皇帝の依頼

 セイントの制御ルームに、高周波のキィ……ンという音が響く。

 同時に、フロアの中央に光の柱が立ち、トウマとレイの姿が瞬時に再構築された。と、同時にぴちゃ、っと水しぶきが二人の足もとに落ちる。


「ふ……ぇっくしょーい!」

「クシュッ」


 前者はトウマ、後者はレイのくしゃみである。

 初夏の陽気とはいえ、まだ川の水は冷たい。ニア村で乾かすつもりだったので二人ともずぶ濡れのままだったのだ。


「どうしたの、二人とも」


 カレンは目を丸くした。


「トウマに押し倒されたら川に落ちたの。ねー、トウマ」


 レイが思わせぶりな発言をするので、トウマは顔を赤らめて即座に否定した。


「人聞きの悪いこと言うな! ちょっと待て、カレン、そんな目で見るなって!」


 カレンが冷ややかな視線を無言で浴びせている。


「レイが崩れて支えていた丸太が危険でオレが咄嗟に押し倒して」


 トウマの説明も支離滅裂である。カレンは眉の間にぎゅっと皺を寄せたたが、何か思うところがあったのか慌てて指で眉間を押さえた。


「必死に言い訳しなくてもいいのよ。そこまで説明を求める気もないし、トウマにもいちいち報告する義務はないもの」


 涼しい顔で受け流したつもりだったのだが、どうもうまくいかなかったようだ。トウマは微妙な表情を浮かべている。


「報告する必要ない、か、ま……そうだな。確かに」


 かり、と濡れた頭を掻いて言われた言葉が、どすん、とカレンに跳ね返ってきた。


(――そういう意味じゃないんだけど……なんか、すごい雰囲気悪くしちゃった……ような……)


 歴史以外の分野にも博学なカレンだが、ボキャブラリーはそれに比例していなかった。

 そもそも、カレンは他者とのコミュニケーションが上手くない。大きな目的のために演技をして嘘をつくことはできる。かつて、残された聖剣を守るため、良心の痛みを隠して偽りの笑顔で切り抜けてきた。嘘だからこそ客観的に演じられるのだ。

 だが、自分の感情が絡むと上手く制御できない。穏やかな祖父との生活は、さほど感情の起伏や揺れが大きいものではなかったこともあった。周囲が大人ばかりだったので距離を置くことに慣れていた。

 トウマのことを不器用呼ばわりするが、カレンもいい勝負なのだ。


「……と、とにかく。シャワーでも浴びて、着替えてきたら? 二人ともそんな格好じゃ風邪ひくわ」


 取り繕うようにカレンは言った。


「おう」

「はーい」


 トウマの後を、レイが水しぶきを飛ばしながらてくてくとついていく。

 カレンの側を通りすぎる瞬間、レイが囁いた。


「カレンはアタシとトウマに何かあっても興味ないんだね、ふふっ」


 意味ありげな笑いに、カレンは魔導書を抱き締めて堪える。この場にグレゴリアとキリクがいなければ、腹立ち紛れに床に魔導書を叩きつけていたことだろう。反応が子供っぽいという点でも、トウマのことを言えたものではなかった。


「あの……カレン」


 トウマとレイが着替えに行ってから数分経った頃。遠慮がちにキリクが声を掛けた。


「レイはトウマと一緒の方向に行ったんだけど……いいのかな」

「それが何か? シャワー浴びて着替えるだけ――あ」


 カレンは絶句した。トウマと一緒の方向に行ったということは、レイはトウマの部屋の風呂を使うつもりなのか。


(なんでそーなるの! そう行くか!?)

「でもほら、この部屋の外側の廊下から私の部屋に行けるもの」


 早口で説明するが、とても苦しい内容だった。そわそわと左右を見回していたカレンだが、おもむろに西の塔への入口へと向かう。


「レイに着替え、出してあげなくっちゃ……ちょっと席を外すわ」


 できるだけゆっくりと歩いて、カレンは西の塔へ通じる扉を出た。途端、猛ダッシュで外側の廊下を走り、東の塔へ急ぐ。


「なんなの、あの子はーっ! 人間体になっても全然私の力になってくれないじゃなーい!」


 むしろ蹴落とす勢いである。


「もしかして……レイったら、本当に、本気で、トウマのこと……?」


 口に出して、どくんとくん、と心音が大きく打つ。足取りはゆっくりとなり、やがて立ち止まった。

 今まで考えたこともなかったのだ、トウマに好意を寄せる者が現れることを。リグラーナは仮にも魔属の女王であるし、現在はグレゴリアと進行形である。どこかで「ありえない」とタカをくくっていた。


