第七章、グランギニョル

メモリー4

誰も憎んでいない

恨んでいない

だけど願うは 永劫の闇

どうか消えないで

有り続けて

愚者の天秤のために

あの人の生きた証のために



 贄神はある瞬間から動きを止め、棺桶ごと地中にカナンの地に没した。グランドが封印に成功したのだ。だが彼は戻らなかった。生体反応もなく、聖剣は台座に再構成されていた。

 聖剣は贄神と対極の性質を持ちながら、構成は似ている。そこにありながら、そこにない。どのような状況でも登録者が観念すれば物質として結実する。本来、物質として存在しない贄神を封じるには、やはり物質でない聖剣しか対抗しえなかった。

 台座に、静かに佇む二本の剣を見ても、私は泣かなかった。

 彼は一人で行ってしまった。私を残して。私はそれほどまでに頼りにならないパートナーだったのだろう。彼が、一緒に死んでもいいと思えるほどの相方ではなかったのだ。いいえ、違う。私は――死んだのだ。彼に置いていかれたと知ったとき。私にとって彼がいない世界はないも同然だ。


 事後処理として、国家元首の座を明け渡し、退位を求められたときも、私の心は何も感じなかった。元老院の苦悩は理解できた。全国民の期待を背負った、しかもアースの女王が最終決戦に出られず、生き延びてしまった。そんな人間が国土の再建の先頭に立てるはずがない。

 むしろ、清々しい気分だった。統治者ではなく、ただの臆病な逃亡者になれるのだ。

 だが、ひとつふたつ気がかりなことがある。

 私の親友のレイ。私のために泣いてくれた。本当にいい子――でも、彼女とは、もう一緒にいられない。次世代のために、贄神が復活する日のために、あの子は必要なのだ。


『ユージニア、ユージニア! アタシ、ユージニアのために何かしたいの! ユージニアの願いを、叶えたいの――』


 私の願いはとっくに失われていて、もはや叶うことはないのに。

 でも、ありがとう。

 もし、叶うのなら――私のことを、時々、思い出して。彼のことが好きだった頃の私を。


 元老院がせめてもの情けか、研究施設だった城塞を隠遁の地に進呈してくれた。

 決戦の被害もなく、ほとんど新築同様だった。この地は、グランドの故郷の山にほど近い。

 そのことを知ったとき、私の心にはささやかな願いが宿った。

 あの山奥の小さな村の人々が、もし望むなら、この城に招こう。

 贄神の影響で、大地の力は落ちている。物資も滞るだろう。あんな辺境の村に、救済の手はなかなか届かないだろう。せめて、村で生活していけるようになるまで、生活を預からせてほしかった。

 逃亡者の償い。せめてもの贖罪だった。誹られてもいい。侮蔑されてもいい。彼を奪った責めを負うことで、私はようやく生きていけそうだ。

 元老院を説き伏せ、私は移送の飛行艇を山村近くに降ろした。


 そこで見たものは――山の表層ごと削り取られた、無残な焦土だった。

 カナンか、アースか。いずれかの攻撃用大型飛行艇が墜落したのだろう。

 小石の散らばる道。広がる草原。黒々とした森。駆け寄ってくる子供たち。陽気なニコ。優しいベレニーチェ。無邪気に笑う、幼子のルキーノ。名も知らない花が群生する大地。朝焼けの中、グランドとキスをした。今でも覚えてる。忘れたつもりで覚えてた。

 その後、周辺の町や都市の避難民を調べたが、グランドの村の住人は誰一人、発見できなかった。彼らはグランドを信頼していたのだ。必ず贄神を倒してくれる、自分たちを守ってくれると。


 グランドは約束を果たした、だけど――それを望んだ人々はいなくなって。

 みんな、みんな、なくなってしまった。

 私は死んだ。このときに死んだのだ。



■□■



 私は死んだ。

 すべての責を負い、祖国から放逐されたのだ。最大最凶の惨禍、贄神の生みの親として。

 私の開発した技術が、結果として贄神に形を与え、活動を活性化してしまったことに間違いはない。

 だが、私はそんなことは望んでいなかった。このままだと大量にエネルギーを消耗し、枯れていく大地と共に滅びを待つしかなくなる。終末の姿が見えたからどうにかして回避したいと考えた。

