一対一の会話。
エレナとティグル。
二人がイシュタリカに到着してから、様々なことがあった。
それは約束の書類への記入であったり、エレナはシルヴァードへの面会も行った。
そして、ようやく見えた赤狐の背中という事もあり、一日の間に何度も会議が開かれるのも当然の事で、イシュタリカ城内は、近年まれにみる忙しなさに追われていたと言えよう。
これからイシュタリカはどう働きかけるのか。そうしたことも多く話されたが、今はまだ確定していない事ばかり。
……二人がやってきてから丸二日が経過した今でも、それは変わらなかった。
だが、一つだけ不可解な点がある。
というのも、二人が失踪したというのに、ハイムが目に見える行動を見せてないという事だ。
アムール公が居ないとはいえ、エウロに兵を送ることもなく、他の国々へと働きかけている様子もない。
つまりハイムでは、ローガスを筆頭とした犯人捜しのみが動いている状況と言える。
もしかすると、この件を把握しきれていないのかもしれないが、随分と拍子抜けな状況だった。
――そんなある日の昼下がり。
アインは仕事の合間を縫って、気分転換に外に出るかと考えた時の事だった。
「……あ」
「……む」
城内を進むアインが、曲がり角に入った時。
ここで、まさかの再会を繰り広げてしまうのだった。
「――あちゃあ……」
見張りみたいなものなのだろうか。
リリがティグルと共に居たことが、アインの目には新鮮に映った。
だが、リリも想定外だったのだろう。
ばつの悪そうな顔を浮かべると、必死になって表情を作り変える。
「殿下。ご休憩でしたか?」
「あ、あー……うん。ちょっと、気分転換でもしようと思って」
あはは、と緩く笑うと、チラッとティグルに目を向ける。
彼も居心地の悪さを感じたのか、複雑な表情を浮かべていた。
アインとティグルが再会したのは、会談の時以来となる。
この二日間でアインが見たのはエレナだけで、ティグルが居ることは知っていたが、それだけなのだ。
城下に住まいを用意するとのことらしいが、今はまだ城の部屋を貸していると耳にしている。
ウォーレンも口にしていたが、やはり管理が楽なところがあるのだろう。
「……えっと、久しぶり?ってことになるのかな」
声を掛けるべきか頭の中で迷ったが、顔を合わせてしまったのに、知らんぷりで立ち去るのも微妙な空気。
結局、アインはティグルに話しかけることにした。
「――いや、一週間も経っていないだろうに」
ティグルは気弱になってしまっている。
そう聞いていたが、こうして答えてもらえればアインも気楽に感じられた。
話しかけておいてなんだが、慰める状況にならなかったにことに安堵した。
「いや、まぁそうなんだけどさ。ほら、会話らしい会話はしてなかったし」
この奇妙な邂逅に、廊下を通る給仕や執事も、おっかなびっくり歩いていく。
皆が例外なく、最初は驚いた顔を浮かべてしまうのが印象的だった。
「はぁ……そうは言っても、エウロでも会話らしい会話はしてないだろう」
「えぇー、なんて細かい……」
「こまっ――細かくなどないだろう!」
アインは距離を図り損ねながらも、いつも通りを心掛けて話しかける。
一方、話しかけられたティグルは毒気を抜かれ、居心地の悪さよりも、戸惑いの感情に苛まれる。
どうしたもんかと考えているリリが、珍しく振り回されている形になった。
「まぁ、いいや。いい機会だし、ついでに付き合ってよ」
アインが口にしたのは、ティグルとリリの二人が呆気にとられる言葉。
多少強引に感じられるが、アインはそのまま進んでいく。
突然、付き合ってよ言われても困惑してしまうが、ティグルはリリに視線を向けた。
勿論リリとしては、アインの言葉に従うべきという意識が強いため、ティグルに対して頷いて答えるのだった。
*
アインが足を運んだのは、城門中にある一角の水路。
以前、双子が小さい頃は楽しそうに泳いでいた箇所で、今では大きくてはまらなくなった場所だった。
双子が出入りしていた時には、給仕や騎士も足を運ぶことがあったが、今では閑散とした様を見せている。
「うん。やっぱり水辺は空気が冷たくて気持ちいいかな」
