滑落への一歩

 無数のケーブルと黒光りするメタリックな壁面、青白い光を放つモニター。セイントの機関室は制御ルームと違い薄暗く、より無機質だ。

 ゼロとゲノムがモニター画面を見ながら話をしている。


「やはり、解析できないデータが発生している。管理者権限でもアクセスできないとは厄介だ」


 ゼロが言った。


「システムのバグの可能性が29%、外的因子の可能性が71%と考えられまス。外的因子の場合ハ、ファイアーウォールを破って侵入していルのですが、セイントのファイアーウォールをクリアできる確率は10%以下でス」


 てきぱきと答えるゲノム。ゼロとゲノムの会話は無駄がなく、実に“機能的”だ。


「とするとゴールドメタルのインストール時に障害が生じた可能性が高い。一旦リセットして、システムを精査してみようと思う」

「再起動には時間がかかりまス。再起動中のセイントの機能は通常の10%程度になることが予測されまス」


 巨大な鉄球、もとい、ゲノムが答えると、ゼロは頷いた。


「やむをえない。マスター・トウマが不在のときに機能停止するのは悩ましいが、これらのエラーが何か重大な損傷を引き起こす前に手を打たねばならない。マスター・カレンには私から説明をして許可をもらう」

「マスター・トウマに連絡を取ルためにワタシが後を追いましょうカ。聖剣の波動を追跡して現在位置の特定が可能でス」


 ゲノムの提案にゼロは同意する。


「それもマスター・カレンに検討してもらおう」


 そう言って、ゼロはふっ、と息を吐いた。


「予定外のことが起きると不安なものだな」

「ゼロ。アナタは人間体になっテ変わりましたネ。以前のデータと比較すると行動や反応が人間に近くなリましタ」

「……それが良いことかどうか、私には分からない。感情ユニットの過剰な反応は判断や行動に影響が大きすぎる」

「人間においてはそれがしばし最強の武器になりえまス。それこそが聖剣システムの根幹なのですカラ――」


「ゲノム。君は聖剣システムの仕組みを知っているか?」

「いいエ。システム内のことは最重要機密でしタ。使用者だったマスター・グランドと、その周辺の開発者しか詳しい内容は知らなかったハズでス」

「せめて機密のデータくらい残しておいてくれればよかったものを」


 愚痴めいた言葉を残し、ゼロは機関室を出た。


(マスター・カレンが持ち帰ったオーブを解析すれば何か分かるかもしれない。が、今の不安定なシステムのままで未知のデータを入力しても良いものか――レイが非協力なのも困ったものだ)


 ゼロは微かに眉をひそめている。レイに思考が及ぶと、眉根が寄っていることに自分自身、気づいていない。

 制御ルームに戻ると、中二階にある制御パネルの前に、カレンがいた。ぼんやりと放心しているようだ。


「マスター・カレン」


 ゼロが呼びかけると、カレンははっと顔を上げた。


「……ゼロ。ごめんなさい、勝手に通信機を使わせてもらったわ」

「元々マスター・カレンとマスター・トウマのためにあるものだ。ニア村への連絡か」

「いいえ、お城のほうよ。ちょっと知り合い……友人を呼びだしてもらってたの」


 ゼロは首を傾げた。


「マスター・カレンの友人?」

「皮肉屋で態度がでかくて、でも“あること”についてとびきり記憶力がいい子なのよ。あーあ、借りが出来ちゃったわ。エレーナ姫にも……」


 ゼロは階段を登り、カレンの隣に立った。


「何か、あったのか?」

「何かって?」

「説明は難しいが、今朝とは表情が違うように見える」


 カレンは慌てて、指先で瞼をマッサージする。


「まだ目が腫れてるかも」

「そういう意味とは少し違うのだが……まあいい。マスター・カレン、相談がある」

「ちょうどよかった。私も相談したいことがあったの」

「では、そちらから先に」


 カレンは椅子に座り直し、咳払いを一つした。


「ゼロは前に、今のセイントなら聖剣の主の一方が必ずいる必要はない、って言ったわよね」


 カレンの言葉に頷くゼロ。


「私とリリちゃんで、ちょっとだけ探索の旅に出ようと考えているの」


 少し間を置いて、ゼロは直球を投げ返す。


「つまり――マスター・トウマの後を追うということか」

「イヨ君を捜すためよ。これだけ長期間、イヨ君の消息が掴めないってことは、何か事件に巻き込まれた可能性が高いわ。もしかすると、例の誘拐・失踪事件に繋がってるかもしれないし。トウマの後を追うわけじゃないのよ。でも辺境方面には足を伸ばす予定だけれど……」


 カレンの長い言い訳を聞き終えたあと、ゼロは答えた。


「今、セイントのシステム内で原因不明のエラーが多発している。読み出せない、解析できないデータの数が増えているのだ。ゴールドメタルを組み入れた影響かもしれない」

「本当なの?」

「このままではどんな影響があるか予測もつかない。セイントの機能を一旦停止してリセットすることを提案する」


 カレンはうーん、と考え込んでしまった。


「困ったわね。そんな状態じゃセイントを放っておけないわ」

「……提案するが、マスター・カレンの所用を優先するべきだ、と思われる」


 と言うゼロの顔を、カレンはしげしげと眺めた。驚きの表情はゆっくりと微笑みに変わる。


「ありがとう、ゼロ」

「礼を言う必要はない。マスターはあなただ。それに……マスター・トウマに較べて自発的行動が少ないマスター・カレンが決断した。その理由は私には分からないことだろうが、興味深い」


