第12話

戦後 日本人の モヤモヤした なにかを

ぶっ飛ばしてくれた 石原慎太郎 太陽の季節 のモデルに なった、

石原裕次郎!


日本人とは 今でも かなり 個人の 心には 硬くて よく言えば 真面目

悪く言えば 口だけで ほとんど

一生 堅物で モヤモヤした 殻を ぶち破れずに

悶々と 生活して 一生終えるのが ほとんどの 日本だと思うが


三島由紀夫さえ 超えられなかった その モヤモヤしたものを

一気に ぶち破ったものが 石原裕次郎であり

その 裕次郎の 破滅的な 無軌道で

しかし

常識より はるかに 上を 行ってる 生き方を


悶々と しながら 文章での 裕次郎の 疑似体験を 書いたのが 石原慎太郎の 太陽の季節である。


石原家は モダンな あか抜けた 父親が 裕次郎が 高校時代に 突然に 亡くなり

優等生の 慎太郎と 自由人 裕次郎と 母親が 残されたが

多感な 裕次郎は

いわば 太宰治や 勝新より 突き抜けた 不良 無頼を 通り越しており


家の 金を 持ち出しては 高校生なのに 銀座で 呑み 女にモテまくり カッコよく 遊郭にまで くりだした。


慎太郎が 石原家が 破産寸前と 話していたのは

裕次郎が 亡き父親への 寂しさから


家の 金を 持ち出して オシャレをし

ブランド品を 買い ヨットに 女の子を 乗せて

銀座で呑み 遊郭へ 泊まり込む始末!


一般的 日本人的な 真面目で

家を 考える

慎太郎とは 真逆な 裕次郎が 石原家 いわば


日本を 潰すような 無軌道 馬鹿げた 青春の 暴走を

半ば 羨ましくもあり


それを 一気に 書き上げたのが

石原慎太郎の 太陽の季節 だったわけである。


三島由紀夫が 太宰治や 森鴎外 川端泰成を 手本に してるのとは 相当違う。


自分なんかも 昔から この 閉鎖的 心の 割り切れない

日本社会の中で


理屈では 割り切れない 驚くような 新鮮なもの

理屈では 言い切れない 日本人の モヤモヤした

つまらなさを ぶち破る なにかを 感じるものが


あまりに つまらない 日本人 自分の 心を 破壊することが 一番 大事なんじゃないかと

思ってきたが

中年 裕次郎の時は それは 似合わないスーツを着た

守りに 入った矢沢永吉みたいな感じの時は


石原裕次郎なんて まったく 悪く見えたもんだ。

あれでは 太宰治の方が はるかにいい。


若い時の エデンの東 のような 理不尽だが 不条理の

理屈を 超えた 新鮮 斬新な ものが 無くなり


やはり 人間は 守りに 入った時点で 終わりなんだと

思う。

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