第六章、スタンバイ

メモリー3

 贄神との最終決戦の日まであと1ヶ月に迫っている。日を決めたのはこちら側の都合であって、贄神とその眷属が合わせてくれるわけではない。日々の侵攻は激しくなるばかりだ。私たち、突撃部隊だけではなく、もはや全面戦争だった。

 その最中、グランドが1日だけ自由な時間がほしいと言い出した。周囲には彼が逃げ出すのではないかと疑う向きもあったが、私は強くその者たちを非難した。彼が途中で諦めたりなどするはずがない。ただ、彼がそんなことを言うのも初めてなので私もとても興味があった。


――きっと、愛しい者たちに会いに行くのだ。


 すっかり忘れていたが、彼には家族がいるようだ。子供を守りたいと言っていた。

 私には家族はいない。最大の理解者だった父は十年前に他界した。そして私はアース国の代表として無我夢中に責務を果たしてきた――レイだけが、私の心の拠だった。


――聞いてはいけない。辛くなる。


 そう思いながら、私は遠慮がちに尋ねた。


「……家族の方に会いに帰るのね?」

「おうよ。こっちに召集されてからまるっと1年半くらい会ってないからなー」


 私は、何とも言えない孤独と寂しさを押し隠して、笑顔を作った。


「いってらっしゃい。あなたの留守は私が守るから大丈夫よ」

「ああ……頼んだぜ」


 そう言いながら、グラントは私の顔をまじまじと見つめる。


「なに? なんか顔についてる?」

「目と鼻と口が」


 相変わらず、私を爆発させることに関しては天才的だ。


「……さっさとお行きなさい! 時間がもったいなくてよ!」


 グランドは頭を掻いていたが、やがて私に向き直って言った。


「なあ、ユージニア」


 最近、グランドは私を名前で呼ぶようになった。名前で呼ぶのはレイと彼だけだ。そのときだけ、私はアースの少女王であることを忘れることができる。一人の人間として呼吸ができる。


「なに?」

「……一緒に、行かないか?」


 一瞬、何を言われたのか分からなくて、私はぽかんとした。


「どこに?」

「俺の故郷さ。そう……休暇だよ、休暇。な?」


 納得したように頷くと、グランドはすっかり勢いを取り戻して私に迫る。


「1ヶ月後には決戦だ。お前さんにだって休みたいだろ? ずっと戦いっぱなしだ。そん中で俺だけ休んじゃ立つ瀬がない」

「そんなの、いいのよ。それに私は元々この城が故郷だし、年中無休なのは王族の義務ですもの。慣れてるわ。それにさすがに聖剣の使い手が二人同時に都を留守にするのはどうかしら」

「何かあったら速攻リターンシステムで呼び戻されるんだ、ちょっとそこらに出かけるくらいのもんさ。なっ、それがいい! よっしゃー、元老院のじじいどもに話してくっから」

「待って、グランド! ねえ、それは無理よ。大体、あなたの故郷に、どうして私が……」


 グランドに一緒に行こうと言われたとき、本当に嬉しかった。だがその反面、重苦しい気持ちが私を襲う。彼が愛しいと思う人や子供たちと対面したとき私は素直に笑っていられるだろうか。もちろんそうする自信がある。王族として統治者として、どんなときでも真意を表に出さない訓練をしてきたのだから。ところがこの人ときたら、私を徹底的に揺さぶり、怒らせ、笑わせ――切ない気持ちにさせる名人だ。

 多分、顔で笑っても心が耐えられない。

 嫉妬。

 私にもそんな感情があったのだ。いや、知らなかっただけだ。この人は私に色んな事を教えてくれた。


――それだけでいいじゃない。何も望んではいけない、一ヶ月後に決戦を控えているのだから。


「それに……ご家族の方にお会いしても、掛ける言葉がないわ。申し訳なくて……たった一日だけど、存分に楽しんできて。でも、あなたも常々言ってるとおり私たちは1ヶ月後も笑っているために戦うのであって、これが最後ではないわ」