(――もし、レイがトウマのことを好きだったら――ありえない、ありえない。トウマだって、元のレイを知ってるんだもの。ありえない。)


 そんなことを考えている間に、カレンはトウマの部屋の前に辿り着いてしまった。

 一呼吸置いて、扉を開ける。


「……お邪魔します」

「あっ、カレンぅ」


 無邪気にレイがベッドの上から手を振ってくる。長い髪と体にそれぞれバスタオルを巻いていた。


「レイ! なんて格好してるのよ、早く服を……って、ここにはないんだっけ。そのまま私の部屋に戻りましょ。その格好はまずいでしょ、色々と」

「そうだねー、アタシ的にはまずくないけど、トウマは色々まずいかもねー」


 そう言って、レイはんーっと伸びをする。その拍子にバスタオルがはらり、と落ちた。


「レイ! 見えてる見えてる!」

「平気だよぅ」

「トウマが平気じゃないでしょ!」

「それはそうかも」


 と、レイはこれみよがしに乳房を手で持ち上げた。なんとも色っぽい仕草だ。

 帝都では、カレンが通りを歩けば男が振り返った。きれい、美しいと言われることに何の抵抗もなかった。今まで比較対象が周囲にいなかったので特に意識しなかったが、容姿はほどほどのものがある、と自負していた。

 だが、こうして見ると、人間体のレイはカレンにないものを持っている。可愛いしぐさ、コロコロ変わる豊かな表情、素直な感情表現、そして――女が見てもぞくっとするほどの色気。

 呆然と立ち尽くすカレンのすぐ横で、シャッと自動ドアが開く音がする。


「レイー! バスタオル全部持ってっただろ、一枚も残ってねえじゃん」


 いきなり、トウマの声が聞こえた。カレンはそれこそ心臓が裏返るくらい驚き、そちらを見た。

 わずかに湯気と、石鹸の香りが漂う。その向こうに、浅黒い、ひきしまった体が見えた。腰に小さなタオルを巻いているだけの格好だ。

 当たり前だが、カレンはトウマの裸を見るのは初めてである。悲鳴の一つも出そうなものだが声が出ない。その代わり、まじまじとトウマを見てしまった。いや、いきなりのことで目の前にいる半裸の少年がトウマであるとか、そういうことも頭からぶっとんでいた。

 全く自分とは違う、とカレンは思った。

 バランスよく筋肉が配合され、贅肉などない。だが筋肉の塊ではなくしなやかで均整が取れた美しい体だ。ずっと以前に美術館で見た、獣の彫刻をカレンは思い出していた。トウマは大柄なほうではないが、手足がほどよく長くプロポーションが良いことも改めて気づいた。


「……カ、カレン?」


 トウマもまさかカレンがそこにいると思っていなかったのだろう、やっと気づいて目を剥いた。

 名を呼ばれて、カレンも我にかえる。同時にかーっと、頭と頬に血がのぼってこれ以上ないほど熱くなる。


「――とっトウマのヘンタイぃ!」


 カレンは魔導書で顔を隠して叫んだ。


「えええっ!? なんだそりゃ!?」

「トウマ、タオルタオルー。純情なカレンには刺激が強すぎるのよお」


 レイが全裸でバスタオルを振り回している。それを見てさらに、カレンは目が回った。


「ぃやああああああ! レイのバカーーーっ! 丸見えよーーーっ!」


 カレンは叫びながら部屋を飛び出した。見せてんのよ、というレイの言葉が聞こえてなかったのは幸いだったかもしれない。




■□■




 それから数分後、トウマとレイは制御ルームに現れたのだが、カレンは決してトウマを見ようとしなかった。

 お互いに猛烈に気まずい。否、カレンの態度によって一方的に気恥ずかしい状況になっているのだ。トウマにしてみれば腰はタオルを巻いていたのだから問題なし、だったのだが。

 グレゴリア皇帝はキリクが準備したのだろう、優雅に紅茶を嗜みながら制御システムの説明を受けていた。実に真剣な面持ちで聞いている。こういう機械に興味があるのだろうか。


「よお、待たせたな、グレゴリア」

「退屈はしなかったので許す。カレンの許可を得て余の城とホットラインを開設した」

「ほっと……?」


 トウマが首を傾げると、キリクが代わって説明をする。


「直通の通信回線のことです。帝国にも勿論通信機はあるのですが、セイントほど離れていると中継基地が必要になります。が、セイントの機能を利用して設定をさせてもらったので、いつでも通話が可能になりました」

