子供のような扱い。

 アインが乗る王家専用列車。

 それが予定を変更して、バルトへの道のりを進み始めた頃。



 王都の城では、執事室へとその連絡が届いてしまっていた。



「ニャンニャニャーニャニャー……きょーうもご機嫌カーティマ様ーっと……ニャ?」



 ここ最近では特に機嫌がよかったカティマ。そのカティマが執事室の前を通り過ぎた。

 すると当然のことながら、どうしたものかと騒々しいその気配に気が付き、何かあったのかとカティマも興味を示す。



「んー?何かあったのかニャ?」



 ここで彼女がご機嫌な理由を説明しよう。といっても特別な理由があるわけではなく、聞く者アインによってはアホらしくも思うことだろう。



 ……今日の彼女は毛並みの調子がいい。

 それも一年に数日程度の、最高に興奮できるほどの調子のよさだった。

 他にも何かあるのでは?と聞かれれば、残念なことにそれだけだ。としか言い返せないのがつらい部分となってしまう。



「私がやってきたニャー!」



 ——ババン!



 と音が生じる程に勢いよくドアを開き、中にいる執事たちの注目を集めた。するとビクッと体を震わせた皆を見て、カティマは何かあったのだと確信をする。



「こ、これはこれはカティマ様……どうなさいましたか?」


「賑やかだったから来てみたのニャ。それで、何かあったのかニャ?」



 しん、と静まり返る部屋を見るカティマ。



「何か隠し事かニャ?」



 楽しそうに笑いながらそう口にすると、執事の息を呑むような様子が目に映る。



「私に内緒にしなきゃいけないとなると……少ししかないのニャ?当ててもいいのかニャ?」



 カティマは頭がいい。勉強ができるというだけでなく、頭の回転や発想力に長けている。

 今日は機嫌がいい、せっかくだからクイズ代わりにでもしてしまおう。そう思って執事たちの様子を見続けるカティマ。

 一向に口を割らない執事たちを見て、さらに楽しそうに笑みを浮かべる。



「私はオリビアよりも権限が上だニャ。……となると私の上には、お父様にお母様しか秘密にすることはないはずニャけど……」



 一瞬ほっとしたかのような顔をした執事を見て、カティマはニヤっと笑う。対照的にその表情をしてしまった執事は、どうにも苦々しい面持ちになってしまった。



「おっと忘れてたニャー……。そういえば名目上は、お母様より上にはもう一人いたのニャ」


「カティマ様?一体何をお考えなのですか?我々は隠し事など一つも……」


「アインから何て連絡来たのニャ?教えないとお父様に告げ口するニャ」



 ……こうして執事たちは、第一王女の頭脳の前に敗北したのだった。



「ほーらほら。話すのニャ、話せば私の口も固くなるのにゃ」



 もはや絶望的な状況だったが、とうとう執事たちは観念した。



 ——そしてアインがバルトに向かったことを告げる。執事たちもその理由については、調べたいことがある。の一言しか聞いていないため、それ以上は説明ができなかった。



「ニャー……?この時期にバルト?それに隠れていくような理由……?」



 だがしかし、執事たちも少しばかり興味を抱いた。確かにわざわざ隠れていく理由が分からない。

 そうなればカティマの予想……それが一つのヒントになると思っていたのだ。



「——……そうか。わかったニャ!アインがバルトに向かった理由が、このカティマ様にはよくわかったのニャ!」


「ほ、本当ですかカティマ様っ!?では王太子殿下がバルトに向かわれたのは一体……」


「ふっふっふー……聞いて驚くといいニャ。アインがバルトに向かったのはきっと」



 もう一度言うが、カティマは頭がいい。頭の回転が速ければ、発想力にも長けている。