着くや否や、アインは体を大きく伸ばす。
すると深く深呼吸をして、連日の疲れた体に新鮮な空気を送る。
特に警戒の必要は無かったが、リリはアイン寄りにその場に立つ。
腰にはマルコの剣を携えているため、アインの実力から言えば不測の事態は考えにくいが、念には念を入れた措置だった。
「……こんなところにきて、何を付き合えばいいのだ」
困惑の一言に尽きる。
アインという男は、自分を確実に憎んでいるはずだ。
なにせ自分はハイム王家の人間であり、過去の騒動や、それこそ、クローネの件で好意的な感情を抱くことは無いはずだから。
そんなアインが自分を誘い、居心地の悪い気分の中、居心地のいい場所に連れて来られた。
つまり、ティグルにはその真意を何一つ理解できなかったのだ。
「何って、話だよ。言われてみれば、ちゃんと話したことなかったしね」
――なんと緩い男だ。
一体何を考えているのか分からない。
嫌いな相手を呼び出し、わざわざ会話をすることになんの意味があるのだろうか。
「――リリさん」
「はっ……はい!」
「どうせ声は聞こえるんだろうけど、ちょっと二人にしてもらうね」
当たり前だが迷ってしまった。
ディルや近衛騎士がいないのであれば、自分がアインのそばにいるべき。
だというのに、アインは有無を言わさぬような瞳でリリを見つめる。
リリがどうしようかと考えていたら、アインはもう一度語り掛けるのだった。
「ごめん。命令って形にするよ。……リリ、席を外せ」
臣下であるならば、主の言葉に背くことは許されない。
リリは明確に命令されたことで、静かに頭を下げて、後ろに下がっていく。
「一度さ、ゆっくり話してみたかったんだ」
リリが下がったのを見て、アインがティグルに顔を向ける。
「……私に対する文句をか?」
この振る舞いには、ティグルの未熟な部分が見え隠れする。
保護してもらっている身であれば、こうして棘のある態度はするべきではなかった。
ティグルはその自覚があるというのに、この振る舞いをしたことに自己嫌悪する。
「別に。文句なんて今更言ってもしょうがないし、過去が変わる訳じゃない」
内心では、大きく脈打つ体で緊張していた。
自分は素直に謝罪できるだろうか、そればかりを心配していたのだ。
……我ながら、面倒な性格をしているのだな、と。
「――会談の切っ掛けはさ、俺が『決着をつけたい』って言ったからなんだ」
ティグルはそれに覚えがある。
会談の際に、ウォーレンが口にしていたからだ。
「決着というのは、ハイムとのことか?」
「うーん。ちょっと惜しい」
「む?それ以外に何の決着をつける必要がある」
アインが一番気にしていたのは、オリビアとアインに対する扱いではないのか?
ティグルはこう考えていたからこそ、余計に困惑した様子を見せる。
「確かにハイムは関係あるんだけど、俺が決着をつけようっていったのは、そこじゃなかったんだ」
照れくさそうに笑うと、アインは言葉を続ける。
「お母様の事は、お母様自身が『もうどうでもいい』っていってるから、俺もあまり気にしたくない。――俺は正直言えば、イシュタリカでお母様と幸せに過ごせてるから、もうハイムなんてどうでもよかったんだ」
「……では、何を考えていたのだ」
「残ったのは一つだけ。その時まで強く意識はしてなかったけど、譲れないことがあったんだ」
この瞬間、二人の周りに少し強めの風が吹く。
アインとティグルの髪を靡かせると、それは数秒の間吹き続けた。
「そろそろ教えてくれてもいいだろ。その、なんの決着をつけたかったのだ」
「あぁ……うん。それはね――」
業を煮やして尋ねると、アインが今までとは違った瞳でティグルを見た。
奥底に眠る強さが見え隠れする、無意識に膝をつきそうにさせられる強い瞳だ。
「――クローネは、誰にも渡さない」
一瞬、空気が振動したかのように、植えられた木々も揺れ動いた。
水路の水が凍ったように動きを止めると、突如として再度流れ出す。
「俺はきっと、これを直接言いたかったんだと思う。会談で言えなかったのは、機会が無かったのか、俺が日和ったのかのどっちかだと思うけど。――……いや、どっちもかな」