 贄神の被害を考えると極刑でなかったのが不思議なくらいだ。むしろそのほうがよかった。人としての権利を剥奪され、祖国を追われ、それでもなお、生きようと無様に逃げる現在を考えると……。いざ追われると、なかなか殺されようという気にならないものだ。

 生物学的には生きているが、私は死人だ。寄る辺もなく、行くあてもなかった。

 そんな私に、居場所と理由を与えてくれたのが、彼女だった。


 彼女と初めてあったときのことは、鮮明に思い出せる。

 まだうら若い、少女といえる年頃だ。美しい、そしてまったく生気が感じられない、彫像のような少女。


『死人に何の御用ですか』


 尋ねると、彼女はうっすらと微笑んだ。無表情でありながら、奇妙にかきたてられる微笑だった。そうやって笑うと、彼女の内面が外見とほど遠く、枯れ果てているのがわかった。


『私も死人なのですよ、ローゲ様』


 知っている。彼女もまた、国を追われた者なのだ。


『この城は生者には関係のない冥府。死人とて、居場所が必要でありましょう。この身が、塵と消える日まで』


 世界から見捨てられてもなお、自ら命を絶つこともできない弱虫の巣――歌うような調子で、彼女は可笑しそうに言った。


『あなたは何故生きたいのです、ローゲ殿』


 私が死ぬことを良しとしない理由は――


『まだ贄神は生きています。完全に消滅していないとなれば、いずれ復活するでしょう』


 彼女は面白そうに私を見つめている。青い瞳は絶望に沈んでいるくせに、とてつもなく熱い何かを秘めていた。彼女をまだ生かしているのはこの熱だと、思った。


『あなたは、贄神が完全に消滅することを望んでいるのね』


 彼女の問いに、私は首を振った。


『いいえ――贄神はこの世界に必要な存在であると、私は信じています』


 贄神によって、アースとカナンの長きに渡る争いは停止した。結果として、人の手による荒廃をとめることができたのだ。


『今ある贄神を滅ぼしても、また意識の澱は溜まる。コントロールされない澱は最寄のネガティヴな意識に引き寄せられ、人心に悪影響を及ぼします。それならば、完全に志向性を持たせて管理したほうが都合が良い……』


 私は自分の信じたところをまだ捨てていなかった。

 強大な力と技術を持ったアースとカナンが争いを続けて憎しみを醸造し、、大地を荒らし、最後の一人が滅ぶに至るより、管理された災害のほうがよほど御しやすいと考えている。


『愚者の天秤ですよ……見えない滅びより、身近に迫る厄災のほうが重く感じられる。極論とお笑いになっても構わない。ですが、実際、すぐそこまで滅びの足音は聞こえていたのです。私がカナンの人間で、あなたより長寿であるがゆえに早く聞こえたのかもしれないが』


 彼女は声を立てて笑った。


『素敵。あなたが贄神を完全に滅ぼしたいと言ったなら、私、あなたを殺していましたわ』


 笑いながら彼女は言った。

 贄神は滅びない。

 結果として、聖剣の主が聖剣を行使し、仮初めに贄神を封印したため、今後はこの方法を踏襲するだろうから。


『次回、復活したときにアースは聖剣を正しく行使するでしょう』


 彼女は玉座から立ち上がると、漂うように私の前にやってきた。


『誰も正しい使い方なんて知らないもの。仮に私が彼と共に聖剣を行使したとしても、結果が出たとは限らないわ。これから後の世では、二本の聖剣が二人の聖剣を選ぶ。その後のことは、誰にも分からない。前例では、一人の聖剣の主だけが贄神を封印することができた。これが贄神制御のルールとなるでしょう』

『あなたは――あなたも、贄神が消滅することを望んでいないのですか』

『そうよ。彼の居場所ですもの。ずっとずっと残しておきたいの』


 彼女は笑みを浮かべた。

 私は彼女より少し長く生きている。だからなんとなく分かるのだ。空っぽの感情の底に、癒しようのない痛みがあることを。

 それゆえに、彼女の微笑みは生者よりも心惹かれるものがあった。

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