魔王の矜持

「あのねえ、リグラーナ。もうこれ以上お買い物はダメだから! 聖剣の主っていっても現金収入は乏しいのよ!」


 起動城塞セイントは水道光熱費は無料。遠征のたびに地元の人々からもらった手みやげは確かにありがたい。だがボルネの取り扱う商品や、好きなスイーツ、本を買うには現金が必要なのだ。


「聖剣の主がセコいことを言うな」


 全部払わせておきながら、リグラーナは他人事のように言った。


「それに、カレン。お前も随分楽しんでいたではないか」

「それはっ……まあ、それなりに、ね」


 確かに、最近ため込んでいた鬱々とした気持ちを忘れていたのは事実である。


「ねえ、リグラーナ。魔属の長ともなると、大変なこともある……のかな」

「大変なこととは? ……む、これは何味だろう。苦っぽい味がする。ニガウリと書いてあるが」


 リームシアンは別の触手ゼリーをもぎゅもぎゅと食べている。お付きの女官、ディアナへの土産といいながら、残りあとわずかだった。


「例えば、色んな人から色んな要望が寄せられて、それを全部叶えてあげたいけど無理なことだってあるじゃない」

「民を治めるということは、民の要求全てに応えることが役割ではない。民の要求を適えるための、万能の力が長ではないのだ」


 魔王は即答する。


「長は民族の、国の安寧のためになすべきことを見出し、実行に移す。時にはそれが一部の民の利益に反してもだ」


 俯き加減のカレンの目の前に、触手ゼリーが突き出される。その向こうには、ひたっと目を見据える魔王の顔があった。紛れもなく魔属の長の顔をしていた。凛としていて、折れない。迷わない。真っ直ぐだった。


まつりごととはそういうものだ。こと、個々が強い力を持つ魔属は人間よりも強い『抑止力』が必要となる。それが長である私の役目」


 カレンは言い返そうにも言葉がなかった。


「私は――王じゃない。統治者じゃない、ただの――」


 ふ、とリグラーナは笑った。


「子供の言い訳だな、それは。聖剣を手にしたということは『力』を手にしたということだ。その力にすがり、庇護を求めて集まってくる人間もいる。媚びへつらう輩もいるだろうよ。それに」


 ぐるりと辺りを見渡す。


「この村もそうだ。カレン、この村が例えば贄神の眷属の生き残り共に攻められたとしたら、どうだ」

「戦うわ。守ってみせる」

「なぜ?」

「なぜって……」


 カレンはまた言葉に詰まる。


「まあ、トウマもお前も、まだまだ子供だ。そのうち匙加減が分かるだろう。だが、時は待ってはくれぬからな。早目に覚悟と自覚だけはしておくことだ。『力』ある者の生き方を」


 外見こそカレンとそう変わらない女だが、やはりリグラーナは魔属の長だった。言葉の一つ一つに説得力があり、カレンはそれを受けとめるだけで精一杯だった。

 緩やかな風が、二人の間を吹き抜けていく。

 唐突に、リグラーナはがばっと顔を上げた。目に炎のような光が宿り、瞳孔が細くなっていた。


「呼んでいる。ちょっと離れるが、また戻る。今宵の宿はセイントに準備しておいてもらおうか」


 カレンの手に、リグラーナのドレスと触手ゼリーが入った袋が押しつけられる。


「また勝手なことを――あっ!」


 強い風が起きて、黒い竜巻が生じた。かと思ったら、その場は何事もなく静かになり、魔王の姿は消えていた。



 リグラーナはニアネードの森を、街道から外れて飛翔している。

 メイド服はそのままだが、背には魔力の蝶の羽根が現れ、角も元に戻っていた。角は魔力の充電庫の役割を果たしており、強大な魔力を持つ鬼の証でもあった。


「何が起きている……?」


 リームシアンの向かっている方向から少し離れた、深い森の奥に湖がある。その水際で事件は起きていた。


 ニアネードの森深くに小さな湖がある。街道からかなり外れたところにあり、旅人もモンスターを恐れてここまでは入らない。ここには野生のドラゴンが度々目撃されていた。

 だが、水際で体を休めている白竜は明らかに余所者だった。大きな翼を持った翼竜だ。螺旋状の角が一本、生えている。ほっそりとした優雅な姿形の、大人しげな竜。雌だろうか。

