正しい姿とは。

 例えば極端に気温の低い風。

 それと吹雪を比べたとしよう。



 前者の場合は、顔のように露出された皮膚へと風が当たる。

 すると少し経ってくると、徐々に痛みを伴うかのような寒さを感じることになるだろう。



 そして後者の場合。

 後者の場合はまず初めに、最悪の視界に覆われることを覚悟しなければならない。

 つまりは遭難の危険性がはるかに高くなるということ。



 こうして考えた時、前者の方がどう考えても楽だろう。

 なにせ痛みを感じても、こうして体力が残って歩き続けている今ならば、死ぬ可能性はほぼゼロに近いだろうから。



「雪の音がしなくなってきたね」


「えぇ。ここら辺一帯は更に気温が低いのでしょう」



 ディルが口にしたように、旧魔王領へと近づくたびに気温が低下していく。



 表面の雪が解けておらず、乾燥している状況。

 そのため雪を踏んでもギュ、ギュという音がせずに、イメージとしては粉雪のようにサラサラしていた。

 そのせいもあってか、その雪を踏んで滑る者が続出した。



 ギルドからの案内はアイン達の後ろを歩いている。

 案内をするとはいえ、魔物が出現する危険性があったため、周りを護衛しながら歩く必要がある。



「……雪原訓練ですな」


「雪原訓練……?」



 アインの近くには、ロイドとディルの二人が護衛として歩いている。

 時よりロイドが声を上げて指示を出し、団体の指揮を行っているとはいえ、主な仕事はアインの護衛を務めていた。



 ロイドが口を開くと、白く染まった息が漏れる。

 いくら彼のように頑強な騎士とはいえ、こうした自然の影響を受けるのは当然のことだ。



「えぇ。王都に戻り次第、陛下に上申しようかと。……雪のある領域での訓練。それを増やすべきですな」


「そうですね父上……。いざとなってこれでは、イシュタリカの民へと顔向けができません」



 二人にも相当堪えたのだろう。

 ロイドにそう考えさせるほど、旧魔王領への旅路は過酷を極める。

 地形の問題もあって、王都近くではこれほどの雪は降らず、さらにここまで気温が低下することもない。



「予算の編成が必要となります。なのでそう簡単にはいきませんが……それでもこれは急務だ。バルトでの雪原訓練を近衛騎士へと課すべきですな」


「あー……。やっぱりロイドさんとしては不満があるんだ」


「まぁ偉そうに言ってますが、私もなかなか苦労しております。ディル、お前も宿に戻り次第でいいから案を纏めろ。いいな?」


「承知しました父上」



 騎士親子に新たな仕事ができたようだ。

 その仕事は"バルトでの雪原訓練"の発案書の作成。

 いつもながら頭の下がる思いだが、体には気を付けてほしいと祈るアイン。



「それにしても……景色はいいんだけど。環境は最悪だね」



 一面の凍てつくような空に、一面の銀世界。

 時折振る大粒の綿毛のような雪。景色としては一級品の、美しいの一言につきる世界。

 まさに秘境といえる場所だったが、いかんせん寒すぎる。



 旧魔王領へは、若干の坂道を進んだ後に、一つの峠を越える必要がある。

 道のりとしてはすでに半分は過ぎたらしく、もうひと踏ん張りといったところか。



 深呼吸してこの冷たい空気を肺に送る。

 すると一瞬体が冷えたように感じるが、それ以上に体がリフレッシュしたかのように感じる。



「……アイン様。止まってください」



 そうして空気を楽しんでいるアインに、ディルの声がかかる。

 何かを発見したようで、じっと遠くを見つめ始めた。



「父上。二時の方角、何か来てます」


「わかった。……全体止まれ!迎撃態勢!」



 ロイドの合図に、アインもピクリと体を反応させる。

 いざとなったらいつでも戦えるよう、"幻想の手"の準備をした。



「アイン様。お下がりください。私と父上に挟まれる形でいてください」


「あ、あぁわかった」



 ロイドが前に立ち、アインを守るように身構える。

