彼の独占欲。

 ウキウキ顔で帰路につくアイン。その隣には、護衛としてディルが歩いている。彼がウキウキ顔をしているのには理由があった。それは今回配布された試験結果にある。半年のブランクと、公務やイストへの旅などで、勉強の時間を取れなかったアイン。



 当時の心境を言ってしまえば、不安の一言だった。一組(ファース)落ちも覚悟していた。



 そんな中始まった、彼女との勉強。



 数多くの参加者たちから選ばれた彼女は、一言で有能と終わらせるのが勿体ないほど、アインにとってかけがえのない、大切な補佐官となっていた。



「帰ったらクローネにもお礼を言わないと」


「……まさかあそこから、首席に返り咲くとは……私も驚くばかりです」



 手渡された試験結果にはこう記されている。『主席』と一言わかりやすく書かれていた。もちろん細かい科目の評価も載っているのだが、首席の文字以外はもはや目に入らない。



 イストから帰ってもうすぐ2か月が経つ。その間アインは必死になって、有能な補佐官クローネと勉学に励んだ。



「もうクローネに抱き着きたいぐらいだよ」


「それはいい。ではそうしてみては?」



 ついそんなことを口走るほど、アインの気持ちは高揚していた。



「い、いやあ……本気でするのはちょっと……わかるでしょ、ディル」


「……やれやれ」



 じれったい。城内の騎士達の総意だった。もうさっさとくっ付いてしまえ、そう思わない者がいない程、クローネとの仲はもはや公然の事実。だが最近ではその話にも追加の情報がある。



 それはダークホースの存在。クリスティーナ・ヴェルンシュタイン、イシュタリカ騎士団の新たな元帥となった彼女の事だ。



 イストから戻ってからというもの、そういった噂がちらほらと城内に流れ始める。大本を辿れば、数人の給仕たちにたどり着く。同じ女性として、クリスの表情が、"ただの女"にしか見えないと評判だった。



 特にアインと接することが多いディル。騎士や給仕たちに、アインの恋愛事情について、多数聞かれることがあった。大体は茶を濁す形で誤魔化すのだが、最近の城内は、もっぱらその話題で賑わっている。



 その噂を知らぬのは、本人たちだけということだ。



「一組(ファースト)の維持が出来て何よりです」


「ほんとだよ……。さぁ急ごう!早く報告したいからさ!」



 喜ぶ姿を見せるアイン。年相応の姿を見ると、やはりディルとしても嬉しく思う。……早足で歩きだす主君を追って、ディルも足取り軽く駆け出した。




 *




 アインは高揚した気持ちを抑えきれず、早歩きで城へと戻った。



 だがその空気はいつもと違い、まるで戦場のような気配に感じる。今朝城を出るときは、何時もと同じく穏やかな空気だったというのに、一体何があったのだろう?護衛のディルも警戒した表情を浮かべた。



「……騎士達が通常通りに配置についております。なので襲撃があった……など。そういったことはないかと」


「なら尚更不思議だ。なにこの、これから戦始めますって感じの空気」



 だが騎士達の表情を見ると、戦いを求めているというよりも、緊張している面持ちに感じられた。



 ——アインは通りすがった騎士へと、何があったのかを訪ねる。



「なにがあった」


「っこ、これは王太子殿下っ……お帰りなさいませ!」



 ビシッと背筋を正し、彼はアインの方をじっと見る。



「城内の空気が悪い。何があったか聞きたい」


「……実は我々にも、情報が届いておらず……」


「何も知らない?……ディル、どう思う?」



 困り顔のアインが、ディルに意見を求める。するとディルは騎士の方を向いて、次の言葉を伝えた。



「気を遣わずに話していい。……何か心当たりは?」



 その言葉を聞いた騎士は、腕を組み、悩んでいる様子を浮かべる。何か言いづらいことが?だが王太子が尋ねていて、伝えづらいこととはなんだ?



