陶酔酒池
セイントの制御ルームでは、カレンがうろうろと歩き回っている。動くたびに、レイ・スーツのスカートと長い襟がゆらゆらゆれた。レイがそれをじーっと眺めている。
「そんな淡い色じゃなくって、もっと濃いピンクだったと思うんだけど」
というレイの呟きは、カレンの耳に入っていなかった。
「安心してほしい、マスター・カレン。ニア村南東の怪音波はやんだ。マスター・トウマが処理をしたのだろう」
「なんでトウマが行ってるの」
「マスター・トウマはマスター・カレンがセイントにいると思っていたようで、怪音波の報告をするとすぐさま飛び出していったのだ。説明する暇はなかった。だからマスター・カレンを呼び出し、戻ってきてもらったのだ」
転移システムの端末はカレンが持って出ていた。
「聖剣の主の一方がセイントにいなければならない必然性はない。防衛戦発生のときは戻ってきてもらったほうが良いが、それでもこのセイントの守備力と、マスターの仲間たちの攻撃力があれば、高い確率で切り抜けることができる」
「じゃあ、わざわざ呼び戻さなくっても……」
ぷん、と膨れるカレンに、ゼロは淡々と答えた。
「もし手が放せないなら、そう言ってくれれば対応はした」
「うん、そうね……別に用があったわけじゃないけど」
リグラーナが目の前から消えて呆然としていたカレンの目の前を、トウマが駆け抜けていった。それで、なんとなく彼女が消えた理由と関係があるのだろうと推察した。ほんの些細なことだが、自分が怠けていたような気がして、カレンの気は重かったのだ。
「たっだいまー」
明るい声が制御ルームに響く。トウマだ。その後ろには件の魔王と何故かガリュウがいる。
「ガリュウも?」
「いや、話せば長いような短いような……のわっ!」
トウマはのけぞって驚いた。
「カ、カレン、その格好っ」
あ、これね。レイ・スーツって言う防御力最強のドレス。どう、似合う?――と、カレンは気軽に言うつもりだったのだが、いざ驚いているトウマを前にすると言えなくなった。
「い、いやね、何驚いてるのっ」
「う、あ、うん。カレンにしては珍しいよな、そういうの」
トウマのほうも珍しく視線を反らせる。
何が珍しいのか。気まずい沈黙がひたひたと浸透していく。
「なんだ、トウマ。私のほうはじろじろと見て視姦したくせに」
「ばっ、変なこと言うなよ! ただ見てただけじゃねえか!」
リグラーナの過激なからかいに、カレンの眉間に皺が入った。
「騒ぎは収まったようね。じゃあ、私、着替えてくるから」
「では、私も風呂を使わせてもらおう。カレン、案内してくれ」
「……お金はなくなるわ、気分は悪いわ……もう踏んだり蹴ったり」
カレンははあぁと溜息をついた。
その夜の、リグラーナを交えての夕食はもっと大変なことになるのを、この時点でカレンも、トウマも、誰も予測していなかった。
「だいったい、トウマって気がきかないのよね。もっと、こう、場に応じた言動ってあるでしょ? それがなってない! なっとらーん! きゃは」
説教をするカレンの呂律は回っていなかった。
トウマはその前で椅子の上に正座をして小さくなっている。
「あ、僕ちょっと今日頭に特大ガマガエルが落ちてきて具合が悪いので……すいません」
「儂は読みかけの小説の先が気になるんで……がんばれよ、トウマ」
「俺は色々と具合が悪いんでな……察してくれ」
「ぐわあっぐ!」
キリクやカリヴァ、クリューガと、ガリュウですらは嵐を恐れて早々に逃亡してしまった。
トウマはカレン、リグラーナ、ティアと三人の美女を相手に楽しい宴――という訳にはいかなかった。むしろ生贄である。
「き・い・て・る? トウマ」
カレンは軽く左手の魔導書を持ち上げる。反射的にトウマは頭を押さえて身構えた。
「聞いてるってば! ていうかカレン、完全に酔っぱらってるだろ……」