嘲(あざけ)るように笑うと、はぁ、とため息をつく。
「……そのために、国家間の会談を求めたというのか?」
「――え?うん、多分そうかな。お母様との件とか、色々とあったのは違いないけど、これが切っ掛けで、大事だったっていうのは変わりないよ」
大国イシュタリカの王太子が、一人の女性を想うがために会談を求めた。
その感情には呆れてしまう点も見え隠れするが、ティグルはアインの事を笑えない。
何せ彼も、国費を使って似たような真似をしたのだから。
「……グリントから聞いていた人物像とは、全く違ったようだな」
アインの返事を聞き、ティグルが小さな声でつぶやく。
恐らくは、劣等感や母たちの言葉を真に受けて、あのような事を口走っていたのだろう。
ティグルはグリントの言葉を思い返すと、こう予想した。
アインという男は強い。武を披露するのは目にしていないが、少なくとも、アインという人物そのものの強さは感じさせられる。
……認めたくは無かったが、王の器を比べれば、自分では相手にならないかもしれない。
これは敗北なのだろう。
アインという男と、自分の男を戦わせたときに、自分は負けてしまったのだろう。
言葉を見れば苛立ちを覚えるが、心の中で考えてみると、不思議とスーッとする思いがよぎる。
「――何を言うかと思えば、そんなことか」
だが、ティグルの意地はまだ死んでいない。
最後に弱弱しくなるのも億劫に感じたため、拳に力を入れて、強がって見せた。
「私は既に、クローネに振られている。先日の会談で、彼女はそれを口にしていただろう」
――だから、アインの言葉が無くても、すでに終わっていた話だ。
ティグルに残った最後の意地が、こんな強がりを演出する。
彼女がほかの誰かに抱かれる事や、あの唇を独占される事。
これはティグルの精神を深く傷つけ続けたが、もうどうしようもない話。
つまり、ティグルの初恋はこの瞬間をもって、すべてが終わったと言えるのだった。
「だが、最後に一つ言わせてもらう」
アインが答える前に、ティグルは話をつづけた
途中、何度か返事をしようとしたアインも、今ばかりは静かに聞いている。
「幸せを祈るだなんて、私の性格ではできない事だ。だから、今言えるのはこれだけだ。――彼女が不幸せそうにしていたならば、私が奪いに行く」
胸の内がぽっかりと開いた感覚の中、ハッカ油の様なスッとした清涼感が潜り込む。
生まれ変わったとは言えないが、視界が明瞭になったような錯覚を覚えた。
すると、その言葉を口にしたティグルは、振り返ると城の方に向かって足を進める。
「――王太子アイン殿。色々と済まなかった」
去り際に、初めてアインに謝罪をして、アインの返事を待たずにその場を後にしていく。
その姿を見て、リリがアインに頭を下げてからティグルを追っていった。
「……なんだ。ラウンドハートの人達ほど、悪い人じゃないじゃん」
もしかすると、心境に変化があったからこそ、さっきのような姿を見せられただけかもしれない。
きっと、根は悪い人間じゃないのかもしれないと、アインにそう考えさせるのだった。
……アインに誘われておいて、あの去り方は褒められる行動じゃない。
だが、ティグルも多くの面で限界がやってきていたのだろう。
アインはそう考えると、マルコに頼るように剣をさすった。
「クローネ、確か執務室にいるんだっけ」
ふと、彼女と話したくなった。
ティグルが完全に去っていったのを確認すると、アインもゆっくりと足を動かす。
無性に彼女の声を聞きたくなり、彼女の近くにいたくなったのだ。
「……久しぶりに、一緒に遊びに行こうかな」
建前はどうしようか?
……いや、そんなことを考えるのがいけないんだ。
素直にこう伝えることにしよう。
昔、彼女を誘った時のように、『デートしよう』とでも声を掛ければいいのだ。
アインはそう考えて、城に戻っていった。
さっきのセリフも、直接クローネに言えればいいのだろうが、意気地が無いというか、奥手な自分を恨むばかりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます