今日につづく物語。
イシュタル諸島。巨大な島――もはや大陸なのだがそれが一つ。
周辺にはもう一つだけ大きめの大陸があり、あとは小島が浮かぶ地域だ。
連れて来た水竜はすでに離し、自由を与えている。
巨大な島の中央にある遺跡。
何度目か分からない探索を終えて彼女は外に出る。
「ママ―?」
「今日のお仕事はー?」
「終わった。いい加減この中に住むべきか迷って来ておるがな」
遺跡の外に建てた小屋に入れば、姉妹のエレメンタルが彼女を迎える。
少女はため息交じりに言う。そのまま背負っていた薄汚れた布をベッドに横たわらせた。
「なにそれー?」
「外で拾ったのじゃ。死にかけのアンデッドじゃが、不思議としばらく顔を見合ってしまっての。女のようじゃし、まぁ儂が甘かっただけじゃ」
布の隙間から青白い靄が見える。小さく寝息を立てるように、その存在が上下に布を揺らす。
少女は手をかざし左から右に静かに動かすと、宙から光の粒が降り注ぐ。
「これで大丈夫じゃろう」
しかし自分も探索で疲れた。
彼女は姉妹のエレメンタルと会話も少なめに、軽く食事を採ると、死にかけのアンデッドの横に倒れた。
数えるのも億劫になる年月が過ぎ、少女は遺跡から少し離れた平原に腰かけていた。
彼女の隣には、以前拾った死にかけのアンデッドがその姿を変えて立つ。今では十歳児程度の小さな少女の容姿をした、下半身が透けている以外は人間に見える姿をしている。
「よいか、
「そこを狙えばよいのですか?」
「うむ。ただ、魔王化の因子をもつ魔物は厄介じゃ。アレは才能、滅するには核ごと破壊する必要がある」
「……魔王化というのはなんでしょうか?」
「時たま生まれるのじゃ。ある種の突然変異とでも思っておくとよい」
言い終えると、少女は大きな欠伸をかいて横になる。
春の日差しが暖かく、これまで順調じゃなかった探索の疲れを癒す。
すると、その彼女の横にシルビアが座る。
平原に吹く風が心地良さを感じさせ、シルビアはコク……コク……と頭を鈍く揺らした。
「ふふん……まだ子供じゃの、お主は」
ハッとした表情で目を見開いたシルビアは不貞腐れたが、少女は高笑いをして彼女の頭を撫でた。
「なっ――わ、私はもう大人です!」
「強がるでない。故郷のリクァにもお主のような子はおったからな」
「リ、リクァ……とは?」
「儂が生まれるはるか昔、それはもう偉大な先祖らが使っていた古い言葉じゃ。家族を意味する」
目を輝かせたシルビアへと、少女は座学のように多くを教えた。
――ただ、こうした日常にも終わりが訪れる。
少女はシルビアが大きくなり、一人立ちできる力を得たところで袂を分かつ。最後に、自分がこの島まで持ってきていた黒いローブを餞別に渡して。
◇ ◇ ◇ ◇
「お主たち、儂はしばらくの間、この中で暮らすことにした」
ぐいっ、と親指を向けた先には探索をつづけてきた遺跡。
姉妹のエレメンタルが宙に浮き、元気よく片手を振り上げた。
「分かったー!」
「ママ、どのぐらい中に住むのー?」
「さてな。一年かもしれんし、百年……もっとかもしれん。最深部にある力があれば、それなりに外界へのアクセスも可能じゃしな」
「ふぅーん……じゃあ、私たちはこの前見つけたエルフの森にいるよ?」
「良いぞ」
長い別れになりそうだというのに、こうした軽い言葉で終れるのは時間感覚の違いだ。
長寿、いやほぼ寿命を使い切ることが無い存在同士、たかが数百年と言われてもあまり長く感じない。
荷物も少なめに歩き出す少女。
遺跡に足を踏み入れる直前になって、ある心残りを思い出す。
「――いや、入る前に様子でも見に行こうかの」
「あれー?」
