esquisse2 スノーマン・ハウスのクリスマス(2/終)

「久しぶり、蒼衣くん」

 東家の玄関で出迎えてくれたのは、旧知の友人であり、八代の妻である良子だった。

 ゆったりとした部屋着に、化粧を落としたすっぴんという出で立ち。百五十五センチと小さめの身長ながら、やや三白眼で無表情、きっちり切りそろえたストレートボブヘアが常の良子は、つっけんどんとした、一見近寄りがたい女性に見えるだろう。

「二人ともお疲れ様。簡単な食事しか残ってないけど、食べる?」

「食べるよヨッシー! ありがとう愛してる! 君が用意してくれるならバケットのかけらだろーとサーモンの切れっ端だろうと」

「さっさと中に入りなさい。寒いんだから」

「はーい!」

 冷めた態度の良子と、完全に愛妻骨抜きモードになった八代のやりとりに蒼衣はいつもながら微苦笑を浮かべる。

「……あの、僕、突然来ちゃってよかったのかな?」

 蒼衣は若干尻込みしながら尋ねる。

「今さらそんなこと言う間柄でもないでしょ。どうせ連れてくると思ってたから大丈夫よ。入って」

 良子が顔を傾け、中に入れとジェスチャーをする。早く早くと八代も催促したので、蒼衣は流されるままに靴を脱ぎ始めた。


 

 

「じゃ、いくよ」

「あおちゃん、はやく!」

 八代の娘・恵美の催促に、蒼衣はほほえみ一つを返し、『スノーマン・ハウス』へ触れる。すると、ヘクセンハウスの屋根に付けた色とりどりのマカロンが柔らかな光を帯び、赤と緑のドレンチェリーがピカピカと点滅しはじめる。薄暗い部屋の中が、一瞬で明るくなった。

 クリスマスのイルミネーション――魔法効果を纏った小さな家に、八代と恵美、良子がおお、と感嘆を漏らす。

 家の中に招かれ、用意してあった軽食を食べた後。持参した『スノーマン・ハウス』を食べることになったのだ。

「試作したとき以来だなあ。いやはや、薄暗い中だと結構幻想的だ」

「さあ、お楽しみはこれからだよ」

 蒼衣がヘクセンハウスをゆっくりと持ち上げる。するとそこには、イチゴで作ったサンタ帽をかぶった、雪だるまがいた。

 人差し指で雪だるまの頭をつつく。すると、起き上がりこぼしのように体を揺らした雪だるまが、文字通りした。

 ぽこっ、ぽこっと音を立てて、雪だるまが増えていく。あっという間に、土台には複数の雪だるまがわらわらと動き回っていた。

「わあ、かわいい!」

 恵美がジャンプしながらはしゃぐ様子を、大人三人が心底ほほえましいといった表情で眺める。

 最初のお披露目を終え、八代が部屋の電気をつけた。

「へえ、ミニチュアハウスで遊んでるみたい。でも、なんで雪だるまが増えるの?」

 良子の質問に、それはね、と蒼衣が応える。

マルチプル・グレープ増やし葡萄のジュースで風味付けした入れたレアチーズムースだからだよ。周りは薄いぎゅうひで包んであるから、洋風大福って言っても差し支えないかも。直前まで凍らせてあったから、もう少し動き回るかなあ」

