ……造船所って」



 こんな所だろうとも、ララルアの纏う空気はとても優雅で雅やかだ。

 独特の雰囲気の立ち姿は、例外なく職人たちの視線を奪い、次の瞬間には驚かせる。



「あらあら、ご機嫌よう」



 ララルアは職人と目が合うと、和やかな笑みで手を振り語り掛ける。

 彼ら職人にとっては、きっと一生分の思い出となることだろう。



「――あぁ、ところでアイン君。一ついいかしら?」


「……はい。なんでしょうか、お婆様」



 突然、ララルアは笑みをおさめると、真剣な表情でアインを見つめる。



「王族の務めとは、多くのすべきことがあります。国を繁栄させること、未来のために尽くすこと、それに……国を守るということ。他にも多くの事がありますが、言いたいことはわかりますね?」


「はい。俺なりに……分かってるつもりです」


「なら結構。――ですが、アイン君が成そうとしていることは、失敗すればイシュタリカの未来に大きな影響を与えます。たとえ相打ちとなろうとも、それは変わりません。そうですね?」



 王太子アインが死ねば、少なからずイシュタリカに影響があるだろう。

 ララルアの言葉に、アインが静かに頷く。



「ですが、アイン君にしかできない。あるいは、アイン君が誰よりも向いている。……というのなら、きっと、それはアイン君がするべき事なのでしょう。何もせず待つということは、一番の愚策というのは間違いありませんもの」


「……はい」


「だから私は認めます。王妃ララルアは、王太子アインの出発を認めることに致します――言い方を変えれば、イシュタリカのために、アイン君に命を賭けなさいと言ってるのです」



 二人の会話を一歩後ろで耳に入れるディル。

 ただ静かに耳を傾けるが、筆舌にし難いもどかしさを募らせる。



「こんな言い方をする私を、アイン君は恨みますか?」


「はは……恨むだなんて、そんな気持ちは一切ありませんよ」


「あらあら……アイン君は本当にいい子ね」



 すると、ララルアが久しぶりにアインの頭を撫でる。

 胸元に抱き寄せると、愛しい孫を強く抱きしめた。



「お、お婆様――さすがに照れくさいのですが……」


「ふふ、祖母の特権ですもの」



 一頻(ひとしき)り撫で終えると、満足した様子でアインを手放す。



「でもね、王妃としてではなく、ララルア個人として言うのならば――私はアイン君が統治するイシュタリカを見てから死にたいの。アイン君の子供も抱きたいし、中庭でみんな揃ってお茶会をしたいの。あぁ、あとは家族旅行もしてみたいわね。王族だからって避けてきたけど……」



 願い事を考えると止まらないララルアが、次々と希望を口にする。

 アインもそれを楽しそうに聞き、明るい表情で頷いた。



「これ以上の願いは口にはできないわね。口にしたら、小さな器からぽろっと零れていってしまいそうだわ」


「……こぼさないように、俺が決着をつけてきます」


「あらあら、頼もしいわ――さすが英雄様は違いますのね」



 と、二人が会話を続けていると、忙しない様子で二人の男が近づく。

 何処までも続くように思える壁……その遠くから、お互いを急かすように走ってきた。



「あれ?あの二人ってもしかして……」


「あら、アイン君のお知り合いなのかしら」


「え、えぇ……久しぶりに見る顔ですけど、間違いないと思います」


「あらまぁ、それはいいわ。話をするのが楽そうだもの――それで、どちらで知り合った方なのかしら」



 造船所には不釣り合いな夫人……いや、王妃がアインに尋ねると、アインは参った様子で答えるのだ。



「えーっとですね、元クラスメイト・・・・・・・と、元担任の教授・・・・・・……です」



 アインが答えると同時に、二人の目の前で彼らは足を止めた。



「妃殿下――ご機嫌麗しゅうございます。それに、アイン――いや……殿下、お久しぶりでございます」


「ひっ……妃殿下!お初にお目にかかります。私はロラン、あ……えっと、今はこちらの造船所で、リヴァイアサンの建造に従事しておりまして……その……」



 やってきたのは、カイルとロランの二人だった。

 学園を卒業してからは、アインを含めた三人が久しぶりの会話となる。

 カイルは慣れた様子でララルアに頭を下げるが、ロランは落ち着きのなさを露呈した。



「まぁ、カイルだったのね?久しぶりね。ここでの仕事はどう?」


「一日が倍の長さになればいいのに。と、考えない時間はございません」


「あらあら。カイルらしいわね」



 カイルはロランの様子に苦言を口にしたくもなったが、ララルアの手前それを抑えた。

 後で厳しく折檻されるのだろうが、ロランにとっては、それも一つの経験となるはずだ。

 すると、ララルアはカイルから視線をそらすと、ロランに向けて笑顔を見せた。



「――はい、初めまして。ご存知かと思いますが、私はララルア。ララルア・フォン・イシュタリカと申します。貴方の事は、何度か資料も読む機会があったので覚えています。学園では、アイン君もお世話になりました」



 ロランの無作法を気にすることなく自己紹介をする。

 やってしまったと後悔していたロランだったが、ララルアの優しさに内心では涙を流したくなった。



「あ、え……えっと、なんていうかその……俺、いや私の方がいつもお世話になって……」



 アインと会話するのは慣れっこだ。

 六年に渡る学園生活のおかげか、数か月で慣れることができた。

 だが、今回のように相手がララルアともなれば話は別。

 現国王シルヴァードの妃であり、民からの人気も高いララルアが目の前にいるともなれば、ロランのような少年にとっては荷が重すぎるのだった。



 助けてと言わんばかりの瞳でアインに視線を送ったため、アインがとうとう助け舟を出した。



「ロラン、久しぶり。――お婆様。ロランは少し緊張してるみたいです」


「ふふ……いいんですよ、これぐらい。別に気にしてませんから、もう少し伸び伸びとしていいんですよ?」


「お婆様。それは無理があると思うので……ロランに対しては、俺が話す感じでいいでしょうか?」


「あら、そう?私もお話したかったのだけど、そうね……緊張させちゃっても可哀そうだものね」



 孫の言葉に納得すると、ララルアがロランの手前から一歩ずれる。



「――妃殿下。今回はどのようなご用件でこちらに?王太子殿下とディル護衛官を連れての三名ですので、大切な内容とは思いますが」


「えぇ、一つ目的があったんです。でも、取り合えず案内してもらおうかしら」


「あ、案内というと……こちらで建造中のリヴァイアサンについてでしょうか?」


「えぇ、そうよ。ちなみに、現在ではどの程度仕上がっているの?」


「はっ。現在ですと、基本装備や外装……内装に至るまでは完了しておりまして、あとは細かい部分での調整などを残している程度ですが」



 ――それがどうかなさいましたか?



 ララルアの表情を窺いながら、カイルが今回の目的の説明を求める。



「あらあら、それは素敵ね!ちょうどよかったわ。――それじゃ、案内してくださる?」




 *





 リヴァイアサンの計画が立ち上がった当初は、この造船所の至る所に海龍の素材が散らばり、組み立てや加工の作業に勤しんでいた。

 だが、今ではそうした姿が見えず、すでにいくつもの支えを受けた巨大な戦艦が鎮座していた。



「……こ、これほど見事なものが出来上がったとは」



 出来上がった戦艦の姿。

 それを見て、ディルが感嘆の声を漏らした。



「――うん。もしかして、これってホワイトキングより大きい……のかな?」



 アインも続けて驚いた声を漏らすと、チラッとロランに視線を向ける。

 巨大な造船所の中とあってか、大きさの違いの判断が難しかったのだ。



「うん、そうだよ。この海龍艦リヴァイアサンは、アインの――えっと、殿下の」


「本当はダメだけど、今はアインでいいよ。お婆様はカイル教授の説明を聞いてるし、ここにはディルしかいないから」



 ロランが話しづらそうにしていたのを見て、アインが苦笑して口を開く。

 本当にいいのだろうか。ロランがディルの表情を窺うと、ディルは声に出さずに頷いた。



「わかった。じゃあ、今は学園の時みたいに話すね――リヴァイアサンは、スケールはホワイトキングの三割半増しで、イシュタリカでも過去最大の戦艦なんだ。装備も全てが最新式のを積んでるし、外装は見ての通り……ほら」