 野生の黒龍がその姿に近付こうと足音を立てていた。

 すると白竜は警戒して翼を広げた。どうも威嚇しているらしい。黒龍がまた歩を進めると、白竜はかーっと声なき威嚇音を発して、ぷいと横を向いた。どっか行け、という意思表示だ。

 黒龍は空気を読まずに白竜に近付く。白竜は無視を決めこんだらしい。そっぽを向いている。懲りずに視界の中に入ろうとする黒龍。反対側を向く白竜。そんなことを何度か繰り返すうち、白竜は天に向かって『キシャーッ』と怒ったような声を上げる。

 穏やかな水辺にヘルブラストが渦巻く。白竜が強大な魔法を放っていた。だが、黒龍には全く効かない。ぽりぽりと腹を掻いている。それに腹を立てたのか、白竜は翼を大きく羽ばたかせた。


「ヘレナ!」


 赤と黒の旋風が、黒龍と白竜の間に割り込む。メイド服姿の魔王が仁王立ちになり、黒龍を睨み付ける。


「このケダモノが! ヘレナに何をした!」


 轟。炎の壁が魔王の周囲に立ち上がる。


「焼き尽くせ、煉獄の炎」

「やっべ! おい、後ろに下がれぇ!」


 と同時に、黒龍の頭の上から斬撃が放たれた。光の衝撃波はリグラーナの目の前の土を抉る。土塊と光の波動で、炎が逆に魔王に襲いかかってきた。白竜がその翼で主を護り、ヘルブラストで風の壁を作る。炎は土塊を巻き上げ、天に消えていった。

 焼けこげた大地は未だくすぶり、蜃気楼がゆらゆら揺れている。炎の激しさを物語る。


「おーい、ケガはないか? あのさ、こいつ悪いドラゴンじゃねーんだよ。ここで大人しく暮らしてるオレの友達なんだ」

「……なんだ。トウマではないか。敵を心配するとは、相変わらず脳天気だな」


 トウマは黒龍の頭の上から、まじまじとリグラーナを見つめた。一拍置いて、うへぇと変な感嘆の声を発する。


「その格好……」

「なんだ!? 可笑しいのか!?」

「いや……」


 そういいながら、トウマの肩は震えている。


「可笑しいのなら可笑しいと言え! まったく腹の立つヤツだ」

「いや、そーじゃねーんだよ。すげえ良く似合ってる。似合いすぎてて、リグラーナと気づかなかった」


 よっ、とトウマは黒龍の背をかけおりて魔王の前に立った。


「へえー、へえー、へえー」


 あんまりじろじろ見られて、さすがにリグラーナも居心地が悪いようだ。


「あんまり見るな!」

「見るよ。だってかわいいじゃん」

「かっ……無礼な! 仮にも私は魔属の長。その私に向かってかわいいなどと戯言をぬかしおって!」


 魔王陛下は頬を染めてトウマに噛みつく。その表情や行動がすべて『かわいい』ことに、リグラーナ本人は気づいていないようだ。


「何怒ってるんだよ、誉めてるのに」

「世辞などいらぬわ!」

「わっかんねーな。お世辞なんか言う必要ねーだろ。まあ、いいや。お前さ、なんでこんなとこにいるわけ?」


 我にかえるリグラーナ。


「あ、そうだった。ヘレナ――この白竜は、私のペットであり移動手段でな。セイントに立ち寄ったとき、散歩に放しておいたのだ。さっき、カレンと村で遊んでいたら、ヘレナの呼び声が聞こえたから」

「こうしてガリュウをどつきにきたってわけか。でもガリュウは攻撃する気はなかったと思うぜ。こいつは本当の敵意を見分けるからな。だろ、ガリュウ?」


 ぶんぶん。黒龍、ガリュウは頷いている。


「まあ、ヘレナに怪我はなかったので良いだろう。なにせ、ヘレナは美人だ。しかも気位が高い。おいそれと射程範囲内に入ると容赦なく攻撃するから、近づきすぎるなよ」


 ようやく誤解が解けて、二人はニア村のほうへ歩き出した。その後ろにはヘレナ。その後ろにはガリュウ。だがガリュウがヘレナの隣に行こうとすると、ヘレナは尾を立てて威嚇するのだ。竜同士の厚い壁はまだ健在のようだった。

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