「あれれー?」
向かう先は以前、遺跡の探索以外で大陸を周ったときの場所。偶然見つけた先には国があり、面倒を見ていたシルビアが暮らしていることを知っている。
何か困っていたら手伝ってやるか、それだけを考え、最後に一目見ようと出発する。
「シルビアが近しい者らと作り上げたという国。名をなんといったかの?」
「んー、分かんない! お姉ちゃんなら知ってると思う!」
「知ってるよ! たしかイシュタリカ!」
「……ふむ、悪くない名じゃの」
名づけの理由となったであろう、「リクァ」の言葉を察して笑う。
覚えがあるその地は遺跡近くから徒歩で一日と少しだ。途中、寄り道を挟みつつ歩を進め、少女はエレメンタルを連れて森や山の中を鼻歌交じりに進む。
「ねぇねぇ、あっちのおっきな島にはもう行かないの?」
「うむ。あちらの遺跡はもう調べ終えたからの。それに、こちらの遺跡と繋がっておるやもしれんし、いずれ儂は好き勝手移動できるじゃろうて」
「へぇー……すごいね!」
「うん! 良く分からないけどすごい!」
「お主らは昔から変わらんの……。――さて、どうやら着いたようじゃが」
想像以上の賑わい。
自制心を持ち、周囲の者との暮らしを維持できるだけの魔物。いわゆる、人型の魔物ばかりが多く住むそこは、少女の想像以上に発達していた。
石造りの家々もそうだが、彫刻の技術もあるらしく、存外馬鹿にできない一つの文明として発達している。
城壁は無く、奥にある城までは一本の大通りで繋がっていた。
少女は程近くの森から城を眺め、そこにシルビアの魔力があることに気が付く。
「――うむ。思いのほか幸せにやってるようじゃ」
一人立ちして立派にやっていると分かり、ふと、少女の顔に柔らかな笑みが浮かぶ。エレメンタルも黙りこくり、少女がただ嬉しそうに城を眺めているのを傍から見ていた。
何分、あるいは数十分も見ていたことだろう。少女は唐突に振り返り、森の中に足を踏み入れる。
「帰るとしよう」
カサッ、乾いた木の葉を踏みしめる音。
少し進み細い川が見えたところで、少女が一人の少年に気が付く。
そこで少年は、一人で川沿いで魚釣りをしていたのだ。
「……あれ? 見慣れない人だ」
少年は木製の竿を置いて少女に近寄る。
「新しい住民さんですか?」
「いいや違う。通りがかっただけじゃが……お主はあそこの民なのじゃな?」
「えぇ。父と母がアーシェさん――えっと、王の補佐? というかなんというか、家族なんですけど手伝いをしてて……俺も同じく手伝いをしてます」
濃い茶髪、年のころはおよそ十歳と少しに見えるが、彼の語りは丁寧で好ましい。
涼やかな顔つきに笑みを浮かべ、人懐こそうな態度で少女に答えた。
「ならば一つ尋ねたい。お主はシルビアという女を知っておるか?」
「知ってますよ、母ですし」
「……元気にしておるか?」
「んー……アーシェさんを叱ることとか、父を尻に敷いている姿はよく見ますし、元気だと思います。でも、どうして俺の母を?」
「昔、共に旅をしたことがあって気になったのじゃ。じゃが、息子から元気にしていると聞けて安心したわ」
なるほど、少年が頷いたのを見て少女は歩き出す。
急な動きに少年は戸惑い、「あっ……」と言葉を漏らした。
「貴方の名前は――ッ」
「故郷を……リクァを捨てたときに名も捨てた。それ以来儂は名乗っておらん」
すると、少女は少年の返事に目を見開くのだ。
「神様ってことなんですね? 母は「リクァ」のことを、神様が使う言葉だって言ってました!」
「ッ――な、なな……あの馬鹿者は何を……ッ!?」
偉大な先祖が使っていた言葉とだけ教えた。
