自己嫌悪。

「……器だと?」



 普通に学園に通い、そしていつも通りの生活を続けていたアイン。二週間なんてあっという間のことで、ついに先代の命日の日となった。供えるものなどの支度を終え、アインはシルヴァードとたった二人で王家の墓地へと足を運ぶ。

 墓所手前までは給仕たちが付き添ったものの、決まり通り足を踏み入れたのはアインとシルヴァードの二人だけだった。



 ——王の器とは?



 アインが先日考えた一つの疑問だ。当然のことだがアインもいくつかの考えはある。だがそれでもシルヴァードの考えを教えてほしかった。



「アインもそのような事を考える年になったのだな」


「いやまあ。えっと……その、はい……」



 頬を綻ばせて、アインの頭をポンポンと優しく撫でた。王太子として立派にやっているが、言葉に出してこうしたことを学ぼうとする姿勢は、シルヴァードにとっても喜ばしい話だ。



「だがその言葉を語るには時間が必要だ。まずは成すべきことを成す……その後、ゆっくりと語ろうではないか。よいな?」


「勿論です。では先代陛下の墓前に……」



 霧の様な細かい雨が降る今日は、少しばかり天気が悪い。時刻は昼前、アインが目を覚ました早朝には土砂降りだったため、天気が好転してきているものの、まだ空模様は落ち着く様子がなかった。



 墓所の墓石もその雨に濡れて、前回とは違った表情をアイン達に見せている。



「だが大きく育ったものだな。そうした長剣を装備していても違和感がない」



 白と銀を基調にした正装に、胸元にはイシュタリカ王家の紋章。手元には滑らかな布で作られた白い手袋、そして腰にはムートンが作った新たな相棒が携えられている。

 平均身長よりも高めのアインの身体は、長剣を腰に付けてもなんら違和感のない体格をしている。



 当たり前だがシルヴァードも正装に身を包んでおり、シルヴァードの場合は白と銀の正装の上に、更に金糸も使われた羽織などを身に着けている。そして腰にはアイン同様剣を携えていた。



「おかげ様で順調に成長出来ました」


「それは何よりだ。……ではアインよ共に参れ、余の後に続いて、同じ作法で先代陛下に挨拶をするのだ」


「はい、では後ろで拝見しております」



 墓前についた二人。まずはシルヴァードが前に立ち、アインに見本を見せる。

 まずは一礼をし、次に持ってきた供え物を墓前に置く。そのためのスペースがあるので、そこに丁寧に置くだけだ。

 祝詞(のりと)のようなことは無く、ただ粛々と一連の流れを進めることになる。



「……」



 何も語らずにその作法を続けるシルヴァード。アインは後ろでその仕草をじっと観察し、自分の番となったときに無礼にならない様にと学び続ける。事前にその作法については確認していたが、やはり本番ともなれば少し勝手が違ってくる。



 数分にも満たない短い時間だったが、一定のするべき事を終えたシルヴァードは、最後に剣を持ち上げて胸元に押し付けた。



「……これで終わりだ。しっかりと見ていたな?」


「はい、勉強になりました」


「では同様に先代陛下にご挨拶をせよ。……とはいえ、アインが将来することになるのは余なのだがな。はっはっはっは!」


「間違えではありませんが、そんな不謹慎な……」



 長生きしてくれと心の中で祈り、アインは居を正して墓前に向かう。



「ふぅ……」



 亡くなっているとはいえ相手は、相手は先代のイシュタリカ王……そしてシルヴァードの父だ。

 墓前での作法とはいえ、さすがのアインも少しばかりの緊張感に襲われる。シルヴァードの姿を一つ一つ丁寧に思い返し、間違えの起らないようにと細心の注意を払って進めていく。