 重そうに背負っていた大きな剣を抜き、それを正眼の構えで手に取った。



 同じく後ろで歩いていた近衛騎士達も剣を抜き、研究者とギルドからの案内たちを囲むようにして護衛する。

 旧魔王領へと入ってしまえば、なぜか魔物は出現しない。

 だがまだその領域へと入っていない為、雪原地帯の魔物が出現するという訳だ。



「……敵影3!」


「中型を確認!敵影すべて12時の方向!」



 望遠鏡で敵影を確認した騎士が、大声でその内容を皆へと伝える。

 それを聞いたロイドとディル、二人は静かに息を吐き、大きな問題とならなそうなことに安堵する。



「敵影は確認できたか!」


「はっ!敵影すべてヤツメウサギ!」



 ……え?なにそれ?

 ヤツメウナギのウサギバージョン?



 ユーモアに富んだネーミングが、アインの興味を惹く。



「だ、そうだ……。ディル、私がすべて殺る。お前はアイン様の側から離れるな、何があろうとも、アイン様だけを守れ。ほかは何も守らんでいい」


「承知いたしました」



 やれやれと言って、剣を軽々と振り回すロイド。

 アインはロイドに師事していたため、彼の強さは身をもって知っている。

 だが実際の戦闘という場で、彼の強さを目にするのは初めての事。



 当たり前のことだが、訓練の時と違って殺気などを纏っているのが印象的に映る。



「ねぇディル。ヤツメウサギってどういう生き物……?」



 ヤツメウナギは決して目が8つあるということから、ヤツメウナギと呼ばれている訳じゃない。

 エラの穴が6つあり、2つの目と合わせて8つに見えることから、ヤツメという名前を冠しているだけだ。



 だがウサギ。ウサギにはエラなんてものは存在しない。

 となるとどういう成体をしてるのか知りたいところだ。



「寒い地域に生息している、5m程度のウサギです」


「でかすぎでしょ。ウサギじゃないよそれもう」


「ははは。……ちなみにヤツメという言葉の通りに、目が8つあるウサギ型の魔物ですよ。あとは見ての通り、足が6本あることぐらいでしょうか……あ、ちなみに肉食です」



 名前通りとは恐れ入った。

 こんな寒い所で目を8つも作ってどうしたいのだろう。

 目薬指すのも一苦労だと、アインは微妙な気持ちに陥る。



「そのまんまなんだ……」


「えぇ。ですがもう一つ特徴がありまして……」


「特徴?」



 ドドドドという音を立てて、3体のヤツメウサギが近づいてくる。

 肉食だからだろう、アイン達一行を餌と思って突撃を仕掛けてくる。



 だがその勢いを全く気にすることなく、大剣をぶんぶんと振り回し、感覚を調べているロイドが頼もしい。



 ヤツメウサギの突進は勢いを落とすことなく、そのままロイドに向かって進み続ける。



「ふんぬああああっ!」



 アインが『ぶつかるっ!』と思った刹那のことだ。

 先頭を走っていたヤツメウサギが、ロイドの真正面2m程度の距離で動きを止める。

 どうしたのだ?と周囲が疑問に抱くほど、空気が止まったかのようにピクリともしなくなった。



 振り下ろされたロイドの大剣が、地面へとめり込み始める。



「えぇ。特徴です。……ヤツメウサギはですね、"雪山の宝石"といわれるほどの美食なんですよ」


「最高じゃないか」



 これはいいことを聞いた。そう思っているアインへとロイドが振り返る。

 残り2頭のヤツメウサギは、10m程後ろで止まり、こちらの様子を窺い始めた。



「ふむ……。やはり本調子には難しいか」


「体が重そうでしたね、父上」


「あぁ。だがまぁ悪くない、意外と何とかなるものだ」



 二人の親子がいつも通りに会話を始めた。

 あれ?止まったヤツメウサギはどうするの?とアインがそれを顔に浮かべる。



「アイン様。なかなかよい食材がとれましたな。これは幸先がいい」


「え、えっとロイドさん?そいつ止まってるけど、どうしたの……?」


「ん?おぉこれのことですか?もうすでに終わったので、ご心配はいりませんよ」



 終わった?