「っアイン様!?いつお戻りに!?」



 階段から、疲れた表情のクリスが下りてきた。クリスまでも疲弊する事態?アインの疑念がさらに増す。



「元帥閣下。アイン様が城の状況について、話を聞きたいと……。申し訳ありません。私は何も聞いてないものでして……」


「……そういうことか。わかった、配置に戻って構わない。私がアイン様へと説明する」


「承知いたしました。……殿下、お力になれず申し訳ありません」



 頭を下げて、この場を離れる騎士。アインもつい空返事で『あぁ』と軽く返してしまう。



「今帰ったところ。疲れてるみたいだねクリスさん」


「え、えぇ……実は相当面倒な事態に……そのせいもあり、アイン様を迎えに行く途中でした」


「俺を?」


「はい。おそらく現在は、アイン様が最も効果的かと思われます」



 自分が効果的といわれても全く理解が追い付かない。それどころか、この城の空気に関しても何一つ説明がないのだから。



「それは、この城の空気と関係してるの?」


「勿論でございます。……さぁこちらへ、ご案内致します」


「ちょ、ちょっと待ってって!行くのはいいけど、どこに行くのかぐらい教えてよ!あと、何があったのかも!」


「っと……失礼致しました。行き先は謁見の間でございます。そこでどうにか"陛下"を、落ち着かせて頂きたく」




 説明になってない説明を聞かされたアイン。だがシルヴァードに問題があるのは理解できた。まずは状況確認……と考え、素直にクリスの後ろに着いていくアイン。ディルを引き連れて、謁見の間へと向かう。




 *




 謁見の間へと近づくにつれて、不穏な空気になってるのが、アインにもひしひしと伝わってきた。むしろそのプレッシャーに、押されてすらいる気がしてならない。



「到着しました。ではアイン様……どうか、恐れずに進んでください」


「……お爺様がどうなってるのかわからないけど。そういえばちゃんと、魔王の魔石は移動してくれたんだよね?」


「滞りなく。さすがに王太子が謁見の間に入れないのは、結構問題ですので……」


「なら大丈夫だね。さて……行こうか」



 何処に保管したのかは聞いてないが、魔王の魔石は、厳重に保管されていることだろう。そして今考えなければならないのは、この謁見の間の中で、何が起きてるのかということ。



 巨大な扉が、木が軋むような音を立て、左右に開く。すると中に見えるのは、玉座に座るシルヴァード。距離を開けて、ロイドとウォーレンの二人が控えていた。



 二人はアインを見て、助けが来た、そう思ったのがわかりやすい表情を浮かべた。



「(えぇー……なにこの空気)」



 いつもの側近二人が、距離を取らざるを得ない状況に驚いた。その二人とアイコンタクトをしてから、シルヴァードへと視線を戻す。彼は何か虚空を見るかのように、どこか視点が定まらない地点を見ていた。



 玉座の肘置きに置かれた右手。その手の人差し指が、トントンと、静かにそこを叩き続けている。



 だがそのトン……という小さな動きも、まるで巨大な龍。それが歩く衝撃のように、アインを錯覚させる。



 意を決して歩くアイン、真っすぐに足を進め、シルヴァードの前へと向かう。王の御前ということもあり、クリスとディルの二人は、横に反れて控えている。



 スゥー……ハァ。アインの深呼吸の音だ。まさか祖父の前でそんなことをするとは、夢にも思わなかった。だがそれを必要とする程、今のシルヴァードの気配が、アインには辛い。



「お爺様。ただいま帰りました」



 何か言葉を……なんて考えたが、何一つ浮かばなかった。何時もならば、グラスから溢れだす程の軽口も浮かぶアイン。今日はそのグラスも、どうやらヒビが入っていたようだ。



「……む?おぉ、アインか。今日は早いのだな」



 あ、あれ?頭の中がポカンとしてしまうアイン。顔を上げたシルヴァードの表情は、いつもアインと話すように、全く何一つ変わらなかった。



「は、はい。今日は試験の結果もあるので、すぐに帰ってきたというか」


「どうだったのだ?」


「お陰様で。主席でした」


「ふ、ふふ……さすがはアインだ。よく頑張ったな」



 手招きをされたので、それに従ってシルヴァードの側に寄る。すると、優しく頭を撫でてきたことに困惑した。いつもならば、少し照れるぐらいの事なのだ。だが今日は、先ほどとの落差が大きすぎて、どうにも気持ちの整理が付かない。