 だがその発想力が仇となり、どうにも頓珍漢(とんちんかん)な答えを導き出すこともあるのだが。



「きっとアインは、バルトにできた現地妻にでも会いにいったのニャアアアアア!」



 機嫌が良すぎたこともあってか、強い興奮状態にあったカティマ。

 彼女がいつものように落ち着いていたならば、もう少し違った答えを導き出したやもしれない。

 しかしながら、今日の彼女はそうした論理的思考に穴があり、タイミングが悪かったといわざるを得なかった。



「という訳なのニャ。私も聞かなかったことにしておくから、気にしないでいいのニャ。じゃあまたニャー」



 アインがちょっとした修行中とはいざ知らず。そうした見当違いな答えを導き出して、カティマは満足した様子で研究室へと戻っていった。




 *




 ——感想を言わせていただけるならば、最初は大口叩きそうになってすみませんでした。この一言に尽きる。



「身体的な痛みとは教育に最適……。そうした意見を聞くこともあったが、俺はそう思わない。お前もそれを理解し始めてきたはずだ」



 この"借り物"の鎧を身につけなければどうなっていたのか。そんなことは考えたくもないが、それでも体中に多くの疲労と痛みが蓄積してきた。



「……そろそろかしら?はーいどうぞ、もう一度頑張りましょうね」



 するとどんな事をしてるのかはわからないが、エルダーリッチのシルビアのおかげで、アインの受けたダメージが消え去っていく。

 当然そうなれば元気に立ち上がることができるのだが、それはあくまでも肉体的な疲労の話。



「結局のところだ。終わりのない道を走り続けさせる……そうして生じる精神的な痛みの方が、何よりも訓練には向いている」


「はぁ……はぁっ……い、いやその気持ちはわかるんだけど。大概は心が折れそうな気がする……」


「折れるなら弱者で甘んじるだけだ。それが嫌なら黙って続ける……簡単な事だろうに」



 一滴の汗すらもかかないその姿が憎らしい。

 それどころか一回も息を切らさず、ただ淡々とアインの相手をこなすデュラハンカイン



「言い訳をするつもりじゃないけど……この場所っておかしくない?なんかいつもより身体重いんだけど……」


「時間を長く感じられるようにシルビアが弄ってるだけだ。そのせいで少し重いだろうが、大した影響ではない」


「……あの、色々勝手にやりすぎじゃ」



 エルダーリッチの凄さが身に染みるが、それって大丈夫なの?と不安になる。



「難しいことは考えるな。黙って体を動かせ」


「……はい」



 元気なのは肉体だけだが、なんとか気力を振り絞って体を起こす。



「いくぞっ!」



 気合を入れて一歩踏み込む。



「ふむ……」



 距離を詰め、剣を振り上げる動作をすると。もう何度目か分からない指導が入った。



「手の動きが気に入らない。やり直せ」


「ぐっ……ぁ……」



 振り終えた後の動きはとても柔らかい、だがいつの間にか振られたデュラハンの剣。

 それがアインの着る鎧へと衝撃を与える。



「っ……げほっ……げほっ……」



 気に入らないってなんだよ。そうした不満を口にしたくもなるが、圧倒的な力の差を前にして、どうにも強く言い出せない。



「一つ分かったことがある。おそらくお前、剣の才能は無いな」


「……そんな唐突な」



 今までしてきたことへの自信がある。長年続けてきた城での訓練に加え、ロイドやクリスとの立ち合い。それもあってか、アインは剣の扱いにはちょっとした自信があった。



「今のお前になるまで成長したのは努力だ。ロイドとかいう小僧と同様に、才能で強くなる性質を持っていない」



