ムダなこと
闇に浮かぶ白亜の迷宮。細長い回廊を、黒い瘴気を纏ったロボットが占拠している。ロボットは細いピンク色の光の糸に絡めとられていて身動きが取れない。
ロボットの前にはピンクがかった銀髪の幼女が、懸命に光の糸を手繰っていた。ちょうど、人間体のレイを小さくしたような幼女だ。
ロボットが糸を引きちぎった。
『ああっ!』
幼女が悲鳴をあげる。ロボットは糸を蹴散らし、幼女に襲いかかろうとした。
そのとき無数の赤い光が交錯し、ロボットを貫いていく。貫かれたところからロボットは溶けだし、穴だらけとなり、最後には消滅した。
座り込んだ幼女を、レイが背後から抱きしめる。
「もう、いいよ。大丈夫」
幼女はにこり、と笑うと透明になり、レイの体に吸い込まれていった。
「やるじゃない、ゼロ。さすがの演算能力ね」
ゼロは感触を確かめるように、掌を開いたり閉じたりしている。
「だが、若干のデータロストは避けられない。さすが贄神のデータだ」
「そんなに失われてるの……?」
レイはゼロの顔をまじまじと見つめた。
「……何を見ている?」
ゼロの問いかけに、へへ、とレイは笑った。
「大丈夫よ、あんたのハンサムな顔はまだ残ってるわ」
「意味が分からない。君こそ、分散したデータ回収をもっと真面目にしたほうがいい」
「ああ、そうね。透け透けだもんねえ」
冗談めかして言うレイだが、何かに弾かれたように、背をのけぞらせた。
「レイ。どうした?」
「その先で……また一人、やられたわ、アタシの分身」
「急ごう」
ゼロは駆け出した。よろよろと、レイも後を追う。
階段を下りて昇り、ドアを解除して、別の回廊へ。
黒い瘴気を纏ったロボットが仁王立ちになって待ち構えていた。レイの分身である幼女が、ロボットのドリル型のアームに体を貫かれ、痙攣している。瘴気がロボットの腕を伝い、幼女を絡めとった。貫かれた体、口や鼻から瘴気が侵入し、レイのデータを汚染していく。プログラムがプログラムに侵されるということは、視覚に置き直すと陵辱の光景に近かった。
「う……」
レイが呻いた。自分の分身が目の前でぼろぼろに犯され、食い尽くされていくのだから。
「いくら防衛プログラムだからって、アタシの一部なんだからあ!」
ゼロは足早にロボットに近づいていく。その後ろ姿をレイは呆然と眺めていたが我に返って叫んだ。
「ちょ、ちょっとゼロ!」
ゼロの手には、いつしか赤い剣が握られていた。トウマが持つような大きな剣だ。
ロボットは幼女を放りだすと、ゼロに向かってきた。ゼロは無造作に剣をロボットに叩き込む。剣が突き立った箇所から赤い線が複雑な紋様を描きながらロボットの体を蝕んでいく。
「近づきすぎよっ! そんなんじゃ……ゼロ!」
ロボットは腕を振り上げ、ゼロの体にドリルを突き立てた。先ほどレイの分身を貫いた鋭いドリルは、ゼロの背中にめりこんだ。
「ゼロ!」
淡々とゼロは答える。
「レイ。君から防衛システムは起動するな。データの無駄遣いだ」
「でっ、でも……」
ゼロは背に突き刺さったドリルも意に介さず、赤い剣をぐい、とねじ込んだ。ロボットの全身が赤い紋様に覆われ――瞬時にして分解していく。
レイは慌ててゼロに駆け寄った。
データの世界では傷が出来ても血や体液は流れないし、痛覚もない。だが、ゼロの背中は大きくえぐられ、その傷口から虹のような煌きと無数の文字列のようなものが覗いているのを見て、レイはうなだれた。外殻としての肉体を壊されたのだ。
傷に手を当てるレイに、ゼロは言った。
「自己修復が可能だ。レイは君自身のデータを温存することに集中せよ」
ゼロはレイを振り返ろうとして、振り返ることができなかった。レイが、ゼロの背後から腕をまわし、傷に頬を寄せているからだ。
「そうすることに何か意味があるのか」