「……」

「ほら、ぐずぐずしてると休暇を取り消すわよ」


 私はふざけた調子で彼の腕を掴み、彼を部屋から押し出そうとした。いつもなら合わせてくれるのに、グランドはびくともしない。


「俺の故郷は山奥のちっちぇー村でさ。近くにきれいな花が咲く尾根があって――」


 そう言って、グランドは私の手首を掴んだ。


「そっから見る朝日と夕陽がとてもきれいなんだ」


 そのまま、ずるずると私は部屋の外に引きずられていく。


「グ、グランド!? ちょっと待って待って待って、元老院に許可を……」

「あとで通信で入れておくさ。奴らびっくりするぜ、オレたちが駆け落ちしたのかも……ってな」


 急激に顔に血がのぼってくる。


「なっ、誰が駆け落ちですか!?」

「近くの街まで転送機で飛んで、そっからバイクで2時間ってとこだ」

「人の話聞いてます!?」

「聞こえない聞こえない」


 からからと笑うと、グランドは私を強引に肩にかつぎあげ、転送室まで走りだした。

 そして数時間後――私はバイク上でグランドの腰に掴まっていた。二輪で地面に直接タイヤを接地して走るバイクという乗り物に乗るのは初めてだった。辺境では街の外を走るのに重宝されていると聞いていたが、それにしても安定性がない。恥ずかしいけれど、グランドにしっかりと掴まっていないと振り落とされそうだった。


――今だけ、ちょっとだけ。


 背中に頬を押しつけてみる。この人は気づかないだろう――妙なところで鋭くて、そのくせ鈍感な人だから。それでもよかった。後でちゃんと笑えるように、今だけこっそりと甘えておこう。

 きちんと整備されていない、所々に大きめの石が転がっている道なので相当揺れる。都でのオートモーターはホバリングしているのでこんなに揺れることはない。

 周りの景色が流れるように通り過ぎていく。街から村へ、そして森を抜け、平原へ。ゴーグル越しに見る鄙びた風景は、都からほとんど出たことのない私には新鮮だった。もうちょっとゆっくり見たいのにグランドときたらスピードを出しすぎだ。

 やがて、木と石で組んだ壁と、巻き上げ式の木の扉が見えてきた。


――これがグランドの故郷。


 平原には夜、モンスターや野獣が出ることもあるのでこのような外壁があるのだろう。だがこれでは、贄神の眷属どもが押し寄せてきたときには防ぐことはできない。辺境の村には最寄りの街へ移動するよう、国として1年前から勧告してあった。だがグランドの村のように、長く住んだ土地を離れたがらない人々もまだ各地にいると聞いていた。