「……うむ」



 時折聞こえるシルヴァードの声が、それで問題ないことをアインの心に教えてくれる。きっとこれも祖父の気遣いだろう、アインはそう思って彼に感謝する。



 シルヴァードの小さくも影響力のある気遣いを受けて、アインは落ち着いてその一連の作法を進めることができた。

 そしてそれはとうとう最終局面までやってきて、するべきことは後1つとなっている。



「(剣を手に取って……)」



 剣を手に取って胸の前で押し付けるように構える。そして最後に一礼で終わりだ。それですべては終わり、シルヴァードに話しかける……アインはそのつもりだったのだが。



「……っ!?」



 アインが手に取った剣……ムートン製の、リビングアーマーの剣が光り始めたのだ。光始めたといっても鞘に包まれているため、根元部分から漏れる光に気が付く程度の事。だがしかし、その光は背後に立つシルヴァードにもしっかりと確認できたのだ。

 背後に立つシルヴァードから息をのむような声が聞こえるが、アインはなんとか冷静でいられた。



 ——……なるほど、これがムートンの語った能力か。アインはそう納得できたからだ。



「申し訳ありませんでしたお爺様。ご説明することを失念しておりました……」



 最後に礼をしてするべき事を終えたアイン。静かに振り返り、まずはシルヴァードに謝罪をする。



「先ほどの光はなんなのだ……?」


「力のあるアンデッドの素材だと、こうした剣が出来上がるとのことです。先に説明するべきでした、申し訳ありません」



 シルヴァードはそうした剣についての知識があったのだろう。少し考える様子を浮かべてから、アインの方を見て『そういうことか』と口にした。



「そうした武器の事は聞いた事がある。城にはそういったものは置いてないが、そのような事情ならわかった。……だが次からは先に説明するのだぞ。よいな?」


「……承知しております。以後このような事が無いように致します」



 どうやら不問にしてくれるようで、アインはそのことにほっとした。シルヴァードとしても、わざわざ罰する必要があるとは思えなかったのだろう。



「確か骨に反応するんだったか?」


「その通りです。どうにも使い道がなさそうな能力ですが……」


「ふむ……考えればいくつかありそうだが、だがアインにはあまりなさそうだな」



 その通りだ。王太子がそんな武器を持っていても、その能力を生かせるかと聞かれれば難しい。



「だが一つわかったことがある。ここには我が父の遺骨がしっかりと納骨されている、それは良いことだろう」



 厳重に守られている地のため、わざわざここに墓荒らしが来るとは思えない。だがこうして父が眠っていると分かったシルヴァードは、少しばかり感傷に浸っている。



「アイン。寒くないか?」


「いえ特には。正装だとむしろ暑いぐらいで」



 厚手の生地を数枚着込むため、それなりの防寒性を持つのがこの正装だ。いくら霧のような雨が降っていようとも、やはりこうして立っているだけでも寒くなることは無い。



「なればよい。あまり人前で話すことでもない故、ここで話すのが好ましいだろう」


「えっと……それは私が質問したことでしょうか?」


「うむ。するべき事も終えたのだから、アインの問いに答えようじゃないか」



 一瞬強い風が吹き、二人の頬に水滴がぶつかった。少し火照った頭が冷やされてアインも一息つく。



「王の器。そうした話は他の者に聞かせるようなことではない。だがアインは王太子……未来の王なのだ。だから余の考えを伝えよう」


「ありがとうございますお爺様」


「構わぬ構わぬ。こうしたことを話せるのもアインだけだからな……。そしてアイン、これから話すことはあくまでも余の考えだ。お主が全く同じ考えに至ることは無いと思うが、それでもよいな?」


「はい……わかってます」



 歴代の王たちが同様の考えを持っていたか。そうしたことを思えば間違いなく答えは『いいえ』となるだろう。皆が違った哲学を持ち、その時代その時代に合った統治を行ってきたのだ。違う考えだろうとも、それが間違いなわけではない。



「余が思う王の器とは、『すべての民の生死を司る』……それが出来る者と考えておる」


「すべての民の生死……ですか?」


「うむ。その意味は多くあるが……例えば近衛騎士。彼らが剣を振って奪える命と、余の言葉で奪える人の命。これは圧倒的に後者の方が多い、その意味は分かるか?」


「……断罪するには王の名が必要となります。また例えば戦が起きれば、お爺様の言葉で多くの者が戦地に向かいましょう」



 シルヴァードは、そう口にするアインの瞳をじっと見つめる。



「その通りだ。それに余の言葉に間違えがあれば、その者はただ死ぬのみ。……その生に意味はないだろう」


「はい。仰る通りかと」


「そしてもう一つ。無知は罪だが、賢者でないことに罪はない。王は決して大臣でなければ将軍でもない、そして商人でなければ鍛冶師でもないのだ」



 堂々とした顔でそう口にするシルヴァードの姿。初めて聞く王の考えに、アインはじっと耳を傾け続ける。



「……王の成すべきことを成せばいいのだ。王はそれ以上でなければそれ以下でもない、ただ"王"なのだから」



 抽象的な言葉で理解しづらい部分もあった。だが感覚ではなんとなく理解できる部分もある。不思議な感覚だが、王族としての意識に深く突き刺さる言葉だった。



「悩むことは必要だが。その悩みを解決することを忘れてはならんぞ、アイン」


「……しかと肝に銘じます。そして今のお爺様の言葉を忘れないように……しっかりと覚えておきます」


「はっはっは!そう言ってもらえると祖父としても喜ばしいものだ。さぁアイン……風邪をひく前に中に戻ろうではないか」



 この会話の中で、アインは自分なりの考えを纏めようと考え続けた。だがしかしそれは叶わず、頭の中で考えがただ蠢くばかり。

 シルヴァードに考えを聞けてよかったと思える反面、やはり難しいことだと再確認したアイン。本当に王って難しい、それを強く実感した。




 *




 濡れてしまったため軽く風呂に入ったアイン。今日はもう予定がないため、自室に戻って休憩することができる。だがシルヴァードとの会話を思い出して、机についてからずっとペンを回している。



「自分はどうしたいのか……」



 最近は将来の事をよく考えていた。……きっかけはクローネの件で、多くの事を考え始めたのが始まりだった。自分は将来必ず王になる。万が一の事がない限りそれは決まっていることで、ほぼ確実にそうなる未来だろう。



 その将来の事を考えていると、ラウンドハートでのことをしばしば思い返してしまう。



 長男として産まれ、最初はそこそこ可愛がってもらえた。父のローガスも剣を教え、筋のいい自分をよく褒めてくれていた。

 だがいくつかのきっかけがあってそれは終わり。弟のグリントが自分以上の愛に包まれて、結局は次期当主の座も手にしたのだ。



 その結果。母のオリビアへの扱いも悪くなり、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいになっていたことを思い出す。

 どうにかして状況を好転させたい、そうした思いもあってか鍛錬に打ち込んで、当時から同年代では並ぶ者がいない程の実力だった。



 その後は今の自分に至る。なんだかんだとあって、アウグスト邸でのお披露目パーティの夜にイシュタリカへと渡ってきた。衝撃的な事続きだったが、こうなってよかったのだと常々実感するばかりだ。



「なーんか引っかかる……ううん……」



 将来の事を考えてるとなぜラウンドハートが出てくるのか。

 愛情なんてものはとうになく、特に気にしていなかったはずなのにどうしてなのか。それが引っかかっていた。



「王になることもラウンドハートも、なんにも関係ないじゃないか……」



 こうした悩みを抱かせるラウンドハートが憎らしいが、その憎らしい思いをぶつける場所がない。ただどうしてこんなにも、ラウンドハートのことで悩んでいるのかを最近は考えている。