 ――海龍艦リヴァイアサン。



 次世代型の国王専用艦として作られたコレは、アインが討伐した海龍の素材を丸ごと使用して建造されている。

 どこまでも透き通りそうな水晶、その全てが海龍の鱗だ。

 この海龍の鱗を船底を含めた全体に張り巡らせ、一本の長い筒のような形状が本体の形だ。

 頭の方に近づくと、両翼に広がる巨大な動力部分が逞しく、アインの男心をくすぐった。



 本体部分の上部には、海龍の鱗を加工して作られた巨大な盾が装備され、戦艦上部を頭から先端まで覆っている。

 今までのイシュタリカにはない、独特のデザインと威圧感を感じさせた。



「単純な硬さとか攻撃性能は、ホワイトキングと真正面からぶつかり合っても問題ないぐらいの化け物だよ。海龍の素材を使えたお陰で、既存の戦艦では無理って判断されてた出力の動力を積んでるから、速度に関しても……下手をすると二百年ぐらいは先をいってるかもしれない。あるいは、海龍の素材が無いとこれ以上の戦艦は二度と作れないかもね」



 えらく饒舌なロランの説明を受けて、この船が馬鹿みたいに強いということを理解したアイン。

 一方のララルアも同じような説明を聞いているようで、目を見開いて驚いた表情を見せる。



「海に浮かぶ宝剣――いや、聖剣って言った方がいいかもしれない。それがこの海龍艦リヴァイアサンだ」


「……すごいものを作ってくれたんだな」


「あはは……自分でも、こんなすごい戦艦に関われたことが、きっと一生の誇りになるよ」



 そう語るロランの顔は、学園時代と比べて遥かに大人びて見えた。

 身体つきも筋肉が付いて男らしくなり、声も少しばかり低くなったようだ。



「まだ完成してないんだっけ?」


「うーん、ほぼほぼ完成してるんだけど、細かい所の修正とかかな。大きな問題にはならなくても、やっぱり王が……アインが乗る船だから、妥協は許したくないんだ」


「ふむふむ。なるほどね……」



 ――なら、動かせそうだな。



 ロランの職人魂にけち・・をつけるようで申し訳ないが、動かせそうな状況なことにアインが喜ぶ。



「そういえば、どうしてカイル教授とロランが案内に来てくれたの?偶然?」


「あぁ、それはね。カイル教授がリヴァイアサン建造における総括責任者の一人で、俺がその補佐に抜擢されたから……って感じかな」


「……ロランが想定外の昇進を遂げてて驚いた」



 国家規模の話に抜擢されるだけでも優秀だというのに、総括責任者の補佐にまで抜擢されたと聞けば、ロランの有能さに驚くばかりだ。



 ……すると、ララルアの方も説明が終わったようで、アインの許に近づいてきた。



「アイン君。よかったわね」


「はい。なんとかなりそうで安心しました」



 二人の会話を聞き、ロラン……だけでなく、カイルも不思議そうな表情を浮かべる。

 彼らの表情に気が付いたララルアが、彼らが口を開く前に命令した。



「では、王妃ララルアの名において命じます。海龍艦リヴァイアサンを、大至急で水辺へ運びなさい。王都の港に持ち込むのです」


「――ひ、妃殿下?急にそんなことを申されましても、我々としてはなにがなんだか……」



 突然の命令は二人を慌てさせた。

 当たり前だろう。いきなりこの巨大な戦艦を移動しろといわれても、何が何だかさっぱりだった。

 だが、ララルアがその理由を口にしたことで、二人は表情を一変させる。



「アイン君……いえ、王太子アインがこの戦艦を使い、先に海を渡った我らが勇士の援軍に向かいます。事は迅速且つ……多くの戦力を必要とします。ですから私の名によって、リヴァイアサンの進水を命令したのです」