「ないわよ。プログラム的にもデータ的にも……何もない、意味のないこと」
ゼロらしくない、とレイは呟いた。
「意味がないってことで言えば、あんたの演算能力ならその場で足止めしてワクチンプログラムを入れられたじゃない……なんで、こんな危険なことするのよ」
ゼロはレイの手を解くと、歩き出した。
「時間がない、先を急ごう」
仕方がなく、レイも後に続く。ぽつん、とゼロが言った。
「なぜだろうか」
「……?」
「確かに効率的なやり方ではない。レイが言ったとおり、あれはただの防衛プログラムではあると同時に、君の一部でもある。先ほどはあの戦術を選ぶことで私は満足した」
ゼロは、レイの分身がロボットに惨たらしく壊されるのを見て、何かしら思うところがあったのだろう。
「ゼロ……」
「その扉を抜ければ、管制プログラム部分に入る」
淡々とゼロは言った。
だが、その後ろ姿は、言葉ほどに淡白ではないように、レイは思った。
やがて、大きな白い門扉に行き当たった。円形の、複雑な幾何学模様が描かれた床の中央に球体を押し潰した、ソラマメのような形の椅子がある。椅子にはすでに主がいた。
ピンク色を帯びた銀色の髪に藤色の瞳。だが、しなやかな体を包むパンツスーツは漆黒の色に染まっていた。
レイそのものが管制の玉座に座っている。
ゼロは目を細めた。
「レイが現在、セイントの管制のオーナー権限を掌握しているのでこのように見えるのか。黒いということは……贄神に汚染されているのだな」
そこで、隣にいるレイを見る。体はうっすらと透け、髪は乱れて、唇を尖らせて不機嫌そうだ。だが、そのレイこそ、ゼロの良く知るレイだ。
レイはゼロに言った。
「ゼロは円陣に入っちゃだめよ。アタシに加担してると認識されたらオーナー権限で消去されてしまうから」
ゆっくりとレイは歩き出した。いつしか、手の中に、ピンク色に輝く剣が握られている。
「レイ。何をする気だ」
「あそこにいるアタシは、キリクのために命令を実行するオーダー。それを解除しなきゃ、セイントは元に戻らない。ゼロ、絶対に手を出さないで。これはアタシ自身の戦いなの……」
レイは椅子に座る自分自身に向かって剣を突きつけた。
「さあ! そこどいてもらうわよ!」
椅子に座った黒衣のレイは無言で立ち上がる。実行プログラムなので、レイ本体のように表情があるわけではない。
『プログラムへの攻撃者を認識。対処する』
と、レイと同じ声で、機械的に喋った。
「な・ま・い・き~~~! アタシのくせにアタシに逆らうなんてっ」
軽口を叩いているが、レイの目は真剣そのものだった。相手はセイントの管制機能を掌握しているのだ。プログラム内でもどれほどの防御・攻撃力を持っているか未知数だった。なにより、レイ本体は度重なる反逆と贄神の防戦でデータをかなり失っている。
どこまで戦えるか。
ゼロの紅の眼は、用心深く様子を窺っていた。
レイは剣を振りかざし、突進する。黒衣のレイは手の中に黒い剣を出現させると、レイに向けた。
黒とピンクの刃が噛み合う。
黒衣のレイはレイを押していく。レイは剣を引いて身を翻し、再び斬りつける。それを受けとめて流す黒衣のレイ。剣が交わるたびに、青白い火花が散った。
彼女たちの戦闘はプログラムとプログラムの衝突で、相手を消去しようとするデータ上での潰し合いだ。感情ユニットに重きを置かれているレイは、このプログラム世界では圧倒的に不利だった。黒衣のレイが表情を崩さずに淡々と戦っているのに対し、レイは大粒の汗を浮かべ、荒い息づかいだ。
横に飛び退いたレイの足がもつれる。隙を逃さず、黒衣のレイが飛びかかってきた。
『――消去、す……っ』
紅の光を帯びた巨大な弾丸が突如として黒衣のレイに襲いかかってきた。彼女は慌てず騒がず、片手でそれを受けとめた。
