帰る前に。

 ――クリスの告白から丸一日が経つ。



 王都での仕事を終え、アインはシュトロムへ戻ることとなる。

 多くの者に見送られる――その少し前、ウォーレンの執務室に足を運んでいた。

 紙の束、インクの香り。

 奥に置かれた大きめの机の前にアインが立つ。



 つい数分前、二人は腰かけて相談を終えたばかり。

 というのは近頃の騒動の件について、すでに立ち去っているがクローネも同席していた。彼女は一足先に帰り支度のためにこの部屋を後にしていたが。



「聞けば、クリス殿に情熱的な告白をされていたとか……」



 と、ウォーレンが書類を眺めつつ言った。



「……一応聞きたいんだけど、どこ情報かなって」


「人払いをしていたようですが、偶然通りかかった給仕が見かけたと。密かに私にだけ報告に来ておりました」


「なるほどね。そりゃ、しょうがないかも」


「長年ヤキモキされましたが……私としても感無量に近い感情がございます」



 トン、トン。

 書類を一纏めにし机に置くと、ウォーレンが下がった眉の奥に力強い瞳を宿す。

 後光のようにカーテンの隙間を縫う朝日。



「あの日、旧王都で見送った血統が一つに戻る。私は言葉にできないほどの喜びを感じております」



 ウォーレンが言うのはまだ気が早い言葉だ。



「白銀を継ぎし王家に、永久につづく栄光があらんことを」


「……色々と戸惑ったりしたけどね」


「おおよその予想はつきますが、アイン様は一つの間違いばかり考えているようですな」


「間違い?」


「えぇ。いわゆる成功例を追うことは間違いではない。しかし、失敗を重ねないためには、失敗例を参考にする方が正解に近い。すれば、それ以上の失敗にはなりませんからな」



 声に出さずアインが頷く。



「アイン様の理想からかけ離れた者たちが居るのでしたら、その者らにはならぬよう、努々、お気をつけくだされば問題は無いかと」



 暗にハイムの件を語るウォーレン。

 そう言う考えもあるかと、アインが片頬を綻ばせて頷いた。



「クリス殿との件は、いずれ陛下にもお伝えくださいませ」


「あれ? すぐに、こういうことがあったって言ってほしい――とは言わないんだ?」


「そう不思議そうな顔をしなくとも結構ですよ。なにせ、私が現場を見たわけではありませんので」


「……なるほど。俺たちに任せるってことにしてくれるわけね」


「さて、なんのことやら」


「助かるよ。見守ってくれてるみたいで」



 アインはおもむろに腕時計を見る。そろそろいい時間だ。

 小さめの声で、「ありがとう」とウォーレンに伝えて踵を返す。



「アイン様」



 背中に届くウォーレンの声、少しばかり硬い声色。



「赤龍は必ず狩ります。得られた核は新たな大地の紅玉として、いずれ誕生するアイン様の御子の手に届くでしょう」


「そりゃいいね。被害が出ないで核だけ取れれば万々歳だ」


「仰る通りですな。――そして、もしも伝承通りに黒龍が誕生した際には」



 徐々に綻ばせた彼の表情、浮ついた声になりつつあるのがアインにも分かる。




「召し上がられるとよいでしょう。その魔石を、暴食の世界樹が己が力となすために」




 ピクッ、と立ち止まるアイン。

 振り返らず、扉を見ながらまばたきを繰り返した。



「アイン様に戦ってくれと言うつもりはございません。当然ですが、私や陛下は止めるつもりです。ですが我々にはアイン様を止める手段がない。主に戦力的な意味で――となりますが」


「……分からないよ? 万が一を考えて、大事な人たちに心配をかけないために動かないかも」


「それはないでしょう。アインという王太子殿下は、大事な方たちに被害が降りかかりそうなとき、身を挺してその危機に立ち向かうお方ですので」



 反論できず苦笑したアインがこめかみを掻く。



「ですので今のうちにお伝えしておこうかと。海龍のときのように半端にではなく、黒龍が持つ力のすべてを得てほしい。その一心でございます」


「急にどうしてそんなことを?」


「陛下がご心配しておりました。神隠しのダンジョンの件で」


「……」


「なればいっそのこと、神隠しのダンジョンという存在よりも高位な強さを得てしまえば、その万が一もありえなくなるのでは? と私は踏んでおります……はっはっはっはッ!」



 老成した声の高笑いが響く。

 アインは両手で頭を抱え、祖父にさせた心配を悔い身体を揺らした。



「あ、あぁー……なるほど……そりゃいい案かもしれない」



 最後に笑い、彼はウォーレンの執務室を後にした。



「とはいえ――伝承通りであるならば、それはもう凄まじい力を得るでしょうな。相手になるような存在なんているのでしょうか」



 いるとすれば、まさしく神と呼ばれる存在ぐらいだろう。

 ウォーレンは窓の外に広がる、朝の城下町を眺め思案した。


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