 何が終わったのだ?疑問が深まるばかりだったが、その答えはすぐにアインの目に映る。



「こういうことですな。いやはや……たまにはこうして剣を振るのもいいもんだ」



 すると近くで止まったヤツメウサギの側に行き、唐突に足蹴にしたロイド。

 その後はヤツメウサギの体が正面からずれていき、数秒もすればその体は、左右向かって綺麗に開きになった。



「アイン様。私には一つの考えがございます。……ただ一つ。あくまでもただ一つの事を鍛え上げることにより、それは必殺となる。それが私にとっては"一刀両断"だったということです。如何でしたか?」



 ロイドが生涯を賭して鍛え上げた技。

 それは一刀両断。……純粋な真正面からの技だった。



 それはロイドにとっての唯一の技であり、最強の技。



 全身を綺麗に両断したその切断面は、まさに芸術にすら思える光景。

 切断面からは血が一気に広がり、それは白銀の地面を赤く染め上げた。



「っ……!」


「——……!」



 警戒していた2体のヤツメウサギは、それを見て足早に立ち去った。

 手を出してはいけないということを理解したのだろう。



「さて、アイン様。これをどうぞ」



 グロテスクなことを全く気にせず、ロイドはその半身に近づき体をまさぐった。

 そして一つの物体を取り出し、雪で拭いてからアインへと見せる。



 ——食いしん坊なアインが、それを見て気が付かないはずがない。



「ま、魔石……!?」


「あとでご賞味ください。肉も捌きますが、アイン様にはこれが一番かと」



 ロイドへの好感度が、おそらく数段は跳ね上がった瞬間だった。




 *




 思いがけぬ襲撃により、高級食材にありつけることが決まった旧魔王領調査組。

 それは疲れ始めた彼らにとって、モチベーションを高めるのに十分すぎる言葉だった。



「結局はみんな、美味しいものが大好きってことだよね」


「アイン様。気分をあげすぎて、持ち込んだ魔石まで召し上がらない様に」


「……はい」



 有能な補佐官によって、この心配事は既にディルとロイドへと告げられている。

 ロイドからヤツメウサギの魔石を受け取ったアインは、ほくほく顔で足取り軽く歩を進める。



 5mもの体躯からとれる多くの食材は、荷物を圧迫する結果となったのは否定できない。

 だがそれがもたらす数多くの恩恵を思えば、それを捨ておくことなんてできなかった。



 騎士数人がかりで解体を終え、雪と共に荷物に詰め込んだ。

 十分な食料はもってきているが、やはり現地でも狩りができると安心する。



「それにしても、あの技はすごかった」


「父上のですか?」


「そうそう。いつのまに切ってたの?って思ったぐらいだし」


「確かに。あれは本当に見事だと思います」



 距離があるというのに、どうやって刃を届かせたのか?