 グランドがバイクのエンジンを切ると、村の入口にある見張り台の上から問いかける声がする。


「誰だ? 役人なんか来ても無駄だぞ、オレたちは絶対ここを動かないからな!」


 まだ幼さの残る、少年の声だ。グランドはゴーグルを取り、上に向かって手を振った。


「その声はコンラッドか? お客様に向かってその挨拶はないだろ」

「……兄ちゃん? 兄ちゃん! おーい、みんなッ、グランド兄ちゃんが帰ってきたぞーッ」


 しばらくして、木の扉の向こうが騒がしくなり、慌ただしくチェーンが巻き取られる音がする。扉が持ち上がっていくと、その下から小さな子供や細い足がたくさん見えた。

 わっと歓声があがる。


「兄ちゃん!」

「お帰り、お兄ちゃん!」

「もう贄神、やっつけた?」


 十数人の子供たちが一斉にグランドに駆け寄ってきて、喚くわ叫ぶわ抱きつくわぶらさがるわで大変な騒ぎとなった。

 何がなんだか分からない私は、呆然として突っ立っている。すると小さな女の子が私の服の裾をつんつんとひっぱっている。


「お姉ちゃん、お兄ちゃんのお嫁さん?」

「――ば、ばか! おめー、その人は……」


 グラントが慌てた様子で振り返る。私と目が合って、なぜか言葉をなくしていた。

 私はにっこり笑って、その子の前に屈み込んだ。


「残念ながらお嫁さんじゃないわ。パートナーよ」

「パートナー?」

「そう、仲の良いお友達みたいなものね。時々すごいケンカもするけれど」

「ケンカは、良くないよ? 仲良くしてあげてね、お姉ちゃん」


 私は、無邪気に笑うその少女の頭を撫でた。この子は私がアースの統治者であることを知らない。なぜだろう、とても気が楽になった。


「ねえ、グランド。あなた、随分子沢山なのね。一体何人奥さんがいらっしゃるの?」


 自分で言っておきながら可笑しくて、私は笑った。グランドは子供達をぶらさげながら叫んだ。


「ちぇっ、冗談言ってやがれ」

「おかえりなさい、グランド」


 落ち着いた女性の声がした。私はその方向を凝視する。長い黒髪を片側で束ねた、きれいな女性だった。腕に、小さな子供を抱いている。


――この人が。


 直感的にそう思った。忘れていた痛みがぶりかえす。呼吸ができなくなりそうだった。やけに自分の心臓の音が大きくきこえる。みっともない顔はできない。自分の腕に爪を立て、気持ちを落ち着かせた。


「ベレニーチェ!」


 グランドは両手を広げた。女性――ベレニーチェは笑顔で、子供をグランドへ掲げてみせた。それを抱きとめるグランド。


「おっ、ルキーノ、大きくなったなあ」


 ルキーノは笑いもせず泣きもせず、まじまじとグランドの顔を見ている。別れて一年半にもなるのだ、父親の顔を覚えていなくても仕方がないだろう。


「そちらの方は……?」


 ベレニーチェと目が合う。私は精一杯、優雅に微笑んでみせた。


「ん? ああ……その人は」

「お兄ちゃんのぱーとなーーさんだって。仲良しさんだって!」


 先ほどの少女が大声で言った。ぱーとなーって何だ? という囁きが方々から聞こえる。だがベレニーチェはそれで何かを理解したのだろう、深々と膝を折っておじぎした。


「グランドから手紙で、話を聞いています。こんな辺鄙なところへようこそおいでくださいました」

「辺鄙はないだろ、まあ、田舎だってことは否定しないけどな」


――やはり、来るんじゃなかった。


 この後どれくらい、痛みを堪えていればいいんだろうか。私は子供達に取り囲まれながら、村の中へ招き入れられた。

 小さな村だ。さっと数えた限り二十戸ほどしかなさそうだった。広場に人がわらわら集まってくる。老人の夫婦が何組か。若い女性もいた。が、子供の数が多いわりに大人が少ないのが気になった。