 ◇ ◇ ◇ ◇




 ――その日の晩。



 イシュタリカ王都は、深夜だというのに大きな賑わいを見せていた。

 港は騎士によって封鎖されると、多くの近衛騎士――だけでなく、通常の騎士や文官などが物々しい様子で足を運ぶ。

 その様子を見て、王都民は何が起きるのかと不安そうに見つめたのだが、事情を知る者は騎士達の家族ぐらいなもので、その理由が説明されることは無かったのだ。



「お父様も頑固なんだから……お見送りぐらいすればいいのに」



 アインと共に立つオリビアが呟く。

 シルヴァードはアインが城に戻ってからも口を開くことがなく、アインと会うこともなかった。

 それは、ここまで話が進んでからも同じことで、アインもせめて一言会話をしたいと願っていたが……その願いは叶っていない。



「勝手な事を言ってる自覚はありますし、しょうがないですよ……。――っとと、お母様。そろそろ、行って参ります」


「あ、あら……。もう、時間なんですね」



 泣きはらした目でアインを見つめ、オリビアが懇願するような声色で口を開く。



「アイン。もう少し近くに来てくれますか?」



 すると、オリビアが両腕を広げてアインを手招きする。

 二人の距離が狭まると、オリビアはアインを強く抱き寄せた。



 暖かく、柔らかいオリビアの胸元。

 いつものように華やかな香りで満たされると、深呼吸するように嗅いで、アインが心を落ち着かせる。

 アインの頭や背中にぎゅっと手を回し、別れを惜しむ姿をオリビアがみせる。



 数分の間それが続くと、二人が自然と一歩離れた。



「んっ――。……神様の祝福には負けると思いますけど、これは私からの祝福です」



 オリビアの顔がそっと近づくと、アインの額に口づけをする。

 だが、彼女の語った言葉には異論を唱えるアイン。



「何を言うんですか。神の祝福よりも、お母様の祝福の方が素晴らしい祝福です。――おかげで、俺は無事にイシュタリカに帰ることができるでしょうから」


「ふふ……そうですか。なら、私も祝福をした甲斐がありますね」


「ありがとうございました。今の俺は、心の底から勝利を確信していますよ」



 こうした状況ながらも、アインの言葉はオリビアの心に安心感を与えた。

 アインの頼もしさに惚れ惚れすると、オリビアは決意したように表情を変える。



「――アイン。気を付けていってらっしゃい。帰ってきたら、また髪の毛も梳いてあげますからね」


「……はいっ!行って参ります!」



 オリビアとの別れを終えると、アインは振り返って桟橋の方角に足を進める。少し歩くと、アインを待っていたクローネと合流し、二人並んで足を進めた。



「ねぇ、アイン」


「ん?どうしたの?」



 会議の時とは打って変わって、クローネが上機嫌な声色でアインに語り掛けた。



「私からの祝福もほしい?」


「え、うん――そりゃ、ほしいけど……」



 素直にほしいとは言いづらい状況だ。

 節操無しのように思えてしまい、若干の自己嫌悪に苛まれるからだ。

 だが、ここで要らないと言ってしまえばそれも問題なため、アインは少し迷った挙句に答える。



「……なんで少し迷ったのよ?」



 不満そうにクローネが目つきを変える。



「ま、迷ってないって!少し緊張しただけだから……っ!」



 ――嘘です。迷いました。



 なんて言えるはずもなく、緊張したということで誤魔化すアイン。



「ふぅん……そうなんだ。でも、最初からしてあげるつもりなかったのよね」


「……結局してくれないのか」


「あら、残念そう。――そんなにしてほしかったの?」


「うん。してほしかった」



 今度のアインは即答する。

 クローネがポカンとした顔を見せると、若干呆れたようにアインを見た。



「……即答ね」


「なんか開き直っちゃったよ」


「な、何を開き直ったのかはわからないけど……じゃあ、どうしてもっていうのなら、一つだけ選ばせてあげましょうか?」



 くすくすと笑いながら、いたずらっ子のようにアインを見上げる。

 ねぇ、聞いて?聞いて?――といわんばかりに、期待感を滲ませる瞳だ。



「ちなみに、俺の選択肢は?」


「今祝福をもらうのか。それか……こっちよ。でも、帰って来てからね?」



 二つの目の選択肢を語るクローネ。

 こっちとは一体なんだ。理解するに至らなかったアインだったが、クローネの仕草でそれを察する。

 クローネは自らの人差し指を立てると、それをアインの唇に押し当てる。

 すると、すぐにその人差し指を自らの唇に押し当てた。



「オリビア様が祝福をくれたのなら、私が同じのをあげても意味がないでしょ?だから私は、アインにご褒美を選ぶことにしたの」


「――ははっ。なるほど、クローネらしいや」


「じゃあ、それでいいのね?」


「うん。ご褒美ってのも、悪くないよね」



 自然にイチャついてるのは理解していた。

 だが、こういう状況なのだから多少は許してほしい。二人は心の中でこう妥協する。



「さぁ――私はここまでよ」



 桟橋付近に近づくと、クローネがそう呟いて足を止める。



「海龍艦リヴァイアサン。この港では受け入れるだけの余裕が無いの。だから、ここからは、この小船でリヴァイアサンまで向かってもらうわ」


「急な事だったしね……しょうがないか」



 海の方角に目を向ければ、数百メートル離れた箇所に浮かぶリヴァイアサンの姿。

 周囲にはいくつかの小船も浮かび、アイン同様に乗り込む人員たちが向かっていた。



 ……リヴァイアサンは、文字で表現すれば『山』というような形の全体像で、両翼の動力部分は独立している。

 流線型の体は、長いイシュタリカの中でも珍しい形の戦艦だ。



「乗組員はホワイトキングを操縦できる人が向かったの。だから、その辺りも心配しなくていいわ」


「ありがとう。急なことだっていうのに、クローネにも助けてもらったね」


「……今日に限った事じゃないでしょ?」



 クローネに脇腹を突かれ、アインが誤魔化すように頭を掻く。



「――違いない。これまでも、きっとこれからもそうだね」


「えぇ、そうよ。ちゃんと分かってるならそれでいいの。……じゃあ、いってらっしゃい。アイン」


「行ってくるよ……クローネ」



 アインが小船に乗り込んだ。

 目指すはリヴァイアサン――海に浮かぶ、イシュタリカの新たな戦艦だ。

 甲板の上に立ったアインは、巨大なリヴァイアサンの姿に目を向ける。



「いやー……でかい」



 でかい。その一言に尽きる。

 海に出たリヴァイアサンの姿は、ホワイトキングに乗った事のあるアインから見ても、遥かに巨大で存在感に溢れている。



「あんなんが動くんだから、すごいもんだよね」



 腕を組んで一人呟くアインの姿。

 幸いにも、乗組員は遠慮してアインの近くから離れているという事もあってか、アインの独り言は海原に消えていく。



 ……だが、一人の女性が遠慮がちにアインの隣に足を運ぶのだった。



「あ、あのー……。なんていうんでしょうか、オリビア様から始まって次はクローネさん。――となってるので、私も何かを話すべきなのかなーとか思ったんですけど……」


「あれ?クリス……どうしてこの船に乗ってるの?」



 声を掛けたのはクリス。

 騎士服ながらも、鎧は装備していないため軽装だ。

 腰にはレイピアを携えているが、戦場に向かうような格好ではない。



 アインが小船に到着するまでの様子を見ていたらしく、自分はどするべきかと迷った佇まいだった。



「私はお見送りに来たんです。――ほら。私は残念ながら、不本意ながら、苦渋の決断ですが……別行動となりますから」


「はは……えっと、ごめん?」



 クリスは軽く頬を膨らませ、私は不満ですよ、と隠すことなくアインに伝える。



「アイン様がロイド様達と合流次第、私たちは港町ラウンドハートから攻め入ります。私がプリンセスオリビアに乗って向かいますので、その後は挟み撃ちという形となりますね」



 淡々と語る彼女の姿は、依然として不満そうなのに変わりがない。



「その、この作戦が効果的なのはわかってるんですけど、護衛の私が別行動って言うのは……どうなんでしょう?」


「……はい。色々と、申し訳なく思ってます」



 ちなみに、作戦立案はアインだった。

 作戦立案よりも、クリスを納得させる方が難しかったのは公然の秘密。



「お詫びの言葉は結構ですので、ちゃーんとロイド様達と合流して、私とも合流してくださいね?」



 曲がりなりにも、クリスは一応、アインと合流する予定があるのだ。

 そのため、オリビアやクローネと違って、表情にも悲壮感は浮かんでいない。



「それに、隠れてリヴァイアサンに乗り込むっていう計画は、まだ頓挫してませんからね?」


「俺に教えたら隠れてって無理じゃない?」


「……アイン様にバレなければ、なんとかなるんじゃないかと」


「権力の不正利用はダメだよ?」



 アインの言葉に、クリスが初めて悲壮感を浮かべた。



「……と、頓挫してしまいました」


「あ、うん……。俺には全然達成感ないけどね……」



 クリスが不正を考えていたことを叱責するべきか迷ったが、クリスの落ち込み具合を見て、アインは情けをかけるのだった。



「――こ、こうなってしまっては仕方ありません!なんとしても、無事に合流してくださいね!」


「うん。分かってる。そのつもりだから、安心していいよ」



 クリスと賑やかな会話を楽しんだアイン。

 ふと、小船が速度を落としたことに気が付く。



「もうお時間ですね。では、アイン様……ご武運を」



 リヴァイアサンのすぐそばに停泊した小船。人力で簡易的なタラップを繋げると、クリスはアインの傍から去っていく。

 彼女も仕事が残っているのだろう。アインはそう考えると、去っていくクリスの背中に礼をする。



「ありがとう、クリス。……さてと、それじゃ乗り込もうかな」



 タラップは多少の揺れを感じさせるが、アインは海に落ちるという間抜けな事をせず、リヴァイアサンへと足を運ぶ。

 中ではディルがアインの到着を待ってるはずだ。加えて、治療役としてのバーラもすでに自室の設備を確認しているはず。



 ――揺れるタラップを一歩一歩進み、とうとうアインがリヴァイアサンに乗船する。



「出発の挨拶は済んだか?」


「っ……お、お爺様!?」



 乗船したアイン。

 すると、ディルや数人の近衛騎士を侍らせていたのはシルヴァードだ。

 一言でも会話をしたい……と思っていた相手の登場で、アインは後ろに倒れてしまいそうなほど驚いた。



「なんだ。そう驚くことでもあるまい」


「い、いえいえ……驚きますよ!だって、こんなところに居るだなんて……」


「――余にも葛藤はある。王として相応しくない振る舞いだったかもしれぬが――そうであれば、それが余の器の限界だったという事だ」



 シルヴァードがアインに近づく。

 すると、片手を自らの耳に持っていき、着けていたピアスを手に取った。



「ララルアにも叱られた。ふふ……王妃に叱られる国王なんぞ、とんだ笑いものだがな」



 アインが知らないところで、ララルアに何かを言われたのだろう。

 自責の念に駆られた様子のシルヴァードが、取り外したピアスをアインに差し出す。



「持っていけ。これがアインの命を守ることを、余は祈っておる」




 強引にピアスを手渡したシルヴァードは、呆れるほど元気な足取りでリヴァイアサンを降りる。

 アインが通ったのと同じタラップに足を進めると、勢いのいい足取りで前に進んだ。



「陛下!お待ちください、先に我々が――」


「よい。この程度で足を滑らせるほど耄碌しておらぬ」



 近衛騎士は困った様子でシルヴァードの後ろを追うと、シルヴァードを支えるように近くに立つ。



「――お爺様ッ!これってもしかして」


「あぁ。大地の紅玉――余の分だ。だが、今それを持つべきはアインだろう。……それが必要とならんことを祈っておるがな」



 語る言葉少なめに、シルヴァードはあっさりとアインの許を離れる。

 小船に到着したシルヴァードは、疲れた面持ちで船の中に進んでいった。



「アイン様。陛下はしばらく前にこのリヴァイアサンへとやってきて、技術者や乗組員へと、厳しい顔つきでいくつも尋ねていらっしゃいました。本当にもう安全なのか、ホワイトキングと比べてどうなのか――と、最後まで心配そうにしていらっしゃいましたよ」


「……はぁ。隠さないでもよかったのに」


「陛下なりの矜持もございましょう。ただ、我々近衛騎士から見ても、陛下はアイン様の身の安全を強く案じていらっしゃいましたので……」



 憂愁のようなため息を漏らしたアインは、振り返ると小船に向かって深く頭を下げる。

 すでにシルヴァードの姿は見えないが、アインなりの礼を尽くした。



 すると、すぐに小船は桟橋目指して戻っていった。



「ですので、アイン様。どうか陛下のお気持ちを――」


「分かってる。ていうか、気持ちを汲むも何も、俺がお爺様の意思に反した行動をしてるのも分かってるからね。……でも、お爺様も知ってるはずなんだ。俺が……アインが行くべきだ、ってね」