「ふーん? そんなに頻繁に掛けてこられてもなー、めんどくさい」


 ぶっちゃけすぎなトウマの発言に、グレゴリアは立ち上がった。ずんずん、とトウマに迫る。グレゴリアは大柄で、さらに背丈ほどもある剣を背負っているため凄まじい威圧感があった。


「本日、余がわざわざここに出向いたのは2つと半分、用件がある。一つはこのホットラインの開設だ。開設の理由はあとの1つの理由と深い関わりがある。また辺境の復興にも関わることだ。で、残りの半分とやらは――」


 皇帝は真顔でがっし、とトウマの両肩を掴む。


「先日、我が城にやってきて、エレーナと会ったそうではないか?」


 その声はあくまでも小さく低い。


「あ」


 すっかり忘れていた。エレーナ姫にキリクの身辺調査を成り行きで頼んだのだ。


(――なんか今さらって気がするよな。キリクもすっかり馴染んでるし)


 カレンとぎくしゃくしているのはキリクのせいだけではないことを、トウマ自身も分かっている。何が、という理由は分からないままなのだが。


「最近、エレーナがお前の名を口にすることが多くなってな……」


 グレゴリアの声は低くなり、トウマの肩に指が食い込む。


「いでで。指、食い込んでるって!」

「食い込ませているのだ。エレーナが尋ねてきたのだ。トウマ、お前を呼び出すにはどうしたらいいのかと」

(――てことは、調査が済んだのかな? 仕事早いぜ、姫さん)


 全然違うことを考えていると、グレゴリアはますます迫ってくる。


「いででででで! 肩の骨が砕けるだろーが!」

「砕いても良いのだが。エレーナも年頃だ、異性に興味を持つようになったのだろう……それがよりによってお前とは……!」

「なんか誤解してるぜ、それ」

「誤解も六階もあるものか! 余は涙を呑んで、まずは手紙の交換からはじめよと言ったのだ。するとエレーナは何と申したと思う!?」


 あくまで声を落としながら、だが怒りは倍増でシスコン皇帝は囁く。


「手紙だとお兄さまが検閲するでしょうから――と、笑って流されたのだ! 検閲して何が悪い? 余にも見せられない内容なのか!?」

「痛え、マジで痛いから放せ! それとホットラインと何の関係があんだよ!」

「決まっている。盗聴が容易だからだッ!」


 胸を張って、グレゴリアは言った。妹の手紙を検閲するだの、盗聴するだのと、皇帝の言葉とは思えない。


(勝手にしてくれ……)