 仮に届かせられるとしても、背骨も含めて開きにするなんて人間技じゃない。

 イシュタリカ最強の騎士。その所以を垣間見た気がする。



「綺麗な兜割だったよ。……ディルの超えなきゃいけない壁は、随分と高いみたいだ」


「は、はは……。ですが負けませんよ。いずれ必ず崩して見せますので」



 ディルとクローネ。

 部下に恵まれたアインは僥倖だった。

 いくら主君がまともだろうとも、部下がまともじゃないことなんて、いくらでもあり得る話なのだから。



 ——ヤツメウサギの襲撃から数十分ほど歩き続けた一行。

 慣れない雪道を含んだ上り坂は、ついに終わりを迎える。



 ここからはようやく、久しぶりに感じる平坦な道のりとなる。

 それが意味することは、旧魔王領へと差し掛かったということだ。



「アイン様。ようやくですな」


「そうだねロイドさん。……なんとか、誰一人遭難せずに済んだみたいだ」



 面倒ごとも、ヤツメウサギの襲撃のみで済んだのは僥倖。

 道のりは順調だったといえよう。



「ところでアイン様。早速ですが、一つ分かったことがございます」


「わかったこと?」



 ゴホンと咳ばらいをし、ロイドが気を改めた。



「旧魔王領には、魔物が住んでいないのではありません。魔物が意図的に"避けている"のです」


「……続けて」


「はっ。……ヤツメウサギの逃走経路や、向かってきた足跡を道中確認しました。そしていくつかの獣や別の足跡もです」



 何時の間にそんなことを確認していたんだ。

 そう驚かされるが、アインも勉強になった。こうして小さなところからでも、情報を得ることをできるということを。



「奴らは、この坂道を上るといった形跡を見せていない。それは意図的に避けているようにしか見えないのです」


「今日がたまたまだったってことは?」


「それも確かに考えました。ですが……失礼ながら、これは私の独特の感想なのですが」



 ロイドが言いづらそうにしているが、少しでも情報が欲しいアイン。

 続けて彼の意見を尋ねていく。



「いいよ。ロイドさんが感じたことを教えてほしい」


「はっ……ではお伝えいたします」



 徐々に心臓の音が大きくなる。

 彼の口からどんな言葉が出てくるのか、何を感じたのか。それがアインの気を引いて止まない。



「先程上り坂を終えてからのことです。そこからはっきりと感じました。……我々は見張られております。この先にいる、"何か"から」



 クリスからも聞いていた、何かに見られているかのような。そんな感覚を抱いた場所だったと。

 そしてロイドも同じくその感想を抱いた。となればそれはもう気のせいなんてことはなく、事実の可能性が高い。



「ち、父上……」


「ディル。警戒を最大限に高めろ。いいな?」


「勿論です。ですが……その存在とは一体」


「うむ……そうさなぁ」



 ディルもアインと同様に、ロイドが感じ取ったことに興味を抱く。

 彼の額を見てみると、若干の汗が浮いているのが目にとれる。



「……今のうちに言っておこう。いざとなったら、アイン様だけでいい。アイン様だけを守って町に戻れ、いいな?」


「父上っ……!?それはまさか父上でも負ける可能性がある。そう仰っているのですか!?」


「さてな。それは実際に剣を交えねば分からぬことだ。だがそうだな……最低でも、腕と足を一本ずつは持っていかれるかもしれん」



 現実味のないいわば直感でしかない感覚。

 言ってしまえば殺気や寒気なんてものも、所詮直感の一種といえるだろう。

 そうした現実味のない感覚だろうとも、ロイドの様な男がこう考える程の特別な気配。

 ——それを脅威に感じないはずがない。



「だからもう一度言う。グレイシャー家の当主として命じる。何かあれば、アイン様だけを守り町へと戻れ。いいな?」


「……確かに、承りました」



 ディルは静かに同意する。

 だが不思議でしかない……わざわざ遠くから見張る意味はなんだ?侵入者として警戒している?

 仮に侵入者として扱うならば、武力行使に出てくるのではないだろうか。考えても考えても答えが出ない。



 分かっているのは、ロイドですら脅威に感じる存在がいるかもしれないということ。

 もう一つは、まだその存在は手を出してこないということだ。



「とはいえ恐らく、アイン様には危害を加えてこないと思いますがな」


「……へ?」


「デュラハンとエルダーリッチの影響があると予想します。彼らは英雄的であり、領民を惹き付ける魅力に溢れていた。だからもし、我々を見ている者が魔王領の者だったのならば、安全な部分もあるかもと」



