変化
19
変化
最近、田中の様子がおかしい。サークルに顔を出さないし、授業も休みがちだ。電話にもあまり出ないし、家に行っても留守が多い。本人の事情に首は突っ込まない方が良いと思い、心配だけはしていたのだが、この前後輩から聞いた話は無視出来なかった。
「最近、田中先輩がキャバクラに行ってるらしいんですよ」
俺はそれがどういうことなのか問いただした。後輩曰く、
「いや、友人から聞いた話なんですけどね。そいつウェイ系なんですけど、田中先輩と同じ講義を取ってて見覚えがあったそうでして。先輩に連れられて夜の街を歩いていた時にキャバクラから出てくるのを見かけたって」
田中は俺の高校時代からの友人で、共に上京してきた莫逆の友である。真面目な奴で、断じてキャバクラに行くような奴ではない。仮に行っているのだとしたら、何か理由があるに違いない。それが何かはわからないが、俺が田中に出来ることはしてやりたいと思った。
理由を聞くにしても、普通に聞いたらはぐらかされてしまうのではないだろうか。いくら親友といえども、恥ずかしいとか心配を掛けたくはないといった気持ちはある。確実なのは田中がキャバクラから出てきたところを直接問い詰めることだ。
後輩は田中がどこのキャバクラから出てきたのかまでは知らなかったので、話を聞いたという彼の友人に話を聞いてみることにした。彼はウェイ系だと聞いていたが、食堂で会ったときは礼儀正しく、悪い印象は受けなかった。
「田中先輩ですか?ええ、見ましたよ。××町の……どこだったかなぁ……。ああ、そうだ。○○って店から出てくるところでした。二、三人の嬢に見送られていて、豪勢な人がいるもんだと思ってチラッとそっちを見たんですよ。そしたら田中先輩だったんです。でも、普段大学で見かける先輩とは雰囲気が違ったんですよねぇ……。なんか、はっちゃけてるみたいな?……え?田中先輩との接点ですか?講義だけです」
話を聞いてどうにも本当に田中か怪しくなってきたが、とにかく店の名前は聞けた。
そしてその晩から店のそばに張り込む。キャッチャーなんかを無視し続け待つことしばらく。今日は来てないのかもしれないと思い始めたその時、後輩の友人が言っていた店の扉が開いた。出てきた客は後ろ姿しか見えないが、若そうに見える。そして背格好は田中にそっくりだ。聞いてたとおり何人かの嬢が見送っている。
扉が閉じると、その客は俺がいる方と反対に歩き始めた。走って追いかけ、話しかける。
「あの、すいません」
俺の声に、彼は振り向いた。
「あ?なんだ?」
やっと顔を見ることが出来た。――その顔は間違いない。田中だ。俺が見間違えるはずがない。
「おい田中!お前こんなところで何してるんだよ!」
俺は田中に言う。あの話は本当だったのか、という驚きの気持ちをぶつける。しかし、返ってきた答えは想像外だった。
「は?あんた誰だ?俺は田中じゃないぞ。用が無いならどいてくれ」
そう言うと、彼はネオンの光の奥へ去って行った。
これを聞いて俺は、やっぱり人違いなのかと思った。これは後輩の友人の見間違え、そして俺の見間違え。ドッペルゲンガーなんて話もあるし。そう納得することもできた。しかし、改めて考えて見るとやっぱり見間違えるとは思えない。電話して田中が出たら白なんだがと思い、出ることを願いつつかけたが、彼が出ることは無かった。
ならば、大学で会って聞くしかない。幸か不幸か、翌日田中は部室に来た。
「なぁ、昨日の夜、どうしてた?」
田中に訊く。願わくは、アリバイを証明するような誰かと一緒にいて欲しかった。しかし、その期待は無情にも裏切られる。
「昨日?ああ、家で寝てたよ。体調悪くて」
田中は一人暮らしだ。真偽不明と言わざるを得ない。
「そうか……。いや、昨日な、××駅で田中に似た人を見かけて」
場所はぼかしつつも、昨夜あったことを話す。田中は驚き、
「ドッペルゲンガーってやつかな?会ったら死ぬんだよね」
と言った。
その後、田中は以前と打って変わってしっかりと講義に出て、サークルにも来るようになった。ちゃんと元に戻ったか、よかったよかったと安心していたある日。田中から電話がかかってきた。
「明日の17時、僕の家に来てくれないか」
明日なら大丈夫だ。俺は「了解」と答えた。
翌日。17時前に田中の家の前に着く。彼の家はマンションの角部屋なので、突き当たりの扉のインターホンを押した。電子音が鳴り響くが、田中が出る気配は無い。繰り返し何度か押してみたが、やっぱり出ない。おかしいと思い扉を開けようとすると、想像と異なりすんなりと開いた。中で田中が倒れているんじゃないかと心配になり、大声で呼びながら部屋に入った。
しかし、部屋には誰もいなかった。代わりに、彼が使っていたちゃぶ台に文字が印刷されたコピー用紙が何枚かある。俺宛と大きく書かれているのが目に入った。手に取り、内容を読むと、このように書かれていた。
君がこれを読んでいるということは、僕はもうそこにはいないのだろうね。前に君から「××にいなかったか?」と訊かれたとき、僕は否定したことを覚えているかい?あれは嘘だ。
これまで何があったかを告白しよう。始まりは大学に入ってからのことだ。新歓時期とかに名前や所属を訊かれることがあるだろう?僕はああいうのに自分の個人情報を渡すのが凄く嫌でね、架空の設定を作ってそれを使うことにしたんだ。名前は△△、学部は□□、出身は○×etc.ってね。当初はそれだけだったんだけど、そのうちにもっとリアリティを出したくなった。それで、僕はもっと詳しい設定を考えたんだ。それこそ、もう一人の自分を作るくらいに。そして、本名を言いたくない時にそれを使っていた。まぁ、そうすると偽名の方で覚える人が出てくるよね。そうなると今更本名を言うのも恥ずかしくなって、偽名で対応していた。楽しかったよ。本来の自分では出来ないようなことが出来て。「僕」視点ではあんまりよろしくないような人たちとも仲良くなった。君が話しかけてきた××のキャバクラも、その関係が始まりだった。
しばらく二重の生活をしている内に、違和感を覚え始めたんだ。あれ?どっちが本当の自分だ?ってね。信じられないかもしれないけど、本当のことだ。こうなると強い方の自我が勝つ。俺の場合、勝ったのは元々偽名の方だった。もうこうなると元々の名前で生きていける気がしねぇし、しようとも思わねぇな。大学に行ってても仕方ねぇからもういなくなることにするわ。じゃあな。
追伸:これは「僕」たっての希望でお前にだから言ったことだ。他の誰にも言うんじゃねぇぞ。警察にも、俺の親にもだ。破ったらどうなるか、わかってるんだろうな?
俺はこれを読み終え、しばらくの間呆然としていた。そんな、自分の自我が乗っ取られるだなんて信じられない話だ。それこそ、ドッペルゲンガーを見ると死ぬのと同じくらいに。だが、田中がここにいないのも事実。警察に相談するべきだと思うが、手紙の追伸を読んで躊躇してしまう。俺はどうするのが正解なのか。どうするべきだったのか。わからない。わからない。
変化 19 @Karium
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