 子供達はよほどグランドになついているのだろう、口々に色々話しかけてくる。


「だーっ、オレは一人なんだから順番に喋れ、なっ?」


 そう叫びながらもうれしそうだ。こんな弾けるような笑顔は見たことがなかった。


――やはり、この人を戦いに引き込んだのは間違いだった。


 内心、私は唇を噛んだ。


「お姉ちゃん、お腹痛いの?」


 先ほどの少女がそっと尋ねた。私は首を左右に振る。


「違うのよ。グランドがとってもみんなに好かれてるんだなあって驚いてるの」

「うん、お兄ちゃんのこと、みんな大好きだよ!」


 そのとき、背後で門が閉まる音がした。続いて男の声。


「おおい、門をあけっばなしじゃダメだろ! モンスターが入ってきたらどーすんだ。最近多くなってきてるのによ」


 数人の男女の集団と、リーダーらしき男性が立っている。三十前後の男性だ。私に訝しげな視線を向けてくる。そして広場のグランドへ視線を移すと、破顔した。


「グランド!?」

「ニコ!」


 グランドとニコは歩み寄り、抱き合い、肩をたたき合った。


「街へ行くたびにお前の噂は聞いてるよ。大活躍だな」

「英雄誕生ってか?」

「英雄? バカいえ、暴れん坊だろうが」


 ニコの視線がまた私に戻る。私は背筋を伸ばし、また笑顔を作った。


「この別嬪さんは? ははーん」


 にや、とニコは人の悪い笑みを浮かべた。


「なあ、グランド。子供達と同じようにこちらのお嬢さんも連れてきちまったのか? お前ってやつは相変わらず手がはええな」

「バッ」


 普段、飄々としているグランドが顔を真っ赤にして口ごもっている。珍しい姿だ。ベレニーチェがそっとニコに近付き、首を左右に振った。


「軽口はそれくらいにして……そちらは、グランドの“パートナー”の御方様なの」


 ニコの陽気な表情が凍りついた。


「てことは……つまり……その……ユー……」


 私は慌てて頭を下げた。ここで急にへりくだられても困るのだ。


「初めまして! あの、お構いなく!」

「や、ホント気ぃ使うことねえって」


 へらへらとグランドが手を振ると。


「グランドはもう少し気を遣うべきです」


 ベレニーチェが穏やかながら鋭くたしなめた。


「グランドが連れていらしたのよ。だから、ね?」


 口が利けないままのニコの腕を、ベレニーチェが優しく叩く。ニコは私とグランドの顔を交互に見て、ようやく笑った。


「成る程」

「なにが、成る程だ」

「なんでもねえよ」


 グランドがニコに掴みかかる。その様はまるで子供のようだ。追いかけて逃げる二人をよそ目に、ベレニーチェが私のほうへ歩み寄ってきた。


「何のおもてなしもできませんが、私どもの家へどうぞ……」


 そう言って優しく微笑んだ。よく気が利いて、包容力がある。女性として成熟しており、私はまたほろ苦さを味わった。


「そこの大きな子供さんたち二人も、来てくださいね」


 ベレニーチェが呼びかけると、グランドとニコは悪ガキのように先を競って駆け寄ってくる。グランドは本当に楽しそうだ。悲しい気持ちを抱えながらも、そんな彼を見るのはうれしかった。

 招き入れられた家は簡素だが、隅々まで手入れが行き届き、居心地がよかった。ベレニーチェが施したものだろうか。刺繍のタペストリが壁を飾り、可憐な花がテーブルにたくさん生けてある。席を勧められ、座った私は花を一輪、手に取った。見たこともない小さな星形の花。だけどなんてかわいらしいのだろう。


「ベレニーチェ、ルキーノを預かるよ。お茶の支度を頼んだ」


 ベレニーチェはルキーノをニコに渡すと、私に会釈をして部屋を出て行った。ルキーノはきゃっきゃっと笑いながら、ニコの顎や顔を触っている。


「やっぱりオレ、人見知りされてんのかなあ」


 ぼやくグランドを見て、ニコが大声で笑った。ルキーノは驚いてきょとんとしている。


「んなもん当たり前だ。お前が好かれてどーするんだ! 親父はこの俺だぞ?」


 私は思わず、椅子から滑り落ちそうになった。


「あの……その子は、グランドの子供ではないのですか?」


 グラントとニコは呆気に取られ、私の顔を凝視する。


「オレの、子供?」

「そ、そうよ。子供と奥さんに会いに帰ってきたんでしょ? そう言ってたじゃない」


 私が口ごもりながら言うと、グランドはますます変な顔をした。


「グランド、お前……いつ嫁さんをもらったんだ? 子種のほうは、わからんでもないが」

「ニコ、てめえ、殴るぞ」


 グランドがニコに掴みかかる。ニコはルキーノをグランドに突きつける。ルキーノは足をじたばたさせてグランドの顔を蹴った。さっぱり訳がわからない私は置いてけぼりだ。ただ何か爆弾発言をしてしまった気配だけ分かる。


――もしかして触れてはいけないことだったのかしら……。


「ごめんなさい、今の事は忘れてください」


 頭を抱えながら、グランドは呟いた。


「ユージニア……なんか間違ってるぞオイ」

「ごめんなさい。誰だって触れてほしくないことがあるものね。私、あんまりそういうの分からなくて……」

「あのー、人の話を聞いてますか、ユージニアさん?」


 ニコが苦しそうな顔で何かを堪えている。そこへベレニーチェがお盆を持って部屋に入ってきた。


「おい、ベレニーチェ! グランドが嫁さんをもらったんだって!」


 ベレニーチェは笑いながら、黙ってカップやポットを並べていく。


「お口に合うかどうか分かりませんが、どうぞ。ユージニア様」


 私はカップを手に持ち、香気を吸い込んだ。濃い。そして柔らかい。なんて優しい匂いだろうと思った。口に含むとお茶の甘みが広がる。都にあるどんな紅茶よりもおいしかった。


