ある一日の終わり。

 部屋にとんぼ返りし、机についた。クリスとは途中で別れ今のアインは一人だ。

 座り心地のいい椅子に腰かけ、引き出しを開ける。



 先ず以て取り出したのは羊皮紙。型押しされた文字に溶かされた金で着色され、読めばアイン・フォン・イシュタリカと記載がある。

 隣り合わせにイシュタリカ王家の紋章が型押しされ、こちらも同じく金で着色されていた。



 それを机に置き、つづけて取り出したのは一纏めにされた便箋だ。

 指の腹でなぞれば柔らかく滑らかな感触が心地良い。分厚いそれは、一目見て分かる高級品。

 一枚、二枚……数えてみると、合計七枚だ。必要十分なことをアインが確認する。



「それじゃ、書いていこうかな……っと」



 ペン立てに立てられたペンを手に取る。

 意匠が凝らされたペン先はミスリル製で、普通、ペンに使うような素材ではない。

 それを使う者が王太子だった。という特別製があるからだろう。

 露ほども透けない黒いインクを吸わせ、羊皮紙を目の前に移動させた。



「――でも、なんかこう……忌避感がある」



 果たして、羊皮紙で指令書をつくってもいいのだろうか。

 費用や礼儀作法の問題ではない。これはあくまでも、アイン個人の精神的な問題だ。

 脳裏をよぎったのは数年前の出来事。アインが暴走したマルコに救いを与えた時のことだ。

 倒されたマルコは、消え去った体の中から古い羊皮紙の指令書を落とした。

 差し出し人はカイン。元祖黒騎士の団長を務めていたデュラハンだ。



 アインは複雑な感情に苛まれる。

 あの時のように、なにか黒い因果に巻き込まれることはないだろうか。

 この指令書がマルコを縛り付けるような――そんな呪いにならないだろうか、と。

 あくまでも杞憂にすぎないのだが、しこりが残る



「……こっちは後で書こう」



 日和ったのだ。先に手紙を書いてからでも遅くない。

 羊皮紙を避けて便箋を手に取った。届け先は複数で、そのいずれも貴族、そして王族だ。



「えぇっと、まずはお爺様に……」



 すでに、クローネがウォーレンへと報告を届けているはずだ。

 効率的な仕事ぶりをする補佐官を想い苦笑した。だが、アインからも手紙を送るべきなのは必然だ。

 さらさら、と文字を書き、状況を簡潔に記載する。



「後はレオナードとバッツの件、かな」



 こちらは命令として、アインの名で招集をかけるものではない。

 あくまでも推薦状のような役割だ。

 アインとしても、無理強いして調査にあたってもらうつもりはないのだ。



「――という事情から、私は二人を推薦いたします。アイン・フォン・イシュタリカ……よし、これで大丈夫」



 二人が貴族だから多少のしがらみはある。

 仮に二人が平民だったとしても、だから問題無いな。と言う気はないが、しがらみがあるのは否定できない。

 フォルス公爵家、クリム男爵家の両家からどのような返事が届くのか、アインはそれを待つことにする。



「最後に二人に対しての手紙を書こう」



 ただ王家から、アインの推薦だからと連絡が届くのも味気ない。

 強いて言うならば、友人関係にあるのにそのような態度では、送る側のアインもいい気持ちがしない。

 公私混同とまではいかないが、相手への気遣いなら問題ない。



 内容は大して多くない。

 事件が起きそうだ。二人の力が必要だ。だから、俺の仕事を手伝ってほしい。

 ざっくりと語るなら、この程度のものだった。

 この中にロランが混じっていないのが心寂しく思う。



「まぁ、ロランはリヴァイアサンの時にもう力を貸してくれてたからね……」



 自嘲すると、二人分の手紙をすぐに認(したた)める。

 しかし、相変わらず気分が高揚してしまうのだ。

 学園では多くの思い出がある。その中でも特に印象深いのは、魔物現地実習だろう。