『一理あるな』と納得した。

 現在のデュラハンは、嫁(エルダーリッチ)に抑えられているが、いざとなれば出てくるかもしれない。

 書物や残された記録を信じるならば、ロイドが言うことも正しいかもしれない。



「父上。油断は禁物ですよ?まったく……また変な予想をして」


「へ、変とはなんだ変とは!可能性はあるだろうに!」


「そんな不確定なものよりも、自分たちの腕を信じたいものですがね」


「……言うようになったではないかディル」



 二人のやり取りに、緊張した雰囲気が緩和される。

 近くで聞いていた騎士達も、顔に笑みを浮かべ始める。



「はっはっは!ロイドさんが負ける日も近そうだね」


「……あ、アイン様までっ!」



 顔に笑みを浮かべて、ロイドのことを茶化し始める。

 ロイドのそうした姿は珍しく、近衛騎士達も同様に笑い声をあげた。



「さぁ行くよみんな。旧魔王領はもうすぐだ!到着したらゆっくり休めるから、気を引き締めて向かおう!」



 グレイシャー親子のやり取りとアインの檄。その二つによって、一同はバルトを出た頃のような元気を取り戻す。

 考えていたよりもナーバスになる、雪山での行軍。

 精神的に滅入ってくることによって、体も疲れてくる錯覚を覚えていた。



 アインが言うように、残された道はもう少ないはず。

 その言葉に士気を高めた一同は、旧魔王領に差し掛かった道のりを進み続ける。




 *




 平坦な道のりは幸せな場所。

 そうしたことに気が付けたのは、一つの教訓だろうか?