 トウマはぐったりと頭を垂れた。

 気が済んだのか、グレゴリアはトウマから手を放す。


「と、いうわけで用件の1つと半分は済んだ」

「頼むから、残りの1つも手早く済ませてくれ」

「うむ……」


 皇帝は制御ルームをぐるりと見渡す。カレンの隣にいるレイと、少し離れた場所に静かに佇むゼロに目を留めた。


「あれらの者は」

「レイとゼロはこのセイントの管理者で私たちのサポーターよ」


 と、カレンが説明すると、グレゴリアは眉をひそめた。


「ふむ? 以前、同じ名前の犬と猫のぬいぐるみような不思議な生き物がいたが」

「誰がぬいぐるもがもがもがが」


 カレンが慌ててレイの口を塞いだ。説明するのがとても面倒だったからだ。


「では、私は退席させていただきます」


 キリクが察して頭を下げる。


「出て行かなくてもいいんじゃねえの」


 引き留めたのは、意外にもトウマだった。


「セイントの中にいりゃ自然と分かるもんな。どっかに遠征ってことになったらチームを編成するし、そうすっと居残り組にも説明しておかなきゃならないし」


 確かにトウマの言うとおりだった。セイント内に起居していれば遅かれ早かれ情報は伝わるだろう。

 グレゴリアが驚いた顔でトウマを見て言った。


「なかなかの卓見だ。そこまで頭が回るとは思わなかったぞ、トウマ」

「なんか、誉められてるように聞こえねえな。ま、誉めるようなことでもねえよ」


 トウマにしてみれば熟考の末の結論ではなく、セイントという家で寝起きする家族間の出来事、くらいの感覚だった。


「では、リーダもそこに居るがよい。今から話すことは、余から聖剣の主たちへの依頼である――」


 皇帝は厳しい面持ちで語り始めた。

 魔属と人間族の住む境界付近で起きているという出来事を。




■□■




 カレンは20回目の寝返りを打った。ベッドに入ったものの眠れない。どれくらい時間が過ぎただろうか。

 皇帝の『依頼』は謎が多く、それ自体が予感と予想の混合物に思えた。だがもしそういう事実があるのなら――せっかく訪れた平和な時代を揺るがしかねない。

 落ち着かなくて、カレンは上体を起こした。白い、フリルのついた薄手のネグリジェを着ているのだが、それさえも重く感じられた。仕方がなしに、前のボタンを胸の下まで開けてみると、少し楽になったような気がした。

 カレンのベッドとくっつけて置いてある予備のベッドでは、レイが安かな寝息を立てている。派手に毛布を蹴り、形良い足を放り出している。カレンはのそのそと自分のベッドから這って行って、毛布をかけ直してやった。


 リグラーナは、いない。

 正確に言うと「姿を消した」のである。最後の目撃者はリリアームヌリシアだった。なにやら慌ただしい様子で、愛竜のヘレナに乗り、南の方角へ飛び去ったという。書き置き一つ残さないのがリグラーナらしいが、それにしても急だった。

 フィンゲヘナで何かが起きたのだろうか。

 どれもこれも推測の域だ。考え疲れて、カレンはふう……と溜息をついた。数週間前、キリクがやってきた。リペアシステムがゴールドメタルによって強化された。レイとゼロが人間の姿になった。そして。


(……何かが変わってしまったみたい。ちょうどキリクが来てから……)


 トウマと顔を合わせたときに募る苛立ちは以前からであって、キリクという外界からの人間がやってきたことによって顕在化したのだ。遅かれ早かれ、衝突はしていたに違いない、とカレンは考えた。

 目まぐるしく状況は変化していく。それにカレンはついていけなかった。以前の時間は、贄神との最終対決という目的に向かって状況は進んでいた。だが今は違う。カレンは、聖剣の主という宿命は負いつつも、自分の人生を自分で考えて歩まねばならないのだ。


 目を閉じる。トウマについて考えてみた。

 イタズラっぽく笑ったり、怒ったり、おどけていたり。だが、それらの表情は最近、カレンに向けられていない。カレンはただ、傍観しているだけだ。

 カレンは怒ってばかりなのだった。

 嫌な自分。

 楽になりたかった。揺れもせず、迷いもせず、自分を保っていたかった。枕にぱたり、と突っ伏す。


 やがて、夜が来て、それらは暖かい闇の中へ吸い込まれていった。

 夢のような朧げな景色。見上げれば満天の星が輝いている。

 カレンは自分の肩先に体温を感じていた。触れるか触れないかの距離だ。もどかしくて、自分から少し、擦り寄ってみた。確かな存在感。安心して、頭をもたせかける。自分の背に誰かの手が回されたような感覚がした。誰かの胸にもたれる。手が優しく髪を撫でる。

 カレンはもう少し大胆になって、相手に体を押しつけ、その胸に頬ずりをして甘えてみた。自分の胸の鼓動か、相手のものかは分からないがともかくドキドキと心音が大きく聞こえた。

 いつしか、誰かの手がカレンの体の輪郭をなぞっている。触れられるたびに、カレンは体を震わせる。体の中から何かが溶けだしてきそうなほど熱い。気がつけば、カレンの服は剥ぎ取られ、星空の下に晒されている。

 恥ずかしくて、隠すように相手の体を抱き締めた。自分のものとは違う、硬く引き締まった体。目を凝らしてその顔の正体を探るのだが、すぐに焦点がぶれてしまう。目を開けていようとするのに瞼が落ちてくる。




「……」


 カレンは枕に顔を埋めていた。いつしか、眠ってしまったようだ。だがまだ夜は明けていない。


――やだ……。


 先ほどの夢の出来事が朧げに思い出される。誰かと裸で抱き合っていたのだ。頬が熱くなる。体の奥がそわそわと疼き出す。

 夢の余韻が残っている間に、もう一度、さっきの相手に会いたくて、カレンは目を瞑った。微睡みに引きずられる一方、心が弾けるように暴れた。こんな矛盾した幸福感を、カレンは知らない。


(――私も変わりつつあるんだわ……)


 変わっていく状況が苦手で。それでも、自分すら、何もかもが変わっていく。カレンは深い眠りに落ちていった。

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