プラネタリウムと蒼衣の空(6)

 万寿夫婦がリベルテに訪れたのは偶然だったらしい。

「十二月にちょっと具合が悪いからって医者に掛かったら、脳梗塞なりかけですよなんて言われてさあ。いつ倒れてもおかしくねえってんで、あれよあれよという間に完全引退させられちってよ。しばらくリハビリだのなんだのやってたんだが、つまんねえもんで。医者の許可をもらって、昔からの知り合いを訪ねて回ってるって具合だ。ま、俺たち自営の職人が長旅なんて、現役だったころはなかなかできないからね」

「連絡もらったときに、クリスマスの話が出てね。そのときに彩遊市の魔法菓子店に助けてもらったってきいたの。それ、私の弟子の店ですよって」

「弟子の弟子が、学校で面倒見た子だとは思わなんだ。世間は狭いな」

 まったくです、と広江が勝と笑い合う。あのあと、広江は万寿夫妻(連れの女性は奥様だった)をレストスペースに案内し、四人で歓談する流れになった。

「それはともかく、天竺くんよ、その節は世話になった」

 頭を下げられ、蒼衣はただただ恐縮するしかできない。

「とんでもないことです。それよりも、先生が少しでもお元気になったことのほうが、僕はうれしいです。でも、驚きました。万寿先生は、和菓子の世界の方だと思っていたので」

 話を聞いたときから疑問だったことを尋ねてみた。

「魔法菓子だけじゃなくて、洋菓子も若い頃にかじったんだ。興味があったし、魔力への適性もあった。公表しなかったのは、和菓子一徹の先代が許さなかったもんでさ。ところが、いざ自分が店主になったら、忙しくてそれどころじゃなくなった。年取って、息子に店を譲って、半ば隠居の身で知り合いの依頼だけ受けて作っとったと。まあ、そんな経緯だ。それも今では、厨房にすら入れなくなっちまったけどな。あの頑固息子、魔法菓子なんてバブルの名残だの、職人の努力を無視したまやかしだの言いやがって」

 ぼやく勝の横顔に、一抹のさみしさがよぎる。同時に、五村や山本に言われた言葉が、蒼衣の中でよみがえった。

「息子さんは、魔法菓子がお嫌いなんでしょうか」

「あいつは、いろんなことやってきた俺よりも、親父……息子にとってはじいさんだが……の、伝統的なやりかたに入れ込んでてよ。あいつに適性があるかは知らんが、知識だけでもあれば、幅も広がるだろうに」

 うなだれる勝の横で、奥さんが苦笑する。

「この人、自分の知ってることを教えたくて仕方ないの。専門学校の講師業も、それでお受けして。それも、体のことがあって今は辞めているんです。日に日に元気がなくなってくので、それならいっそ、旅にでもと誘いました。でも、行く先々の職人さんにあれもこれもと教えるものだから、もう、ご迷惑じゃないかと」

 そんな言いかたはないだろう、反論する勝を涼しい顔で「モーロクじじいなんだから黙りなさいな」といなす様は、どこか八代と良子のやりとりを思い出させ、蒼衣の口に笑みが浮かぶ。

「でも、僕だったら喜んでご教授願いたいです」

「じゃあ、今から教えてもらえばいいじゃない」

 広江の言葉に、蒼衣は目を丸くし、勝は「なるほどな」となぜか得心のいった顔をする。

「これも星の巡り合わせよ」

 広江は含み笑いを浮かべる。蒼衣はやっと『勉強』の意味を理解した。



 厨房に入った勝は、広江に案内され、魔力含有食材の眠るパントリーを眺める。

「旦那さんが食材狩りを職業にしてるとは聞いていたが、よくこんなにそろえているなあ」

 天井までところ狭しと並べられた食材のストックを眺め、勝は感嘆のため息すら漏らす。

「『乾燥雨粒』こりゃフリーズドライか。『春風一番』まで」

「ウチにくれば大抵のものが揃いますよ。なんでも使ってくださいな」

「ありすぎて、なにを使っていいのやら」

 困ったように頭をかいた勝は、なにやら思いついたらしく、蒼衣の顔を見る。

「天竺くん、なにかリクエストはないかな」

「リクエスト、ですか」

「ほれ、新作で悩んでおるとか、そういうのがあるかと思って」

「新作……」

 五村のこと、魔力消失のことで忘れかけていたが、妹の持ってきた百貨店出店のことに、返事をしていないのを思い出した。

 一度はやると言ったが、リストにパルフェの名前があったことで、一旦怖じ気づいていた。

 不安定な気持ちの原因は、ここから始まったのかもしれない。

 ならばいっそ、向き合ってみるのも一つの手だ。蒼衣は覚悟を決めた。

「百貨店から、夏の催事出店のお誘いを受けています。催事限定の商品を考えたいです。魔法菓子らしい、見た目でも、食べても驚くものを。なにか、ヒントをいただけるようなものをお教え頂けますでしょうか」

「ふむ、夏向けの商品か」

 勝はしばらく考えたのち、

「南極と北極の氷はあるかね。あと、焙炉ほいろは?」

 と、広江に尋ねた。

「氷はまだ去年の残りが冷凍庫で、焙炉は倉庫に。万寿さん、もしかして、アレを?」

 広江の言葉に、勝は自信のこもった表情になる。

「なら、俺のとっておきを教えてあげよう、天竺くん。こいつは相当『冷える』ぞ」

 