「よってませんよーだ、きゃはは」
「酔ってるよ……誰か肯定してくれ」
のんびりと、ティアが言った。
「最初は食前酒だけだったのに。いつの間にか酒樽まで持ち出してきちゃって……でもたまのお客様だものね、楽しくしてもらえればいいんじゃない?」
「楽しかねえよ! 主にオレが! ……待て、ティア。酒飲んでねえだろうな?」
エルフのお姉さんの手には緑色の液体が満たされたグラスがある。うふふ、と彼女は微笑んだ。
「これは薬草のジュースよ。お酒はやめてるの」
「そうだよな。絶対飲むなよ」
「トウマーっ! ちゃんと私の話を聞きなさい!」
カレンがばん、とテーブルを叩いた。はいっ、とかしこまるトウマの前にずずっとカレンが上半身を乗り出してくる。普段は聡明な水色の瞳が、とろんとしていて、それはそれで色っぽいのだが、この状況で楽しむ余裕などなかった。
「ちゃんと私を見なさいようぅ。最近、目をそらすこと多いわよね。なーんかやましいことあるんじゃない?」
「ねえよ、そんなこと」
「じゃあ、今朝はどこ行ってたの?」
筋違いにもキリク派遣の文句を言いにエルドスムス城へ行ってました――なんてことは口が裂けても言えなかった。
目をそらすトウマの顔を、カレンは両手でがしっと掴んで自分のほうへ無理矢理向ける。
「また目をそらす! そんなに私を見たくないわけ? あーそーなのね、いいわよ、こうしちゃうから、きゃははは」
カレンはおもいっきり反対側に、トウマの首を回す。ごきぃっと鈍い音と痛みが、トウマの首を襲った。
「ぐおおっ!」
「お酒お酒~この酒、甘くておいしい~」
「あ、それはお菓子に良く使う果実のリキュールなの。この前ニア村のバザールで新発売していてね」
ティアが呑気に説明を始める。
「もう飲ませるな!」
「ふふふ、トウマはまだまだ子供だな。女一人も上手くあしらえないとは」
リグラーナが余裕の笑みを浮かべて、グラスを傾ける。元の宵闇色のドレスに着替えてあった。
「どうだ、私と練習してみるか、うん?」
そう言いながら、隣にある観葉植物にしなだれかかった。
「なんか頭に刺さるぞ、トウマ。つれない奴……だからお前は女心がわからんと言われるのだ」
「それはオレじゃねーーーっ! 木だ! お前も酔ってるだろ!」
「そーよねー、男なんかに女の気持ちなんてわかんないわよねー」
トーンの高い声がトウマのすぐ隣から聞こえる。横目で見ると、魔女帽子とその上でまどろむ丸いヒヨコ。キャロットレッドの長い髪を二つにくくった、愛らしい顔の少女がグラスの液体を舐めている。
「あ、これおいしーい」
「リリ公!?」
かつて共に贄神と戦った仲間。魔属の魔女っ子、三大神官の一つの「リシア家」出身のエリート、リリアームヌリシアである。
「お前、2週間前に帰っただろうが」
「家出してきたの」
「またか? 今度は早いな」
リリアームヌリシアの家出の頻度は大体1ヶ月だ。そして1週間ほどセイントに滞在して、帰っていく。この1年の定期発生イベントだった。
「ん? イヨ公は?」
イヨは淡いグリーンの毛とふさふさのシッポを持った仔犬のようなクィントール族の少年で、顔はリリアームヌリシアに負けないほどかわいらしい。だが共に贄神と戦った仲間、光魔法は屈指の腕前だ。リリ少女のいるところ、常にイヨ少年がいる。未だに一緒のベッドで眠るくらいだ。
幼馴染み兼使い魔兼ペット兼下僕だったか。捨て子であったが、リリの母親でもある三大神官の一人、リリアトリシアに拾われた身らしい。
そういった事情もあるのだろうか。リリ少女はイヨ少年のことをペット程度にしか考えていないのかもしれないが、イヨは忠犬以上の忠誠心をもってリリアームヌリシアの側にいる。
「……チビなんか知らないわよ。今回はあたしの単独家出なの」
家出に単独と団体の区別があるんだろうか、とトウマが考えていると、ぐっと、リリアームヌリシアはグラスの中身を飲み干した。