 時刻が昼に近づき、気温が徐々に上昇していく。

 すると陽の光も強さを増し、雪にその光が反射して優しく輝いた。



 まるで羽毛のように軽やかな雪。

 だがそれは、旧魔王領に近づくにつれて姿を消した。



 今では一面の青空が広がり、アイン達へと穏やかな空模様を見せていた。



「なんか、暖かいね」


「えぇ……正直になことをいえば、この格好では少し暑いですね」


「確かに。でも脱いだら着るの大変だしね」



 暖かな陽気にあてられたのか、一同の様子もリラックスしてくる。

 坂を上るまでの過酷な環境はなんだったのか、そう思わせる程、徐々に当たりの様子が変貌していった。



「ロイド様!ギルドの者によれば、もう旧魔王領が見えてくるそうです!」


「あぁわかった!報告ご苦労!」



 護衛されていた案内から、喜ばしい情報が届く。

 ついにこの長旅が終わるのだ。目的地である旧魔王領へと到着するという情報に、一同が喜びの声を上げる。



「到着したら。とりあえず休憩させてあげないとね」


「お心遣い感謝いたします。アイン様」



 ロイドが頭を下げて礼をいう。

 実際ロイドやディル、そしてアインも同様に疲れが溜まっているため、休憩が必要な状況となっていた。



「……と、見えましたな」



 先頭を歩くロイドが、ついにその姿を目にした。

 ようやくたどり着いたその地は、魔王領?と疑問を抱くような光景をしていた。



「父上……。魔王領という割には、随分と整った地面をしていますね」



 隣にいるディルも、アインと同様の考えを抱いた。

 アーチを描くように、いくつもの種類のレンガを並べ、複雑な模様を描いた石畳。ところどころ崩壊しているのは、過去の事件もそうだが、劣化も影響しているのだろう。



 立ち並ぶ家々もすでに崩壊しているものの、それでも同様にレンガを使っての、丈夫な様相を見せつけた。



「文化の高さだな。それに一番奥を見ろ、あれが魔王城だ」



 ロイドの声に倣い、アインもその方面へと目をやった。

 そこに立つのは巨大な城。だがその姿には見覚えがある。



「……ホワイトナイト?」



 王都にある城にして、アインの家と似ている城だった。

 ただし色合いが、黒を基調にしているのが対照的。

 王都の城を白騎士というならば、魔王城は黒騎士とでもいえばいいだろうか。



「でも、そうか……うん。城の名前なんて今はどうでもいいか」



 そして王都の城と同様に、巨大な門がその城の前に立ちふざがっている。



「た、たしかにホワイトナイトによく似ていますが……ア、アイン様?」



 ——なんとなく感じたのだ。

 早くその石畳を踏みしめたい。その地に足を踏み入れたいと。



 心の奥底から湧き上がる感情は、郷愁にかられるような、どこか懐かしい思い。

 悲しいような、嬉しいような。気持ちに整理はつけられないが、ここに来られて嬉しいという思いに嘘はなかった。



「すぅ……はぁ……」



 自然と大きく息を吸った。

 この地は時がとまったかのように、色がない印象を受ける。

 生き物の声が聞こえず、風が吹かず、無機物すらも死んでいる感覚になった。

 それに枯れ木だかけの景観は、その印象を強めるばかり。



 "これは正しくない"……どこでそう思ったのか理解できないが、アインの心の中にその言葉が浮かぶ。



「……」



 視線をずらし、遠くにそびえたつ魔王城へと目をやった。

 じっとその姿を目に焼き付け、城の上にあった一室へと視線を向ける。



 自覚があった。

 これは恐らく、デュラハンたちが懐かしんでいるのだろうと。

 だが再度暴れる様子は感じられなかったため、アインはその感情に身をゆだねる。



 その部屋に何があるのかわからない。

 だがきっと、彼らにとって思い出の場所だったのだろう。



 魔石になっても、そして自分に吸われた今でも。

 彼らは故郷を懐かしんでいる。それが分かったアインは、一つだけ譲歩することした。



「一言ぐらいなら、俺の口を貸してあげるよ」



 何か言いたいことはあるか?

 そう彼らに問いかけたつもりだった。

 そしてもし何か言いたいことがあるのなら、一言ぐらいなら体を貸す。そう彼らに告げたのだ。



 するとすぐに、体の奥底で何かが沸き上がるのを感じる。

 彼と彼女が目覚めたのだろうか?

 今度は暴れないでくれよ……と祈り、アインは自然と口を開いた。



 だが次の一言は、アインが想像していたよりも短くて、簡潔な言葉だった。





『『……ただいま』』




 男性と女性の声を、アインのただ一つの口から聞き取ったロイドとディル。

 それをとっさの判断で、デュラハンとエルダーリッチだと察した二人。



 何か起こらないかと心配した二人だったが、アインの穏やかな表情を目にして、認識を改める。

 アインがなにかしてあげたのだろう。そう思わせるのには十分な顔つきをしていた。



「っ……風が、吹いた?」



 ディルがそう呟くが、ことはそれだけで終わらなかった。

 枯れ木にはうっすらと葉が生え始め、どこからか小鳥のささやく声が聞こえ始める。



 偶然か?そう思わせる程の不思議な現象に、ディルの隣でロイドが身構えた。



「さぁ、行こうか」


「ア、アイン様!?お体はなんとも……!?」


「なんにもないよ。ただちょっと、一言だけ言わせてあげただけだから。ごめんね勝手に」



 そうしてアインは、石畳へと一歩を踏み出した。

 するとその一歩と同時に、極めつけの事態が発生する。



「っ……門が開くっ……!?」



 地響きのような音が響き渡り、魔王城の手前にあった門が開く。騎士がその光景を見て、驚いた声を上げる。



「馬鹿なっ……魔王城の門が開くなんて。こんなことは今までに一度も……」



 研究者がそう口にしたのを聞いて、騎士達は一斉に警戒した様子をとる。

 ディルとロイドの二人が、アインを囲むように立ち塞がる。




 ——だがこの光景はまるで、今まで色を失っていたこの地が、息を吹き返したようにも思える。数百年ぶりに、正しい姿に戻ったといわんばかりに……。


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