「ありがとうございますお爺様……。と、ところでどうして謁見の間に?」



 その数秒後。アインはひどく後悔することになる。このままなぁなぁにして、終わらせるのが最適解だったのだと。



「うむ。余はな、生まれて初めて……先制攻撃の戦争を、命令しそうになったのだ」


「……はっ!?」



 驚いたのはアインだけではない。控えていた4人も、同様に驚いた顔を浮かべた。



「怒り。迷い。そして自己嫌悪。なかなか面倒な気持ちばかりが募ったものよ」


「お、お爺様!?先制攻撃って、い……いえ!戦争って、どこにですか!?」


「決まっておろう。ハイムだ」



 シルヴァードの言う『ハイムだ』との言葉。それはまるで、体を大きなハンマーで叩かれたかの如く、アインへと衝撃を与える。



「急にどうされたのですか!あ、あんな国……もはやどうでもいいではないですか!」



 アインにとって、それはほぼ本音に近い。もはやどうでもいいという気持ちは、アインの心の中に本当にある。だからなぜ今更ハイム?その思いがアインの心を占領する。



「その通りだ。私も今朝、これを受け取るまではどうでもよく思っていたのだがな」



 すると懐から取り出したのは、一通の手紙。金で封をしているあたり、位の高い者が用意したのがよくわかる。



「へ、陛下?その手紙はいつお受け取りに……?」



 ウォーレンに心当たりがない手紙。それをいつの間に受け取ったのかと、彼は疑問に思った。なにせ、シルヴァードへと手渡される親書などは、すべてウォーレンを経由するのだから。



「エウロからの報告書に入っておったぞ」



 そう言うと、その手紙をアインへと手渡したシルヴァード。アインはすぐさまその中身を確認する。サラサラっと、流れ作業のように目を通し始める。



「……」


「ア、アイン様?中にはなんと」



 気になってしょうがないウォーレン。ここには、いつもの冷静な彼の姿はなかった。



「……はぁ。なるほど、お爺様が怒るわけだ」


「愚痴をいう訳ではない。だが我らにも責任があるのは分かる。なにせ我らは"絶対"に先制攻撃をしかけない、それが甘いと思われているのもな」



 初代統一王の言葉。それは今も大切に守られている。だからそれがあるために、オリビアの騒動の際も、イシュタリカは強硬な立場で、武力行使などはしていなかった。



「徐々にだ。年を経るごとに、『多少の武力行使はするべきでは』という意見が増えてきた。余も気持ちはよくわかる、なにせオリビアの時は、腸が煮えくり返っていたのだからな」


「……お察しします。お爺様」



 イシュタリカが艦隊を派遣、それに多くの軍を乗せて運べば、おそらくハイムはひとたまりもないだろう。だが何度も言うが、それをしないのは初代統一王の言葉があるからこそ。彼の血を引く王家として、それを破るつもりはない。

 とはいっても、フラストレーションがたまる現状、暴力的な思考が出てくるのも当たり前のこと。



「ウォーレンさん」


「え、えぇ……なんですかな、アイン様」


「虫のいい話だよ。頭が付いてるのかって疑問に思うような、笑えない冗談だ。……めんどいから結果だけいうと、正式な取引として、グラーフさんたちの情報が欲しい。そういうこと」



 開いた口が塞がらないのは、ウォーレンだけではない。ロイドやクリス、もちろんディルも同様だった。



「し、失礼……つい放心してしまいました。虫が良すぎるのでは?いまさら取引をなどと言われても、こちらが信用できるはずが……」


「だからだウォーレン。それも、ハイム王家の直筆で送られた書状だ。余の怒りも察してくれるだろう」


「それはもう、痛いほどに。……ちなみに私が調べた内容では、たしかに第三王子は次期ハイム王の有力候補です。なにせ第一王子も第二王子も、何一つその素養がない。……第三王子は、いまだクローネ殿のことを追っているのですね」



 第一王子は、ただの肥えた豚。女と美食を愛する、王には向かない男。そして第二王子は、貧弱の一言に尽きる。なにをやらせてもそつなくこなすが、それ以上にはならない。そして気が弱く、静かな空間を愛していると聞いた。



 その点、第三王子ティグルは頭がいい。そして兄弟の中では威厳にあふれ、行動派。消去法とまではいかないが、次期ハイム王はティグルになると思われる。



「ウォーレン殿。つまりそれは、まだクローネ殿の事を諦めていないと?」


「その通りですね。全く……しつこいものだ」



 初めて口を開くロイド。彼が言うように、ティグルの諦めの悪さが光る。



「おそらくエウロを脅しているだろう。それで、どうにかと手紙を忍ばせたはずだ」


「お爺様の仰る通りでしょうね……」


「……人に価値をつけるのはあまり好まぬ。だがクローネは、ハイム……そして、あの第三王子には勿体ない。そうだろう」



 部屋の皆が素直にうなずく。とはいえ、何があろうともクローネを、そしてグラーフをハイムへと渡してやる気なんてさらさらないのだが。



 そして、この中でだれが一番不満に思ってるかといえば、実はアインだった。彼は表立って怒りを露にしていないが、内心ではシルヴァードと同等か、それ以上に苛立ちを募らせている。