 言ってしまえば、アインを危険な目に会わせたくないがための行動だ。

 それは国王として正しいのか……という疑問も生じるが、シルヴァードの中でアインの存在が大きかったのだろう。



「だから、ちゃちゃっと終わらせて帰ってこよう。ロイドさん達と合流して、すぐにケリを付けて……凱旋するためにね」


「そうよー殿下。その意気で頑張りましょうね」


「っ……マ、マジョリカさん!?」


「えぇ、こんばんは殿下。瘴気の事とかに関しては、私も詳しいから任せてね」



 濃厚な花の香りがする香水を身に着けたマジョリカ。

 体をクネらせながら近づくと、背負っていた巨大なバッグを床に置く。



「はぁ、重かった」


「――ど、どうしてマジョリカさんが?この船、ロックダムに行くんですよ?」


「知ってるわよそんなの。それに、どうしてって言われれば……陛下たっての願いだったからよ。瘴気の事にも詳しくて、魔物の知識もある私に付いていってほしい……ってね」


「で、でも危険なのに!」


「あらあら。危険なのは殿下も同じでしょ?いいのよ気にしないで。それに、聞いた話が本当なら、イシュタリカに残ったってどうせ危険だもの。だったら何もしないよりマシよ」



 男気溢れるマジョリカの言葉に、アインとディルの二人は圧倒的な頼もしさを感じた。

 マジョリカが逞しい二頭筋を輝かせると、床に置いた巨大なバッグを背負い直す。



「それじゃ、私は用意してもらった部屋にいってくるわねぇ。何かあったら呼んでちょうだい」



 振り返ったマジョリカは、背中を見せながら、アイン達に向けて手を振って歩き出した。



「……なんというか、頼もしい人だよね?」


「ははは……」



 ディルの乾いた笑い声を耳に入れ、アインは気持ちを切り替える。



「ディル。資材の積み込みは終わってる?」


「はっ。アイン様が乗船した時点でほぼ終了です。兵器に関しても、父上たちが持っていったものよりも強い弩砲を四門ほど用意しましたので――万全です」


「ちなみに、どう強い兵器なの?」


「単純に、効果範囲や威力に大きな違いがございます。ただ、父上が持っていった弩砲と比べ重量や大きさに違いがありまして、長距離の運搬には向かないのですが、今回は近衛騎士に無理やり・・・・運搬させることに致します」



 ディルの答えに、アインが頬を引きつらせる。



「それって、大丈夫なの?」


「えぇ、問題ありません。というのも、父上達がバードランドまで進軍している今ならば、多少の無理が効くということですので」


「あぁ……それならいいけど。ほら、無理に身体を動かせてもさ」


「お気になさらずに。近衛騎士が常日頃から鍛えているのは、こうした時のためでございますので」



 大規模な戦争となるため、ディルの言い分も理解できるアイン。

 苦労を掛けさせてしまうが、こればかりはしょうがない事だ。



「また、牽引用に飼いならされたバイソンを多数用意しておりますので、進軍が遅くなるという事はございませんよ。いざとなれば食料にもなりますから」



 働かされた挙句、食料にされるというのは切なさが募る。

 バイソンの味を知るアインとしては、それを否定できないのも悲しいところだった。



「ディル護衛官。搬入作業が終了。騎士の乗船も完了し、出航の準備が整いました」



 近衛騎士が乗組員を一人連れてやってくる。




「あぁ。――では、アイン様。出航致しますので、中に……」


「いや、ここから王都を眺めることにするよ。リヴァイアサンが進む姿も見ていたいしね」


「……かしこまりました。では、少しの間こちらで待ちましょうか」



 タラップが取り払われる音。徐々に熱が入る動力の音。いつもと比べて少し強い波の音。

 不思議な高揚感と物寂しい空気に浸りながら、アインは王都――そして、城へと目を向ける。



「なんかさ」


「はい。どうなさいましたか?」


「なんか……まるで別世界みたいに見えてきたよ」


「別世界……というと、我々が今いるリヴァイアサンがですか?」



 王都を眺めるアインの隣で、ディルは静かにそう答えた。



「どちらかというと、王都かな。さっきまであそこに居たはずなのに、まるで存在しない楽園を眺めてるような気分になる」



 少し切なそうな笑みを浮かべ、アインがディルに振り返った。



「どう思う?俺もさ、自分で何言ってんだ……って思ってきたんだけど」


「――いえ。アイン様が仰りたいこと、私にも分かりますよ」


「ほ、ほんと?」


「えぇ、実のところ……私も同じような気分でしたから」



 ディルがアインに同調する。

 すると、同調されたことにアインが安堵する。

 ほっとした表情で海に目を向けると、同時に耳を澄ませた。



「なんか安心したよ。――あ、炉が本格的に動き出したね」


「そのようですね。さぁ、アイン様。あまり考えすぎても体に毒です。いかがでしょう?この、イシュタリカ史上最強の船を楽しむというのは」



 気楽に構えすぎだろうか。

 ディルも迷ったが、アインの様子を見てそれを口にした。



「ははっ――そりゃいいね。たしか、ホワイトキングでも勝てない速度なんだっけ?」


「はっ。そう伺っております」



 ……その時だ。

 海龍艦リヴァイアサンがゆっくりと海原を進み、王都から少しずつ離れていく。



「後部の両翼に広がる動力部分が稼働を始めると、出力の増減で多くの調整が出来るとのことです」



 ディルがアインに説明すると、アインはリヴァイアサン後部に目を向ける。

 独立している左右の巨大な動力部分、だが、大きさの割に音は静かなまま動作していた。



「でも、けっこう静かだね?」


「騒音に関しても改善が見られたようで……いやはや、研究者たちの頭脳はどうなっているのでしょうか」


「あー……道理で。でも、動いてる姿を想像すれば、まるで人工の海龍だね」



 想像してみると、考えれば考えるほど似ていたのだ。

 今までは無かった流線型の全体像は、マグナで見た海龍の泳ぐ姿に共通点があった。

 両翼に広がる動力部分がヒレと思えば、意外と似ているように思えてならない。



「言われてみれば確かに……。あの日、マグナで見た海龍の泳ぐ姿と似ておりますね」



 船体をうねらせて進むことはないが、雰囲気は似ているだろう。

 それに、全体に海龍の鱗を使った体つきなのもあってか、リヴァイアサンはあまり人工物のような印象ではなかった。

 神のような高次元の存在がもたらしたと聞いても、なんら違和感は感じられない。



「――って!?」



 突然、リヴァイアサンが強く速度を上げる。

 アインが突然の事で驚くと、ディルが近づいてアインの身体を支えた。



「あ、ありがとう……すごいね、今の加速……」


「い……いえ、私も少しばかり驚きました。一気に速くなりましたね」



 加速を続けるリヴァイアサンの姿は、プリンセスオリビアでもなければ、ホワイトキングとも似つかない。

 水をかき分けて進むというよりも、まるで水が意思を持って道を差し出すような――そんな錯覚を覚えるほど、自然で海の王たる前進だ。



 リヴァイアサンが進んだ後は、一直線の波紋が海面に姿を見せる。

 聖域のような存在感を見せつけると、我が物顔で海原を駆けた。



「夜明け前までには、ロックダムへと到着予定です。アイン様には、それまでの間お休みいただく予定でございますが」


「うーん。海だし、魔物も出るかもしれないでしょ?――赤狐は魔物も操るって聞いたけど」



 聞いたというか、ヴィルフリートが書いたという本に記載があった。

 その情報を信じるならば、アインがベッドで休むというのも気が引けたのだが……。



「でしたら、万が一海龍が出現することでもあれば、アイン様をお呼び致します」


「……?それって、他の魔物の場合は呼ばないって事?」


「えぇ。カイル教授によると、数年前に出現した海龍の一頭程度ならば、リヴァイアサン一隻で肉薄できるとのこと。ですので、他の魔物が出ても特に障害にはならないらしく……」


