後悔

 セイントの制御ルームには、ここで生活をする全ての者が集まっていた。

 防衛戦でもないのに召集をかけられたということは、次の行動指針が決まったということだ。皆、承知済みの顔をしていた。リリアームヌリシアも目を輝かせているが、黙っていた。

 不思議がるでもなく、尋ねるでもない。カレンが発言するのを待っている。仲間たちの顔を見ながら、カレンは深い感動を覚えていた。


(みんな、分かってくれている)


 これが絆というものなのだろう。その絆はトウマにも繋がっていることを伝えたかった。カレンが口を開きかけたとき、ゼロが手で制した。


「――すまない。西の塔の屋上付近に、飛竜が接近している。魔属のものだ」


 人間体になって機能が落ちたとぼやいていたが、制御パネルを見ずともモニタリングできるようになっている。人間体なりにバージョンアップしているようだ。


「魔属の飛竜って、リグラーナのヘレナかしら」


 カレンは微かに眉をひそめて呟いた。それくらいしか思い当たらない。


「招いて」


 カレンは短く指示した。魔導書を握る手に力が入る。

 万が一、を考えないわけではない。 

 黒い風が制御ルームに吹いた。紫のショールとドレスの裾がカレンの眼前に舞う。透けるような青白い肌に、二本の角を持った魔属の女だ。見覚えがあった。


「……ディアナ、だったわね」

「お久しゅうございます、カレン様」


 聖剣の主を前にドレスをつまみ、膝を折って挨拶をした。優雅な仕草である。

 

「なぜ、貴女がこのようなところに」


 ディアナは目を伏せた。


「お恥ずかしながら、お力添えを賜りたく、参上しました」


 ああ、とカレンはようやく納得した。


「ときに、カレン様。こちらにリグラーナ様は参られませんでしたか」

「来てたわ、突然帰ったけど。もう1週間ほどになる……なんで今さら?」


 カレンの言葉にディアナは明らかに落胆した。


「やはり、こちらにいらしたのか……ああ、私がもっと早く決断してこちらをお尋ねしていれば……」


 大神官たるディアナの突然の訪問で、皆軽く驚いた。だが、それでも言葉を発することはなかった。ただ後ろめたいことしかないリリアームヌリシアだけがおたおたしている。

 決まりが悪く、ティアの後ろに隠れようとしていたリリだったが、目ざとく見つけられてしまった。


「おや、そこにいるのはリシア家のリリアームヌリシア。また家出をしてきたのかえ? 母君が嘆いておられた」

「ディアナ様もつっつつがなく……」


 リリの家柄も格式が高いが、権力の上ではディアナは雲の上の人だ。女官といいながら宰相の役割を担っている。リリは舌を噛みそうになりながら頭を下げた。


「あなたがここに来たのは、リグラーナに絡んだことね」


 カレンが手っ取り速く核心をついてきた。ディアナは深く頷いた。


「お願いがあって参上しました。お力をお貸しください。リグラーナ様を、何卒、お探しくださいませ」


 これには皆、えっ、と小さく叫んだ。


「リグラーナは、あなたにも行方を言っていなかってこと?」

「不徳の致すところでございます。私めがリグラーナ様の信頼に足る者であれば、このようなことにならなかったでしょう……」


 後悔と悲しさのためか、ディアナの語尾が少し震えた。


「……リグラーナは自分でヘレナに乗って出ていったのよね」


 と言ってカレンがリリを見ると、リリはこくんと頷いた。


「お顔は良く見えなかったんだけど、急いでいるご様子だったわ。直前に伝令竜が飛んできてたようだから、それに何か書いてあったんじゃないかしら」

「伝令竜!?」


 ディアナは聞き返した。


「しかし、なぜ……ここにリグラーナ様がいると知っていたのでしょう。公式にはエルドスムス城に滞在していることになっております。随行員以外、リグラーナ様がエルドスムス城を出たことを誰も知らないはず!」

