セイントの従者
キリクがセイントを訪れてから十日が経過した。
最初の三日間はレイル村の宿屋から転送ゲートを通じて通っていたのだが、毎日朝早くから晩までセイントにいるのだ。カレンは居住区の空き部屋を提供した。
「へぇー、あの人にそこまでしてあげるんだ。ふぅーん。カレンにしては気がきくよねぇ。気がききすぎっていうかー」
「カレンにしては、の部分は余計よ」
レイが意味深なことを言うが、カレンにとっては深い意味など、ない。図書館の膨大な書籍の仕訳、ゼロからの情報のとりまとめ、帝都から持参した貴重な文献との照らし合わせの作業は、頭脳の重労働だ。歴史を検証する際の情報収集や整理は、他人が思うほど楽ではなかった。
『カレン、歴史学者は作家じゃない。偏見なく情報を収集し、パズルのように組み立てていくことが大切なんだよ』
そう、祖父が言っていたことをカレンは思い出した。帝国の貴重な資料以外に、キリクは、カレンが聖剣を得る前の穏やかな時間まで連れてきてくれたようだ。今日も図書室にカレンとキリク、ゼロにレイが集っていた。
ここ数日、珍しくレイが「たーいーくーつー」を連呼しないのは、キリクに興味を持っているからだろうか。照明を弱くして、天窓から自然光を取り入れているので、部屋はやや薄暗い。セイントの照明は目には良いのだろうが、せめて太陽が出ている間くらいは自然の光を感じていたかった。
春の穏やかな午後。少し、薄暗い部屋。本の匂い。カレンが幼い頃から慣れ親しんできた、祖父の書斎によく似ている。過去に戻ったようで懐かしかった。キリクの訪問以来、襲撃も訪問客もなく、カレンは落ち着いて資料を読むことができた。これこそが望んでいた時間だと、カレンは思った。少し、何かが物足りない気がするのだが、これはこれで心地よかった。
「もう一人の聖剣の主の方は、確かトウマさんと仰るんですよね。遠出をなさってるのですか?」
キリクの口からトウマの名が紡がれて、カレンは少しどきん、としてしまった。自分でも何故だかわからないのだが。
「ええ。あの日、各地に散らばって落ちた天空船のモンスター退治に行ってるの。一年経った今でも、全てを殲滅することはできていないわ。それに、天空船が蘇ったときに降り続いた雨が、大地を衰えさせているみたいね。帝都付近はともかく、辺境の小さな町や村では、まだ復興が進んでいないから。ちょっとそのお手伝いも、ね」
本当は皇帝と魔王が統治者として対応すべきなのだろう。だが、数年間に渡る両勢力の総力戦は予想以上にそれぞれの国の人民と大地を疲弊させていた。グレゴリアたちも自らの贖罪として精力的に復興に臨んでいるのだが、大陸に住む全ての種族に、平和が形として享受されるには、時間と努力が必要だった。
「帝国と魔族との戦禍で大陸は荒れました。戦争は贄神という強大な“全人種の敵”“全き悪”を倒すためだったわけで、僕はそれが全く無益だっだとは思いません。そう思いたくもないし。ですが……」
キリクは顔を曇らせた。
「贄神という重圧が消えると、今まで後回しだった不平不満が表面化してきます。言いにくいことですが、帝国領内でも陛下に対する不信や不満の声は聞こえてきますから」
「それは……よくわかるわ」
カレンは深い溜息をついた。贄神を倒してめでたし、めでたしで終わるのは物語だけだ。人の営みは続いていく。ようやく平和がきた。だが大地は黒い雨に汚染され痩せてしまった。戦争で滅びた村や部族もあるだろう。人災と天災で荒れた大地は、貧困を生み、人々の心を荒ませる。
(トウマは、だから頑張っている。もう二度と、自分の味わった悲しみを生み出さないために)