『妨害因子を発信元より消去する』
黒衣のレイが手を当てたところから、赤い弾丸はぱらぱらと分解されていく。
「ゼロ!? ダメ! 手を出さないでっ!」
レイは叫び、背後を振り返った――が、ゼロの姿はない。
『!』
黒衣のレイは仰け反った。背後から、ゼロが赤い剣を突き立てている。
「君に似たデータを攻撃するのはあまり気分が良いとはいえないが……やむをえまい」
赤い弾丸は囮で、ゼロは背後に回り込んでいたのだ。握った剣から、黒衣のレイの体に幾何学模様が広がり始める。
『消去、する!』
黒衣のレイは叫んだ。青白い火花が飛び散り、ゼロの体にぼこ、ぼこり、と黒い穴が開いていく。ゼロのデータ浸食より遙かに早い速度で。
「このっ、おバカっ! バカ犬ッ……!」
レイはピンクの剣を、黒衣のレイに叩き込んだ。そして天を仰ぎ見て叫ぶ。
「このっ! バカなアタシ、消えちゃえ! 全部消えちゃえ!」
剣から発せられたピンク色の光が黒衣のレイを染める。その上に赤い幾何学模様が消去の刻印を刻んでいった。
黒衣のレイの手が、レイの首に伸び、掴んだ。
「レイ! 離れるんだ!」
ゼロが叫ぶが、首を絞めあげられながらもレイは剣から手を離そうとしなかった。
「ごほっ……に…げ……ない!」
黒衣のレイの全身がピンク色の光と赤い刻印に覆われた。断末魔の悲鳴のようなものを残し、黒衣のレイは黒い塵となってかき消えた。
後には、ゼロとレイが向かい合って立っているのみだった。
管制プログラムから強制消去をかけられたゼロは、体の所々に穴が開き、半身が透けていた。
レイは、よろよろとゼロに倒れ込む。ゼロは当たり前のようにレイを受けとめた。
「無事……みたいね」
「なんとか形状を保てるデータは残った。だが、人間体を再構成するのは難しいだろう」
「そう…残念」
レイはくすっ、と笑った。
「何が残念なのか分からない」
問い掛けるゼロに、レイは笑いながら答えた。
「人間体で、人間ぶりっこして、デートするのも悪くないなあ、って思ってたからね」
「君の言うことは理解し難い、レイ。デートという定義が曖昧だが、会って話をするということならいつもしている」
「ちょっと違うのよお。小難しいことを話すのに、塔の屋上で星を見ながら……なんてことしないでしょ!」
むくれたようにレイはゼロから体を離した。
「でも。ここまでお供してくれてありがと。こっから先はアタシの仕事よ。ゼロはそこらへんで指をくわえて見てなさい」
ゼロはちらり、と中央に鎮座している椅子を見やった。システムにアクセスすることはあってもここまで入ったのは初めてだ。システムの構造は謎に満ちていて何がどうなっているか、ゼロでもさっぱり分からなかった。
「レイ。この先に何があるのだ」
「管制システムの中核に入るわ。あの椅子はシステム内への入口よ。アタシが中に入って失われたオーダーの代わりにリセットして、システムを正常化する。これで元に戻るの」
「君にできるのか? そんな複雑なことが」
「バカにしてなーい? あの中にもアタシの分身が散らばってんのよ。だからセイントの機能を好き放題に出来たんだもの」
ゼロの脳裏に、先程の小さなレイがたくさん群がっている光景が浮かんで消えた。
「成る程。好き放題だったわけだ」
「はぁ? ま、そういうことよ。えっと……」
束の間、レイは黙って考え、また口を開いた。
「ありがと」
言うなり、レイはゼロの首根っこを掴み、自分は背伸びをした。レイの唇がゼロの唇にそっと触れ、離れる。
「今の、行動の意味は――」
「意味なんてないのよ」
そう言って、軽くゼロを後ろに押しやるレイ。踵を返すと、黒衣のレイが座っていた椅子に歩み寄った。くるっと一回転すると、レイはへへっ、と笑い、椅子に座った。
「じゃあね」