幼い彼女はそれを勘違いし、まさか神と思い込んでいたとは思いもよらず。
少女は慌てて振り返る。
「あれ? つまり貴方も神様……?」
この流れはよろしくない。
色々と否定するのも少年に悪く、シルビアの過ちは自分のせいだ。
少女はやがて、一度深く息をついて答える。
「ん、んん……皆には内緒じゃぞ。お主が神と会ったということも、そして……儂が神だということも」
「分かりました。では今日のことは忘れます……!」
「良い子じゃ。ではそうさな、お主がまた大人になったころにでもまた会うとしよう。約束を守っておったならば、儂が
大盤振る舞いをしたのも、少女が彼を気に入ったからだ。
シルビアを撫でたときのように、少年の頭を撫でてもう一度振り返る。
木々の間から届く少女の声。
「マルクー? どこにいるのよ……もー!」
「あ、ごめんなさい。俺もラビオラ――幼馴染に呼ばれたので」
「うむ。気を付けて帰るとよい」
走り去る少年、マルクの背中にそっと手を向ける。
自分が持つ魔力を彼に贈り、またしばらく経ってから顔でも見に来るか――と一人頷いた。
これまで隠れていたエレメンタルが口を開く。
「ママって神様なの?」
「すごーい! 女神様だねー!」
「……実際、そんじょそこいらの神族には負けんがな。ほら、帰るぞお主ら!」
◇ ◇ ◇ ◇
――それから数百年後。
少女はマルクとの約束を叶えるため、一組の男女と契約を交わす。
彼女が住まう遺跡奥深くにて。
「ライル様――ダメ、離れて」
「ならん。共にここまで来たのだ……私はセレス一人を置いて逃げ出すつもりは無いッ!」
偶然やってきた二人は、少女にとってこの上ない幸運だった。
「……勇敢なことじゃな。さてお主ら、儂と一つ取引をせんか? 代わりに一つ、儂がお主らの願いを叶えよう」
呆気にとられた一組の男女。
少女は笑い、軽快な足取りで二人に近寄り声をかけた。
◇ ◇ ◇ ◇
過去にどんな話があり、どのような物語が繰り広げられていたのか。アインがそれを知ることは難しく、詳細を知る者は身近に存在しない。
城での目覚めはシュトロムでの目覚めが違和感を感じるほど、自然でありながらすっきりとした目覚めを与えた。
ベッド横に置いた水を一杯飲み干す。
寝間着に外套を羽織りリビングへと向かうと。
「あ、アイン様。おはようございます」
「クリスさん? どうしたの――って、あーなるほど」
起きる時間はいつもと大差ない。
クリスも私服でありながら、リビングでアインの朝食を用意して待っていた。彼女は既に済ませているようで、用意されているのはアインの分のみ。
「ありがと。早速いただこうかな」
クローネは朝からオリビアと共に城を出たとのこと。
一応、王都での公務があるとクリスは言った。
アインがソファに腰かけると、クリスは彼の手前に座る。
「あれ、今日はストレートにしてるんだ」
彼女の髪型を見てアインが言う。
「は、はい……どうでしょうか……?」
「巻いてるのとかも似合ってるけど、俺はその髪型が一番好きだよ」
「ッ――それならよかったです!」
パァッと明るい笑みをアインに向ける。
しかし、こんなことで満足していいのはいつまでだろう? 彼女が逡巡するなか、ある切っ掛けが姿を現す。
「……え?」
手を合わせ顔を斜めにして喜ぶ彼女の手元から、若草色のツタが数本現れる。
床に伸び、一直線にアインの足元に伸びたと思えば、アインに甘えるように絡みついた。
あれ? あれ? 目を細めて笑うアインの額に一筋の汗。
手に持っていたカップをそっと置いた。
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