それを考えると、トウマの留守にセイントを守る自分も頑張らなくちゃいけない、と思う。だが、聖剣の主を詣でる人々の中には過大な期待と役割を負わせようとする者も少なくない。
「川や谷に橋をかけるとか、井戸を掘り直すとかだったら手伝えるんだけど、亡くなった人たちは……蘇らせることなんてできないもの。そんな力は、聖剣にだってないわ」
ああ、とキリクは深く頷いた。
「傷ついたんですね」
「そうでしょうね。それは不可能だって言ったら、とても悲しそうな顔をしていたもの」
「あなたも、傷ついたんでしょう」
「えっ?」
カレンは顔をあげてキリクを見つめる。キリクはその視線を受け止めた。どぎまぎして、先に視線を反らせたのはカレンのほうだった。
「……出来ないことを出来ないって言うのも聖剣の主の役目だから……あっ、でもそれより腹が立つのが、自分たちの不平不満をここに持ち込んでくる人たちなのよ! よく聞いてみると、自分たちで出来ることもせずに何かしてもらうことを期待してるのね……」
そこまで言って、カレンは口を押さえた。頬がかっと熱くなる。つい、本音が出てしまった。レイとゼロがじっとカレンを見ているのが分かる。
「ごめんなさい。聖剣の主が言うことじゃないわね……でも、私……」
グレゴリアやリグラーナのような統治者ではない。ほんの数年前までは、引っ込み思案で本が好きな、ごく普通の少女だったのだ。そして聖剣を手にした今も、それは変わらない。変わったのは周囲の状況で、それに合わせると自分が自分でなくなってしまうような気がしていた。
ぷっ、とキリクが噴き出す。思いがけない反応にカレンは目を丸くした。
「す、すいません。でも、こんな普通の子が聖剣の主だなんて……面白くて」
「し、失礼ね! もう一人の聖剣の主はある意味もっと面白いわよ。普通が裏返ってるんだから!」
自分で言っておきながら、他人から普通とか面白いとか言われると、それはそれで癪にさわる。カレンは敏感なお年頃なのだった。
「普通が裏返ってる?」
カレンの滅茶苦茶な言いように、きょとんとするキリク。
「まあ、ある意味突き抜けてるよね、トウマは」
レイがふんふんと肯定する。
「あの脳天気っぷりが羨ましいこともあるわ」
とカレンが呟く。
「マスター・カレンまでがマスター・トウマのような性格であれば、このセイントは大変なことになっていた」
淡々とゼロが言ったので、その場は和やかな笑いに包まれた。
「たまには空気を読んで面白いことをいえるのね、ゼロ!」
カレンが誉めたが、当のゼロは平然としている。
「今のは冗談ではないのだが……」
「そうだったんだ……」
「未だかつて、贄神を完全に倒した聖剣の主はいなかった」
ゼロは紅の瞳でじっとカレンを見つめる。
「従ってここから先、聖剣の主がどうあるべきかは、マスター・カレンとマスター・トウマ次第なのだ」
カレンはわざとらしく溜息をついてみせた。
「もう、ゼロって小姑みたい」
「小姑とは配偶者の兄弟姉妹と言語辞典にあるが……それは私と誰とが兄弟関係にあって、誰が配偶者であるのか説明してもらいたい」
「小うるさいって意味の喩えよ! 行間読んでちょうだい!」
さっきよりも一層顔を赤くして、カレンは言い返した。
「あのっ、ちょっと休憩しましょうか。もう休憩しちゃってますけど」
キリクがなだめに入ってきた。そしてきょろきょろと辺りを見回す。本棚の側に控えていた青いロボットを見つけると、それに近付いていった。
そのロボットを、しばらくキリクは様々な方向から観察し、やがて頭部のパネルを指で押す。するとパネルがぱかっと開いた。ボタンを何回か押して、小さな窓に映し出される文字を見て満足そうに頷いている。
(なにをしているのかしら?)