 カレンはくすくすと笑った。


「興味深いって、ゼロったら! 今は理由を話せないんだけど……私もまだよく分からなくて上手く説明できないから。でも説明できるようになったらちゃんと話すわ」


 そして真面目な顔になる。


「私たちは当たり前のことを当たり前にあると思ってしまう……時々、見失ってしまうのよ、大切なことを」

「漠然としてはいるが、その言葉、覚えておこう」


 ゼロは制御パネルに手を伸ばし、館内放送のスイッチを入れた。


『セイントの居住者諸氏は、至急、制御ルームへ集合してほしい――』




■□■




 先ほどまで体にまとわりついていた霧が、いきなり晴れた。

 トウマたちは小高い丘の上に立っている。眼下に広がるのは白い森――


「……あれは」


 トウマは息を呑んだ。木々に見えたのは、すべて石の箱だった。規則正しく放射状に並んでいる。

 まるで、棺桶が並んでるみたいだ。

 地面には立ち枯れたような白い棺桶。空は夕闇が迫り、暗く重々しい。上下に分割された天と地の挾間に、五角形の堅牢な城。枯れたような、静かな美しさのある街だ。絵としては素晴らしい。だが、これほど広大だというのに、人の住んでいる活気が感じられなかった。


「ここが――ブリガドゥーンの故郷、死者の都」


 ぽつり、とネルが呟いた。


「私たちは、この墓を住まいとし、守ってきた、墓守」


 トウマの直感は外れてはいなかったのだ。


「すげえな……一体、誰の墓なんだ、これは」

「3000年前からの、古の墓。私たちは、これらを守り、守られて生きてきた」


 ネルはとぎれとぎれに由来を語り始めた。

 元々、ここにはあの城しかなかった。贄神が最初の眠りについた後、戦乱が起き、迫害された民族がここに逃げ込んだ。城主は逃げてきた者を保護し、かくまった。その城主は当初、人間であったという。

 3000年の時の間に、孤立したこの地で人々は命を紡ぎ、終えていった。墳墓は少しづつ増えていき、やがて街と一体と化した。

 ガリュウはしきりに空気の匂いをかいでいる。何か気になるようだ。カリヴァは丘から墳墓を見下ろし、低い声で呟いた。


「あの頃より緑が少なくなっていたから最初はわからなんだが……」


 引き連れていた生き残りの村民たちはゆるゆると丘を下っていく。喜んで駆けるでもなく、まるで葬列のようだ。


「トウマたちは、城へ」

「城って、あれか」


 トウマが指さすと、かくり、とネルは頷いた。


「城主様に、会って、ほしい」


 ネルは先に立って歩きだした。数歩、歩いたところでトウマを振り返る。


「トウマが、守るって言ってくれた、から……私も……」

「ネル?」


 それ以上何も言わずに、ネルは丘を下っていく。トウマも後を追って歩き出したところへ、カリヴァが呼び止めた。


「行くのか?」

「ああ。行かなきゃはじまらねえ」


 トウマはにかっと笑った。肩を軽くすくめ、カリヴァも歩き出す。慌ててガリュウもついてきた。

 丘を下ると、すぐに四角い建物が目前に迫ってきた。丘から見たときは棺桶に見えたのだが、近付いてみれば四角い石造りの家だ。表面は風化してざらついていたが、苔や黴は見られず、骨のような美しさを保っていた。

 石畳を敷き詰めた立派な参道がまっすぐ城まで伸びており、その両脇に規則正しく墓を兼ね備えた家屋が立ち並んでいる。

 人はいる。歩くたびに視線を感じた。だがトウマが頭を巡らせると、怯えたように家の中に引っ込んでしまう。そのくせ、物陰からずっと見ているのだ。


「なあ、ネル」


 先を行くネルの背に、トウマは声を掛けた。


「この街には年寄りが少ないのか。さっきから見かけるのは若い奴らが多いみたいなんだけどさ」


 実際のところ、若い奴というより子供が目についた。

 ネルの代わりにカリヴァが答える。


「ここは永遠の国じゃからな。さもありなん」

「……?」

「言ったろう、天国ではないと」


 それきり、カリヴァも押し黙る。ガリュウは何か気になるのか、しきりに匂いを嗅いでいた。トウマは空を見上げる。夜が迫っていることを差し引いても、陰鬱な空の色だった。

 ぴたり、とネルは足を止めた。

 参道の彼方から、黒衣の一群がしずしずとやってくる。一様に黒いローブに身を纏っている。一群は無言のままトウマたちの前で足を止めると、ぱっと左右に分かれた。黒い波が縦に割れていくようだ。

 その行き着く先に、小柄な黒衣の者が立っている。フードを目深に被っており、顔や体は見えない。

 やがて、その者はゆったりと、歩みはじめた。歩くたびに裾が割れ、少年のものらしい、かぼそい足と、ふっさりとした尾が見えた。


(――獣人?)


 トウマは息をひそめて、黒衣の少年が歩み寄ってくるのを見ていた。

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