女体

「ぶっ……へぇっくしょーい!」


 トウマは盛大にくしゃみをした。そして頭に手をやる。くしゃみや咳をすると、治っているはずのたんこぶが痛むような気がした。


「トウマ、大丈夫? 昨日床で寝てもらったから風邪ひいたんじゃない?」


 隣にいたレイが心配そうに尋ねる。


「大丈夫だって。それよりなんか頭のたんこぶ、癖になってるようなんだけど」


 リペアシステムで治療しているにも関わらず、思い出せば疼くのである。


「かわいそう、トウマ。あたしが治してあげるー」


 と言うなり、レイはトウマの首ったまにかじりつき頬をすりすりと摺り寄せる。たっぷりとした質感の胸が体に押しつけられた。さすがにトウマだって男である、対応に困って叫んだ。


「レイ! ちょっと待て! お前、ちっこいときの癖はその体でやめろ!」


 微笑ましくじゃれあう二人を見て、周囲で働いている村人たちはどっと笑った。


「仲のいいこって」

「おいおい、いちゃつくんなら他所でやってくれやー」

「カレンさんに言いつけるぜ?」


 皆、気安くからかいの言葉を投げかけてくる。

 ここはニア村から少し離れた場所にある川のほとり。すぐ先にある滝の音とせせらぎに混じって槌音が響いている。村の大半の男たちと、トウマ率いる愉快な仲間たちが水路作りに汗を流している。

 木を刈り、地を掘り、水路の基礎ができつつあった。


「よお、トウマ。今回も世話になるな」


 四十がらみの逞しい男がトウマに声を掛ける。彼はかつて聖剣探しをしていた剣士だった。そのままニア村に居着いて、皆をまとめ、いつしか村長になったのだった。人口が増えた村をうまくまとめていた。


「ぜんっぜん構わねえよ。この水路ができたら、ニア村も村って言えなくなるんじゃねえの? 村長さん。いや、町長さんか?」

「そんな柄じゃないさ。それより、あのカワイコちゃん、どこの子だ? お前も隅におけないなあ」


 川縁で楽しげにせせらぎを眺めるレイの、尻あたりを見ながら、村長はトウマをつついた。

 白いショートパンツに包まれた尻やしなかやな腰、陽光にも負けていない笑顔。そんな溌剌とした魅力あふれる少女は、実はぬいぐるみみたいなペットでした、と言っても信じてもらえないだろう。


「隅におけないのはあんただろーが。ヒルダ、おめでただって?」


 村長はガハハ、と照れたように笑った。


「おうよ。俺もこの年にして父親になるんだな」


 しみじみと村長は言う。


「一年前、空が暗雲に覆われたときは、もう明日が来ないんじゃないかって思ったのにな――お前たちのおかげだ。トウマとカレンが、俺たちに『今』をくれた」

「オッサン、真顔でそんなこっ恥ずかしいこと言うなよな」

「オッサンじゃないぞ、パパだ!」

「自分でパパって言うなー、余計はずかしーぞ」


 唐突に、川べりがなにやら騒ぎが起こった。そちらを見ると、川のすぐほとりに積んであった丸太の山が崩れかかっているではないか。そのすぐ側では大人の胴体ほどもある丸太に足を挟まれた男が倒れていた。丸太は、2本のロープが崩壊をかろうじて防いでいる。