「……いっそのこと、一度決着をつけますか?」





 ピタッと、アインの言葉で謁見の間の空気が止まる。皆が動きを止め、一斉にアインの方を見る。決意に満ちたアインの顔を見て、シルヴァードは続きを促す。



「正直俺もうんざりなんです。クローネは俺のだ。俺の"補佐官"なんだ。わざわざハイムからちょっかいがくるのは、いい加減終わりにしたい。……気分がいいものじゃ無い」



 俺の補佐官と言おうとして、つい『俺のクローネ』と言ってしまった。彼女がこの場にいなくてよかった、それに感謝するばかりのアイン。



 言ってしまえば独占欲。彼女のことを好ましく思っているのは当然のこと。そしてクローネを他の誰かに渡すだなんて、そんなことがあれば、デュラハンを暴走させてでも止めるつもりだった。



「俺の、か……。く、くくっ……聞いたか皆の者!はっはっはっは!」


「お、お爺様!俺の補佐官!俺の補佐官って意味ですからね!?」



 シルヴァードが笑い、皆が一緒に笑い始める。先程とは打って変わって、その場の雰囲気が和やかになった。アインの決意に満ちた顔から、彼の独占欲が飛び出したことが、面白くて仕方がない。



 ひとしきり笑い終えたシルヴァードが、少し真面目な表情になり、口を開く。



「だが悪くない。一度決着をというのは、余も賛成だ」


「あの……武力で、じゃないですからね?さすがに俺たち王族が、初代陛下の言葉を破るわけにはいきませんから」



 念のためにと、誤解されないようにアインがフォローを入れる。



「知っておるわ。余も初代陛下の言葉をたがえるつもりはない。そしてその決着というのはいくらかあるが……ウォーレン!なにが最も効果的か述べよ!」


「二つですな。武ならば、やはり決闘です。まぁ命は賭けないものとなりましょうが。……もう一つは弁論で叩きのめす。個人的には、後者の方が効果的に……"ギャフン"といわせられるかと」



 嬉々として案を出すウォーレン。彼の口から、ギャフンという言葉が出たことに、皆が笑みをこぼす。



「それはいい。もし決闘があるならば、私が剣を振るいましょう。相手は恐らくローガス殿ですな。はっはっは!」


「威勢がいいなロイドよ。勝算はどの程度あるか言ってみよ」



 シルヴァードの言葉に気をよくしたロイドは、背筋を正し、覇気のある声でそれを語る。



「はっ!……一撃で仕留めて見せましょう」



 ギラリと輝くロイドの瞳は、力強さしか感じさせない、強い瞳をしていた。そしてその言葉も、決して過信ではない。彼は本当に機会があれば、ローガスを一撃で倒すつもりなのだ。



「その心意気やよし。お主ならばできるであろう、信じておる」


「はっ!」


「奴の息子はお主の息子に敗れた。父同士も同じ結果となれば、余からしてみれば、これほど愉快なことはない。そうだろう?……そのような愉快な光景を、余の孫にも見せたいものだ」



 優しい笑みをアインへと向けるが、内容は決して優しくない。だがシルヴァードにとって、それが面白いことなのに変わりはない。



「ディルよ。もし私がローガス殿と戦うことがあれば、私がイシュタリカ最強の証を見せてやるぞ」


「ぷっ……くく。え、えぇわかりました父上。私がした以上に、存分にその武をお見せください」



 公私を分けているロイドが、王の前で親子として接した。それはこの場では不適切な話しかけ方だが、今の雰囲気にはそれが適切だった。そんな父の姿に、ディルも笑みを浮かべる。



「うむうむ。頼もしい親子だな。……ではアインよ。お主の案を受け入れ、ハイムへと、一度立場を分からせることにしよう」


「案も何もなかったのですが……まさか本当にするとは」


「とはいえ調整に時間がかかりますな。場所も決めねばなりませんし」



 そう口にするのはウォーレン。口ぶりからするに、ウォーレンも乗り気のようだ。



「次いでだ、この場で宣言しておこう」



 するとシルヴァードが、皆の注目を集めた。





「その場には、余も行くぞ」





 もちろん皆が止めたのだが、まったく聞く耳持たないシルヴァード。彼は王としての義務をよく理解していたが、もはや彼も我慢の限界が来ていたのだった。 



 恐らく実行されるまでは、年単位の時間がかかると予想するアイン。だがハイムとの国同士での邂逅は、必ず何かが動く。そういう気がしていた。



「(冒険者の町バルト、旧魔王領、港町マグナ……調べることだらけなのに。また一つ、大きな行事が決まってしまった……)」



 当事者と言ってしまえばアインも当事者だ。なにせクローネも関係しているのだから。

 


 ——これから先の数年間は、自分がゆっくりできる日は来ない。そう確信したアインだった。


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