不思議に思いながらもカレンが見守っていると、キリクは振り返った。
「何をお飲みになりますか。お茶? コーヒー?」
これには、住み慣れているはずのカレンも仰天した。
「キッ、キリク!? なんで……なにを」
「だって、これ、メイド機能があるロボットですよ」
さも当たり前のようにキリクが答えるので、カレンは目が点になった。
「確かに
「ゼロ!?」
カレンの驚きっぷりに、ゼロが言い訳するように答える。
「今まで特に質問がなかったので答えなかったのだ」
「あたしも知ってたけど、ティアが準備してくれてたからいいかなーって思ってたぁ」
レイも、しれっと言う始末である。
「あなたたち……ほんっっとうに、私たちをサポートする気があるわけ……!?」
ちょっとした敗北感をカレンは噛みしめていた。
「あの……すいません。僕が悪かったんです……」
なぜかキリクが謝った。
キリクは史実だけでなく
「このセイントは対贄神のために作られた遺失技術の結晶です。つまり古代遺跡にあるもの全てがベースになっているということです。このロボットと同じタイプのものが発掘されてアカデメイアで研究されていたので、機能を知っていたんですよ」
キリクが言う。
「その通りだ。機能の上では古代遺跡にある技術の最高スペックを極めているが、根本技術に変わりはない」
ゼロが淡々と肯定する。
「贄神と対決したときに、あなたがいてくれたら、もう少し楽に戦えたかもしれない」
と、冗談半分本気半分でカレンは笑う。すると真面目な顔でキリクは頷いた。
「そうですね。もう少し、このセイントの持つ潜在能力を上げることができたのかもしれなかった……ですが、あなたたちは贄神を打ち負かすことが出来た。そちらのことのほうが素晴らしいと思います」
面と向かって言われるとさすがに照れくさい。カレンは本に顔を近づけて読むふりをした。
「あー、カレン、照れてる~」
「もう、レイったら!」
レイをわっしと掴むと、腹をくすぐる。けたたましい笑い声をあげてレイが身をよじった。キリクはその様子をじっと見ている。
「レイは、面白いですね」
「ちょっとーっ! 面白いってどういう意味!?」
カレンの手の中から、レイがキリクに向かって噛みつく。キリクは慌てて頭を左右に振った。
「えっと、興味深いという意味です。喜怒哀楽が激しくて、表情豊かで。こう言ってはなんですが、あなた方の聖剣の主をサポートするという役目においてはあまり必要がない機能ですよね」
「機能って言わないでよねっ、なんか機械みたいじゃない」
レイはぷんぷん怒っている。その様子が機械仕掛けの縫いぐるみのようで、かわいらしくもあり、面白くもあった。淡々と、ゼロが言う。
「レイは例外だ」
「また、そんなこと言う! ゼロの意地悪! 不感症!」
「不感症って……」
意味わかってんのかしら、とカレンは思った。
「あたしだって、カレンをちゃんとサポートしてたよ! ねっ、カレン?」
「えっ……ええっと、そうね」
実務的なことはすべてゼロに丸投げだったが。口ごもるカレンを、レイがじっと見上げている。心なしか大きな目が潤んでいるように見えた。
「あたし……役に立てなかった……のかな。誰の役にも……」
「そんなことない!」
カレンはレイに顔を近づけた。
「レイは私の運命共同体。独りぼっちで辛いとき、あなたはそばにいて慰めてくれた。どんなに心強かったか……本当よ」
カレンの言葉にこくり、と嬉しそうにレイは頷いた。二人の様子を、キリクとゼロは見つめていた。つかの間の静寂を、警報音が破った。ゼロが報告する。
「円形舞台の動力機構付近に接近している者がいる。複数だ」
はあ、とカレンは溜息をつき、立ち上がった。
「もう、せっかく資料を読み進んだところだったのに。これじゃあ贄神を倒す前とちっとも変わらないわ」
「しかし、襲撃の目的は以前の戦略的なものとは違う。頻度も格段に減っている」
「そりゃそうだけど……ねえ、ゼロ。もうちょっと防衛機能を強化できないかしら。ロボットだけで対応するとか、機構自体が絶対的な防衛力を持つとか……」
「基本性能も、バリアも上限まで機能を上げている。これ以上は無理だ」
さらっと、ゼロはカレンの願いを却下した。そのとき、キリクが物言いたげな顔をしたが、口をつぐんだ。警報音が変わったのだ。
「ちょっと行ってきます。キリクはここにいて」
そう言って、魔導書を携え、カレンは席を立った。
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