「嫌なことを聞いて申し訳ないんだけど。随行員の中から情報が漏れたってことは考えられない?」


 カレンの問いに、ディアナは即答した。


「まったくない、とは言えません」


 この答えで、カレンはディアナが切れ者で冷静だと思った。人間にせよ魔属にせよ、心ある者に“絶対”はないことを理解している発言だった。


「他者の心の奥深くは分かりません。ただ、今回の随行員はリグラーナ様への忠誠心が高く、長くお仕えし、此度の和平に肯定的な者で固めたつもりです」

「もうひとつ考えられるのは……リグラーナがあなたの知らない連絡網を持っていて、それを使ったかもしれないわ」


 ディアナの顔に苦悩の色が浮かんだ。


「それは……それもありえない、とは断言できません。私はリグラーナ様のことを何も分かっていなかったのですから。私も敢えてリグラーナ様にお伝えしなかったこともございました。ですが、それもリグラーナ様のことを思えばこそ、なのです」


 彼女の苦悩に、カレンは共感した。

 分かっているつもりで分かっていない。誰かのことを思って行動したのに、伝わらない。何もかも裏目に出てしまったときの絶望感といったら。


「……私も自分のことで精一杯で周りが見えてなかったのだけれど、偶然というにはあまりにも同時期に人が消えすぎているのよ。まず、エルドスムス・フィンゲヘナ国境付近の辺境での多数の人間の誘拐・失踪事件。リグラーナの失踪。それに……トウマの不在」

「トウマ殿が……?」


 ディアナが問い返すと、カレンは肩をすくめた。


「トウマの場合、居場所は分かっているんだけど、目的は失踪事件に絡んでいるわ。貴女がここにきたことで思ったの。偶然にしてはまるで図ったようにその人たちの消息が掴めない・掴みにくい状況にあるってことを」


 カレンは魔導書を抱き締め、フロアをゆっくりと歩きはじめた。頭の中に、記憶の中に散らばっている欠片を拾って集めるように。そして、ディアナの前で足を留める。


「私たちは、誰かの為を思って、傷つけることも、自分が傷つくのも恐れて黙っていた。でも、ここで私たちは知ってることを共有して、何が本質的な問題で、何が関係しているか整理する必要があるわ」


 ディアナも頷いて同意する。


「私もそのつもりで参りました。魔属の威光に関わる、和平に差し障るなどと――カレン殿が仰ったように、私も逃げていました。事を恐れて」


 カレンは微笑んだ。


「私たちは聖剣の主。どこまでも中立よ。二つの国の手先にはならないわ。あくまでも私たちが良かれと思ったことをするだけ。その点はご理解いただけるわね? でもお約束するわ、リグラーナは探し出します。色々あったけど、色々楽しいこともあったもの」


 トウマが剣と行動でもって聖剣の主たるのであれば、カレンは思慮と知識を剣とする。

 逆境においてカレンもまた己の剣を突き上げたのだ。冷静な現状把握とよどみなく紡がれる言葉は聞く者を圧倒する。

 この少女も聖剣の主で、贄神を相手に戦い抜いてきたのだ。

 ディアナの口元に満足そうな微笑が浮かび、すぐに消えた。


「承知いたしました。では、まずフィンゲヘナ側の状況をお話しましょう」


 制御ルームに集まった面々は、カレンが何も言わずとも好きな場所に陣取った。

 カレンとディアナはフロアの中央で向かい合う。ゼロは中二階の階段の下に立っている。キリクはカレンたちを客観的に見るかのように居住区の階段の手摺りに背をもたせかけていた。リリとティアは、レーダーとリペアシステムへ降りる階段に並んで腰掛け、半身をカレンたちに向けている。クリューガは東の入口の傍にある倉庫ボックスに肘をつき、ゲノムは回復の泉の隣でかしこまっていた。レイは、ゲノムからさらに少し離れたところで膝を抱えて座っている。すでに、いつものパンツスーツに着替えていた。