「あっ、バカ! 飲むなそれっ……あーあーあー」
トウマはグラスを奪い取るが、遅かった。
「お酒だって平気よ、こう見えてもあたし鍛えてるんらから。らいじょうぶらいじょうぶー。あれ、なんか舌がまららないよお」
「リリちゃんに乾杯~男なんて鈍感で気がきかないのが当たり前なんだから、ねっ」
カレンがグラスを持ち上げる。
「そうそう、男は分からず屋で唐変木で根性なしだ」
リグラーナもグラスを上げる。
「かんぱーい!」
てんでばらばらの方向に乾杯をする三人。
「あらあら~女の子同士仲良しって素敵ね」
おっとりと、他人事のように微笑むティアは流石だった。
トウマは思わず叫んだ。
「お前ら、もう飲むな。頼むから飲むな!」
だが、誰も聞いていない。それにもう遅い。酔いも宴も頂点に達していた。
「はいはいはーい。あのれー、お母様からきいたことあるよー」
呂律が回らない喋りっぷりで、リリが手を上げる。
「パーティーでは場を盛り上げらるゲーム、するんらって」
「げえむ? 芸ではないのか」
「んーと、よくわらんなーいへへへへへ。なんかねー、ながーいお菓子の端と端を口でくわえてねー、どっちが先に多くたべるか競争するんらって」
「ああ、ミドガルズ競争か」
リグラーナは一人頷いた。
「それは芸ではないぞ、小娘。宴の席での賭事だ」
「みどがるず?」
首を傾げるカレンに、明後日の方向を向いてリグラーナは説明する。
「昔、ミドガルズ蛇という大蛇があんまりでかいので、世界をぐるっと一周して自分の尾をそれと気づかず呑み込んでいた、という伝説があってな。蛇を先に呑み込んだほうが勝ち、という魔属の賭事があるのだ」
「へび!? やだ、気持ち悪い~」
「蛇を使うのは本式の賭事であって、まあ、大抵は細長い菓子や麺を使うわけだが……」
そこで酒乱二人の目が合う。
「細長い菓子」
「あったわよね」
やりとりを聞いていたトウマは非常に嫌な予感を感じ、立ち上がった。
「あ、じゃあオレちょっとトイレ行くわ」
無言で、酒びんを冷やしていたバケツが目の前に置かれる。あまりの状況に、流石に脳天気で楽天的で鷹揚なトウマでさえ、泣きたくなった。
「じゃーん」
カレンはどこからか、触手ゼリーを取り出す。
「はいっ、じゃあミドガルズ競争はじめまーす」
と、トウマのほうに触手ゼリーを突きつけた。
「光栄に思いなさい、トウマに相手を選ばせてあげるわ……」
カレンの目がさらにすわっているのがわかる。
(マジだ。これは大マジだ)
トウマは助けを求めて周囲を見回す。リリアームヌリシアは「おかあさまごめんなさいー」とか言ってティアに抱きついている。リグラーナと目が合うと、色っぽく片目を瞑ってくる始末だ。
「さあ? どっちかしら?」
ずい、とカレンが詰め寄る。最初から選択肢は二つしかないらしい。
「どっちかな?」
リグラーナも身を乗り出す。
トウマの手には、押しつけられた触手ゼリー。正面には二人の顔。贄神と対峙して以来の、最大のピンチだった。
トウマは目を一瞬つぶり、腹を決めた。どっちに転んでも地獄だ。ならば、と。おもむろに触手ゼリーの包装紙を破る。カレンとリグラーナは息を詰めて、トウマの挙動を見守った。
「もがもがもがもがもがもがもが」
トウマは口の中に触手ゼリーを押し込み、ほぼ丸飲みしたのだった。
呆気にとられるカレンとリグラーナ。
「うっ……げぼ。こ、これ辛い!? 唐辛子味!?」
水のグラスを探し回るトウマ。
「……逃げたわね」
「ああ、逃げたな」
殺気を感じて、トウマが顔をあげると、恐い笑顔のカレンとリグラーナが見下ろしていた。
その後、トウマがどうなったかは――翌朝まで残った頭のたんこぶ二つが物語る。
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