「トウマーッ! 早く、助けてあげてー!」


 ちぎれたロープの端を握りしめ、レイが叫んでいる。丸太の山の反対側にレイがいなければ、男は下敷きになっていただろう。


「ゲノムは下敷きの奴を助けろ! ガリュウは丸太を押さえとけ!」


 トウマが邪魔になる剣を放りだしながら叫ぶと、巨竜と緑色の球体が思いがけない早さで動いた。トウマも駆け寄り、ゲノムが持ち上げた丸太の下から男を引きずり出した。


「もー、手が痺れてきたよー!」


 見かけ以上の力があるレイも、さすがに大きな丸太の山を一人で支えきれるものではない。


「レイも少しがんばれ!」


 トウマはロープを、崩れかかった丸太の山にかけてレイの側へと回った。ちぎれたロープの端を新しいロープと結びなおして仮留めする。


「これでよしっ! 手を離していいぞ」


 へたへた、とレイはその場にへたり込んだ。そのまま、上目使いでトウマを見る。


「ケガした人、大丈夫?」

「すぐ村へ運ぶ……んっ!?」


 トウマの聡い耳が、繊維が軋み、よじれる音を聞いた。残っていたロープに、先ほど負荷が一気にかかったのだろう、繊維が解け断ち切れていく。

 間に合わない。

 咄嗟にトウマは、へたり込んでいるレイを抱きかかえ、その勢いのまま川に転がり込む。

 次の瞬間――丸太の山は、トウマたちが立っていた場所へ雪崩落ちた。


「モギャ!?」


 丸太を支えたまま、あたふたとするガリュウ。

 この川は深く、流れは急だ。一度流されたことのあるトウマは良く知っていた。


「トウマ!?」

「ロープ早く寄越せ!」


 口々に叫ぶ人に、トウマは叫び返す。


「だ……いじょぶ! うぷっ! それよか怪我人を頼んだ!」

「大丈夫じゃねえだろ! そっちは滝だぞーっ!」


 そうだった。


「アタシ、泳ぐスキル……ない……がぼがぼがぼ」


 トウマの首に抱きつきながら、レイが叫んでいる。盛大に水も飲んでいるようだった。


「バカ! しゃべ……がぼがぼがぼ」


 怒鳴りついでに、トウマもしこたま水を飲んでしまった。

 がぼがぼごごごごごゴゴゴゴゴゴゴ。

 滝の瀑音が近付いてきたかと思うと、あっという間にその中に呑み込まれた。



 川の流れに押されて、二人は滝から勢いよく飛び出す。そして水面に落下した。その衝撃で、トウマは逆に意識を取り戻す。首にかかったレイの腕が、ふっと水の中で離れていく。トウマは慌ててレイの体を抱き寄せ、水面を目指した。


「ぷはっ……レイ! 大丈夫か!?」


 レイは堅く目を閉じ、ぐったりとしていた。水泳のスキルがないというのは嘘ではなかったようだ。

 片手でレイを抱き、片手で水をかきながら岸を目指した。川から少し離れた、土と草のある柔らかい場所にレイを寝かせる。


「レイ! おい、レイ!」


 トウマはレイの頬を軽く叩くが、レイは身動きひとつしない。唇に耳を近づけてみると、呼吸が停止しているようだ。


「勘弁な、緊急事態だ!」


 トウマはレイの首を探り、パンツスーツのファスナーを引き下げた。スーツの下から重力に負けない見事な乳房が顔を出す。体の中心線から少し左に寄った胸に両手を押し当て、トウマは等間隔で力を加えていく。


「レイ、目を開けろよ……!」


 祈りながら、トウマは懸命に心臓マッサージを施す。だが、レイはなお目覚めなかった。


「これがダメなら――」


 トウマは腹を括ると、レイの顎を持ち上げて気道を確保する。少し開いた唇に唇を重ね、息を吹き込んだ。1度目は胸が上下するのを確かめながら。2度、3度。4度目を吹き込んだとき、レイはんんっ、と唸った。