 そして、ディアナは静かに、語りはじめた。


「──最近、フィアガルム領内でも誘拐、失踪事件が頻発しておりました。そして、人間にも被害が及んでいるのは承知しておりました。なぜなら……これみよがしに、魔属領内に人間の遺体が無惨な姿で放置されていることも度々あったのです。まるで挑発するように」


 初めて聞く事実に、カレンは息を呑んだ。


「私共は、魔属によってなされた事件と想定しました。魔属を人間が誘拐するのは容易ではありません。ですが、可能性として人間の仕業であることも捨てきれないのです。そう、例えば訓練を受けた軍人かそれに属する者であればであれば可能でしょう。それをリグラーナ様も懸念しておられました」


 クリューガが目を背けながら信じられないという面持ちで首を振る。

 目線の先のキリクも厳しい顔をしている。


「帝国の軍人が、そんなことを……!」

「これらの事件は誰がやったにせよ、エルドスムスとフィンゲヘナの不和を狙っている……ってことかしら」


 呟くカレンに、ディアナはなぜか複雑な表情を見せた。


「そう……かもしれません。そうであるならまだ話は簡単なのです。ここから先は私と限られた者しか知らない話です。リグラーナ様にはお話をしておりません」


 その場の空気がぴん、と張りつめる。

 ディアナが語るには──


 魔属・人間を取り混ぜた死体は大きく2種類に分かれていた。一つは無惨に切り刻まれ、一つは激しくやせ衰えてはいるが目立った外傷はない。このことをディアナは見逃さなかった。また、切り刻まれている死体を丹念に調べさせたところ、必ず右目と心臓がなかった。ディアナはこれら奇妙な共通点が非常に気になった。


 ――儀式的な要素。儀式と見せかけているだけか。

 疑念を払拭すべく、ディアナは三大神官家と呼ばれる系譜の者たちに尋ねた。かつて贄神を封じたときに尽力した一族の尊称だ。ディアナ自身の親族、リシア家、そして過去に追放されたもう一名。

 権力争いの激しいフィンゲヘナでは、名家といえども今日に至るまで当主の交代が激しく当時の知識と伝承は相当失われていた。人間よりは長命種だが、3000年という時は魔属にとっても“失われた時代”だったのだ。


 一致して出た意見は『贄神に関わる儀式』ということだった。

 その有力な情報源はかつて追放されたローゲという者の子孫だった。最後の子孫はルーンフォルスという当主だった。

 ルーンフォルスは現代に失われた古文書と知識を未だに持っていた。魔属社会から放逐されて幾星霜、未だ途絶えていなかったのは奇跡である。と同時に、ローゲの並々ならぬ執念が窺えた。

 ディアナはルーンフォルスの協力を仰いだ。神官家としての名誉回復と引き替えに。

 ここで、ディアナが一息入れると、クリューガが口を挟んだ。


「辛気くせえ話だぜ。儀式だかなんだか知らねえが、一体それと今の事件とどう関わりがあるってんだよ」


 長く複雑な話に早くも苛立っているようだ。言い聞かせるように、ディアナは、クリューガに向かって話を続けた。


「1年前。エルドスムス帝国は『贄神を崇拝して蘇らせようとしている』という名目でフィンゲヘナに攻め込んできました。しかし代々、魔王は贄神を監視し、いざ何か動きがあれば戦いを挑んで封じ込める役割を担っているのです」

「悲劇的な誤解だった……そのことで陛下は未だ、お心を痛めておられる」


 キリクが呟くと、ディアナは首を左右に振った。


「その話は全くのデタラメ、というわけでもなかったのです――贄神の棺桶を焔の海に沈めて3000年。その間に贄神を復活させようという動きはフィンゲヘナ内でも何度か起きているのです。何度、それらの集団を断罪しても、また暫く時間が経てば違う集団が贄神を崇め奉り、復活を祈り、争乱を起こしました」