 ロイドと同じといわれれば、なんだかんだと悪い気はしない。だが小僧扱いなのかと、少し寂しくなった。



「な、なるほど」


「むしろあの海の魚を倒した時のように、幻想の手などを駆使して"魔物"らしく戦う方が向いている」


「……一応俺って人なんだけど。それと海龍を魚扱いは可哀そうじゃないなーって……」


「向き不向きの話だ。……まぁいい、とりあえず続けるぞ」



 当然のことだが、才能がないといわれて悲しさは抱く。更に精神的に疲れてきたのを感じてしまう。



「……あなた?そろそろ1つぐらい助言してあげたら?」



 困ったように微笑みながら、二人に向かってこう語ったシルビア。

 カインはそれを聞いて立ち止まり、こめかみのあたりに手を当てる。



「……はぁ。しょうがないか」



 嫁の言葉は強いのだろう。シルビアに言葉を受けて、カインはついに妥協することを決める。



「お前の弱点を教えてやる。いいか?」



 こうした方がいい。あるいはこうする方が望ましい。……そうした助言はいくつも耳にしてきた。だが彼が語ったのはそのどれでもなく、弱点ということ。

 アインはそれを聞いて、素直に頷いた。



「……お前は何をするにも、"強者"の立ち回りしかしていない」


「えっと……ごめん、もう少し詳しく……」


「一振りで相手を倒せるのは、強者に許された権利だ。お前は俺が相手だろうとも、そうした一撃を狙おうとする節がある」



 アインの近くへと進むと、今度はそのアインの手を取って指導を始めた。



「勝つための意思がない、一目見ればわかる。角度を変えようとも狙いを変えようとも……結果としては、一撃で倒そうとする太刀筋でしかない」



 指導を始めたカインの身体は大きく、アインをすっぽりと抱きかかえることができる程だ。ロイドを余裕で超えてる体躯は逞しく、添えられる手の大きさにも驚くばかりだ。



「(……お父様からは、こんな教え方されなかったな)」



 相手は数百年も前に死んだ男で、更に人ではなく魔物だ。……だがアインは、その魔物を相手に父性を感じてしまう。

 そうした筆舌にし難い感情を抑えるため、口元を強く噛み締める。



「弱者らしく戦えば、相手を確実に追い詰めることができる」


「……それはカインさんが相手でも?」


「馬鹿を言うな。虫を殺すのに武器はいらない」


「……はい」



 厳しめな言葉しか投げかけてはくれないが、それでもこの時間が徐々に楽しく感じてきた。



「相手を崩すことも考えるな。それは結局のところ、相手の事を考えての立ち回りだ」



 アインの身体を動かして、いくつかのパターンを知らせてくれる。



「逆に相手を巻き込め、相手を崩そうとする考えはいらん。結果的に崩れてた、それだけでいい」


「言ってること難しいんだけど……」



 声色は穏やかながらも、口にすることは非常に難しい。



「なら出来るまで試行錯誤を続けろ。相手にはなってやる、つまらないことをしたら転がしてやるからな」



 口が悪くとも、態度は決して嫌そうじゃない。



「わかった。それじゃもう一度、胸を貸してもらうよ」



 こうしたことは口にはできないが、実の父よりも父らしく感じてしまう。

 アインは、もうしばらく此処に留まりたい……密かにそうした想いに駆られるのだった。




 *




「……まぁ少しはまともになった」



 何時間ぐらいになるのだろう。もはやそうした感覚が残ってない程に、ただ一振り目だけを延々と繰り返してきた。



 自分が分からない理屈によって、時間の感じ方を遅らせている。そうした説明をなされたとはいえ、もはや現実ではどのぐらいの時間が経ったのか、そんなことを考える余裕なんてものはなかった。