 バッツに叱られ、レオナードに心配され、ロランが急ごしらえに魔道具を作った。

 途中、ディルが消えた――という小芝居もあったが、終わってみれば貴重な体験だ。



 そんな大切な友人たちと、学園を卒業したいま、仕事ができるかもしれない。

 無理強いはしないが、内心では受けてほしいという願いを夢想した。



 ――チリン。

 机備え付けのベルを鳴らす。

 鳴らしてから数十秒も経つと、マーサがやってくるのだ。



「お呼びでしょうか」



 マーサがやってきたことで、アインは立ち上がって彼女に近寄る。



「この手紙をお爺様にお願い」


「畏まりました。今日中にお届けいたします」



 簡素にやり取りを交わし、マーサが部屋を出る。

 その間、十数秒ほどだったが、お互いに声と態度で感謝の念は伝わる関係だ。

 一仕事終えたというには短い時間だが、アインは屈伸して身体を鳴らす。



「それじゃ……こっちが残ってるわけだけど」



 ちらりと見る。羊皮紙が机の上にある。

 椅子に座り直してペンを取り直してみるが、やはり迷ってしまう。

 優柔不断なのか、それとも過ぎたことを気にし過ぎなのかは分からない。

 どうにも踏ん切りがつかないのだ。



「――あ、いいこと思いついた」



 もう一度引き出しを開け、便箋を一枚だけ取り出す。

 うんうん。頷いて羊皮紙と並べた。



「二枚書いておけばいいんだ。そうすれば、きっと大丈夫……な気がする」



 何一つ解決になってはいないのだが、アインの精神衛生的には正解だ。

 喜色を浮かべてミスリル製のペン先を滑らせた。

 指令書の内容は同一。違うのは紙の素材ぐらいなものだ。



「後で渡しに行こうっと」



 二枚を書き終えたアインは、それを丸めて紐で留めた。

 すると、アインは椅子にベルトが擦れ、携えていた剣が床に落ちた。



「あ……」



 刀身が露になる。

 噂をすればなんとやら。それはマルコを素材として作った剣なのだから。

 苦笑して剣を取り、机の上に置いた。



「そういえば、銘を決めてもらうのも……ずっと忘れてた。後でマルコに考えてもらおうかな」



 今日はマルコに頼りっきりの一日のようで、何度マルコと口にしたのかも分からない。

 相も変わらず禍々しさを示す剣をみて、アインは咄嗟に考えた。



「……赤狐、か」



 決着はついた。もはや赤狐に対しての心配はない。

 アインが心に抱いたのは心配ではなく、とある疑問に他ならない。



「アノン……ね。良く分からないスキルだったなぁ……」



 懐からステータスカードを取り出してみると、彼女を殺した時から残っている、あるスキルが目に映る。



 ◇ ◇ ◇ ◇


 アイン・フォン・イシュタリカ


[ジョブ] 暴食の世界樹


[レベル] Unknown


[体 力] ask


[魔 力] ask


[攻撃力] ――


[防御力] ――


[敏捷性] ――

 

[スキル]暴食の世界樹、孤独の呪い、魅惑の毒


 ◇ ◇ ◇ ◇



 もう諦めきったことだが、いい感じに人間としての名残は無い。

 体力、魔力の記載だけが特徴的なのは、カティマ曰く、周囲の影響を大きく受けるからとのことだ。

 根を張り吸えば吸っただけ強くなる。ただそれだけのことなのだが、現実問題、苦笑いしかみせられない。



「下手に暴走する力じゃないっていうのは分かってるけど、なんかしっくりこない」



 不可思議な点ばかりの能力――呪いと毒だった。

 魔王アーシェを操り、当時の魔王軍も操った。ハイム王都の多くも操り、ローガスたちにも影響を与えたのだ。

 ここがみそで、影響を受けなかった者たちが関係してくるのだ。



「おかしいんだよね……アーシェさんが影響を受けたのに、カインさんもシルビアさんも……二人とも影響を受けてない。意図的にしなかった? いや、そんな愚策をとるはずがない」