「……へぇ」

「いつの時代にもいるのですよ、贄神こそ人間に対する最大の脅威にして武器だと主張する輩が。しかしそれも、贄神の本質からすれば止む得ないこと……とまれ、右目と心臓の意味はルーンフォルスにより判明しました。贄神復活を祈る集団の創設期にそのような儀式が執り行われた記録があったのです」

「んじゃ、何か? どえらい昔の奴らが今また何かしでかそうってのか?」


 クリューガの早急すぎる結論に、ディアナは首を振る。


「結論を急いではなりませぬ。もはや贄神は消滅した今、それを行う意味があるのか。ただの誇示か嫌がらせなのか。我々はそれを見極めるため、間謀を宗教組織、あらゆる地下組織に潜入させました」


 慎重なディアナらしい行動だった。


「ある集団に我々は目をつけ、密偵を潜入させていました。すべて私の一存です。このことはリグラーナ様には未だご報告しておりませんでした」

「なぜなの?」


 カレンの当然の疑問に、リグラーナはほろ苦く笑う。


「臆病者のつまらない配慮でございますよ。リグラーナ様は今回の事件については人間にも被害が及んでいることから、かなり神経質になっておられます。怪しい集団を特定したと知れば、自ら出向いてその者たちを責め滅ぼしかねない……それが統治者として正しい処断であったとしても、未だ国内に根強い人間への反感を買うのは必至。全てを把握した後は私のほうで隠密に処理し闇に葬りさるつもりでした」


 偽りのない忠心が、ディアナとリグラーナの間に壁を作らせた。その結果、大切に想う相手を見失ってしまった。

 カレンはこっそり溜息をついた。ディアナのそうした気持ちが分かるのだ。


「ですが、その者たちからの連絡が、先日途絶えました……つまり、敵は――ええ、はっきりと申し上げましょう。和平に、フィンゲヘナに、リグラーナ様に仇成す敵は、私共が探りを入れていることに感づいております。その矢先に、リグラーナ様は姿を消されました。私、心配で、心配で……!」


 今まで堪えていたのだろう。ディアナはぐっと喉を鳴らし、嗚咽を噛み殺した。慌ててショールを目元にあてがっている。


「取り乱して申し訳ありません……」

「なんだ、敵が分かってるんなら話は早え。そいつらを締め上げりゃいいだけの話だ。フィンゲヘナも帝国もトロくさいな」


 クリューガが指をゴキゴキ鳴らして気勢を上げる。が、カレンはたしなめた。


「もう、そんなに簡単に言うけれど、情勢を考えると両国が簡単には動けなかったのよ!」


 どちらの国も対外・対内的にデリケートな状態だ。極力、隠密裏に処理したかったのだろう。だからわざわざ、グレゴリア自らが中立である聖剣の主――カレンとトウマに依頼したのだ。


「誘拐・失踪事件がその集団の仕業であるなら、一気に捕らえ始末しております。ですが、今回は人間も多数さらわれております。いくら辺境とはいえ、魔属が越境して度々狼藉を働いていては目立ちすぎます。その姿も、やり方も。言いにくいことですが、此度のことは人間も関わっているのではないかと考えております」


 ディアナの言葉にカレンも頷いて同意する。


「その通りだわ。和平が成立したといってもまだ正式に国交は回復してない。無益な衝突や小競り合いを減らすために国境の警備は厳重にしてるって、以前皇帝が言ってたもの。帝国内の人間が関与している可能性もゼロと言い切れないわ」

「わーってるてのよ、それくらいは。そのためにトウマは……白黒つけるために、行ったんだろうが」


 クリューガの言葉に、カレンは唇を噛んだ。言葉がない。


「トウマ……」


 今、トウマのことを想うと胸が張り裂けそうだ。


――もっと強く、引き留めていればよかった。

――もっともっと早く、気がつけばよかった。自分の心に……


 後悔の念が重くのしかかる。

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