支え、通じる者たち

 エルドスムス城内の一室にて。

 リグラーナ一行に与えられた居室のうち、控えの間で、女官ディアナは見舞いにきたエレーナ姫の相手をしている。

 エレーナのすぐ後ろには、黒いロングドレスにひらひらの白いエプロン、かわいいヘッドドレスが似合うようで似合っていない、金髪の美女ソーニャが無表情で控えていた。


「そうですか……まだリグラーナお姉さまにはお目にかかれないのですね」


 エレーナは悲しげに溜息をつく。


「今までの疲れが出ましたのか、はたまた慣れぬ気温のせいでしょうか」

「お可哀相なお姉さま。あの麗しいお顔がパンケーキのごとく腫れているなんて……」

(――申し訳ございません、リグラーナ様……)


 ディアナは内心深く詫びた。


「いかがでしょう。エルドスムス屈指の医者を呼び寄せましょうか。若いのですが腕の良い医者ですのよ。今、辺境の地に任務に赴いているようですがすぐに呼び返すことができます」


 このとき、ソーニャの顔がわずかに引きつったのだが、エレーナもディアナも知る由はなかった。

 その心配りに感謝の意を示しつつ、ディアナは断固として譲らない。


「お心使い、誠に感謝いたします。ですが、今しばらくお待ちくださいませ。やはり貴女方人間と魔属は体の作りやらなにやらが違うものですから、私、本国に戻り、医者を連れて参ろうと考えております」

「まあ、ディアナ。貴女がですか?」


 エレーナは目を見張った。そして頬に手を当て、なにやらしばらく考込んでいたが、やがて頷いた。


「分かりましたわ。私、貴女がお留守の間、お姉さまをお守りしますね――お兄様さえ近づけないように。大丈夫ですわ、お兄様は私のほうで何とかしてみせます」


 と言って、エレーナは無邪気に微笑んだ。

 が、ディアナは背筋に冷たいものが走るのを禁じえなかった。


(聡い姫とは思っていたが、これほどまでとは)


 エレーナは気づいている。

 “魔王リグラーナの不在”を。


「私、お姉さまのことも心配なのですけれど、御国についても懸念しておりますの」


 ディアナは柔らかく微笑んだ。


「その点はご安心くださいませ。行幸日程は1ヶ月を予定しております。本国ではリグラーナ様がこちらでつつがなく公務を務めておられることに疑いを持ちますまい」


 エレーナ姫はぽん、と両手を合わせる。


「それなら良いのですが……悲しいことに、最近我が帝国でも、細々とした騒ぎがございます」


 心当たりがありすぎて内心ディアナは冷や汗をかいていたが、そんなことは表情に欠片も出ない。


「早く、両国の壁が取り払われ、真に共存できる時代がくるよう、微力ながら私も力を尽くして参ります。贄神が消えたというのに、未だ騒がしくあるのは残念でございます」


 ディアナは頭を垂れた。これは偽りのない言葉だった。

 無益と知りながら戦いを続け、守りとおしてきた贄神の棺が再び開かれたときのあの恐怖と無念さ。


(――我らは、一体何を守り続けてきたというのだ)


 そして、敵対していたはずの人間の聖剣の主たちが、彼女ら魔属の窮地を救った。

 人間を凌ぐ力を持ちながら、贄神の棺の上で暮らしながら、なぜ人間を滅ぼさなかったのか。

 それが魔属の負った“責任”だから。

 人間より長寿である魔属は、3000年前に起きた最初の戦いの真相を“ある程度”までは知っている。だがそれを未だエルドスムスに伝えていない。時期尚早である。

 真に人間と魔属が理解し、手を取り合うには今しばらく時間が要る。お互いのつまらないプライドを捨てる時間が。


「ディアナ、お医者様のことでしたら、聖剣の主に相談なさってみてはいかが? お二人ともきっと力になってくださいますわ」


 そう言って、エレーナは微笑んだ。

 暗に、聖剣の主たちを頼れと言っているのだ、とディアナは理解した。元より、そのつもりだった。


(リグラーナ様の消息が途絶えてから2週間……もはや、悠長に構えてはおれぬ。ルーンフォルスからは不用意に動けば敵方に悟られると戒められたが)

『リグラーナ様がご不在の件は今しばらくお伏せください。もし、かの国で姿をお隠しになったとあれば、不穏の輩でなくとも人間を疑いましょう。騒乱の種に水を与えてはなりませぬ』


 もちろん、その程度のことはディアナも当然予測している。だがリグラーナの行方さえつかめていないと不安でならない。さりとて、本国に人を手配して探すこともできない。ジレンマに陥っていた。

 それもこれも、全ては主の為を思えばこそだ。

 史上最年少で魔王の座を勝ち取ったリグラーナは異例に若い。優秀な戦略家ではあるが、道理に反することを一番嫌っている。その真っ直ぐさ、素直さは愛しく思う。史上最強、最若、そして最も美しいと称え恐れられる魔属の女王を、臣下として崇拝する以上にディアナは心を砕いている。まるで姉が妹を心配するような気持ちだ。


(過去の清算も、最後の穢れの始末も全て私の方でと考えていたのだが……力不足であった)


 リグラーナの心を痛めないように情報を隠し、ディアナだけで立ち回っていたことが。


「エレーナ姫様。私の不在の間、何卒、何卒、リグラーナ様をお願いいたします」

「お任せくださいませ。エレーナ、帝国の第二後継者として立派に責任を果たします! 多くの人を犠牲にして得た平和ですもの……」


 お互いの国の事情を理解したうえで、エレーナ姫はリグラーナを擁護すると言っているのだ。ディアナは深く頭を下げ、感謝の意を示した。

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