大人になった(らしい)。
アインがムートンから剣を受け取り、そしてシルヴァードとハイムの件を話した翌日の事だった。
それはまだ日が昇りきる前の事で。王都中が薄暗く、少しばかり空気が冷たい時にそれは起こった。
——ドンドンドンッ!
慌ただしい様子で叩かれたのはオリビアの自室の扉。昨晩は床につくのが遅かったオリビアは、その騒々しい音に少し遅れて気が付いた。
「だ……誰、かしら……?」
大声を出すのはあまりにも王女らしくない。そして寝起きでそんな声を出すのも難しいため、オリビアは枕元にあるベルを手に取り『チリン』と音を鳴らした。
「し、失礼致しますっ……このような時間から申し訳ありませんっ!」
オリビアの部屋にやってきたのはマーサ。額に汗を浮かべ息を切らしているその姿は、いつも冷静な仕事ぶりの彼女らしくない。頭に付けているカチューシャも乱れているあたり、身支度をしっかりする余裕もなかったのだろう。
「マーサ?こんな時間からどうしたの?」
まずは尋ねよう。
彼女がどうしてこんな時間からやってきたのか、そしてどうしてこうまで慌ただしい様子なのか。
「陛下が仰るには、オリビア様が必要だとっ……!」
「えぇわかりました。……それで、そのお父様はどうして私を?」
日頃のマーサならばここで要件を先に話す。更にいえば、語尾も未だ落ち着きを取り戻せていない。やはりなにか緊急事態なのだろう、オリビアはベッドから起きて、椅子に掛けていたガウンを手に取った。
「下には騎士もおります。なので少しお着換えをして……それで、それでアイン様のお部屋に参りますっ!」
なるほどアインに何かあったのか。愛しのアインのこととなれば急がねばならない。薄いレースのネグリジェを脱ぎ去って、急いで新たな服を探すオリビア。近くには頭を通すだけでいいワンピースの様な服があったので、それを手に取りすぐに着替えを終える。
「アインに何かあったの?」
現状聞けているのはアインに何かあったという事、それとシルヴァードが自分を呼ばせたという事だけだ。そろそろ何があったのか教えてもらえなければ、マーサを置いて走ってしまいそうになる。
「もっ……申し訳ありませんでした!じ、実はアイン様のお部屋が……——」
マーサの言葉を聞いて、オリビアは自分が必要とシルヴァードが言った理由がわかった。
オリビアの部屋からアインの部屋へは、徒歩で数十秒程度の距離しか離れていない。また階層も同じなため、オリビアはマーサを伴ってすぐにアインの部屋へと到着することができた。
支度を急いで、足早にアインの部屋へと向かってきたオリビアは、その部屋の様子を見にしてすべての状況を理解するに至る。
「……お父様っ!」
「お、おぉオリビアっ……すまぬ。状況が状況なだけに、どうしてもお主が必要だったのだ……」
「やっと来たのニャ!一体いつまで寝てるのニャーまったく!……まぁ私は徹夜なだけニャけどニャ!」
「遅れてすみません。それで……これね?お父様たちが私を呼んだ理由は……」
そうして再度アインの部屋を注目する。
その異変はすぐに気が付くことができる。アインの部屋のドア、その周囲が多くの太い根に覆われており、その異様な様子に驚くばかりだ。
「あぁそうだ。これは一体なんなのだっ……!中のアインは一体どうなっている!」
「今までこんなこと無かったのニャ!オリビア……何か心当たりはないのかニャ!」
「……」
部屋の様子をじっと見つめるオリビアは、人差し指を口元に当てて何かを考え始めた。何か心当たりがあるならば先に教えてほしい、シルヴァードやカティマだけでなく、状況を見守る騎士やマーサたちも同じ心境でその姿を見つめていた。
「そういえば、ドライアドの資料なんて少なかったですね……」
ようやく口を開いたかと思えば、それはシルヴァード達の望む言葉ではなかった。だがオリビアが言うように、確かにドライアドに関する生体情報なんて多くない。
その理由は種族の個体数が一番の理由であり、大陸イシュタル中を探しても見つけるのが困難なほど、ドライアドが少ないことに起因する。根付くという習性により、ドライアドはその個体数を減らすばかり。過去の残酷な行いなどの影響もあってか、人前に出てくることも多くない種族なのも関係している。
「男性の方が女性よりも影響がある……予想はしていましたけど。でもこんなに太い根っこだなんて……素敵ですよアイン」
「オ、オリビア?すまぬが何か分かってるのなら教えてほしい……のだが……」
「ニャ、ニャア……妹が別の世界に行ってしまったのニャ……」
誰もが考えなかったこと。オリビアがアインの部屋近寄って、部屋から漏れる根を愛おしそうに優しく撫であげた。撫であげる手つきが艶っぽく感じる程、その手つきは印象的に映る。
だがとりあえず少しは安心できる。なにせ同じドライアドのオリビアは、この様子を見ても落ち着くばかりなのだから。
「お姉さま?」
「……は、はいニャ!?」
「これが何かお教えして差し上げます。なので資料として残していただけますか?」
「わ、わかったのニャ……っ!」
木の根に手を携えたまま、オリビアはそっと振り向いた。すると柔らかく微笑みながらカティマに向かって語り始めた。
「これはですね」
皆が息をのみオリビアに注目する。おだやかなオリビアの口調が今回ばかりはもどかしい。
「
オリビアはそう言うと、機嫌のいい表情を浮かべたまま部屋のドアを開けて、上機嫌な態度で中に進んでいった。
「……余、余達はどうすればいいのだ?」
「ニャ、ニャア……。お父様、とりあえずここで待ちましょうかニャ……」
*
「……」
部屋の外は騒ぎになっている。そんなことには全く気が付かない様子のアインは、不思議な感覚に包まれていた。
まるで積み上げてきた何かが一気に爆発したような、植物が溜めに溜めたエネルギーを使い、満開の花を咲かせたかのような不思議な感覚だった。
力を出せば自分が何処までも広がりそうな、そんな特別な全能感に似た気持ちに満たされる。
「……っ!」
どうせ夢の世界なんだ、だから好き勝手に振舞ってみよう……そう考えてこの感覚に抗うことなく従う。すると本当に自分が広がり始めたようで、多くの情報が頭に流れてきた。空気、触感、匂い、そして"栄養"のありそうな場所の気配。もっと広がれば楽しそう、徐々に五感が興奮し出しもっともっとと欲が溢れてくる。
「アイン。それ以上はダメですよ?お父様たちにも怒られちゃうわ。だから……いい子にしてね?」
ピクリと根の動きが止まる。なんだよこれからなのに……こうした満たされない思いを感じるが、だがこの声の相手なら話は別だ。この声の主には嫌われたくない、外に伸ばしかけた根を戻し、その声の元に近づける。
「えぇそうですよ。私になら伸ばしてもいいの……ほら、こっちにいらっしゃい」
虫が誘蛾灯を目指すが如く、甘美な麻薬のようなその声へとズッ……ズッ……と根を進める。見る者によっては不気味な光景に映るはずだが、彼女にとってはただの愛おしい姿にしか映る事がない。根を引きずる音すら、まるで評判の音楽団の演奏に感じる程だ。
一方アインは、『もっと近づかなきゃいけない』そう思って根を増やし、徐々に勢いを増しながら、その声が待つ方に進み続ける。嬉しいことに、その声の主が自分に近づいてきたようで、その気配が徐々に強くなってきたのを感じる。外にある"栄養"なんかよりもこっちの方が重要だ。
——あぁなんという恍惚感だろう?その全てが尊くて、まるでそれが自分のための存在のように思えてならない。あるいは自分が相手のための存在なのだろうか?……それとも、お互いがお互いのための存在?そのどれが正解なのかはわからないが、この感じ取れる繋がりが愛おしい。
「あっ……そんなに慌てないで。……私はここにいますから、だからもう少し優しくしてください…ね?」
失敗してしまった、急ぐあまりつい勢いをつけすぎた。嫌われてしまったらどうしよう……そんな心配をしてしまうが、それは杞憂で終わったことに安堵した。
優しくその根を撫でながら進み、とうとう"自分"のすぐそばにまでやってきてくれた。
根が暖かなモノに包まれて、至高の幸福感に歓喜する。……今度は失敗しない様にと、細心の注意を払いながら根を少しずつ巻き付ける。
一本ずつ慎重且つ丁寧に、相手を気遣いながら少しずつ巻き付けていった。
「も、もうこんなになの……?」
紅潮した顔となったオリビアは、潤んだ瞳を向けて、自分に巻き付く根を愛おしそうに触り続けた。……心なしか息も少し荒くなっているようだ。
そうしているうちに脹脛(ふくらはぎ)や首、そして腰のくびれに腋の下。更には太ももの付け根や胸の谷間まで、体中をアインの根に包まれた。
「凄い太くて……逞(たくま)しい……」
根に当たらない様にと角度を付けて、アインの体を自分の力で抱き寄せる。アインは厳密にいえば睡眠状態ではないのだが、幸せそうに寝ている顔を見て、オリビアは静かにアインの頭を撫で始めた。
するとまるで血管が脈動するかのように、アインの根は全体を静かに震わせるのだった。オリビアはそれを見て、頭を撫でていた手をその根にあてて、ツーッ……と指を滑らせる。
「ふふっ。男らしくて立派ですよ……アイン」
——聖女。
……イシュタリカの民たちは、オリビアをそう呼んで慕っていた。
*
「ん……あ、あれ……?」
翌朝になって目を覚ましたアインは、すぐさまその異変に気が付いた。体中を何かで縛られてるかのような不満足感に、顔を包み込む暖かな温もりと、鼻腔をくすぐる甘く切ない香り。……だがその香りは忘れることのない、ただ一人のものだとアインはすぐに気が付いた。
「お、お母様っ!?え、ちょ……な、なんでっ……!?」
顔をあげれば目の前にはオリビアの姿。シャツをはだけさせて下着を露出し、なんとも煽情的な姿でアインを抱きかかえていた。規則正しい呼吸を繰り返し、深い眠り付いていた彼女だったが、アインのその驚いた声を聞いて目を覚ます。
「んっ……アイン?起きてたの?」
「お、起きてたというか今起きたというか……それよりも、この状況は一体……っ」
足を使って抜け出そうとしてみるが、どうにも足の自由がない。布団に包(くる)まっているため様子が分からず、目の前には寝起きのオリビアしか見えない。
「大丈夫ですよ……?アインはただ大人(・・)になっただけですから」
——……っ!?
大人になった?そしてオリビアの格好とこの状況。それはつまり……?と、彼女と何かしてしまったのかと思い、アインは寝起きの頭脳をフル回転させる。昨晩はいつも通りベッドに入った、その後は特に寝づらいといったこともなく順調に寝付き、いつも通りに朝を迎えるはずだった。そう……はずだったのだ。
「お、大人になったっていうのはその。えっと、何があったんですか……?」
優しく笑みを浮かべ、抱き寄せているアインを撫で始めるオリビア。
幸せな感触や空気に包まれるが、今ばかりはその内容を先に教えてほしかった。素直にこの空気に浸(ひた)れないのが憎らしい。
「……ふふ。大きくて立派でしたよアイン」
——……こいつぁヤベぇ。
頭の中でムートンがツッコミを入れる。今ほど彼が頼もしいと感じるときは無かった、だがアインも納得するほどの「ヤベぇ」事態に、とりあえず水を飲んで一息入れようと考えたアインは、そっとオリビアの元から離れて立ち上がろうとする。
「ってあれ?体が立たない?」
「大丈夫よ。慣れればすぐに元通りになりますから。……力を抜いて、右足と左足をゆっくりと動かすように、ゆっくりと立ち上がって見て?」
様子が全く分からなかったが、とりあえずオリビアの言う通りにしてみる。落ち着いてそうしてみると、先ほどまで硬かった体が動きはじめ、なんとかベッド横に立ちあがることができた。
「根っこは後でマーサに言っておきますね。だから大丈夫ですよ」
根っこと言われても『え?』と間抜けな声しか出せなかったが、よく部屋の様子を確認してみれば、部屋中が木の根で覆われており、それどころかオリビアまで木の根に巻き付かれていることに気が付いた。
「っなんでこんなに木の根が……!?」
「それ全部アインの根っこなんですよ?」
「俺の……?いやでも今までこんなことは」
ドライアドと人のハーフ。それがアインの種族となるのだが、今まで自分の体から根っこを出したことが無ければ、当然のことだがその兆候すらなかったといえよう。だというのに、今日に限って急にこんな緊急事態に陥るのかと疑問を抱く。
部屋中が根で覆われてるどころか、みれば壁を貫通しているところや家具を巻き込んでいる所もある。さらにオリビアに巻き付いてる姿を見れば、なにがあったのか丸っ切り見当がつかない。
「よい……しょっと。せっかくだからアイン、私に巻き付いちゃった根は貰ってもいいですか?」
「そんなものならいくらでも……」
理解が追い付かず、オリビアの謎の申し出も空返事でそう答えた。そしてベッドへと視界を戻せば、アインが寝ていたところを中心にして、根が広がっていた痕跡が見える。
「……本当に俺が根を出したんだ」
オリビアが部屋にいる理由や、なぜここまで落ち着いてるのかが分からない。根から器用に抜け出すオリビアを見て、彼女が下着を露出させていたことを思い出してすぐに目を反らす。
「アインは成人したんですよ。だからこうして、急に根をたくさん出しちゃったのね」
「俺が成人、ですか?」
服もすぐに整えたようで、オリビアがベッド横に腰かける。
「成長したドライアドは、栄養を求めて根を張るの……それがドライアドにとっての成人。私の場合はアインより小さめの影響だったから、こんな様子にはならなかったのだけど……」
まるで大樹の地下の迷宮。
そう考えさせる程木の根に覆われたアインの部屋は、独特の幻想的な光景に映る。
「…アインの場合は、その求める栄養が"もしかすると"って所があったから、私が傍で見守っていたんですよ」
「もしかすると?」
「昔クリスの魔石吸ってたの覚えてるかしら?」
「も、勿論ですが……」
腹が減ったアインは、無意識のうちに魔石を吸収することを繰り返していた。クリスも同様にその被害を被って、体のだるさなどの症状を引き起こしていたのだから。
「それと同じで、部屋の外で様子を窺ってた人達を吸わないか心配だったの」
特にお姉さまとかね、とオリビアは付け加える。普段ならそんな
——悪食になんてなるもんか。
「じゃ、じゃあ大人になったっていうのはもしかして」
「はーいそうです。アインはドライアドの成人を迎えて、大人になりました」
手のひらをポンッと叩いて、目を細めて喜ぶオリビア。その仕草は可愛らしくもあるのだが、そうならそうと言ってほしかったのがアインの内心。なにせ、オリビアとなにか一線でも超えたのかと思ってしまったのだから。
「でも本当に綺麗な根ですね……」
うっとりとした顔で根を撫でるオリビアを見て、アインは何事かと思って彼女の顔を窺う。もう分離してしまった自分の根っこだが、どこか色っぽく撫でられるとアイン本人も照れてしまう。
「そういえばねアイン。多分ドライアドって……異性の根に何か感じるものがあるんだと思うの」
「異性の根……ですか?」
「えぇそう。今まで同族と話すことがなかったから知らなかったのだけど、昨日そう"実感"したんです」
「例えばその。どういうのがいいんでしょうか?」
根に異性を感じるといわれても、正直アインとしてはぱっと来ない。純粋なドライアドでないアインには、その感性が備わることはなかったようだ。
「太くて長くて……どこまでも広がりそうなのが素敵ですね。逞しくて、雄の強さを感じさせてくれるもの」
言ってることはなんとなく卑猥に感じるが、その正体は根ということを頭の中で再確認させる。確かにアインにとってはわからない感性の一つだが、納得させる部分があるのも事実。
本能的といえばいいのだろうか、強い遺伝子を残そうとする本能に従うならば、そうした感覚を抱いてもおかしくないだろう。
「だからこの根っこは貰っていきますね」
「あ……はい。どうぞご自由に持っていってください……」
こんなものに価値を見出せるとは思えなかったが、大事なオリビアがそれで喜ぶならアインも満足だ。
その後はマーサを呼び出して、慌てた様子の彼女に多くの事を頼んだ。この騒動の件については、オリビアからシルヴァード達へと話をするとのことで、アインは学園にいく支度を始める。
クリスやクローネへも自分が話す。そう強く主張したオリビアを見て、アインは素直に頷いた。
ドライアドにとっての成人が、アインへとどんな影響を与えるのかわからない。もし何かあればすぐに教える様にと、オリビアから強く厳命されるのだった。
「そういえばお母様。どうしてお母様には栄養求めていかなかったんでしょうか」
「うーん……わからないけど同族だから、かしら?」
物騒な事になる前にカティマに相談しよう。アインをそう考えさせるのは当然の事だった。
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