「――出鱈目にもほどがある」


「はは……一応、海龍を一頭丸ごと使ってますからね」



 どうやら、人工海龍は天然の海龍と戦えるだけの実力を備えたとのこと。

 ポカンと開いた口が塞がらないアインは、研究者たちに感謝をすると、リヴァイアサンを見渡してからディルを促す。



「じゃあ、少し休ませてもらおうかな。部屋に案内してもらってもいい?」


「はっ。お任せください」



 ――初夏のこの日、ついにアインが海に出た。



 苦戦を強いられているロイドの援軍として……イシュタリカを発つ。

 王都に残っていた多くの近衛騎士や通常の騎士――そして、専属護衛のディルを引き連れてリヴァイアサンを駆る。



 夜明けまではそう長くない。

 少しの間でも休むことに決めたアインは、ディルの案内でリヴァイアサン内の自室に向かうと、城の自室と変わらない造りの良さに驚かされる。

 その影響もあってか、夜明けまでの時間を、アインは一度も目を覚ますことなく……快適に過ごすことができたのだった。




 *




「――イン様!アイン様ッ!」


「ん……?あれ、ディル……?」


「えぇ、ごゆっくりできたようで何よりです」



 ディルがアインの体を揺さぶった。

 こうしてディルに起こされるのは初めての経験で、アインはこの新鮮を感じながら体を起こす。



「ふぁ――よく寝た。もしかして、ホワイトキングよりも居心地も上等なのかな」


「そう思いますよ。揺れも少ないですし、空調などの細かい部分にも手が入っております」


「至れり尽くせりだね……よっと」



 ベッドから降りると、椅子に掛けていた外套を手に取る。

 テーブルを見ると、サンドイッチと飲み物が置かれているの見て、アインがそれに手を伸ばす。



「ディルはもう食べた?」


「はい。私も同じものをいただきました」


「そっか、ならよかった。――そういえば、起こされなかったけど、何も問題はなかった?」


「……アイン様を起こすような問題はございませんでしたよ」



 含みのある言い方だ。

 ディルの言葉を聞き、アインは引き続き尋ねる。



「ってことは、ちょっとした問題はあったの?」


「え、えぇ……。二度ほどですが、海の魔物の集団とすれ違いまして」


「……ちょっとしたどころじゃないじゃん。なんで呼ばなかったの?」



 詰問するようにディルを見ると、アインは続けて問いただす。



「蹴散らすように進みまして、特に問題にならなかったものでして……」



 シルヴァードの船ホワイトキングだろうとも、魔物の集団とすれ違えば、蹴散らすように進むなんていう真似は不可能だ。

 それを二度も成し遂げたと聞き、アインは口に含んだサンドイッチを真顔で咀嚼する。



「ん……。――ごめん、つまり勝負になるどころか、相手にすらならなかったってこと?」


「はは……そうなりますね」


「――頼もしい限りだよ。ほんと」



 急いで口に含んでいたサンドイッチを食べ終わったアイン。

 リヴァイアサンの強さに驚くと、やれやれと口にして窓に目を向ける。



「本当に、もうロックダムなんだね。あれがロックダムの城かな?……俺たちの戦艦も並んでるね」



 当たり前の事だが、イシュタリカ王都の港に納まらないリヴァイアサンが、ロックダムの港に納まるはずもない。

 少し離れたところで停泊したリヴァイアサンの下に、一隻の戦艦が近づいてくるのが見える。



「私も初めて見ますが、おそらくその通りかと。近づいてくる戦艦がご覧になれるかと思いますが、そちらに兵器や資材を移し、我々もロックダムへと上陸いたします」


「ん。わかった。色々と驚かされたけど、とりあえず無事についたのは何よりだよ」


「――では、参りますか?」


「そうしようかな。剣も持ったし着替えも終わった。俺の分の荷物は、えっと」


「ご安心くださいませ。アイン様のお荷物も手配済みです」



 いつもながら、仕事のできるディルが相手で安心するアイン。

 だが、ふとディルを見ると珍しいものに気が付いた。



「あれ?そんなネックレスしてたっけ?」


「あ、えっとこれはですね――」



 猫を模った小さなネックレスが、ディルの胸元で存在を主張している。

 ディルがそうしたネックレスを好むとは思えなかったアインは、不思議そうにそれを見つめるが……。



「カティマ様がくださったんです。なんでも、助手の証と仰ってましたが」


「あー、助手お世話係ってことね。なるほど、うん、良かった良かった」



 瞳から色を失うと、考える事を放棄したアイン。

 触れちゃいけないと感じると、足早に支度に向かった。



「アイン様?何か言い方に含みがあるような……」


「いや何もないから気にしないで。大丈夫、何も問題ない。……さ、早くロイドさんのところに行かなきゃね」




 *




 こうして、アインを含むイシュタリカの援軍がロックダムに到着した。

 リヴァイアサンという新型の戦艦は、先にロックダムに来ていた騎士達も驚くこととなったが、アインがやってきたことでそれ以上の驚きをみせる。



 しかしながら、援軍としてアインがやってきたという事で、騎士達の士気はうなぎ上り。

 ロックダムに残っていた騎士達もいくらか引き連れて、アインはバードランドに向けて急いで出発する。



 騎兵が主となったアインの軍勢は、ロイドたちがバードランドに向かった時よりも遥かに早い速度で進む。

 ロイドたちが踏破した道を馬で駆けるアイン達は、手遅れにならないように……と、馬が倒れないギリギリの速度で走らせる。



 そして、一晩立った次の日の昼。

 アイン達はとうとうバードランドの近くへとたどり着いた。



「あらまぁ……急いできて正解だったみたいね、殿下」



 マジョリカがアインに語り掛ける。

 すると、反対側からディルもアインの近くにやってきた。



 小高い丘からバードランドを見るイシュタリカの軍勢は、まだハイムの軍勢に気が付かれていない。



「マジョリカ殿の言う通りですね。――きっと、手遅れにならない限界が今だと思います」


「うん。二人の言う通り、本当に急いで来てよかった。――でも、一体なんなんだよアレって」


「おそらく、アレが父上の報告にあった瘴気を漏らす馬車ではないかと」



 ディルが指示した方角に、一台の豪華な馬車が停車している。

 金銀宝石を使った外装と違い、漏れ出す空気の色は毒々しい色合いをしていた。



「――それと、まわりにいるのが、エウロで出現したっていう変な生き物ね。……なによあれ、あんなに沢山連れて来ちゃって、ペットみたいなものかしら?」


「ペットにしてはしつけ・・・がなってないね。――ディル、弩砲の用意を」


「はっ。いつでもアイン様のご指示で砲撃を開始します」


「それで、殿下?どうするの?」


「……見ての通り、ロイドさん達が押されてる。ハイム兵の様子もおかしいけど、あの小動物の数も多すぎるんだ」



 冷静に戦況を見つめたアインは、自らの考えを確認するように一つ一つを口にする。



「多分さ、城壁がある場所での防衛なら、あの装備と人員でも勝てると思う。だけど、バードランドはそんな壁がないから苦戦するんだ」


「殿下の言う通りね。……それに関しては、元帥閣下の判断ミスかしら」


「そうかもしれないね。でも、その責任とかを求めるのは後だ。今やるべきは、俺たちの家族を救いに向かう事だけ……そうでしょ?」



 アインが馬を数歩進めると、ディルとマジョリカに振り返る。



「……えぇ、その通りだわ」


「仰る通りかと」



 二人が頷く姿を見て、アインは満足そうに微笑んだ。

 すると、今度は騎士の方を見て声をあげた。







「皆――隣にいる仲間を見ろ」




 どこまでも届きそうな澄んだ声で、アインが連れてきた軍勢に語り掛ける。




「戦友の顔を見ろ。その身に纏う鎧を見ろ。皆の目に映る総てが我らの誇りだ」




 ――……ザッ。



 静かに、そして少しずつ……騎士が槍を突き立てる音が響く。




「今この時より、我らは英雄となる――未来永劫続くであろうイシュタリカの歴史に名を刻む。なぜならば、初代統一王マルクの行いを踏襲しているからだ」




 国家の大敵を相手に、皆が一丸となって剣を振る。

 そして、その相手が赤狐ともなれば、真の決着をつけるという意味でも正しい事なのだ。




「今この時より、我らは勇者となる――恐れを殺せ、正義を抱け。この戦いこそが、我らイシュタリカの未来そのものだ」




 ――ザッ……ザッ……!