「や、やっと……許容範囲かな?」


「まぁ飲み込み自体は良い方だ。それは誇っていい」



 頭をぐしぐしと撫でられたことで、ようやく初めて褒められたことを実感する。



「この鎧が無ければ何度死んでたことか……」



 デュラハンの鎧。これを身に纏っていたことで、大きなダメージを免れたのだから、鎧にも多くの感謝を捧げる。



「その鎧があろうとも何百回も殺した。だいたい、たかが夢のような世界で、実際に死ぬわけがないだろうに……」


「……え?」


「何度吹き飛ばされたか覚えてるか?」



 ある時は気に入らないといわれ、またある時は甘えるなとキレられて……今となっては、何度吹き飛ばされたのかなんて覚えてない。



「もう数えきれないぐらいで何とも言えないよ」


「現実世界で受けるなら、その一つ一つが命を奪うのに十分事足りている。よかったな、死に直通となる攻撃を経験できたんだ。いい経験となっただろう」



 ——物騒すぎる。



 だがそうか、あれぐらいでも死んでしまうのか。

 彼の口にした言葉を受けて、随分とあっけないものだと考えさせられる。



「……ま、まぁいいや。それじゃ次は……カインさんの剣を教えてもらえるの?」


「無理を言うな」



 ——あ、あれ……?想定と違う。



「無理ってどうしてっ!」


「今のお前の身体で扱えるもんじゃない。更に付け加えるなら、この短い時間で会得できるとでも思ってるのか」


「……急に正論いわれても困るんだけど」


「だからこれからは、とある男の剣……それの対策を教える。何も聞かずに黙って覚えろ、いいな?」



 とやかく言える立場ではないため、黙って従うしかないのだが。ふと自分の身体を見つめ始めたアイン。



「あのさ。この鎧って俺にも出せるようになるの?」


「……出したいのか?」


「もちろん。ちょっとした憧れみたいなもんだよ」



 デュラハンに関するスキルなんて、幻想の手ぐらいしか使えてないのだ。

 それも今までずっとこれだけだったので、さすがにそろそろもう一つぐらい覚えたい。



 だが考え始めたカインを見て、まだ駄目なのかと残念そうな顔になってしまう。するとシルビアが口を開き、カインの代わりに答えを口にし始める。



「……お家に帰る頃には、もしかしたら使えるようになってるかもしれないわね」


「お家に……?それって王都ってことだよね?いやでもどうしてそうなると使えるって」


「希望は持てただろう。時間は少ない、急いで続きを始めるぞ」



 後ろから首根っこを掴まれて、まるで猫を運ぶかのように引っ張られるアイン。

 もう少し丁寧に運んでくれないものか……これではただの子供だ。



「話途中だったのに」


「先にやることがあるだろう。駄々をこねるな」



 ドサッと地面に投げ捨てられながらも、器用に着地する。



「あーもうっ!わかったってば、やるから子供みたいに扱わないでって!」


「……何言ってるんだお前は。明らかに子供だろうに」



 確かに子供だ。年齢は今年13歳になる予定だが、それでもまだまだ子供としかいえないだろう。

 それでも率直にそういわれると、少しばかりの反抗心が生まれてくる。



「子供は子供でも!そこまで小さな子じゃないって!」


「あーわかったわかった。もうどれでもいいから早く立て、続きをやるぞ」



 ——あやされた?



 これは確実にあやされた雰囲気だ、アインはそのことに気が付いてしまう。だがここでムスッとした顔をしようものならば、確実に奴に笑われる。そう思って断腸の思いで我慢した。



「それで?俺はどうすればいいのさ」


「くくくっ……あぁそうだな。それなら」



 我慢したつもりだが態度にでてしまった。笑い声を我慢できずに口にするカインを見て、アインはただ力なく頭を抱える。椅子に腰かけているシルビアはといえば、ただ楽しそうに微笑んでいるだけだった。