 確実に彼女は試したはずだ。

 二人を呪い操るためにスキルを使ったはずなのだ。

 だが、アーシェの方がそうした耐性は高いはず。二人がその影響を受けなかった理由はなんだ。



「違う、例外はもう一人……いや、二人いたのか。マルコに……グリントだ」



 マルコは数百年に渡って抗いつづけた。

 少なくとも、彼は確実にアーシェよりも弱い。

 グリントの場合は、さらに弱いはずなのだ。

 いくらグリントが天騎士という高みに達したとしても、アノンの呪いは魔王をも操る。抗えるはずがない……はずなのだ。



 ハイム城での決戦の時、アノンは必死になってグリントを止めようとした。

 魔王と化したアインの力に勝てないことに気が付いたからだ。

 彼女はグリントの命を守ろうとして命令口調で語り掛けたのだが、グリントはその制止を振り切ってアインと戦った。



 カイン、シルビア、マルコ、グリント。

 この四人に共通していることを考えてみるが、



「い、いや……何も共通点がないと思うんだけど……絶対ないって……」



 何一つ手がかりがない。今となってはそう気にすることでもないのだが、気になってしょうがない。

 ――コンコン。



「どうぞ」



 しかし、いい頃合いでの来客だ。アインはノックに答えた。



「急にごめんなさい、アイン。その……明日なんだけど、商会との打ち合わせをお願いしたいのだけど……って、どうしたの?」



 しかめっ面のアインを見て、クローネが戸惑った。

 まばたきを繰り返すと、心配そうに近寄ってくるのだ。



「その……考え事をしてたというか、なんというか」



 言いづらい。物凄く言いづらい。

 それが赤狐のことだったなんて、口にするのは控えたいところだった。




「何を考えていたの?」


「大したことじゃないから気にしないで大丈夫だよ。明日の打ち合わせだっけ?」


「何を考えていたの?」


「……」



 数センチほどの距離にある彼女の顔。

 澄んだ瞳に宿る意思がアインを追い詰め、明言を避けることを許さない。

 結局、アインは敗北するのだ。魔王が一人の少女に敗北する。なんとも詩的に思えてならない。



「――その、大したことじゃないんだけど」



 と、前置きをして、さっきまでの疑問を語った。

 休日に何を考えているんだ。クローネは複雑な表情をしたともえば、アインの頭を抱きしめる。



「疲れてるの? 大丈夫?」


「違うって! 別にそんなんじゃなくて、たまたま気になっただけだから……!」



 そのまま抱きしめていてほしい気分と、否定したい気持ちが共存した。

 結果、アインは彼女の肩に手を置いて言いつくろった。



「はぁ……それならそれで、疲れてるよりも重病な気がするのだけど?」


「……じゃあ、クローネはどう思う?」


「それを私に聞くの? 私が知ってるのなんて、ほんの些細な事しかないのよ?」



 それでも、少しでいいから何か助言がほしかった。

 分かり切ったことだが、クローネはアインに対してとても優しい。

 時には呆れることもあるのだが、彼女は必ずアインの助けになろうと働きかける。

 今回も、その例に漏れないのだ。



「そういえば、カイン様が一度、アインの身体を乗っ取ったことがあったわよね?」


「エウロに名代でいったときのことだっけ?」


「えぇ、その時のことよ。カイン様はその時に何か言ってたわよね?」



 アインは必死になって思い返す。

 半年後に目覚めてからのこととなるのだが、当時のアインが口にした台詞はクリスから聞いている。

 確かその台詞は……。



『あれはずっとだ。いつもああして相手を弄ぶ。だが……いや、最初からだったんだ。奴を信じたのが、それが私の間違いだった』


『ただ寂しいのかと、そう思っていた。だが違う……あれは最初から遊ぶ気だったのだろう。"アレ"からずっと、"あの"ときからずっとだ……っ!』



 苦心して思い出した。

 これは何かの手がかりとなるだろうか。



「ふぅん……ということは、カイン様は最初は赤狐を信じて、受け入れていたってことかしら」


「言われてみれば、確かにそうかもしれないけど」


「話は変わるけど、アインは魅了されなかったわよね? 多分、その呪いとやらは影響を受けて暴走しちゃったのだけど」



 アノンに特別な魅力を感じたということも、彼女の言葉に惹かれるということはなかった。

 声に出さずにアインが頷いた。



「カイン様とシルビア様。お二人が赤狐を受け入れてたのならマルコも同じね。彼はあの二人の意向に従うはず。だとすれば、残ったのは貴方の弟なのだけど……」



 艶やかな唇に指を当てて考えるクローネ。

 一方のアインは、グリントを抜かした三人の共通点すら気が付けていない。



「あ、そうね。二人は許婚でいい関係だったわけだから、私の仮説は正しい……かしら」


「だから、クローネ! その仮説って――」


「ふふ。少し待っていてね」



 さっきまで彼女の唇にあった指が、アインの唇に押し当てられた。

 それから数十秒。彼女はようやく答えを語るのだ。



「その四人にだけ通じなかった理由……分かったわよ」


「は、早すぎない? 俺は結構迷ってたんだけど」