「おいしい……!」


 ベレニーチェは微笑んだ。


「ありがとうございます。私の夫……ニコが丹精こめて育てあげたお茶なんです」


 あやうく、カップを落とすところだった。


「え……ベレニーチェさんは、ニコさんの、奥様?」


 はい、とベレニーチェは頷く。ニコは先ほど勘違いを知ったのだろう、にやにや笑ってグランドを見ている。グランドはというと不貞腐れたように横を向いていた。


「ユージニア様。こいつはね、ぴっかぴかの独身ですよ! な、グランド」

「うっせえ、なに笑ってやがんだ」


 まだよく話が飲み込めない。


「あのう、私、あまり理解力がないかもしれません。グランドは子供がいるのですよね? 奥様は、もしかすると先立たれたと……」

「ユージニア。お前、そんなにオレを妻子持ちにしたいのか?」


 グランドが私のほうへ身を乗り出した。


「はぁ? あなたが言ったんじゃない!」


 私も思わず、素で怒鳴り返した。


「いつ言った!」

「あなたが任務について2ヶ月と2日と4時間25分の、ゴール防衛戦の日よ」

「細けえな……オレ、そんなこと言ったっけ」

「言った。確かに言いました」


 私とグランドのいつもの言い合いを、ニコとベレニーチェは微笑みながら見守っている。


「まあまあまあ」


 ニコが笑いを噛み殺しながら割って入る。


「こいつが言う子供達ってのはね、さっきの子らです」

「わざわざ説明しなくてもいいっつーの」


 グランドは乱暴に席を立った。


「アルマ婆ちゃんの姿が見えないようだが」


 グラントの問いかけにベレニーチェの顔が曇った。


「このところ体調が優れないのよ。離れで寝てるわ。でもあなたが帰ってきたと知ったら飛び起きるわね」


 グランドは片手を挙げ、部屋を出ていった。


「ははっ、珍しい。あいつ、照れてやがるのかね」


 それから、ニコは話してくれた。グランドの“子供たち”のことを。そして彼の過去も。

 グランドは元々、この村の出身ではなく傭兵だった。幼い頃に傭兵隊に拾われ、民族を使って行われるアースとカナン両国の代理戦争を戦い、生き抜いてきた。だがある戦役で彼は目が醒めた。自分が戦うことで自分と同じ立場の孤児を生みだしていることに、その繰り返される悲劇に。

 彼は幼い孤児を数人連れ、戦地から離脱した。このとき、グランドはまだ十五歳だったという。この孤児の一人がベレニーチェだった。

 グランドたちは逃走の果て、この村にたどり着いた。村人たちは哀れに思ったが、この村とて豊かではない。子供達をそう簡単に養えるものではなかった。だからグランドは金を稼ぐためにまた戦地に舞い戻った。もはや前の傭兵隊には戻れない。名を隠し、身を隠し、かつての敵を味方として戦った。旅から戻る頃には必ず一人二人、孤児を連れて戻ってきた。


「……あいつを責めないでください。あいつは自分の行いが矛盾していることを知ってる。一番苦しんでいるんです……今も」


 この村は過疎が進んでいた。養いの口は増えたものの、労働力が増えたことは有り難かった。子供たちもよく働く。ここが自分たちの生まれ故郷であるかのように。眠ったような静かな村は少しずつ活気が満ちていった。