「ひたすらに立ち会う。それでどういう相手なのか、そしてどういう剣を使うのかを体で覚えろ」


「……なんか最初から思ってたんだけど、根性論多すぎない?」


「座学なんて役には立たない。実戦で生きた知恵を尊重しろ、いいな?」


「……はい」



 自分にもっと実力があって、相手を納得させられるだけの実績があれば別だ。

 しかしこの相手にはそれができない。むしろ出来る相手なんて、このイシュタリカにも存在しないだろうから。



「なら構えろ。こちらのタイミングで行く、目で追える速さのはずだから固くなるなよ」



 それを聞いて、いつも通りに剣を構える。

 するとそのアインの様子を見て、カインも同様に剣を構えた。



「(……あれ?さっきと全然雰囲気が違う)」



 よく言えば実直なものに、悪く言えば無個性。カインはそうした正眼の構えをし始める。

 すると瞬きをした刹那のことだった。



「ふっ!」


「っ……!?」



 一瞬で踏み込んできたかと思えば、アインの真正面から剣を振り始める。



「はっや……!」



 彼口にしたように、確かにその動きを目で追えた。……しかし良く分からないことがあった。



「(どうして背後に回らなかったんだ……?)」



 正直に言えば、一瞬だけ虚を突かれたのは事実だ。

 だからこそ正面で剣を振るのではなく、背後や横に回るような動作があればもっと怖かった。



「そうだ。反応できるならそのまま対処し続けろ」



 イシュタリカの騎士達よりも騎士らしい。そう感じさせるほどの正直な剣……その一振り一振りがアインに襲い掛かる。

 この戦い方は相性がいい、なにせ近衛騎士達との訓練に似たものを感じさせるからだ。



「なんかすごい優しくなってきたような……!」


「無駄口を叩くな。まだまだいくぞ」



 相性はいいとはいっても、カインが見せる剣は恐ろしい程正確だった。

 動作にブレがなく、この洗練された動作はロイドを思わせる。……だがロイド以上の速度は、まるでクリスの動きのようだ。



 例えるならばロイド以上の正確さに、クリスと似通った速度。



「(完全な上位互換ってことねっ!……でもこれなら、まだ対処できる!)」



 しばらくの間こうして立ち会っていると、時折アインでも攻撃できそうな癖が見つかり始める。



「——はぁっ!」



 遠慮なく打ち込むと、微妙な体勢だろうともしっかりと防御されてしまう。

 まだ攻撃が甘いのだろう。だがこの分かりやすい癖は一体なんだ?



「……無駄な事は考えずに、ただそれを続けろ」



 物事を考えると動きが鈍くなる。そんなことはすでに看破されている。



「は、はいっ!」



 一定の間合いを保ちながらも、同じように剣を振り続ける両者。

 カインが振る剣は、今も正直な太刀筋で向かってくる。……言ってしまえば、長く続けていてその癖に慣れてきたアイン。



「(また隙があった……!)」



 最初と比べていくつかの打ち込む隙に気が付き始める。

 当然の権利のように攻撃を仕掛けると、若干相手のリズムが狂い始めた。



「さっき覚えたことだろう。立ち回りで支配しろ」



 そう言われて、延々と続けてきた訓練を思い出す。

 あれはすべてが一振り目の訓練だったが、考え方を変えればここでも確かに生かすことができる。



「(仕切り直しだ。自分が打ち込める時が出来たら、それを利用していけばいい……っ!)」



 何を一振り目と考えるか。起点とする場所を変えれば、先ほど身に着けたことが生かせるはず。アインはそう考えて剣を振り続ける。



「(あと4……いや、5だ!)」



 今までの流れ通りならば、おそらくその回数剣を交わした後に、自分が攻撃できる隙が生まれるはず。そのために一心に支度を始めるアイン。



「——っ!」



 今だ……!予想通りの流れにほくそ笑んだアインが、その隙を狙って強く剣を振ったのだった。




 *




「あなたー?そろそろ時間ですよー?」



 長い間続けてきた訓練だったが、シルビアの一言でその動きが止まることとなる。



「……も、もうか?まだ足りないというのに」


「あれ?時間ってなに?」



 充実した時間を送れていたアイン。

 脳内物質によって疲れが緩和されているのか、最初の時と比べて、辛い様子を見せなくなり始めていた頃だった。



「もうすぐ列車が到着しますよ。そろそろ起きる時間です」


「あぁ……そういえば俺寝てたんだっけか」



 半日の更に半分。6時間に満たない時間の旅路だったというのに、まるで数か月にも感じる程の、とても長い時間を過ごしたように思える。



「現実の肉体の疲れは治しました。だから何も心配しないでくださいね」



 時間の感じ方を変えさせたり、こうした世界から現実の肉体に作用させたりと……このシルビアというエルダーリッチは、どこまでの能力を隠しているのか。それが不思議でならない。