「女の子の方が気が付きやすいかもしれないわね。この理由に限っては……だけど」



 ――なるほど、わからん。

 余計に困惑するばかりでさっぱりだ。



「難儀というか……少し寂しいスキルだったのよ。皮肉の利いた、気が付きたくもない理由ね」


「寂しいスキルだった?」


「えぇ。ただ、彼女アノンは、その条件を理解してなかったんだと思うけど」



 と、クローネが寂し気に笑った。

 大きくため息をつくと、気を取り直して明るい表情を浮かべ、からかうようにアインに語る。



「クローネ、その理由っていうのは――」


「答えに近づけるように教えてあげる」



 クローネが言葉を遮った。



「アインがそのスキルを使っても、私には効かないわ。さぁ、四人に通用しなかった理由を考えてみて」


「ど……どういうことかさっぱりなんだけど」


「もう、察しが悪いんだから」



 首を傾げて眉を下げたクローネ。新たな情報をアインに告げた。



「私に使っても効果がないけど、貴方の弟に使っていたら、誰よりも効果があったはずなの」


「グリントに効くだって? アノンが使っても通用しなかったのに?」


「えぇ、だってこれは使う人の問題だもの」



 他に何か手掛かりはなかっただろうか。すると、



『ねぇ……私を愛して?』


(ッ――!?)



 謎の少女がアインにそう言った。魔王城、赤狐が造ったという部屋でのことだ。

 足を運んだものを惑わす、ある呪いが仕込まれていたという場所で、印象深いから忘れていなかった。



「……」



 そういうことだったのか。アインが同じく答えにたどり着く。

 敵だったというのに、なんとも悲し気な感情を抱かずにはいられない。

 彼女の生い立ちを知ることはできないが、そこには軽くない何かがあったはずだ。



「愛してほしい、ね」



 とうとうアインも気がついた。

 あのスキルが効果を発揮する相手というのに、気が付いてしまった。



(正の感情を持つ相手ほど通用しなくて、負の感情を持つ相手ほど通用する……ね)



 カインもシルビアも、そしてマルコも。

 以前は彼女アノンに正の感情を抱いていたのだろう。

 グリントに至ってはもはや愛だ。

 だからこそ、彼女が必死になって制止してもグリントは止まらなかった。



 抵抗力など、他にも条件はあるのかもしれないが、これが主となる条件なのは間違いない。

 アインに魅惑の毒が通用しなかった理由に関しては、まさに毒素分解EXのおかげなのだ。



 彼女がしたことを許すつもりはない。そして、事情を察したいという理由も……ほんの少ししかない。

 居たたまれず、意気消沈し、当時執着した赤狐への悪感情に苛まれ、アインは頭(かぶり)を振った。



「――ついさっき、お爺様への手紙をマーサさんに預けたんだ」



 どの程度の長さか分からない沈黙のあと、アインが前後が繋がらないまま会話を変える。

 下降をつづけた場の空気を変えるためでもあり、アインが筆舌にし難い感情から遠ざかるための会話だ。



「陛下に手紙?」


「あぁ。例の犯罪組織の件をクリスから聞いたから、そのための人選……ってとこかな」



 はじめにマルコを選んだこと。

 彼の助言によって、レオナードとバッツの二人を選んだこと。この二点をクローネに伝える。



「いい判断だと思う。フォルス公爵はそうした部分にも明るいはずだし、クリム男爵は長年、魔物相手に町の防衛を務めてる方だから」



 その息子たる二人にも、幼い頃から教育は施されている。クローネはこの判断を支持した。



「問題は、受け入れてくれるかどうかだけどね」


「……そうね。いい返事に期待して待っていましょう」



 そうだね。アインが頷いた。

 すると、短く声に出した何かに気が付いたクローネが、楽しそうにアインに語る。



「いいことがあったの。着任祝いということで、ムートン殿からお祝いが届いていたのよ」


「ムートンさんから?」


「えぇ、黒騎士のみんなへ――って武器を何本か。アインにも、宝剣を一本かしら」



 宝剣とやらは戦闘向けのものではないとのこと。あくまでも宝剣で、宝石なども多少散りばめているいう話だ。

 しかしながら、あのムートンが打ったと聞けば、そこいらの剣なんて鈍(なまく)らも同然かもしれないが。



「じゃあ、お礼の手紙でも書かないといけないかな。……あ、こっちの引き出しにはもうないのか」



 引き出しを弾いてみるが、ちょうどいい便箋が見当たらない。

 アインは立ち上がると、寝室に向けて足を進めた。



「あっちの部屋にあったと思う。ちょっと取ってくるね」



 すると、アインが立ち去ってから、クローネがもう一つ思い出す。

 そういえば、給仕や料理人にも贈り物をいただいていたな……と気が付いたのだ。

 よく切れるナイフと耳にしていたが、特徴的な名前だったはずで、


「なんて言ったかしら……たしか、ワボウチョウ和包丁……?」



 ――戻ったアインは、クローネと語り合いながらお礼の手紙を認(したた)めた。

 そして、この日から二日後。

 アインの元に、レオナードとバッツの二人からの返事が届くことになるのだ。




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