 その矢先に、贄神が“目覚めた”。もはや代理戦争どころではない。 

 私は話を聞きながら、泣いていた。彼を責められるはずがない。彼を追いつめ、子供たちの親を奪ったのは、他ならぬ私たち統治者なのだ。


 だって、戦争が――両国の争いが、贄神を産み落としたのだから。




「よー、また何か撮ってるのか? 相変わらず記録好きだな」


 私は微笑み、カメラのスイッチを切った。


「そうね、この素敵な景色は、カメラで撮っても仕方がないわ。でもレイにも見せてあげたくって」


 私とグランドは夜明け前、村を出て尾根に登った。夜明けの太陽を見に来たのだ。

 二人で並んで、岩の上に腰掛けた。青い闇が徐々に橙色に染まっていく。山並みの渕が朱色に染まって輝きはじめた。


「見てみろよ、すっげーきれいだぜ。まるで紅玉のようだ」


 ゆっくりと、太陽が顔を出した。なんとも言えない感動が体を震わせる。太陽はこんなに力強く。曙の空に星は瞬き。大地では花が匂い立つ。


――ここに、あなたがいて、私がいて。


 贄神の浸食は今も躊躇いなく続いている。だけど、この世界は――美しい。


「……ユージニアの髪も真っ赤に染まって、きれいだな」


 私は素直に微笑む。


「連れてきてくれて、ありがとう」

「ああ? いや……付き合わせて悪かったな」

「嬉しかった。ここに来て、あなたを知ることができて、よかった」


 揺らめきながら昇る太陽を見つめながら、言った。グランドは頭を掻いている。


「まあ、なんだ。オレはさ、世間が騒ぐ通りの英雄じゃないってことよ」


 村に残って皆を守ることのほうが大切なのかもしれない、と彼は呟く。


「だけど――オレは、もう、耐えらえなかったんだ。何かを喪いながら何かを守ることに」


 私はグランドを見つめる。彼は相変わらず朝日を見ている。


「この作戦に応募したのも、世界を守りたいとか、そんな気持ちがあったわけじゃない。むしろ、アースとカナンを結びつけた贄神には感謝したくらいだ。戦争が終わるなら……そう思ってた。最初はな。

 だが、贄神はそんなこたぁどうだっていいわけだ。ただ欲し、食らい尽くし、得体の知れない仲間を増やしていくだけ。このままじゃ、あいつらに未来は渡してやれねえ……おっと、こんなこと言ったら、また殴られるかな」


 おどけてみせるグランドの腕に、私はそっと手を巻きつけた。


「いいえ。ありがとう……話してくれて、ありがとう。私、あなたがパートナーで本当によかった」

「……ユージニア」

「私、あなたに謝らなくちゃいけない」

「妻子持ちの誤解か?」

「そうじゃなくて! 色々よ。まあ、それもあるけど……」

「オレ、そんなに老けて見えるか? まだ24歳、心は永遠の10代なのに」

「ごめんなさい。最初、あの子たちに取り囲まれたときは妙に感心しちゃったというか、納得しちゃった」


 ひでえな、とグランドは笑った。私も大きな声をあげて笑った。そして静かになる。

 ごく自然に、彼の腕が私の体に回る。私も彼に寄り添う。恥ずかしいと思ったのは一瞬で、彼の体温と私の体温が等しくなっていく。暖かい幸福感が体も心も満たしていく。

 詩篇の一節が脳裏に浮かんだ。


――時よ、止まれ。お前は美しい――

――私の今の気持ちは、きっと……これが好きっていうこと。


 世界が広がっていくような感覚。


――私は――グランドが――


「――あのね、グランド。私、伝えたいことが――」


 そのとき、電子音が鳴り響き、永遠を切り裂いた。


『ユージニア様、グランド様。通信を聞かれましたら至急、アースガルズまでお戻りください。贄神の反応に大きな変化が表れました――』


 グランドと私は見詰め合った。緊張と、失望が入り混じった顔。多分私も同じような表情を浮かべているだろう。


「行こうぜ、お仕事だ」


 先に立ち上がったのはグランドだった。

 私は座ったまま、彼の背を見つめる。その背は、もう拒絶していないような気がした。


「――怖い」


 私の言葉に、グランドは振り返った。


「どうしてかしら――今、とても、贄神が怖い」


 グランドは私の傍にきて、しゃがんだ。


「どうして……あなたじゃなきゃ、いけなかったの。私じゃなきゃいけなかったの」


 今さら言っても仕方がないことを口にした。グランドへの気持ちに気づいた途端、恐怖が生まれた。彼を喪う恐怖が。世界もアースも他人事でしかない。グランドと正反対のところで私は戦う言い訳を探し、見つけた。そして恐怖した。


「ユージニア」


 グランドは私の手を握り、その手に自分の唇を押し当てた。暖かい。ふわっと涙腺が緩み、私の頬に涙が流れた。


「……ごめんなさい。私、頑張る……だから……絶対、贄神を倒しましょう……」


 グランドの唇は私の手を離れ、次に私の唇を塞いだ。

 何が嬉しいのか、悲しいのか、涙が止まらない。

 けれど、この時誓った。どんなことがあってもこの人の傍を離れないと。いかなるときも、最後の瞬間も。



――ねえ、レイ、聞いて!

――私、あの人と、キスしたの。

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