 槍を地面につきたてる音が徐々に増え、少しずつ、『おぉッ……!おぉッ……!』と声が重なった。




「槍を突き立てろ。剣を振れ。敵の体を砕け――」




 その言葉とともに、アインが剣を抜き去った。

 剣を抜く金属音が一帯に響き渡ると、まるで王のような振る舞いで宣言する。




「駆けよ!……我らが家族の許へッ!」




 アインの号令が終わると同時に、一斉にイシュタリカの軍勢が走り出す。

 用意された四問の弩砲が攻撃を放つと、馬車の周囲の小動物たちが吹き飛んだ。



「……ほんと、いつの間にか王様らしくなっちゃって」


「我ら自慢の王太子殿下ですよ。マジョリカ殿」



 アインの演説に体を震わせ、ディルとマジョリカの二人がアインを追う。



「ディル!左翼を任せる――バーラを含む治療部隊に敵を近づけるな!マジョリカ!右翼に展開して、敵を追いこめ!」


「はっ――で、ですがアイン様はっ!」


「ちょ、ちょっと殿下ッ!それって、殿下はどうするのよ!」


「弩砲の勢いのおかげで馬車の周りが開いた。俺があの馬車を破壊する!」



 瘴気に対する完全耐性はアインしか持っていない。

 馬車の周りが手薄になったのを見て、アインは一人中央を駈けて馬車に向かった。

 砂塵に混じって、徐々に瘴気が流れ出る。



「で……殿下ッ!」



 ディルが駆け寄ろうとするが、アインがそれを制する。



「俺じゃなきゃ駄目なんだ!だからディル!俺の方にハイム兵とあの獣がやってこないように――頼む!」


「ッ!?承知致しました!」


「マジョリカも……頼んだぞ!」


「はぁ……わかったわよ!でも、殿下!大地の紅玉があるからって、あまり無理はしないようにね!」



 ディルとマジョリカの二人が答えると、アインと別れて両翼に開く。

 騎士を先導して二人が進むと、ハイムの軍勢が慌てた様子で構えだした。



「――なんだ。本当に数で押してるだけなのか?」



 ハイムの軍勢が慌てた様子なのを見て、アインがそっとほくそ笑む。

 すると、徐々に馬車に近づくアインを警戒してか、馬車からどす黒い瘴気が漏れ出す。

 だがそんなものは気にせずに、アインが馬をさらに加速させた。



「ギギィッ!」


「……邪魔だ、退け」



 死角から襲い掛かるネズミを一刀で切り伏せると、一直線に馬車を目指す。

 不思議といつも以上に力が満ちているように感じたアインは、マルコの剣と一体になったかのような充実感を得る。

 万能感にも匹敵し得る精神的な強さと共に、明瞭な視界で辺りを見渡したのだ。



「おかしいな。相手の指揮官が居ない?聞いた話だと、父う――いや、ローガスが姿を見せていたらしいけど、ここにはいないのか?」



 では、一体誰が指揮官なのだろう。

 指揮官なしでの行軍は考えられず、アインは怪訝そうにしながらも突き進んだ。



「いや、先にするべき事はあれを壊す事……。急がないと」



 一瞬迷った頭を左右に振り、馬車に対してだけ意識を向ける。

 ……一直線に馬を走らせたおかげか、もうすでに馬車は目と鼻の先だ。

 いつもなら、辺りに散らばる小動物の死骸に気分を悪くするだろうが、今日ばかりはそれに気を使うことが無く、むしろ邪魔に感じるぐらいには余裕があった。



 徐々に瘴気を広げようとする馬車の姿が、アインを警戒しているように思えてならない。



「っ……嫌なにおいだ」



 例えるならば、腐臭に近い香りがアインの鼻に届く。

 砂塵と瘴気の香りに気が滅入ってしまうが、眉間にしわを寄せながら馬を急がせた。



「でも、もう終わらせる――」



 馬車とすれ違う瞬間。剣を振って馬車を切り裂こうとしたアイン。

 ……だが、アインの剣には手ごたえが届かず、



「切れてない……?」



 剣を振ったはずだというのに、全くその感触が無かったことに驚かされる。

 馬車はケロッとした様子で停車していたが、二人の御者が槍を手にアインに近づいた。



「――なっ!?」



 すると、御者はアインを狙わずに馬に槍を突き立てる。

 馬は苦しそうに倒れだし、アインは落馬しないように飛び跳ねる。



「で、んか、の、御前、だ」


「下が、れ。蛮、族め」



 掠れた声で、独特の語り口調で口を開く二人の御者。

 深く被ったフードのせいで表情が窺えないが、普通の人・・・・とは思えない。



「下がるのはお前たちだ。そこから退け」



 剣を向けるが、御者は一向に退く気配を見せない。

 アインはそれを見ると、先手をとるために一歩を踏み出す。



「っあ、あ……、ッ!」


「ハイ、ムのた、め!ハイ、ムのた、め!」



 踏み込んだアインを見て、二人の御者がアインに槍を向けた――が、マルコに勝ち、そして魔王となったアインの敵となる力は持っていなかった。

 マルコの剣を受け止めた御者は、その切れ味に負けて槍ごと切り伏せられる。

 すると、残ったもう一人の御者が走り出し、ハイム兵の一団に向かって去っていった。



「……なんだったんだよ、あいつ」



 この御者は一体何なのか。

 それをさぐるため、切り伏せた御者に近づきフードを取る。

 ……その中にあったのは、アインが想像していなかった姿だった。



「ッ――下種にも程があるだろ……」



 元々は普通の人間だったのかもしれない。

 だが、フードの中にあったのは、身体が半分腐った男の顔。

 どのようにして変貌させたのかは分からないが、人道的なものではないことは一目瞭然だった。



 アインは気分を悪くしたが、一度舌打ちをして馬車に近づく。



「――開けるぞ」



 何が中で待っているのか。

 見たくは無かったが、さっきは剣でも切れなかった。

 だからアインは近づいたのだが……。



「あ、あれ?」



 アインが近づくと、瘴気が浄化されるように色を失う。

 毒素分解で消え去ったようだが、それと同時に不可思議な事が起きた。



「扉が勝手に開いた?」



 馬車の扉が勝手に開いたのだ。

 瘴気が消え去ることで、扉がゆっくりと開きだす。



「もしかして、瘴気で扉を封じて……?はっ、なんだよその技術」



 呆れたように笑うアインが扉に近づく。

 不可思議な技術に違いないが、想像通りだったらしく、アインが近づくと馬車の車輪が崩れた。

 どうやら、この馬車は瘴気を用いて馬車を守っているらしい。



 ――まぁいい。



 馬車の中を窺いながら進むアインが、中にいる人物の姿に気が付く。

 すると、中にいた人物もアインに気が付いた様子で、上機嫌な声色で語り掛けてきた。



「……お、おォ!可愛らしイ女だ!ほれ、近くによ、寄れ!」


「だ、誰だよお前……」


「わ、わた……私は王太子レイフォン。ほ、れ、早くこここ……こっちにきて、服を、脱げ!」


「――何を勘違いしてるのかしらないが、俺は男だ」



 レイフォン。確かハイムの第一王子のはずだが……と、アインが考え込むが、レイフォンの吐き出す息が黒い。

 あげく、服の中からも瘴気が漏れ出していることに気が付かされる。



「……本当に、人が瘴気を作り出すなんてね」


「は……ははぁ?なにを言ってる、いいいいい……いいから、近くに、こここ……来い!」



 自らを王太子と呼称したレイフォンが服を脱ぐ。

 服を脱ぐと、圧倒される脂肪の塊が現れ、汗だくの腹をアインに見せつける。