黙って見守っていたゼロだが、レイの笑顔を見て、足を一歩踏み出した。
「レイ」
椅子が淡く輝く。椅子の背から幾本ものケーブルがしゅるしゅると伸びてきてレイの体に巻きついた。
「君は、“どうなる”んだ?」
ゼロの問い掛けに、レイは微笑みで答えた。
「ねえ、ゼロ。アンタはすぐにムダとか理屈とか言うけど、ムダなことって大事なんだと思うんだ」
床が複雑なパズルのように分解し、浮き上がった。レイの座る椅子が円盤にのっかって宙に浮かんでいる。その下には、今までと較べ物にならない緻密で広大な迷宮が、広がっていた。
「だって、その“ムダ”がみんなを泣かせたり笑わせたりして……グランドのように世界を支えて……ユージニアの想いのように大変なことになって」
「答えになっていない。レイ、君自身は」
「来ないで! ゼロは、これからもカレンとトウマをサポートしてあげて――聖剣の主の役目が終わる日まで――あたしは、もう、傍にいてあげられないから……いても役に立てなかったけど」
レイは叫んだ。そして微笑み返す。
「夜に西の塔の屋上に登ったこと、ある? 星が落っこちてきそうなぐらいきれいに見えるの。きれいって思うことは、アタシたちにとっては本当は何の意味もないのかもしれないけど……アンタも見てみるといいわ」
椅子がゆっくりと迷宮へ降下していく。レイは目を閉じ、呟いた。
「アタシたちは疑似生命体――死という概念はない。だけど、アタシの中の思い出が消えるのなら、それは死ぬってことなんだよね……」
円盤に軽い衝撃が走る。はっ、と目を開けたレイの眼前に、ゼロの顔があった。
床ははるか頭上にある。レイを追って、ゼロは椅子の乗った円盤に飛び降りたのだ。
「――君は本当に勝手な行動が多すぎる。後始末をする私の身にもなってほしいものだ」
「なんで来ちゃったのよう!」
レイの叫びに呼応したのか、円盤ががたん、と揺れて停止した。だが、後戻りはもうできない。
「聞きたいことがあったのだ」
と、ゼロは言った。
「先程の唇を重ね合わせる行為の意味を」
「……な、なに言ってんの、意味なんて、ないわよ」
「以前、リリアームヌリシアとイヨがそうしているのを見てマスター・カレンが『謝っている』のだと説明した。とすれば、君は私に対して何を謝罪しているのか、聞きたい」
レイはぽかんと口を開けたままだ。
「えーと。多分、カレンの説明が間違ってると思うんだけど?」
その間に、ゼロはレイに巻き付いているケーブルを無造作に解き始めた。
「あ、ちょっと! 何やってんのよ、データの分解が始まってんのよお!」
「分解、と言ったな。君の言うとおり、システムに入るだけならどうして分解する必要がある?」
レイは唇を噛んだ。
「我々は現状、データの状態だ。さらに細分化するということはデータをロストしていくということだ。推察するに、システム修復のためにレイ、君は自分自身のデータを使いきろうとしている。違うか」
追究しながら、ゼロは数本のケーブルを握りしめた。ケーブルが明滅し、仄かに輝き始める。
「このように、私のデータでも受け入れる。レイでなくともよいのだろう?」
レイは震える手で、ゼロの手を押さえた。
「やめて……アタシは自分の責任を取るだけなんだから……そんなのムダだから!」
ムダ、と聞いて、ゼロは口元を綻ばせた。
「君が言ったのだ、ムダなことは大事だと」
レイの、大きな藤色の瞳に涙が浮かんだ。
「急ごう。マスター・トウマとマスター・カレンを手助けできるはずだ」
ようやく、レイは頷いた。涙の雫が宙を舞い、データの欠片として消えていく。
ゼロとレイを乗せた円盤は、ゆっくりと降下を始めた。
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