おきつね瑞葉のうつしよ留学

みら

 始業のチャイムが鳴った。

 ホームルームが始まり、担任の権藤先生が出席簿を読み上げる。

 宮藤公継みやふじきみつぐは権藤先生の声を聴き流しながら、隣の空席を見つめていた。

 近所に住んでいる留学生の席である。

 いつも通学途中に会って「おはよう」と挨拶をして、そのまま流れで一緒に登校している彼女の席である。

 いつもは三丁目の交差点あたりで彼女に見つけられ、そのまま一緒に登校している。公継が先を歩いていて、後ろから彼女が声をかけてくるのだ。日によっては逆のこともある。ばったり同時に交差点に差し掛かって、どちらからともなく声をかけることもある。

 しかし、今朝はまだ、彼女に会っていない。

 今日は声をかけられもしなければ、姿を見ることもなかった。

 確かに通学路は一緒である。普段から仲が良く一緒に話すことも多い。しかし示し合わせて一緒に登校しているわけではないのだ。別々に登校する日があっても不思議はない。

 だから、珍しいこともあるものだと、公継は少し不思議に思っただけだった。彼女はいつもより早く家を出ているのだろう。それで会わないのだろう。その程度に思っていたのだ。

 しかし公継が学校に着いても――始業のベルが鳴った現在も、公継の隣の席に彼女の姿はない。

 風邪でもひいたのだろうか。昨日は元気そうにしていたが。

 そういえばと、ふと公継は思い出す。彼女がこちらに留学してきた最初の頃は、故郷と服装が違うとかで――洋服なんてろくに着たことがないとかで、着こみすぎたか薄着すぎたかは忘れたが体調を崩したこともあったなと。

樟倉寺瑞葉しょうそうじみずは。――樟倉寺? 樟倉寺瑞葉!」

 とうとう出欠確認が彼女の番まで回って来た。権藤先生が彼女の名前を呼ぶ。

 当然のことだが、返事はない。

「いないのか?」

 権藤先生も訝しげにしている。学校にも何も連絡がないようだ。

「宮藤、お前近所だろう。何か知らないか?」

 誰も座っていない瑞葉の席を見た後、権藤先生は視線を公継に移す。

「分かりません」

 今朝は一度も会っていないのだ。

 連絡先を知らないわけではないから、とろうと思えば連絡はとれる。だが、この場で校則違反のスマートフォンを取り出す気もない。そもそも彼女から連絡が来ているわけでもない。知るわけがない。

 しかし何があったのだろうか。急に体調を崩し、まだ学校へ連絡できていないのだろうか。それとも通学中に事故に遭ったのだろうか。そうでないことを願いたい。できれば、ただの遅刻であってほしいものである。

 公継がそう思っていると、慌ただしく廊下を駆ける足音が聞こえてきた。

 階段の方向から聞こえてきた足音はだんだんと近づいてきて、教室の前に差し掛かったあたりで、足音の主であろう独特のシルエットをした少女の影が窓に映った。

 ――ぴんと尖ったと大きくて柔らかそうながくっついている少女のシルエットなど、この高校には一人しかいない。

 瑞葉である。

 瑞葉は教室のドアの前で止まろうとして、思うようにブレーキがきかなかったらしく、腕をぐるぐると慌ただしく振り回し、滑り込むように派手にこけた。

 背中か臀部を強打していそうな、痛そうな音だった。

「痛っ、たぁ……」

 弱弱しく、教室のドアが開く。

 狐の耳と尻尾を生やした真っ白い少女、瑞葉が入ってきた。半ば涙目になりながら、自慢の大きな狐の尻尾を両腕で抱えて、痛いところをさするように撫でている。

 強打したのは、背中でも臀部でもなく、尻尾だったらしい。

 多分、下敷きにして転んだうえに、滑り込んだ拍子にすりむいてしまったのだろう。彼女の耳も尻尾も作り物ではなく体の一部である。痛いのは当たり前である。

 そう、本物の耳と尻尾が彼女には生えている。

 この世界の人間でないのだ。

 彼女は異なる世界――幽世かくりよから来た留学生である。

「……大丈夫か?」

 権藤先生は見かねたように声をかけた。

 瑞葉の特徴である長く白い髪はぼさぼさで、制服はシャツがはみ出るなど若干乱れていて、涙目で、おまけに息を切らせて肩を上下させているのだ。先生としては当然の反応であろう。

「大丈夫です。少し痛いだけです……。ところで先生」

「なんだ?」

「セーフ、ですか?」

 おそるおそる、見上げながら瑞葉は言う。

 ぎりぎり遅刻ではないですよね、と。

 確かに全力疾走で駆け込んできた後に気にすることとしては正しいが――。

「お前、真っ先に言うことがそれか」

 権藤先生は呆れた様子で腕を組み、ひとつ大きなため息をついた。

「アウトだ馬鹿者」

「はい……ごめんなさい……」

 尻すぼみに消えゆく瑞葉の言葉に合わせて、彼女の狐耳がへたりこむ。

 そして「とりあえずそこに立っていなさい」と言われるままにホームルームを立ちっぱなしで過ごし、そのまま権藤先生が職員室へ帰る際に連行されていった。

 終始、彼女の耳は元気なくへたっていた。

 ――なんだ、ただの遅刻だったか。

 彼女のしょぼくれた後姿を見送りながら、公継は呆れたような、ほっとしたような笑みを浮かべ、心の中でそうつぶやいた。


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