「う、うわっ――って、お前……それ、なんだよ」



 アインが一瞬目を背けるが、目を背ける寸前にとあるモノを見つけてしまった。

 それはレイフォンの胸の間に埋め込まれた、黒く濁った丸い石だ。

 太い血管がその石に繋がっており、時折、気味悪く脈動する姿をみせつける。



「ここここ、これはもらったんだ!あ、の高貴な、方に……!あ?高貴な方って、誰だ?私……私?――おおおお、おい!はやく、はやくこっちにきて、服を……脱げ!」



 話に一貫性がないまま語り続けるレイフォン。

 彼は思い出したようにアインを近くに手招きする。



「――赤狐か」



 レイフォンに対しての情はないが、こうして好き勝手されたことには少しの不憫さを感じてしまう。

 深くため息をついたアインは、ゆっくりと馬車の中に入って、レイフォンのすぐそばに足を運ぶ。



「あ、あはぁ……そそそ、そうだ!もっとこっちに……こっちだ!」



 ズボンにまで手を掛けそうになったレイフォンを見て、アインの上半身に鳥肌が走る。

 こんな男を相手に剣を振るいたくは無かったが、ついに嫌気がさして、アインの片腕が前に動かされた。



「は……あ……?あ、あれ?」


「祈ってくれ。それを失っても生きられることに」



 アインの剣がレイフォンに埋め込まれた石を貫くと、レイフォンは口をパクパクさせながら石を撫でさする。

 すでに砕けてしまった石から少しずつ黒い粘着質の液体が漏れ出すと、萎れるようにレイフォンの体が細くなっていく。



「あ――あ、はぁっ!……はぁっ……ぁ……」



 苦しそうに喉を掻きむしるレイフォンを見て、アインも咄嗟に顔を背けてしまいそうになった。

 しかし、自らの行いと考えると、アインは険しい瞳でレイフォンの変わりゆく様に視線を向ける。



「か……はぁっ……かっ……はぁああああああああ」



 骨と皮のような、まるでミイラのような姿になり、それがレイフォンの最後となった。

 レイフォンから瘴気が漏れ出さなくなったのを確認すると、アインは重い足取りで馬車を出る。



「――くそッ!色んなものを玩具にしてるだけじゃないか……ッ!」



 馬車を出たアインが剣を振ると、今度は馬車があっけなく真っ二つに切り裂かれる。

 鈍い音を立てて馬車が崩れ、俯いたアインが地面を強く蹴りつける。



「アイン様!ご無事ですか!?急に敵軍の動きが弱まったので、アイン様を迎えに参ったのですが……」


「敵軍が弱まった……?」



 ディルが数人の近衛兵を連れてやってきた。



「え、えぇ。アイン様が馬車に近づいてからというもの、徐々に敵兵と小動物たちの動作が鈍くなりまして……」


「――そっか、なるほどね」



 合点がいった。

 この馬車は――レイフォンは、彼らに瘴気を通じてエネルギーのような何かを供給していたのだろう。

 それが絶えたことで、敵は一斉に弱体化してしまった。



 仮説を考えたアインが一人納得する。



「殿下ッ!いろいろ落ち着いたから来たんだけど……って、無事ね……よかったわ」


「なんとかね。気に入らない事はあったけど、それは後で説明するよ」



 レイフォンの事を思い浮かべると、アインはバードランドの街並みに視線を向けた。



「……あれ?もしかして、あれってロイドさん?」


「父上ですか?――ッえ、えぇ。確かにあの鎧は父上のものですが……」


「――って、落ち着いてる場合じゃないわよ!元帥閣下、あの状況じゃ不味いじゃないの!」



 遠くにいるため、顔つきまでは視認できない。

 だが、見慣れた鎧は明らかにロイドの物だった。

 ……ただし、マジョリカが懸念したように、槍を使う相手に襲われているという条件付きだが。



「誰か、馬を!」


「こ、こちらをお使い下さい!」



 近衛騎士の一人から馬を借りると、アインがその馬に乗って急いで走らせる。

 ディルとマジョリカの二人が急いで後を追うと、どうするのかとアインに語り掛けた。



「どうするの殿下ッ!このままじゃ間に合わないわよ!」


「っく……何か、何かあるはず……何か……っ!」



 苦し紛れの判断だが、敵の目を欺くためにも黒い霧をアインが放つ。

 それは、ブラックフオルンが持つ、人の目を欺くための霧だったのだが――。



 ……その時だ。アインがとある言葉を思い出す。



『俺の名はアイン。アイン・フォン・イシュタリカだ。正統なるイシュタリカの血を継ぐ次代の王であり、イシュタリカ王家の二代目の……――王だ』



 ――そうだ。俺は、イシュタリカ王家の二代目の……魔王(・・)だ。



 マルコとの戦いの際、アインはマルコにこう返した。

 そうだ、自分は魔王だ――それも、ドライアドの血を引く魔王だ。

 この事を強く認識すると、やけくそのような感覚で体中に力を込めて、ロイドのいる方角にその気持ちを放った。



「こんなところで、諦めるはずがない……だろッ!」



 生じた根っこは、決してアインの体と繋がってはいなかった。

 だが、それは確実にアインが作り出した木の根だろう。



 結果としてアインが作り出した木の根は、イシュタリカの騎士を守っただけでなく、ロイドの命を救う結果にもつながるのだった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




「――それで、エドと戦うことになって、一息ついたからここに来た……って感じかな」



 説明してみたら意外と長かった。

 僅かな口元の疲れを感じ、アインはロイドの反応を見る。



「なるほど……つまり、アイン様のお陰で我らは瘴気の脅威を避けられたと。――それにしても、リヴァイアサンまで出してこられたとは……」


「今の説明にはなかったけど、リヴァイアサンは港町ラウンドハートに向かうよ。タイミングはクリスが来るときに合わせてだけど」


「……えぇ、効果的でありましょう。多くのハイム兵たちがすでに息絶えた。ですので、港町から攻め入るのも危険性は低くなっているはず。なにせ、あの港町は防壁などがございませんからな」



 アインも古い記憶を思い出す。

 クリスがプリンセスオリビアに乗ってきたときの事を思えば、防衛能力なんて無いようなものだ。



「そうなるね。いざとなれば、遠距離から砲撃を仕掛けるだけで事は済む」


「――よろしいのですか?多くの問題があったとはいえ、あの町は」



 ロイドはアインを気遣った。

 なにせ、港町ラウンドハートはアインの生まれ故郷。

 そこに砲撃を仕掛ける――という言葉を口にすることが憚れたのだ。



「ロイドさん。それ以上は言わなくていいよ。……大丈夫、俺は何も気にしてないから」


「……失礼いたした」



 ばつの悪そうな顔で謝罪すると、ロイドは左目の辺りに手を当てる。



「その、大丈夫じゃないと思うけど……痛みはどう?」


「えぇ。実は痛みはバーラ殿のおかげか、特に気にならないのですよ。血を流したせいで気怠い感覚はありますが、これは一日……長くとも二日休めば問題にはなりません」


「大丈夫ですよ、アイン様。父上なら、剣が振れるなら這ってでもついてきますから」


「はっはっはっ!ディルの言う通りだ。――アイン様。本日の失態については、本国に戻り次第いかようにもでも処罰を受け入れます。ですが、この戦場においてはまだ剣を振ることをお許しください」


