petit four7 フォーチューン・フラワーのメッセージ

『テンジクアオイ』が、ゼラニウムという花の和名だとはやとが知ったのは、中学二年のとき。

 当時の文通相手の名が「てんじく あおい」だったのがきっかけだ。

 名前の漢字もやりとりの内容も、今となってはよく覚えてはいない。

 ただ。


「花と同じ名前でキモいといじめられています」


 走り書きの末尾が、若干にじんでいたのが印象的で。

 三十四歳になった今でも、時折隼の脳裏に浮かぶのだった。



:::



 冬の土曜日午後、昼食を終えた隼は暇を持て余していた。

 十八時から、趣味仲間との飲み会がある。地方に散らばる仲間が集まるのは珍しい。

 隼の趣味は、オリジナル小説を書くこと。集まる仲間はジャンルは違えど、皆小説書き。隼は同人誌頒布のオフライン活動が主だが、オンラインノベル、二次創作、中には、商業デビュー済みのプロもいる、多種多様な集まりだ。

 SNSのタイムラインを眺めていると、仲間の名古屋観光の様子が流れてきた。それを見た隼は、今日彼らと顔を合わせることができるのか、不安になる。

 今、春のイベントに向けた新刊を構想中だが、プロットすらできあがっていない。

 もやもやとした感情を払拭するために、重いため息をつく。

 仲間と出会ったのは十代の頃。頒布数や閲覧数が一桁の同士が繋がり、今の関係に到った。

 月日は流れ、人気オンラインノベル作家、二次創作の壁サークル、商業デビューと、華々しい舞台に立つ仲間が増えてきた。

 隼はいつまでたっても、ただのアマチュアのまま。

 だが、交流が好きで、縁だけは保ってきた。仲間の作品の話をするのも、応援も、隼にとっては大切なことだ。

 しかし。心のどこかで、手が遅く、目を引くアイディアが浮かばない自分と周りを比べてしまう。

 再度、ため息をつきそうになったそのとき。RTで流れてきた、とある投稿が目に止まった。


『TLの皆……この魔法菓子のお店……ささやかで不思議な魔法が体験できます……私はここで……春の原稿のプロットが三本も浮かびました……おいしいのに良心的な値段でお財布にも安心です……』


「三本だって?」

 驚いた隼は投稿を二度見する。調べれば店は存外近くにあった。

 少しでも前に進みたい。せめて、仲間と会う前に。

 隼は、飲み会の時間までそこで過ごそうと決めた。

 


 魔法菓子。自然に存在する魔力含有食材を使う、不思議で見目麗しい現象「魔法効果」を楽しむ嗜好品である。取扱は首都圏の有名百貨店やホテルが多く、地方都市である愛知県彩遊市ではなかなか見かけない代物だ。

 件の『魔法菓子店 ピロート』は、住宅街の中にあった。木目と青のパステルカラーが印象的なこぢんまりとした店構えは、普通のケーキ屋にしか見えない。

 店内に足を踏み入れれば、お菓子屋特有の甘い香りが鼻をくすぐる。

 ショートケーキ、ロールケーキ、チョコケーキといったラインナップは、一見すると普通のケーキとなんら変わらない。が、プライスカードには「星座が現れます」「声が変わります」「顔にメークが施されます」と魔法効果が書かれている。

 気さくな雰囲気の男性店員に喫茶の利用だと告げると、限定メニューがあると言われたので、それを注文した。

 席で待つ間、バッグから小説用のノートと、万年筆を出す。少しでも考えようと思ったが、まっさらなノートの上には、やはりというべきか、一ミリもペン先が走らない。

 なにもない。つらい。楽しくない。

 流行りのネタは興味がない。定期更新できるような勤勉さも、ましてや版権作品に入れ込む情熱もない。文章力や構成力はもとより、驚くような知識も。

 仲間に置いて行かれるような感覚が怖い。成果を出せない自分が情けない。

 いっそ、書くのを辞めようか。

『書けない』

 焦りをただ一言に込めて書き殴る。すると、お待たせいたしました、と声がした。

「フォーチューン・フラワーとホットコーヒーでございます」

 隼は慌てて机の上の私物を横に避ける。

「恐れ入ります」

 柔らかく低い声音は、先ほどの男性店員とは違う。改めて声の主を見やると、コック服に帽子をかぶったパティシエだった。

 一瞬、女性と思うような整った顔の優男だ。

 皿とマグカップを丁寧な所作で置くパティシエは、穏やかな笑みを浮かべる。女性向けジャンルで活動する仲間が黄色い声を上げそうだ、と心中だけで感想を紡ぐ。

「お客さま、魔法菓子の説明はいかがいたしますか?」

「いえ、せっかくなので説明は聞かずに試してみたいです」

 隼は食べ物も物語も、なるべくネタバレは避けたい性分だ。

 すると、彼の顔に、期待と楽しげな表情が浮かぶのが見えた。イベント会場で新刊の話をする書き手に似ているそれに、勝手に親近感を抱いていると「ごゆっくりお過ごしください」と言い、彼は離れていった。