「まずは、二つの氷の分量を量る。多すぎると人体に影響が出るし、少なすぎても効果が出ない。基本の比率を教えてあげよう」

 リベルテの厨房内。三人の目の前には、白いブロック状の氷が二つ置かれている。氷を包んでいるビニールにはそれぞれ『北極』『南極』と書かれてあるが、見た目からそれが判別はできかねる。

 しかし、蒼衣を含む三人の魔法菓子職人には、二つの氷が別物であることが感覚でわかっていた。

「今回作るのは『琥珀糖』と呼ばれる干菓子の一種だよ。外はカリカリ、中は寒天らしい柔らかさと、磨りガラスのような涼やかな見た目も楽しい一品だ。魔法菓子では、北極と南極の氷を使うことで、一瞬だが体の体感温度が下がり、清涼感が得られる。俺は『氷琥珀』って名前を付けた。ただし、氷の量が多すぎると、全身が氷に包まれて凍傷になるから、教えた比率を越えないようにすること」

 白衣に着替えた勝は、アイスピックで氷を砕きつつ、丁寧に解説を始めた。

 砕いた氷を計り、水を入れ鍋に入れ、弱火でゆっくりと溶かしていく。溶けきったら粉寒天を入れてかき混ぜ、沸騰させた。

「今日は時間短縮で粉寒天を使うが、糸寒天を使ったほうが透明度や口当たりはいい。沸騰の時間はなるべく短く。魔力が水分と一緒に蒸発してしまうからな」

 手早く新しい鍋に漉しながら移す。今度は計っておいたグラニュー糖と、魔力定着安定剤をひとさじ入れ、かき混ぜながらひたすら煮詰める。

「木べらですくって、糸を引くようになるまで煮詰めたら火を止める。こんな感じだ」

 実際に寒天液をすくい、木べらから落としてみせる。糸のように垂れる液が、ふるふると震えた。

「あら熱を取って、色と味をつけたい数だけ分けて容器に入れる」

「色、どうしますか?」

「色を付けるなら、水面や新緑のかけらがあっただろう。残りは、夏らしく柚子のペーストでも入れようか」

 広江がパントリーから『水面』『新緑』のラベルを貼られた小瓶を二つ持ってきた。冷蔵庫から柚子ペーストの袋も取り出し、それぞれ分量を計った。

「かけらとペーストを入れ、スクレーパーで混ぜる」

『水面』のかけらを入れた液が、湖の水面のように青く染まる。時折、白い雲が流れていったり、魚が泳いでいるのがよぎっていくのが見える。『新緑』を入れた液は、まぶしくも目に優しい、木漏れ日の緑であふれた。

「通常なら五、六時間かかるが、氷の魔力影響で一時間もあれば固まる。その間に焙炉の準備をしよう」

 蒼衣は広江の案内で、ペンション裏の倉庫に赴いた。片隅で埃をかぶっていた、小さな電子レンジのような形をした焙炉をえっちらおっちら厨房まで運ぶ。

 軽く掃除をしてコンセントにつなげば、問題なく作動した。

 準備をしている間に冷えた氷琥珀を取り出し、勝は包丁で器用にカットしていく。

「今回は四角に切るが、この辺りは、職人のセンスやテーマに併せて自由自在だ」

 切った氷琥珀をワックスペーパーの上に並べ、焙炉の中へ入れた。

「明日には完成予定だ。焙炉なら半日で乾く」

 ふう、と勝が一息ついた。

「お疲れ様でした。完成が楽しみです」

「うむ。見ての通り、氷琥珀は材料としてはシンプルだ。だから、一緒に入れる食材の味や魔力効果がストレートに出るだろう……少しは、参考になったかな」

 はい、と蒼衣はうなずく。洋菓子でもコンフィズリーと呼ばれる砂糖菓子があるが、パート・ド・フリュイのような、果物のピューレを使った濃厚なものと、氷琥珀のような透き通ったものとでは、雰囲気が違う。まったく作ったことのなかったものに触れて、蒼衣の創作意欲に火がつき始めていた。それを伝えると勝は、顔をほころばせた。

「氷琥珀は、俺が一番気に入ってるお菓子なんだ。見た目も、効果も、どちらでも楽しめるようになっている。……モーロクじじいとはよく言ったもんだ。今でこそ、こうして体が動くが、この先どうなるか、俺にもわかったもんじゃない。だから、こうして君に伝えることができてよかった」

「先生……」

 勝が旅をして、後進にいろいろと伝えようとしている理由を察した。寒天液を垂らしたときの震えは、体に麻痺が少し残っているからだろう。

 蒼衣がどう声をかけていいのか困っていると、勝は肩を優しく叩いた。

「なにがあったかは聞かないが、君の力と、魔法菓子を信じれば、必ず道は開ける。大丈夫だ」

 


 山と川の近くにあるリベルテの夜は、彩遊市とは違い、虫や鳥、カエルなどの鳴き声であふれている。あてがわれた客室のベッドに寝転がった蒼衣は、ひさびさの喧噪に懐かしさを感じていた。

 今日の宿泊客は、蒼衣と万寿夫婦だけ。広江の夫であり、魔力含有食材狩人でもある勇の作った夕食に舌鼓を打ったのは、つい一時間前だ。あてがわれた客室のベッドに寝転がった蒼衣は、ひさびさの喧噪に懐かしさを感じていた。

 ふと、なにかに呼ばれたような気がして窓を見た。夜空の雲は少なく、きらきらと瞬く星が、空中にあふれている。

 吸い込まれるような夜空を見た蒼衣は、息を飲む。

 そして蒼衣は部屋を出た。今なら、動ける気がしていた。

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