「マルチプル……増える、ねえ」

「こいつ、つかんでみようかな」

 蒼衣の説明を横で聞いていた八代が、ちょこちょこと動き回っている雪だるまを指でつまむ。つままれた雪だるまはおとなしくなり、やがて動かなくなった。

「あの、食べごろになると、動きは止まるからそれからでもいいんだけど……」

「いや、エビの躍り食いみたいだな~と思って」

 と八代がこぼすと、蒼衣は良子と思わず顔を見合わせた。

「ヤーくん、こういう感性の持ち主だけど、これでよくケーキ屋の店長やってられるわね。シェフパティシエとして、どうなのこれは」

「いやあ、はは、いいんじゃないかな。率直な意見って大事だよ……たぶん」

 どうコメントしていいか分からず、戸惑った答えを出すと、良子はどこか呆れたような顔になった。

「そうやって、いつも蒼衣くんはヤーくんを甘やかすからいけない……」

「俺の自慢のシェフパティシエは優しいんですぅ」

「あなたは黙って雪だるまくんでも食べてれば?」

「パパー、一緒に食べよう!」

 パパ一つちょうだい、と抱きつく恵美に、八代は「ほら優しく持つんだぞ」と雪だるまを渡す。

「いただきまーす」

 二人同時に口に運ぶ。瞬間、親子の顔が喜びにほころび、蒼衣にも気持ちが伝わってくる。

「おいし~い! あっ、イチゴの味だった! あおちゃん、中のおいしいのなに?」

「コンフィチュール。簡単に言うとジャムだよ。四種類入れてみたんだ」

「パパはマンゴーだ。ほら、ヨッシーもあーん!」

 雪だるまをひとつまみした八代が、満面の笑みで良子に迫る。しかし良子はぷいと顔をそらした。

「いや、自分で食べられるから」

「つれないなあ。いけずぅ」

 八代を適当にあしらった良子も、動きの止まった雪だるまを手に取り、口に入れた。

 ほんの少しだけ、ぴくりと眉が動くのが見える。伝わってくるのは「おいしい」の気持ちだ。

「これ、カシスだ。レアチーズのムースもほんのり白ブドウの風味がして、さっぱりしてる」

 ありがとう、と返すと、良子は二個目の雪だるまを手に取った。

「ヨッシー、おいしいよなこれ。もう、とまらないやめられないって感じ? 小さいからいくらでも食べられるし、さっぱりしてるし」

「何個このかわいい雪だるまを口に投げ込んだの。あと、いつまでエビネタを引っ張るつもりなのこのオッサンは」

「ママ-、わたし三個も食べちゃった! ママは? ママは何個?」

「三個も食べたの? じゃあきちんと歯磨きしないとね。ママは今から二個目をもらうの」

「ねえねえ、どの子にするの?」

 どれにする? と、ヘクセンハウスの周りの雪だるまを眺める東一家を、蒼衣は穏やかな心持ちで眺めている。

 三人から伝わる「おいしくて楽しい」気持ち。美味しいものを、大好きな家族にも楽しんでほしいという願い。

 あたたかく、愛おしく、素敵なものだ。

 しかし、心のどこかで。

 こんな理想的な家族の場所に、なぜ自分がいるのだろうか。蒼衣の体は、自然に後ずさる。

 家族、という形を、蒼衣は八代ほど信じることができない。自分自身の人生で精一杯な自分が、他人の人生に寄り添い、生活を共にできるのだろうかと自問自答することが、近年密かに多くなった。

 八代のそばにいたい、という願いは、決して家族になりたいというものではない。

 恋人でもなく、家族でもなく『魔法菓子店 ピロート』という場所で、彼とバディでありたい、という意味合いが強い。

 それが、蒼衣の求めていた場所であり、関係だ。

 だが、それは時として、八代の「家族の時間」を奪うことにもなる。 

 三人を愛おしいと思うからこそ、こうして受け入れられることが、つらいと思う――あまりにも身勝手な感情が、蒼衣の中で渦巻く。

 そのときだった。

「蒼衣くん、なにしてんの」

 良子が、蒼衣の肩を軽く叩いた。

「あ、え、良子さん?」

「ぼーっとしてると、雪だるまがお調子者店長とちびっ子に全部食べられちゃう」

「ああ、いや、僕は。それは、みんなのために用意したものだし」

 だから僕はいいよ、という蒼衣の言葉に、良子が「違う」と短くかぶせてきた。

「みんな、の中には、貴方もいるの。あのねえ、これでも私と貴方、十三年の付き合いがあるの忘れた?」

「それは、その」

「貴方がただの夫の友人だったら、わざわざ食事なんて用意しない。どっかで食べてきてください、って言っちゃう。私、そんなにいい妻じゃないし。貴方は私の友人なの。一年で一番忙しい時期を乗り越えた友人を少しでもねぎらいたい、一緒にクリスマスを過ごしたいって思うの、いけないこと? だから勝手に拗ねないで」

 良子とは、最初こそ友人の恋人、というポジションではあったが、八代とは違う冷静な視点と、敬遠されがちな見た目と反する面倒見の良さは、蒼衣にとって好ましい性格だった。故に、友人として親交を深めていった経緯がある。

 良子から伝わってくる気持ちは、間違いなく、友人である蒼衣を心配するものだ。

 蒼衣は、自分勝手な憐憫に浸っていたことを恥じた。

「……ごめん」

「わかればよろしい」

 ほら、と手を引かれ、八代と恵美に近寄る。

「蒼衣、家のクッキーも美味しいな! バニラの甘い香りがめっちゃする!」

「おいしーい!」

 二人の手元には、パキパキと割られたクッキーがあった。

 ヘクセンハウスのクッキーには、バニラシュガーをふんだんに使っている。本来はスパイス入りのものが多いが、子どもでも食べやすいようにアレンジしたのだった。

「あら、二人ともしっかり歯磨きしてよ。あと、ヤーくんと蒼衣くんは、食べたらお風呂に入ってきたら?」

 お店に戻るんでしょ、と良子は言う。

 そう、クリスマスイブは終わったが、明日が本来のクリスマスである。予約分も当然用意しなければならないし、当日もケーキが出るだろう。

「ありがとう、良子さん」

「さすがヨッシー大好き! 愛してる!」

「……そこのぼんくら眼鏡はちょっとは黙ったらどうなの」

 ストレートな八代の愛情表現を、良子はなかなか素直に受け取らない。蒼衣自身も、八代の直球な言葉を受け取るのは気恥ずかしく思うので、良子がつれない態度なのも理解できる。

 少しくらい、良子の味方をしてもいいだろう。

「八代、口説き文句がワンパターンだってさ」

 案の定、八代は目を丸くする。

「確かに、蒼衣くんの言う通り」

「あ、あ、蒼衣に言われるの、なんか悔しいんですけど! っていうかヨッシ―は俺の味方じゃないんですか!」

「私は自分の心に素直なだけ」

「パパもママもあおちゃんも、なかよしだねえ」

 やがて夫婦漫才に発展しつつある二人を見て、蒼衣の口に自然と笑みが浮かぶ。

 真っ直ぐで賑やかな親友も、冷静で世話焼きな友人も、ニコニコとそれを眺める幼子も。

 確かに今、自分の目の前に――手の届く場所にあるのだと、蒼衣は思った。

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