 ……クローネとのこと、そして将来の事。更にいえばラウンドハート……これが繋がっている理由はなんだ?一見してみるとなにも関連性が無いように思えてならない。



 自分で用意した冷たいお茶を勢いよく呷(あお)り、喉と胃を冷たく冷やす。



「あー意味わからない……もーっ!」



 じたばたしても好転することはないが、ただじっとしてもいられなかった。

 窓ガラスに当たる雨の音だけが、部屋中に静かに響き渡る。



「我ながらどうにも踏ん切りが悪い……」



 決断力の欠如?あるいは心配性なのだろうか。甘い性格なのは自覚があるが、今回のような問題で、どうにも決断力に乏しい気がしてならない。すぱっ!という擬音のように、勢いよく物事を決定していきたい。



 他の余計な事は考えないように。そう考えながら将来に思いをはせても、やはりまたハイムでのことが頭をよぎる。

 分かっていたが、ここ最近何度も繰り返してきたことだった。



「あ、お茶無くなった」



 もう一杯飲んでリラックスしようとしたが、それはできずに終わってしまう。



「もういいや。ちょっと外に行こう」



 言葉にできないこの気持ち。とうとうアインは我慢が出来ず、外出して気を紛らわそうと考える。

 ——だが勢いよく立ち上がったせいか、アインの使っていたカップが床に落ちて割れてしまった。



「あー……やっちゃったよ……」



 更に低下する気分を抑え、給仕を呼んで掃除してもらおうと思ったが、なんとなく呼ぶのも恥ずかしくなったので自分で掃除を始める。



「痛っ……はー……踏んだり蹴ったりすぎて笑えない」



 上手くいかない時はつくづくうまくいかない。ここまで面倒続きだと、さすがのアインもこの気持ちをどうしたらいいのか分からなくなってしまう。

 傷のできた指をかばいながら破片を集め、要らない布の上にそれを並べる。



「痛いなーもう……」



 こうして一人で痛みを味わう時間。こんなのはここ最近感じることのなかった時間だ。するとまた昔の事を……幼い頃の記憶を思い出してしまう。

 ローガスがグリントの面倒を見ている間、鍛錬中に小さなけがをすることなんて何度もあった。……この状況はそれと似ている。



「最悪だ……この状況はまずい」



 どう転んでも気分が下がる一方で、何もしたくない気持ちに襲われ始める。ただ横になって黙って本を読み、城の美味しい食事を楽しみ、広い風呂でリラックス。最後は自分の大きなベッドで眠りたい。



「はーまさかカップにまで裏切られるなんて……」



 カップを落とした原因はアインにあるが、珍しく物のせいにしてしまった。そうでもしなければやってられず、こうして低下していく気分を紛らわす。……だがその裏切りという言葉に、アインはふと気が付いてしまう。



「裏切り……?裏切りか」



 数回言葉に出して復唱する。どうにもその裏切りという言葉を耳にすると、何かに近づけそうな気がしてならなかった。



 怪我をした指を咥えて血を止め、アインはじっと床の上で考え事を始める。

 ……そして何分か経った頃、ついに新たな事実に気が付くことができた。



「あぁそっか。どうしてこの話が繋がってるのかわかった」



 まさに怪我の功名とでもいえるだろう。怪我をしたおかげで、ここ最近の悩みの種……その理由が分かってしまったのだから。



「愛されるのが、それと期待されるのが怖いんだ。裏切られることを思い出して……それで逃げてるんだ」



 産まれた時は期待された。だが結果、裏切られた。



「なんだそういうことか。気にしてないなんて言っておきながら、十分気にしてたってことだ。……それでラウンドハートのことが引っ掛かってたってことね」



 イシュタリカ王となった時、民の期待が外れて裏切られる。……あるいは類似したことが起きたならどうする?

 あるいは自分を愛してくれる者にまた裏切られる。……自分は次は耐えられるのか?完全に合点がいってしまった。



「つまりはさ……。ただの臆病者だったって話だよこれは」



 多くの空虚感に覆われたアインは、すっと立ち上がってソファに向かう。その後は日が変わるまでその上で過ごし、その頃になってようやくまた立ち上がることができた。



 その間はただ静かにソファに座っていただけで、心の中は不快な空虚感に満たされ続けていた。

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