「……処罰なんかもあんまり考えたくないけどね。とりあえず、ロイドさんにはまだ一緒に戦ってもらう。だから、まずは身体を癒していてほしい」



 アインが立ち上がると、ロイドの肩に手を置いて激励する。



「それにしても、アイン様のご活躍たるや……まさか、私が手も足も出なかった相手を撃退してしまうとは」


「あ、あぁ……そのことか」


「よろしければ、どのような戦いだったのかをお聞かせ願いたいものですが……」


「――いいよ。でも、ロイドさんが怪我を治してからね?」


「む、むむっ!」



 短い声でははっ・・・と笑うと、アインはディルとマジョリカの方を向いた。



「ディル。ロイドさんといくらかの情報共有を――マジョリカさんは、俺と一緒に外の確認にきてもらえる?」


「アイン様――私もご一緒しますが」


「こういう時ぐらい、殿下に甘えちゃいなさいな」


「そういうこと。じゃあ、少し外の様子を見てくるね」



 ――我ながら悪い判断じゃないと思う。



 二人なら落ち着いて情報共有もできるだろうし、ロイドも精神的に落ち着くことだろう。

 マジョリカという信頼を置ける相手を連れていくことで、ディルは素直にアインの言葉に甘えることができる。



 ……アインは宿屋の扉に向かって足を進め、マジョリカを伴って外に出た。



「相変わらず優しいのねぇ」


「適材適所かなって。……エドもそれなりに消耗したし、今日はもう攻めてこないと思うけど」


「まぁ、あっちの指揮官も消耗してるものね」


「警戒はするべきだけど、今日は休めるかなって思う。それと、俺が来たってことで海側の防衛も強くしてると思う」



 戦力を分散してくれるならありがたい。

 それに、港町の場合は、イシュタリカ側が圧倒的有利だ。

 クリスがプリンセスオリビアに乗ってやってくるのだから、戦力としては十分だった。



「――あ、ロックダムに連絡しよう」


「あら?どうしたの?」


「リヴァイアサンを港町ラウンドハートに派遣する。っていう合図を送っとかないとね」



 ロイドにも説明したが、リヴァイアサンは港町ラウンドハートへと向かう。

 その合図のためにも、アインが無事にロイドと合流した旨を伝える必要がった。



「じゃあ後で伝令を用意しましょうか」


「うん。資材とかの追加もあると思うし、それも一緒に連絡するかな。――……あ、ところでマジョリカさん」


「はーい?なにかしら?」


「……なんか適当な魔石もってない?」



 アインは照れくさそうな表情を浮かべ、腹部に手を当ててマジョリカを見る。

 予想してなかった言葉に、マジョリカも呆気にとられた顔をみせた。



「ま、魔石?そりゃ……魔道具のための予備ならあるわよ?でも、何に使うの?」



 すると、アインが答えるのだ。

 幼子のように強請るようで気恥ずかしかったが、背に腹は代えられない。



「――最近さ、魔石を吸収する方がお腹膨れるんだよね」



 腹を空かせた様子のアインを見て、マジョリカは懐から魔石を取り出すのだった。




 *




 アインはバードランドの町長ガーヴィとの面会や、周囲の状況確認などに奔走する。

 ロイドを――そして、イシュタリカの騎士たちを救えたという満足感はあったが、敵はまだ健在だ。



 通常の食事に加え、マジョリカから譲り受けた魔石を吸収して英気を養った後、アインは宿で数時間ほどの仮眠をとった。



 ――そして、深夜に目が覚めたアインは、とある目的のために部屋を出たのだ。



「バーラ。いる?」



 目的地はバーラの部屋。

 バーラの部屋といっても、診療所を兼ねた大部屋で、扉を開けると中には治療中の騎士達の姿が見えた。



「あ、はい!何かございましたか?」



 物陰から顔をのぞかせ、バーラがアインを見つけて急ぎ足で近くに寄る。



「今って時間ある?少し話しを聞きたいんだけど……」


「――は、はい。一時間ほどであれば問題ないかと。となりの部屋で構いませんか?要治療者が多いので、あまり遠くには……


「ごめんごめん。それで大丈夫だよ」



 思いがけないアインからの言葉に驚きながらも、バーラが隣接する部屋を指さした。

 そうして、アインの返事を聞いたバーラが足を進めた。



「散らかってて申し訳ないのですが。どうぞ、お好きな所におかけください」


「ありがと。……って、ここバーラの休む部屋?」


「お恥ずかしながら……その通りです。これぐらい広いと、怪我人と近くに居られるので都合がいいんですよ」



 頼もしい言葉を口にすると、バーラが小さく欠伸をする。

 どうやらバーラも疲れが溜まっているようで、頬を叩いて気合を入れた。



「お見苦しい姿を見せてしまいました……」


「い、いや、それぐらい気にしないで。無理させてるのも分かってるしさ」



 顔を赤くして頭を下げたバーラをフォローすると、アインは手ごろな椅子に腰を掛けた。



「と……ところで、話を聞きたいというのは何のことでしょう?被害状況についてはお伝えしたかと思うのですが……」


「――少し、昔の話をしようと思ってさ」


「昔の話……?」


「うん。っていうのも、バーラとメイに初めてあった時の話だよ」



 バーラにとっては、それこそ思いがけない話だった。

 だが、バーラは特に不思議がることなく感謝の言葉を口にする。



「忘れられるはずもありません。あの時、殿下が私たちを拾ってくださったおかげで、私たちはとても幸せな暮らしをおくれてますので」


「……お父さんは、急に姿を消したんだっけ?」


「っ――はい。父は突然人が変わったように態度を変えると、縋り付くメイを気にすることなく私たちの許を去っていきました」



 バーラなりに言葉を選んでいる節が感じられる。

 しかし、言葉を選んでいながらも、悲しみや怒りなどの感情がアインにも届いた。



「やっぱり恨んでる?」



 ――……聞き方が下手だなぁ。



 アインが内心で頭を抱え、不躾な問いを続けることに自己嫌悪した。

 この問いを聞いたバーラは、数呼吸程度おいて口を開く。



「恨む……とは違うかもしれません」


「違う?」


「はい。この感情を言葉にするのは難しいですが、最も近い表現は、もう私たちの人生に関わらないでほしい……という感覚です」


「関わらないでほしいって、それってつまり、再会することがあったとしても――」


「……父親だ。なんて考える事はできませんよ。でも、メイはもしかすると喜ぶかもしれませんね」



 アインは迷った。

 この答えを信じ、バーラを今まで通りにしておくべきか。

 それとも、一度拘束するべきなのかと。



 加えて、本当にエドとの関りが無かったとして、赤狐という血統を伝えるべきなのか……と。



「だから、メイのためにも、もう私たちの前に出てこないでほしいんです。一度私たちを捨てた人の事を信じられるわけがありませんから」


「……なるほど」


「――それに、今の私たちには素晴らしいお父様がおりますし」


「え?な、なにそれ初耳なんだけど……」


「陛下ですよ。シルヴァード陛下は、私たちイシュタリカの民の父ですから。だから、もうあの人・・・の事は……忘れるべきなのかもしれません」



 最後は力なく微笑むと、バーラは俯きながら呟くように語った。



「でも、一度ぐらい父の事を殴っておくべきですかね?」


「あー……うん。その気持ちは分かる。実は俺もさ――ハイムの大将軍の事は、一度殴っておきたかったんだよね」



 名前を口にしたくなかったアインは、ローガスの事を役職名で口にする。

 すると、アインの葛藤を感じてか、バーラも楽しそうに笑い声を漏らしたのだった。



「あはははっ。では殿下の拳が怪我をすることがあれば、治療は私にお任せくださいね」


「――うん。そうしようかな」



 甘いかもしれない。だが、信じてみたくなった。

 イストでの出会いや、自分と似ている境遇のバーラをアインは信じたくなった。



 それに、少なくとも、ここまで引っ張っておいてからイシュタリカを騙す理由も、利点があまりにも少なすぎるとアインは考えた。

 どうせ騙すのであれば、もっといいタイミングはあったはずなのだから。



 アインは満足した様子で立ち上がると、疲れの取り切れてない表情で笑いかける。



「あ、そういえばお父さんの名前って何て言うの?」


「あ……あれ?私、お伝えしたことありませんでしたっけ?」


「うーんと、俺が知ってる中ではないはずだけど……」



 思い当たる節が無いアインは、一度考えてみるがやはり思いつかない。

 すると、バーラが申し訳なさそうに言葉を続ける。



「えーっとですね、スラム街って名前が無い人の方が多かったので……母と父はその大多数の中に含まれていました。私とメイが名前を持っていたのは、子供だけでも――という理由で付けてくれたので」


「あぁ、そういえばそれが普通だったのか……。ごめん、また変な事聞いちゃって」


「い、いえいえ!むしろこんな変な話をしちゃって、逆に申し訳ないぐらいでっ!いや、ほんと……っ!」


「わ……わかったから、そんな手を振り回さなくていいよ?」



 忙しない様子で立ち上がると、両手を大きく使ってバーラが手を振った。

 申し訳なさそうなのは分かるのだが、尋ねに来た立場のアインからすれば、ここまで謙遜されるのも居心地が悪い。



「――失礼致します。バーラ殿、体調が優れない騎士がおりまして……っと、殿下、失礼致しましたッ……!」


「いや、大した話じゃないから気にしないでいい。バーラ、時間をとって悪かった。俺はもう戻るから、騎士の体調を診てあげてほしい」


「わ――わかりました!では、失礼致します!」



 アインの言葉を聞き、バーラが急いで立ち上がって部屋を移動する。



「いやー……いつも元気だなー」



 いつも通りのバーラを見て、アインは内心でほっと安堵していた。

 この様子なら問題無さそうだと考え、エドとバーラの血縁は、一度心の中に留めておくことにした。



「ふわぁーあ……。さてと、明日のためにもうひと眠りしようかなー……」



 バーラとの会話に気が済んだアインは、大きく欠伸をしてバーラの寝室を後にした。

 途中、ポケットに入れていた魔石をおやつ代わりに吸収すると、満ち足りた顔つきでベッドに潜り込むのだった。




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