「レイ!?」


 レイはぱちぱちと瞬きをし、トウマを見てにっこりと微笑んだ。先ほどまで心停止していたとは思えないほど元気だ。


「トウマ……今、キスしてた?」


 そして、舌先で唇をなめ回す。尾てい骨あたりがそくっとするほど艶めかしい。


「ばっ! ちがーっ! 今のは溺れた奴を助ける方法で!」


 くすくす、とレイは笑う。


「知ってるよー。今のワザと言ってみた」

「……悪魔め」

「ありがと」


 そう言って、レイはトウマに抱きついた。剥き出しの胸がめいっぱい体に押しつけられて、トウマは目眩をおぼえた。


「わーっ、ちょっと待て、そのまま抱きつくな! あああ当たってる!」

「当ててんのよ」

「それどこで覚えたセリフだ!?」


 トウマの首に腕を絡めたまま、レイは言う。


「アタシたち疑似生命体は生命維持が危機的状況に陥ると、スタンバイ状態になるの。一定時間経つと目が覚めるのよ」

「ちぇっ、慌てて損した」

「だからうれしいの! アタシを助けるために一生懸命してくれたんだもの」


 濡れた衣服を通して体温と弾力が伝わってくる。トウマがじたばたしながらも視線を落とすと、レイの白い乳房が目に入った。初夏の陽気を反射して白く輝く。

 トウマにじゃれながら、レイは目を細めた。


「どこ見てるのー?」

「見てない見てない」


 そっぽを向くトウマの頭を、レイはぐいっと引き戻した。


「トウマがエッチな目で見るよおー!」

「お前さあ、どこからそんな言葉仕入れてるわけ……?」


 んふ、とレイはイタズラっぽく微笑む。


「元々、アタシたちのタイプは人間のパートナーとして作られたんだもの。でもね……」


 ふっと目を伏せた。笑ったりしょげたり、猫の目のようにころころ表情が変わるのがかわいい、とトウマは思った。


「対贄神用兵器としては役に立たなかった。人間の感情に近付くほど、兵器として弱くなっていく。判断も誤りが多くなる。だから、兵器に特化したゲノムのようなロボットタイプが作られた」


 アタシは失敗作だから――そう呟くレイは、今にも泣きだしそうだった。

 トウマはレイの言うことの詳細がよくわからない。だが、こんな表情を浮かべる彼女が『失敗』であるはずがない、という確信はあった。


「そんなことねえよ。レイはカレンを助けてきたじゃねえか。それに、オレだってレイといると楽しい」

「でも、でも、でも……アタシ、その前の聖剣の主にも、その前も、なんにも出来なかった。ゼロみたいに賢くないから、セイントを操作することもできないし……誰も、アタシを必要としてなかったもの」


 そう言って、額をトウマの肩に押しつける。


「カレンは……トウマも、アタシを必要としてくれたから、嬉しかった。だから、役に立ちたくて、この体を再構成したの」


 必要とされることに飢えているレイを、トウマは理解できるような気がした。家族や仲間を失い、たった一人、各地を放浪しながらあてのない未来だけを追い求めてきたからだ。

 誰も頼りにしないことは、誰からも頼りにされないことに繋がる。各地の救援要請に応えるのも、誰かに必要とされたいという気持ちが人一倍強いからだった。


「お前の気持ち、よくわかるよ」

「うん。トウマならわかってくれると思ってた……ゼロはきっとわからない。いつだって彼は必要とされていたから。アタシを分かってくれてた人は、もうずっと昔に死んでしまったもの」

「いつの時代の聖剣の主?」


 レイは首を左右に振る。


「聖剣の主じゃなかった人。とても昔の話」.


 レイの濡れた髪を撫でながら、トウマは空を仰いだ。夏を予感させる陽光が降り注ぎ、滝の水しぶきがきらきらと空中に舞う。そこに七色の光の橋がかかっていた。


「虹の根元にはすごい宝物が埋まってるんだって。虹は追いつけないし、掴めない。でも光があるから虹がかかるって……だから、あきらめちゃだめだって、その人が教えてくれたの。長かったわ……途中で待ちくたびれちゃって、もう目を覚ましたくなかったくらい」


 レイはトウマの体に手を回して、ぎゅっと力を込める。


「ありがと」

「んなもん、礼を言うことじゃねえよ。それに、レイは今は独りじゃないだろ。オレたちがいる」

「うん……うん」


 トウマとレイはもう一度、滝にかかる虹を見上げる。

 遠くからトウマたちの名を呼ぶ声が、かすかに聞こえた。それを合図に、トウマとレイは立ち上がった。

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