 皿の上には、全体がクレープ生地で包まれ、頂点に淡いピンク色のクリームが絞られた丸いケーキ。サービスだろうか、シャーベット、小さな焼き菓子が乗っている。

 フォークをケーキに近付けると、クレープ生地がふわり、ふわり、外側に開いた。

 バラの花が開花する早回し動画のようで、隼の口から思わず「おお」と声が出る。

 クレープの花の中から、イチゴで飾られた白いドーム状のムースが姿を現す。早速食べてみようとフォークを差し入れた瞬間、綺麗な赤と紫のグラデーションに色付いた。

 驚きながらも、口に運ぶ。バラのような花の香りがするクリーミーなムースの中には、甘酸っぱいフランボワーズのジャム。

 フランボワーズの酸味に、花の香りは良く合う。

 一番下には焼きプリンのような柔らかく濃厚なタルトで、ムースとの相性は最高だ。

 上のイチゴと共に食べれば、フレッシュ感がさらに甘さを引き立ててくれる。

 夢中で食べ続け、気づけばあと一口だけになっていた。

 惜しみつつも食べ終え、皿を見ると、ぼんやりとなにかが浮かび上がってくるのが見えた。


『貴方が楽しいと思うことを、信じて』


 楽しいという言葉に、隼は思わず息を飲む。

 顔を上げれば偶然にもパティシエの姿が見えた。これがなんなのか知りたくて、声をかける。彼はいやな顔をせずに説明をしてくれた。

「フォーチューン・フラワーは、食べ終わるとお皿におみくじメッセージがランダムに現れるようになっています」

「花みたいにクレープが開いたり、ムースの色が変わったり、面白かったです。もちろん、味も最高で。花の香りがしつこくないのが驚きです」

 感想を伝えると、彼はありがとうございます、と照れくさそうに答えた。

 花の香りも訊ねると、バラに似た香りの魔法ローズゼラニウムだという。色の変わる魔力はこれのおかげらしい。飲み物セットで九百円ならお得だろう。

「日々の暮らしの中、疲れたときや落ち込んでいるときに、少し元気になれる、ささやかな魔法菓子を目指しています。自分もお客さまも楽しいものを」

 まだまだ模索中です、と謙遜するように付け加える。一軒の店を構えるプロでも模索中なのかと感心していると、ドアチャイムが鳴る。パティシエは接客のために、隼に一礼をして場を離れた。

 一人になった隼は、再度皿を見る。

 自分の楽しいことは、なんだろう。

 同時に、ケーキの甘さが蘇る。不思議で面白いひととき。最後の一口が惜しいと心から思った、あの瞬間のわびしさ。

 これを物語の中で描けたら。どんな世界観で、どんなキャラクターに、どんなドラマを味わってもらおうか。

 胸が期待で膨らみ――はっとした。

 隼は、脳内にある物語の、最初の読者になるのが好きだ。

 たとえ、周りとやりかたが違っても辞めることはない。辞められない。

 隼の手は自然と、傍らに置いたままのノートと万年筆に伸びていた。



 会計を済ませるためにレジに向かうと、先ほどのパティシエがいた。代金を差し出した後、レジ操作をする彼のコック服に刺繍された文字が気になった。


『AOI TENJIKU』


 あおい、てんじく。テンジク、アオイ。ゼラニウムの和名だ。

「ありがとうございました、またお越しくださいませ」

 おつりを受け取る際、彼はまさに花が咲くような、と形容したくなる笑みを浮かべた。

 同性だが惹かれる表情。どこまでも凪いだ空のようなそれは、気持ちを癒やし、穏やかにしてくれる。

「また、来ます」

 次はもっと、筆が進むかも。そう思いながら店を出た。


 

 集合場所に向かう電車で、隼は思い出した。

 パティシエと同じ名前の、あの文通相手は今、元気でいるだろうか。

 受験を理由に文通の取りやめをしたので短い付き合いだった。優しく、生真面目で生きづらそうな相手だった気がする。

 勝手な願いだが、幸せだといい。

 自分の心が満たされていると、不思議と他人の幸せを願いたくなる。

 仲間の商業デビューも、オンラインノベルの成功も、壁サークルの完売も。全てを心から祝福できるだろう、と思った。



:::



 ノートに万年筆、青色のインク。少し癖のある文字。

 あの筆跡、見覚えがある。

『魔法菓子店 ピロート』シェフパティシエの天竺蒼衣は、喫茶の後片付けをしながら、先ほどの男性客を思い出していた。

 質の良さそうなノートと万年筆を目の前に、難しい顔だった。「書けない」という殴り書きは、悩みの発露に思えた。

 蒼衣には、魔法菓子を食べたお客の感情が伝わってくるという、不思議な能力がある。彼が穏やかな気持ちで店を出たことは伝わってきたので、胸を撫で下ろす。

「思い出した」

 いじめに遭った中学二年、学校や家族以外の誰かに話を聞いてほしくて、雑誌の文通コーナーに手紙を出したことがあったのだ。誠実なやり取りは、当時の心の支えになってくれた。

「恩返し、できてるといいなあ」

 本人かどうかは神のみぞ知る。だが、本人でなくともいい。

 おいしいお菓子で、自分もみんなも幸せにしたい。

 それが天竺蒼衣という魔法菓子職人の願いであり、楽しさであり、幸せである。


◆文章系同人誌即売会「第8回Text-Revolutions」公式webアンソロジー掲載作品

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