「……結局さ、どうして呼んだのか教えてくれないの?」


「ん?最初に教えただろ」


「いやいや聞いてないと思うけど……」


「力押しではなく、技で倒してほしかった。そう教えていたはずだ」



 それで理由になっているのかを考えれば、何一つなっていない。それ以上は一行に教える気が無い様子のカインを見て、聞いても無駄なのかと諦めはじめる。



「……まぁそういうことって思っておくよ。どうせ聞いても教えてくれないだろうし」



 目を閉じてじっとするだけのカインに、困ったように笑っているシルビア。二人ともそれ以上は口にする気が無いようなので、アインはこの話を終わることにした。



「はっきり言って、何が起こってるのかも、どうして呼ばれたのかもわからないけど……。でもいい経験になったのは事実だから、それは本当に感謝してる」



 深く頭を下げて礼をして、感謝の念を伝える。



「一つ頼みたい」



 それまで口を閉じていたカインが、ようやくになって口を開いた。



「……えっと、俺にできること?」


「お前にしかできない事だ。頼んでもいいか?」



 ……なんていう顔をするのだろう。

 悲しいような切ないような……そして、何かを懐かしむかのような物寂し気な顔をしている。



「わかった。何をすればいいの?」



 自然とこう返事をした。そうするのが正解だと、心の中で強く念じていたのだ。



「もし……もしさっきの剣を使う相手と戦うこととなれば、最後にこう言ってやってくれ」



 さっきの剣……。つまりあの実直で真っすぐな剣で、アインの身体に覚えさせた例の剣のことだろう。



「それが誰か知らないし、戦うかなんてわからない。でもなんて言えばいいの?」



 アインの返事を聞いて、ようやく安堵した表情となったカイン。するとすぐにその言葉をアインへと伝えた。



「あぁ、その言葉はな……——」




 *



「——……イン様っ!アイン様!」



 身体が揺さぶられ、耳元で聞きなれた声が聞こえる。



「ん……あ、あれ?」


「お目覚めですかアイン様?もうバルトに到着致しましたよ!」



 耳元で呼びかけていたのはディル。窓の外は真っ暗で、遠くに酒場や宿屋の光が見える程度だった。



「あぁそっか……最後に挨拶できなかったなぁ……」



 さよならは言いたくないが、"またね"ぐらいは口にしたかったアイン。聞きたいことなんていくらでもあったが、このことが特に悔やまれる。



「挨拶ですか?」


「ごめんごめん。元セージ子爵の領地の人たちに、最後に挨拶ぐらいするべきだったなって」



 正直に何があったかを教えようとも思ったが、思えばこれから多くの事が待ち受けている。ディルには申し訳ないが、今はその件を優先することにした。



「なるほど、そういうことでしたか……。ですがアイン様は多くの農民たちと語り合いました、彼らにとっても、それはいい思い出となるでしょう。なのであまり気を落とさずにですね……」


「……ありがとディル。ほんっと、いい騎士だよディルは」



 急に褒められてポカンとした顔をしていると、アインが立ち上がっていくつかの荷物を持ち、腰に剣を携えた。



「さぁディル。久しぶりのバルトだけど、付き合ってもらうよ」


「ア、アイン様?当然ご一緒致しますが……ですが、まずはどこに行くのですか?」


「最初に行く場所は決まってるんだ」



 そう、バルトに着いたら行く場所は決まっていた。購入しなければならないものがあったのだ。



「ちなみにその場所とは一体……?」


「花屋だよ。大きめの花束買って行かないと、供える物がないからね。……あ、あとお酒とか少し買って行こうかな」



 何がしたいのかさっぱりなディルだったが、とりあえずアインに付いて行くことは了承する。

 そしてアインはディルを連れて、夜のバルトへと繰り出していった。



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